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目を開けた星はその場に立ち上がると青猫と澄くんが消えていった方向に目を向ける。そこは真っ暗な森の中。その暗闇の先に海がいる。
『まさか本当に森の中に入るつもりなの? そんなことをしたら、海を見つけるどころか君自身が森に飲み込まれてしまうよ。それは勇気じゃない。君は澄に出会っている。それは君に『ここで歩を待つ選択肢が残されている』という証拠だよ。それでも君は森の中に海を探しに行くのかい?』
魚は私と海がどういう関係にあるのか知っている。それなのに魚は、私に海を探しに行くなと忠告しているのだ。
澄くんだけじゃない。魚も私のことをまったく理解していない。やっぱり私のことをわかってくれるのは海だけだ。この状況で私が海を探しに行かないわけないじゃない。
『星、君に言っておきたいことがある』
「なによ? またお説教?」
星は苛立っている、でもその感情を魚に気づかれないよう、なるべく普段通りの声で会話を続ける。
『君はこの森になにをするために来たの? その目的はなに?』
「今更なに言ってるのよ。海を連れ戻しに来たに決まってるでしょ?」
『そうだね。それが君の目的だ。なら、今君はただそれだけに没頭するべきなんだよ。他の些細なことに気分を移してはだめだ。そんな浮ついた心をしていたら、君は君の目的を果たすことができなくなってしまうよ?』
「私は別に浮ついてなんていないわ。いつでも海のことだけを私は考えているのよ」
星は魚に言い返す。それはもちろん、嘘ではない。
『そう、そうれでいいんだよ。君が海に会いたいと強く願えば願うほど、その願いは現実になるんだ。だからこそ君はここで歩のことを待っていればいい。『森の中で利用できるものがあれば、そのすべてを利用すればいい』んだよ。君は海が心配と言いながら、『同時に澄のことも心配している』。それに一人が心細いと思っている。そんなことじゃだめだよ。澄の心配とか、青猫のこととか、そんなこと今の君にとって、どうでもいい些細な問題だよ。』
「そんな、どうでもいいだなんて酷いわ。澄くんは私の友達なんだよ。青猫のこともそう。そんな言いかたはないと思うわ」
星は魚に文句を言った。もちろんこっちも嘘ではない。
『ほら、それだ。やっぱりぼくの心配していた通りになった。澄が友達? それがすでに浮ついてると言っているのさ。君の友達は海だろ? 澄はただ森の中ですれ違っただけの他人に過ぎない。それなのに、君はそんな澄のことを友達だと思っている。それ自体が君が浮ついてるという証拠さ。君の覚悟とはその程度のものだったのかい?』
星は足を止める。懐中電灯を持つ手もかすかに震えていた。暗闇が怖いのではない。星は怒っているのだ。
「魚、あんたね、さっきからいったいなんなの!? 私は別に浮ついてないし、覚悟も揺らいでなんかない! 海は私の友達だし、澄くんも私の友達だよ! それは私が勝手に思っていることじゃないし、澄くんも了解していることだよ! 澄くんは決して他人なんかじゃない! 私の大切な友達だよ!」
星は暗闇の中に向かってそう叫んだ。その声は暗い夜の森の中を木霊するように、四方八方に響き渡る。
大声を出して、ふぅー、と息を吐く星。それでもまだその熱は体の中に残っている。
『じゃあ君に尋ねるけどさ、もしこの先、この森の中で、海と澄、どちらか一人しか助けることのできない場面に出くわしたとしたら、君は一体どっちを助けるんだい?』
それに対して、あくまで魚の声は冷静だった。
星は怒りの感情を堪える。我ながら大人になったなと思う。
「ごめんなさい。怒鳴ったことは謝るわ。でも私は自分の意見を変えるつもりはないの」星は言う。
魚は返事をしない。それでも星は魚に向かって話し続ける。
「ねえ魚、お願い。私に力を貸して。私のことを信じて。私、どうしても海に会いたいの。『自分の足で歩いて会いに行きたいの』。このまま、ここで私が歩くのをやめちゃったら、もう二度と、海に会えないような気がするの。澄くんのことを信じてないとか、あなたのことを信じてないとか、そういうことじゃないの。私はもう誰かに頼って生きるのはやめたの。自分の力でなんとかしたいの。海は私を待ってるの。私が迎えに来るのを海はずっと待ってるのよ」
そう言い終えた星はしばらく魚の返事を待っていたが、魚は返事をしてくれなかった。
なので星は決心して、ここからは『一人』で歩いていくことに決めた。