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しばらくして開いていた手のひらをぎゅっと握りしめた海(魔女)は、迷いを振り切るように一度下を向いて、そしてもう一度顔を上げると、きっとした目つきで、(その目にはまだ涙がな溢れている)星を睨みつけたあとで、その場でくるりと回転し、星に背を向けて暗い森の中にとても素早い身のこなしで駆け込んで行った。
……星はなにもすることができない。
あまりの出来事に声を出すことも、(海を引き止めることも)その場を動くことも、(海を追いかけることも)すぐにはできないでいた。
『逃げたね。でも、どうしてだろう?』
そんな魚の声を聞いて、はっと星は覚醒する。
「魚! 今のどういうこと!?」星が叫ぶ。
『どうってなにが?』
「魔女のことだよ! 今の魔女、海だった!! なんで海が魔女になっているの!?」
『海? ……ああ、なるほどね。今の女の人が君の探していた海なんだね。なるほど。そういうことか』魚は一人で納得する。
「早く説明して! ……ううん。今はそんなことどうでもいい!」
星はようやく(遅い。私はいつも、一歩行動が遅いんだ)行動を開始する。
『海は悪い魔女にさらわれたわけじゃない。この『森に住んでいる悪い魔女が海本人』なんだよ。もちろんまだはっきりとは言えない。でも、その可能性はかなり高いと思う』星に向かって魚が言う。
その魚の言葉を聞いて、ぴたっと一瞬だけ(窓枠から離れようとしていた)星の動きが止まる。
星はその場からもう一度、海がいた暗い森のほうを見つめる。
そのころにはもう海の姿は暗い雨の降る冬の森の中に消えてしまって(あんな薄着のままで、雨の中で傘もささずに一人ぼっちで)星の目からはもちろんのこと、魚の目からも見えなくなってしまった。
海は昔から足がとても速かった。学院の陸上部でも、実際の生活の中においても、(そして魔女の契約についても)海はいつも、星の一歩先を走っていた。
『どうする?』魚は言う。
「追いかける」星が答える。
『わかった』魚はそう言うと、実体化した体を消して、暗い闇の中に戻って行ってしまった。