04:どちらかと言えばSM
無理だ…と呟き続けるエリアスをフーゴに任せ、ウリカはシーラと別室で話をすることにした。
これもひとえに、情けない兄を助けるためである。
「改めて、いらっしゃい、シーラ」
「本当に突然ごめんなさいね、ウリカ」
申し訳なさそうな顔をして謝るシーラに、ウリカは苦笑をしながらも首を横に振る。
「驚いたけれど、シーラとこうしてお喋りするのは楽しいから、いいわ。ゆっくりしていってね」
「ありがとう」
そう言ってはにかむシーラは天使のように愛らしい。傍から見れば、エリアスとシーラはお似合いのカップルだった。
──その内情を知れば、エリアスに同情してしまうのだが。
「…私、これでもいつも反省しているの。エリアス様もご迷惑だから、やめなくちゃって。でも……エリアス様を前にしちゃうとだめなの…つい暴走してしまって…」
私って本当にだめね、と寂しげに微笑むシーラに、ウリカはなんと返せばいいのかわからなかった。
(…“つい”? ねえ、あれって“つい”なの?)
そう問い詰めたいのをぐっと堪え、ウリカは無理やり笑みを作った。
「そ、それくらい兄さまに夢中ということでしょう? それは素晴らしいことだわ。……たぶんきっと恐らく」
「そうなの! エリアス様以外に目がいかないくらい、私はエリアス様に夢中なの。ほら、エリアス様って、とても素敵でしょう? 見た目はもちろんだし、とても優しくて紳士だし、時折言う辛辣なお言葉を聞けば胸がときめくし、少し弱いところを見ればもっと弱らせて差し上げたいと思うもの」
「そ、そう…」
(……今、おかしい台詞を聞いた気がするけれどきっと気のせいよね)
ウリカは自分のためにそう思い込むことにした。
「先ほどのエリアス様も素敵だったわ。『無理だ…』と弱々しく呟くエリアス様……あぁん、素敵……もっといじめて差し上げたい…できることなら泣かせたいわ……」
「……」
(気のせいだと思いったかったけれど……気のせいじゃなかった……)
追い打ちをかけるかのようなシーラの台詞にウリカは頭を抱えたくなった。
シーラはエリアスさえ絡まれければ、普通の令嬢だ。なのにエリアスが絡んだとたん、こうである。残念を通り越してもはや言葉にならない。
「だけど私はどちらかと言えば、エリアス様に罵られたいのよね……冷たい目をして『この薄汚い雌豚が。俺に気安く触るな』なんて叩かれた日には……きゃあ♡ ときめいちゃう…♡」
「シ、シーラは兄さまをいじめたいの? それともいじめられたいの?」
ドン引きしているウリカに構わず、ひとりはしゃぐシーラにウリカは思わず聞いてしまう。
そしてその回答を聞いて、質問したことを後悔するのだ。
「そんなの決まっているわ。もちろん──両方よ♡」
「……………」
「エリアス様をいじめたいし、いじめられたい……どちらにしてもエリアス様が素敵であるということに変わりはないわ。どちらにしてもおいしい……うふふ。エリアス様って本当に罪な方…!」
そんなところも好き。
と、頬に両手を当ててうっとりと宙を見つめるシーラに、ウリカはなんと言葉をかければいいのかわからなかった。
(確かに…兄さまは罪な方なのかもしれないわ…)
そう思うのと同時に、ウリカは兄に心から同情したのであった。
❖
一方、エリアスを慰めるために部屋に残ったフーゴは、気持ちが少し落ち着いたエリアスに申し訳なさそうな顔をされていた。
「…取り乱してすまない、フーゴ」
「いや……気持ちはなんとなくわかるから、気にしないでくれ」
むしろ僕の従姉がすまない、とフーゴが謝ると、エリアスは乾いた笑みを浮かべた。
しかし決して気にしないでくれとも謝る必要がないとも言わなかったあたり、エリアスがいつもどれだけシーラに迷惑をかけられているかが伺われる。
「…アレは自分の婚約者なのだから、俺がしっかりしなければと思うんだが、アレを目の前にするとだめなんだ…自分がなんだか肉食動物に狙われた草食動物のような気分になるんだよ…」
自分の婚約者を“アレ”呼ばわりである。どうやらエリアスはシーラの名を言うことすら躊躇うらしい。
なんでだろうなぁ、と呟くエリアスの目は遥か彼方を見つめているようだった。
そんなエリアスにフーゴは心底同情する。
「…まあ、俺のことはどうでも……よくはないがいつものことだからいい。それよりも君の方はどうだ、フーゴ」
話を逸らすように質問をしたエリアスにフーゴはきょとんとする。
「僕?」
「そうだ。君の“作戦”は順調か?」
「ああ…ウリカのことか。そうだな…結果はあまり芳しくはないようだ」
難しい顔をして腕を組んだフーゴにエリアスは苦笑する。
「我が妹ながら、鈍いからなぁ。君がどれだけ努力して変わろうとも、魅力的になろうとも、ウリカは一向に君を異性として意識していない…まあ、俺たちは家族みたいな間柄だから、無理のない話かもしれないが」
「…心を抉るようなことを言わないでくれ…」
苦い表情をしてエリアスを見つめるフーゴに、エリアスはすまないと謝る。
しかし、その表情からは笑みが隠しきれておらず、フーゴはムッとする。
「フーゴなら引く手あまただろうに、難儀なことだな」
「仕方ない。まだまだ僕の攻めの手が甘いということだ。もっと違う手を考えなければ」
いっそ監禁でもしようか、と手に持っていた本──加虐嗜好の奨め──の表紙を真剣に見つめて呟いたフーゴにエリアスは引きつった笑みを浮かべて「それはやめろ」と言っておく。
きっと彼がウリカを監禁するなら真面目に監禁についての本を読み込み、誰にも見つからないように完璧に隠してウリカを監禁するだろう。フーゴほどの器量があればそれくらいは容易くやり遂げてしまいそうである。
フーゴは真面目な青年である。真面目ゆえに父親のようにならなければならないと思い込み、父親の性癖まで真似ようとしているくらいだ。本来の彼はどちらかといえば被虐嗜好であるというのに。
エリアスは気づいていた。
幼い頃、いじめっ子たちにいじめられていたフーゴを助け、泣きべそをかくフーゴにウリカは蹴りを食らわせていた。その蹴りを受け、フーゴはどこかうっとりとした笑みを浮かべていたことに。
つまり、フーゴは『好きな子にいじめられたい』のである。だからウリカに蹴られて悦んでいた──。
普通とは逆の、とても変わった嗜好の持ち主なのである。
「…しかし、ウリカが泣いて僕に縋るところを想像すると…こう、ぐっとくるな…早くその姿が見たいな」
本のページを捲りながらうっとりとして呟いたフーゴにエリアスは引きつった笑みを浮かべて「ほ、ほどほどにな…」と言った。
(この一族はそういう特殊な性癖を持たねばならない掟でもあるのか…?)
そう考え込み、自分も妹もとんでもない相手と婚約したものだ、としみじみと思っていたエリアスはフーゴの「…その逆もいいな…」というフーゴのドエムな発言を聞き逃したのだった。