01:ひとに言えない悩み事
ウリカ・エクレフには他人様に声を大にして言えない悩みがあった。
それはウリカの幼馴染みで婚約者でもあるフーゴのことである。
フーゴは侯爵家の跡取りで、容姿端麗・頭脳明晰なうえに性格はとても気さくで紳士的という三拍子を揃えている、まさに神に愛された男だった。当然のごとく、フーゴと年の近い令嬢たちの大半は彼に憧れを抱いており、婚約者であるウリカは嫉妬の目で見られる。
それは決して愉快なものではなく、ウリカは常々鬱陶しいと思っていた。しかし、それはウリカにとって重大な悩みなどではなく、むしろ悩むほど深刻に考えてもいなかった。
では、フーゴのなにがウリカを悩ませているのか。
──それはフーゴの“ウリカに接する態度”である。
「ふふ……私を待たせるとは、わが婚約者殿は大変良い趣味をお持ちのようで。そんな雌豚にはお仕置きが必要ですね…」
ふふふ、と傲慢な笑みを浮かべて笑う青年こそが、ウリカの婚約者であるフーゴである。
銀に近い艶のある金髪に切れ長の灰褐色の瞳を細め、長い手足を組んで座り、冷たい笑みを浮かべるその姿は、まるで一枚絵のようだった。
対するウリカはどこにでもあるような茶色の髪に、これまたどこにでもあるような青い瞳の、どこにでもあるような平凡な顔立ちの少女であった。自分の容姿が平凡だと自覚のあるウリカは、他の令嬢から嫉妬をされても仕方ないかな、と半ば諦めていた。
「…お仕置き、ですか?」
表情を変えずにウリカが聞き返すと、フーゴは笑みを崩さず頷く。
「そう。あなたのその憎らしい表情を苦痛で歪ませるようなこと……具体的に言えば、ウリカが好きなケーキ屋の一番人気の物を目の前で食べてしまう、とか」
「な…なんですって…?」
ウリカはその大きな瞳をさらに大きくさせ、フーゴを見つめる。
フーゴはそのウリカの反応に満足そうに笑う。
大好物のケーキを目の前で食べられることは、食い意地の張ったウリカにとってはなによりもつらいことであると、幼馴染みであるフーゴはよく理解していた。
だから、ウリカが絶望した表情を見せると思っていたフーゴは失念していた。
──ウリカが口よりも手が出るのが早い令嬢だということを。
「──買ってきたの!? ねえ、買ってきたの!?」
「ふごっ!? ぐ、ぐるじい…ウリカ、くるし…」
ウリカはフーゴの襟もとを掴み、ぎゅうっと締め付けた。
そのお陰でフーゴは息がまともに吸えなくなってしまう。フーゴが苦しいと訴えても、食べ物に目が眩んだウリカはそれを完全に無視した。
「そんなことはどうでもよろしい! なによりも重要なのは、ケーキを買ってきたか否かだ! ねえ、どっちなの!?」
「く、来るときに預けた…だから離…」
「まあ、そうなの! じゃあそろそろ持ってきてくれるかしら。ああ…あそこの一番人気ってなかなか手に入らないのによく手に入れたわね、フーゴ! 褒めてあげる!」
「褒めなくていいから…襟から手を離せ…」
「あら? すっかり忘れてたわ」
ごめんあそばせ、とにっこり笑いながらウリカは手を離すと、フーゴは首を押さえて「死ぬかと思った…」と涙目で呟く。そんなフーゴにウリカは素知らぬ顔で言う。
「前から言っているけれど、その口調はなんなの? かなり気持ち悪いわ」
「きもちわ……!? ふ、ふん…ウリカにはわからないだろう。丁寧な口調でとことん相手を貶める…それこそが、ドエスの道!!!」
「……フーゴ…あなた、まだそれ諦めてなかったの…」
「諦めるものか! 僕は父上のように格好良い男になるんだからな!!」
「ねえ、人には向き不向きがあることをご存じ?」
「知っているとも。僕は父上の血を引いているのだから、向いているはずだ」
自信満々に言い切ったフーゴにウリカは黙り込む。
なぜそんなに自信があるのか、それは遺伝するものではない、そもそもそのような性癖など身につけようとしなくていい──などなど、ウリカには山ほど言いたいことがあったが、言ったところで聞き入れてくれるようなフーゴではないことも、ウリカはよぉく理解していた。
フーゴは社交界では貴公子の中の貴公子と言われているという。
そんな憧れの的である貴公子が婚約者の前でドエスがどうのこうのと話をし、実践する。それを誰かに話して果たして信じてくれる人がいるだろうか。
ウリカは絶対にいない、と断言できる。
「早く父上のように一人前のドエスになりたいものだ」と目を輝かせて語るフーゴ。そんなフーゴをウリカが残念そうな目で見つめていることに、幸か不幸か、彼はまったく気づいていなかった。