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それから少しして、鳥かごの中の鳥が一度鳴いた。
すると、だんだんと海の幻影の姿が薄くなっていった。お別れの時間がきた、ということのようだ。
お別れはすごく悲しいけど、もう一度こうして、海の背中を見ることができて、星はすごく嬉しかった。
星は一度、涙を拭うために器用に右手を移動させて、自分の目をこすった。
やがて半透明になった海は右手をあげて遠くの空間を指差した。
その海の指の先には、小さく光る明かりがあった。夜に輝く星の光のような小さな光。その光を海は指差していた。
「あそこに行けばいいの?」星は言う。
すると海の幻影はこくんと小さく頷いた。それから海の姿は急激に揺らいでいった。
「海! ありがとう!」星は言った。
その言葉とほとんど同時に海の幻影は星の前から消えた。
白い光も消えてしまって、海のあとにはその空間にはなにも存在していなかった。星の目に見えるものは遠くに光る小さな星の光だけだった。
暗闇の中で一人ぼっちになった星は一度、その場に立ち止まって、鳥かごを抱きしめながらわんわんと泣いた。
絶対に足は止めないつもりだったけど、一度泣かないと、涙を空っぽにしないと走り続けることはできそうにもなかった。
星は泣いて、泣いて、……それからまた鳥かごを抱えて一人ぼっちで、小さな光に向かって走り出した。
すると、……星、と星を呼ぶかすかな海の声が遠くから聞こえた気がした。
「……海。どこかにいるの?」星は言う。
でも、声はもう聞こえてはこなかった。
それから鳥かごの中の鳥が一度だけ小さく鳴いた。海の声はあの小さな光の方角から聞こえてきたような気がした。
……もしかして、海は私のことを待っていてくれるの? 海は私を今も探してくれているの? ……私はもう一度、海に会うことができるの?
半信半疑だったけど、海の声が聞こえたことで、急に星は元気が出てきた。
海。……待ってて。今、すぐにそっちに行くからね!
星は走るペースをあげた。
暗闇の中にはあ、はあ、という星の息を吐く音だけが聞こえてくる。
星は走る。
海の元に向かって。
やがて星は小さな光にたどり着く。
それは確かに出口だった。
海。
星はなんの迷いもなく、その光の中に飛び込んでいく。
星は空に向かって、手を伸ばす。
そんな星の手を、誰かの手が、確かにしっかりと捕まえた。
第十三章(延長戦) 終演




