無色透明の殺意
4月9日 PM16時。精神科警課のフロア。
今日はめずらしく加賀城は、朝からずっと赤橋署の外にすら出たりはしなかった。
これは悲しい事ではあるが、警察庁でのテロがあろうがなかろうが、社会が今日も通常営業でまわり続けている限り、イジメもハラスメント問題も一気にゼロになる事なんてない。
人と人との関りが重視される社会である限りは、今日も“誰か”が“誰か”の事を疎ましく思い続けている事だろう。
最近は自粛ウォーカーによる嫌がらせも横行しているので、そのせいで精神的障害を負ってしまった人も増えてきている。
精神的障害をバカにする人は相変わらず多いが、バカと言われてムカッときてしまうのもまた精神的ストレスの一種なので、このストレスが積もりに積もってしまうと、めまい、頭痛、睡眠障害へと繋がってしまう。脳出血を起こす人だって少なくはない。また、脳梗塞もストレスと隣り合わせの病気なので、このストレスをどう緩和させるかが大事となってくる。
ようは、イラつきやすいか、落ち込みやすいかの違いなだけなので、誰でも精神的障害を患う可能性はあるという事である。
加賀城はそういった相談者のために、信頼できる臨床心理士を紹介したりもする。
近年、精神科や心療内科から処方された薬による副作用が問題となっているので、そういった医師にひっかからないためにも、精神科警課の存在意義をもっと多くの人に知ってほしい。
「カチョー。お客様です」
この間精神科警課に入ってきたばかりの新入り3人娘のうちの1人が、元気よく加賀城に手を振った。
加賀城は席を立ち、新入りが指示した方向へと顔を向ける。
そこにはサラリーマンの格好をした30代後半くらいの眼鏡の男性が立っていた。
その男性の目元は、眼鏡のフチで若干見えづらかったが、やや濃いめのくまがあった。目もショボショボとさせていて、顔も、血色が悪かった。
加賀城はすぐに彼のもとへと向かい、奥の個室へと案内し、一緒に部屋に入った。
その際、精神科警課フロアへと戻ってきた城士松と目が合い、鋭く睨まれたが、加賀城はまったく気にせずに、扉を閉めた。
そのサラリーマンの男性から名刺を渡された。
馬瀬雄一郎というらしい。年齢は38歳。妻子持ち。娘はまだ4歳らしい。
職業はゼネラルコンダクター。割と有名な建設業者、赤佐内建設の社員だそうだ。
ゼネラルコンダクターと同じような意味を持つ言葉で、デベロッパーといったものが存在するが、ゼネラルコンダクターは主に、国から依頼された建設、例えば道路や鉄道、トンネル、ダム、学校等の教育施設を担当する。ようは、インフラ関係の建物を彼らは整えていくというわけである。もちろん、彼らの下には下請け業者も存在するが……。
デベロッパーは主に、国を介さない建設を担当する。たとえば土地の権利を自発的に仕入れ、新築マンション建設や、都市開発、リゾート開発を行ったりもする。たまにゼネコンと共同で開発に取り組む事もある。
そんな馬瀬がなぜこの精神科警課を訪ねてきたのかというと、
「妻と娘のその後のケアをあなたにお任せしたいのです」
「というと?」
「2月の終わりらへんに、地震がありましたよね?」
「………ああ、そうですね」
「その際、北赤橋町にあったトンネルが派手に倒壊してしまって……民間による調査が入ってしまったんです。で、発覚してしまった。手抜き工事が」
「……それは知りませんでした」
てっきり、フォーカスモンスターが引き起こした超常現象のせいかと思っていたが、どうやらそれだけが原因ではなかったらしい。
さらに馬瀬は、加賀城にこんな事を言った。
「あと、手抜き工事はあのトンネルだけではなかったんです。赤佐内建設は人通りの少ないところにばかりトンネルを作り、ほとぼりが冷めた頃に、土地の権利を他のデベロッパーへと売るといった行為を繰り返していた」
「……………となると、政治家が絡んでいる?」
「そうです。ゼネコン側が、名を上げたいがために政治家サイドに金を渡し、安上がりな建設をしておきながらも、表面上は、業績をあげたように見せかけた。で、ほとぼりが冷めた頃に、点検がかさむどうでもいい場所のトンネルだけをデベロッパー側に壊させて、新たな土地の開発にも貢献していたんです」
「しかし、例の地震のせいで、それもあかるみになろうとしている?」
「はい。というより、すでになっています。そしてネットでは、すべてを企てた首謀者として私の名前があがっている」
「スケープゴートというやつですか」
「マスコミにもすでに私の名前は知れ渡っていて、明日には記事がでるかと…」
「という事は………マスコミはすでにあなたの自宅近辺を嗅ぎまわっている?そしてあなたの妻と娘は、それに疲れ果てている?」
「いいえ。心つねに落ち着かずといった感じではありますが、まだ大丈夫です。しかし、それももう時間の問題でしょうね」
これこそ、福富神子に相談すべき案件だった。
しかし、彼女はああ見えて頭が切れる策士でもある。情報提供の代わりに、加賀城を手駒のようにして操り、周辺をかき乱すように仕向け、新たなる情報を得ようとするだろう。
彼女にだけはやはり、協力を仰いではいけない。
馬瀬はさらにこんな事を言った。
「それにもうじき、フォーカスモンスターに殺されてしまうかもしれませんし………」
「えっ………」
「政治家の不正もそうですが、こういった不祥事はネット民の大好物ですからね。フォーカスモンスターへの殺害依頼も私の名前で毎日のように書き込まれています。わたしがどこの駅をいつも利用しているのかといった情報まで書かれてしまっています」
「しかし、名前を書き込まれたみんなが必ずしも殺されているわけではありません」
「それでも、フォーカスモンスターは逮捕されてませんよね。そして、フォーカスモンスターは悪人を好んで殺す。例のTOUTUBERの5人組も殺されましたよね?彼らの名前だって書きこまれていましたから」
「それは偶然です。なぜなら、ネットに名前を書き込まれていない被害者もいますので……」
と言いつつ、加賀城はこんな事を思っていた。
もしもあの歩道橋で起きた出来事が加賀城の予想通りだとしたら、これからはあのフォーカスモンスターは積極的に“悪人”を殺そうとしてくるかもしれない。
そのためにはまず、ネットからも情報を仕入れるはずだ。
鹿津絵里がどんな人間か、加賀城のプロファイリングが的中しているのならなおさら、このまま放っておいたら大変な事になるかもしれない。
加賀城はセンシビリティ・アタッカーの力をオンにしてみた。
すると、色とりどりの感情が光のラインとなって辺りを行き交っているのが加賀城の目には視えた。
馬瀬の体に、その光のラインの何本かが接続しているのが視える。
これは運命の赤い糸と同じで、恋人同士がお互い本当に想い合っていれば常に繋がって視えるので、母、娘ともに、馬瀬の事を本当に好きなのだというのが確認できる。
でもまれに、一方通行の殺意のラインも体に繋がっていたりする事もある。そういった感情のラインは、たいていがどす黒い色を放っている。
しかし、今の彼の体にはひとつもどす黒い光のラインは繋がっていなかった。
「………………………」
だからといって、誰も彼を殺そうとしていないとは限らない。
殺しを生業としている暗殺者や、感情が欠落してしまったサイコパスに狙われていた場合は、このセンシビリティ・アタッカーの能力では視えづらい。
少し体力が削られる事になるが、このセンシビリティ・アタッカーのチカラの精度をあげれば、もしかして何か視えるかも………。
加賀城は意識を集中させ、センシビリティ・アタッカーのチカラの精度をあげてみた。すると、ここは建物の中だというのに、加賀城の髪がふわりふわりと浮き始める。
そして………。
ポタリ。
加賀城の鼻から血がしたたり落ちた。
「だっ、大丈夫ですか!!」
馬瀬がびっくりするのも当然だった。こんな話の最中にいきなり鼻血を出すからだ。
「大丈夫です。ちょっとチカラの精度をあげすぎました」
「えっ?」
馬瀬は、何がなんだかわからないといった表情だ。
「でも視えました。無色透明ではありますがね………」
加賀城は個室の扉を開け、いったんその部屋から出て、デスク作業中の城士松へと事情を説明した。
そんな加賀城に対し、城士松は深いため息をついた。
そしてこんな事も言った。
「正直私は賛成できませんね。前だってそれであなた、倒れてしまったわけですから」
「でしょうね。場合によっては、私が先に力尽きて死にます。だから、協力してもらえませんかね?」
「精神科警課の仕事を逸脱してますよね」
「しかし、間違った真実の方が公になれば、あの家族は誹謗中傷の的になってしまいます。たとえ、無実が証明されたとしても、いったんはじまってしまった誹謗中傷はなくならない」
本当なら、無実が証明された時点で、スッと誹謗中傷はなくなると考えるのが普通だ。
でも現実は思った以上に残酷なものである。
『本当はお前もちょっとは加担してたんじゃね?』と勘繰る人間が必ず出てくる。そういった人間も含め、ゼロにならない限りは、馬瀬に対しての疑惑も消えない。人間は、疑惑のある者に対しての差別意識が強い。つまりは、いやがらせは続くという事である。
「………わかりました、しかたないですね。どうせこういった案件は、うえから捜査2課にストップがかかってしまいますからね。ただ、アラキをそばにつけさせてください」
「わかりました」
城士松は加賀城の事が心配なのだ。
できれば今回でフォーカスモンスターの件が片付いてほしいと思っている。
でも、それはきっとあり得ないだろう。それに………。
いやな予感がした。




