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03:一周回っても後ろ向き


 フーゴの「ドエス道とは」というありがたくない講習を聞き流しながら、手土産のケーキ(3個目)を食べていると、突然ドアが開いた。

 フーゴは口を止め、ウリカは最後の一口を頬張りながらドアを見つめると、そこには蒼白な顔をしたウリカの兄であるエリアスが立っていた。

 そんなエリアスを見て、フーゴはにっこりと笑いかける。


「お邪魔しているぞ、エリアス」

「ああ…いらっしゃい、フーゴ。ウリカにケーキを買ってきてくれたんだって? いつもうちの不肖の妹ためにすまない」

「僕が好んで持ってきているだけだ。エリアスが気にすることじゃないさ」


 親しげな笑みを浮かべて言うフーゴに、エリアスは申し訳そうに眉を落としながらも、笑みを返す。

 そしてウリカの方を見ると、厳しい表情をして問いかけた。


「悪いな…そう言って貰えると助かるよ。ウリカ、フーゴにお礼を言ったか?」

「もちろんお礼を言ったわ。……言ったわよね…?」


 最初は自信満々に答えたが、少しして自信がなくなってきたウリカはフーゴに小さく聞き返すと、フーゴは同意するように頷く。


「そうだな。ウリカ的にはお礼かもしれない」

「だそうよ、兄さま」


 ね、と言うようにエリアスに笑いかけたウリカに、エリアスは溜息を堪えるように額を押さえ、力なくウリカを見つめた。


「…ウリカ。フーゴにきちんとお礼を言いなさい」

「フーゴがお礼を言われたって言ってるんだから、いいじゃない。兄さまは細かすぎるのよ」

「お前が大雑把すぎるんだ…とにかくお礼を言いなさい」

「……わかったわ、兄さま。フーゴ、ケーキをいつもありがとう」


 観念してウリカが礼を述べると、フーゴは眩しそうに目を細めて「僕が好きで買ってきているだけだから、礼は不要だ。なにせ、僕とウリカの仲だからな」と言って微笑む。

 その微笑みがとても輝いて見えて、ウリカの鼓動が早まる。


(え…な、なんでわたしドキドキしているの? 相手はフーゴなのに)


 早まる鼓動に戸惑いながら、ウリカは胸に手を置く。やっぱり胸の鼓動はいつもよりも早くて、ドキドキしているのは気のせいではないのだと思い知る。

 ウリカにとってフーゴは婚約者であるが、それ以上に家族に近い存在だった。


 フーゴとの出会いは、ウリカの母に連れられてやってきた茶会でだった。その時に今よりも泣き虫で弱気だったフーゴは、その顔立ちのきれいさから、同じように茶会に来ていた同年代の男子たちにいじめられていたのをウリカが発見し、エリアスと共に助けに入ったことがきっかけだ。それからフーゴとは家族ぐるみのお付き合いをするようになり、いつの間にやらウリカとフーゴの婚約まで取り決められていた。

 フーゴの両親はフーゴを見てわかる通り、顔立ちの整った人たちで、ウリカやエリアスにもよくしてくれる、とても優しい人たちだ。だから、フーゴと婚約をすることに不安はまったくなかった。それに、フーゴはウリカにとって弟のようなものである。そんなフーゴと家族になることに抵抗はない。


 そんな弟のような存在であるフーゴに迂闊にも胸をときめかしてしまったことに、ウリカは戸惑っていた。

 フーゴが泣き虫を卒業し、令嬢たちが放っておかなくなっても、ウリカはあの泣き虫だったフーゴが…と感慨深く思ったものの、それだけだった。


(…わたしも“女の子”だった、ということかしら。フーゴは顔だけは良いもの。笑顔に見惚れてしまうことくらいあるわ。……たぶん)


 些か自信がないものの、ウリカはそう思うことにして、青い顔をしている兄を見つめた。


「…ところで、どうかしたの、兄さま? なんだかお顔の色が悪いし、酷く慌てていたようだけれど」


 話を変えるためにウリカがそう兄に話を振ると、エリアスはハッとした顔をして、縋るようにウリカに掴まった。


「に、兄さま…?」

「ウリカ…助けてくれ! このままだと俺は…俺は……!」


 ブルブルと震えてしがみ付くエリアスをウリカは少しの間戸惑って見ていたが、やがて合点がいったのか、慈愛に満ちた表情を浮かべ、優しくエリアスの背を叩こうとしたが、その手は空を切った。

 なぜならば、フーゴがウリカにしがみ付くエリアスをひょいっと引きはがしたからである。


「フーゴ?」


 不思議そうに名を呼ぶウリカをフーゴは無視し、エリアスににこりと笑いかけた。


「エリアス、妹に縋りつくのは兄として少し情けないんじゃないか?」

「フーゴ…いいんだ、どうせ俺は情けない人間だからな…。兄としても人としても情けない…婚約者である彼女に言いたいことも言えない、グズで間抜けで情けないダメ男なんだ…!」

「…そこまで言っていないんだが…しまったな。エリアスの“後ろ向きスイッチ”を押してしまったみたいだ…」


 そう言ってフーゴは苦笑する。

 エリアスは普段は好青年なのだが、ひとたび“後ろ向きスイッチ”が入ってしまうと、とことんネガティブな発言を繰り返すという欠点があった。

 エリアスの容姿は美人と評判の母親似である。そしてその中身もまた、母親にそっくりであった。ウリカとエリアスの母はなんでも悪い方に考えてしまう、なんとも面倒くさい性格をしており、その性質はエリアスに継がれたらしい。ちなみにウリカは見た目も性格も父親似である。

 見た目はとても良いのにエリアスがモテないのはこの欠点のせいだ、と常々ウリカは言っているが、エリアスのそれが直る兆候は見えない。

 そんなエリアスを呆れた目で見つめながら、エリアスがこんなに後ろ向き思考に走っている原因と思われることを聞いてみる。


「兄さま…シーラとなにかあったの?」

「しっ! その名を言うな! 出てきてしまうだろう!?」


 「そんな、幽霊じゃないんだから」とウリカが笑おうとしたとき、ドアから一人の令嬢が現れた。

 その姿を見て、ウリカとフーゴは目を見開き、エリアスは「ひぃ!」と情けない悲鳴をあげてフーゴの背後に隠れた。

 そんな一同の様子を令嬢は見たあと、にこりと可憐に微笑む。


「ごきげんよう、ウリカ、フーゴ。突然お邪魔してごめんなさい」

「シ、シーラ…どうしたの?」


 ぎょっとしてウリカが彼女──シーラに尋ねると、シーラは申し訳なさそうな表情をして答える。


「少し前までエリアスさまとご一緒だったのけれど、エリアスさまが突然いなくなってしまって…もしかしたらご自宅に戻られたのかと思って訪ねてみたら、こちらに案内してくれたのよ。ねえ、ウリカ。エリアスさまはどこ?」


 シーラはそう問いかけながら室内を見回し、ウリカが返事をするよりも早く、とある一点を見てとても嬉しそうに笑みを零す。

 シーラは癖のない亜麻色のさらさらとした髪と、優しい菫色の瞳を持った、いわゆる美少女である。そんな美少女の満面の笑みは、一般の男性ならばぼうっと見惚れてしまうだろう。

 しかし、それとは正反対にエリアスはその笑みを見て「ひぃぃぃ!!」と悲鳴をあげた。


「エリアスさま、探しましたわ!」

「な、ななななななぜここが……」

「エリアスさまのことならば、なんでもわかりますわ。だって私はエリアスさまをお慕いしているのですもの…大好きな方のことを知りたいと思うのが乙女心というものですわ」

「……」


 パクパクと口をせわしなく開いたり閉じたりをエリアスは繰り返すが、言葉は出ないようだ。


「あらあら。そんなにお口を開け閉めして…うふふ。エリアスさまったら、とてもお茶目なんですから! それにしても…酷いです、エリアスさま…なぜ私から逃げようとなさるの? 悲しくて悲しくて…胸が張り裂けてしまいそうです…」

「……」

「でもこれもエリアスさまの愛だということは、重々承知しておりますわ! 私を試しておられるのでしょう? 心配なさらずとも、私はエリアスさま一筋ですわ! でも、エリアスさまは恥ずかしがりやですものね。うふふ。私、こうして焦らされるのは、嫌いではありません……むしろ好きですわ。きゃっ! 言っちゃった…!」

「…………」

「焦らすだけではなくて、口汚く罵ってくださっても構いませんのよ? エリアスさまに罵られるところを想像するだけで…あぁ! どきどきしてしまうわ…!」

「………………」


 シーラが口を開くたびにエリアスの目が虚ろになっていく。シーラの言葉はエリアスのライフをガンガンと削っていくようだ。

 もうやめてあげて、と言いたいが、下手に口を挟むと余計に酷いことになってしまことが前にあったため、エリアスのことを考えると迂闊に口も挟めず、ウリカは心の中で兄に頑張れとエールを送るだけに留めた。


 見た目は極上の美少女であるシーラだが、その中身はとても残念だった。なにがきっかけなのかは聞いていないが、シーラはエリアスに心底惚れ込み、エリアスのこととなると暴走してしまう困ったさんなのだ。

 もっとも、エリアスが絡まなければごく普通の令嬢であるのだが。


 そんなエリアスとシーラは現在、一応婚約者、ということになっている。

 一応、というのは周りが勝手にそう決めただけで、エリアスが承知していないためにつけている飾り言葉である。エリアスが認めていないだけで、二人の親も婚約を認めており、二人は正式な婚約者だ。


「まぁ、そのような冷めた目で私を見つめないでくださいませ。ドキドキしすぎて死んでしまいそう!」

「……そのまま永眠すればいいのに……」

「いやだわ、エリアスさまったら照れ屋さんなんですから! そのような暴言…興奮してしまいます♡」

「………………」


 エリアスの目が完全に虚ろになった。

 そしてゆっくりとフーゴを見つめ、晴れやかな笑みを浮かべて、親しげに肩に手を置く。


「おい、フーゴ。お前の従姉なんとかしろ」

「…申し訳ないが、僕には無理だ」

「そうか、俺ももう無理なんだ。よし、どこか遠くの地に捨て置くか」

「…地の果てに連れてかれようとも、シーラは君を追いかけてくると思うが」

「そうか、やっぱりそうか…ならば仕方ない…俺は旅に出る! そして新しい俺に生まれ変わるんだ…!」


 そう言って窓から飛び降りようとするエリアスをフーゴとウリカが慌てて止める。


「死ぬ気か! 早まるな、エリアス!」

「そ、そうよ! 馬鹿なこと言わないで、兄さま!」

「離してくれ…! 俺はもう無理なんだ…!」


 じたばたと暴れるエリアスをウリカとフーゴが必死に止める。そんな3人の様子を、こうなった原因であるシーラは不思議そうに眺めた。


「…まぁ。それは新しい遊びですか? それならぜひ私も混ぜてくださいな」

「シーラ…」


 のんびりとしたシーラの言葉に、3人はなに言っているだといわんばかりの視線を送る。

 シーラはそんな3人の視線にもにこにことしている。


「エリアスさまが死ぬとかなんとかとおっしゃって驚きましたけれど、ここは1階ですものね。今のはブラックジョークというものなのでしょう?」


 「本当にエリアスさまったらお茶目さん」とエリアスをうっとりとして見つめるシーラに、シーラ以外の3人は目を点にした。


「……え?」

「そう言われてみれば…」

「ここから飛び降りたとしても、悪くて怪我をするくらいだな…」


 窓の直ぐ下は地面である。しかも芝生が覆い茂っており、それがクッションとなるだろうことは、ちょっと考えればわかることだった。

 しかし、慌てていたウリカとフーゴにそれに気づく余裕はなく、また飛び降りようとしていたエリアスもここが1階であることをコロリと忘れていた。

 そしてここが1階であることを思い出したエリアスはヘナヘナと座り込む。


「なんてことだ…おぉ、主よ、あなたは俺に生きよとおっしゃるのですか…」


 嘆くように呟くエリアスにかける言葉を探して、ウリカとフーゴは視線を彷徨わせる。


「俺に生きて彼女を改心させよ、と。それが俺の使命であると、そうおっしゃるのですね…」


 エリアスは徐々に目に力を取り戻していく。

 良かった、どうやら大丈夫そうだ──そう、ウリカとフーゴはほっとした。


「──無理だ! 俺にそんな大層なことはできない! 無理絶対無理死んでも無理!!!」

「大丈夫です、エリアスさま。例えエリアスさまが天へ旅立とうと、地獄に堕ちようと、私はどこまででもついていきますわ!」

「ついて来なくていい!!!」

「きゃっ! エリアスさまに怒られちゃった…♡」


 怒鳴ったエリアスにシーラはとても嬉しそうな顔をする。それを見たエリアスは体をフラリとさせ、絶望した表情を浮かべた。


「……だから俺には無理なんだぁああぁあぁぁ!!

!!!」


 そんなエリアスの絶叫が、屋敷中に響き渡ったのだった。




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