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花街道殺人迷路  完結  作者: 神邑凌
2/5

花街道殺人迷路 5-2



誰かが嘘を言って居たなら、どれだけ真実に到達するのに時間が掛かるか計り知れません。自分が付いた嘘で疲れて命を短くする人も、こんな若い私でも何度か見ていますから、嘘を言って逃れようとする者は、必ずその嘘に溺れるでしょう。これ以上の事は明日にでも消防に聞きます。二年半ほど前の夏ですね。」

「ええ」

「南本さん。私少しばかり調べた事で新事実が判りました。山田絵美を調べたのですが、彼女がまだ十六ぐらいから男と深い関係に成っていて、それで子供が出来男と別れた後白井と仲よくなって今に至って居るようです。


それで二年半ほど前白井と絵美とその子とで長良川の奥までキャンプに行き、子供が川で流され溺死したようです。まだ一歳ほどでよちよちと歩き始めた様な子であったようです。保険は全く掛かっていなかった様です。だから保険金目的とかでは無かったようですが、更にこれから消防にも確かめ様と思っているのですが、怪しい所も無い様で単に悲劇が起こった感じで、とにもかくにも絵美は子供を失った事が判りました。」

「その子供の死に方に全く不自然なものは無かったの?」

「無いと思います。聞いた範囲では」


「まぁ二人して子供が邪魔に成り嘘を言ったとも考えられないしねぇ。解りました。」

「南本さん、この件で気に成る事が在れば彼女に聞いて下さい。私ではこれ以上は・・・」

「そうですか」

「ええ、南本さんなら何か摑めるかも知れませんから、何しろ最近はわしって言われて、なんかわたしって今まで言っていた事を考えると、スイッチが入ったって言うか凄みが出て来たって言うか・・・」

「そうかい。元々わしって言って居たから吉野へ来て一平卒に成って大人しくしていたから」

「何をおっしゃります。今も捜査部長ですよ。南本さんは」

「そうだな。では

私からも何か聞いてみるから。今の話を元に白井を攻めようか」


「おい、白井健三さんよ。あんなに聞きたいのだけどあんた、山田絵美が子供を亡くした事知っているな?あんたとキャンプに行っていて、知っているな」

「勿論知っています。」

「その子供とはどれ位の付き合いだった?」

「付き合いって。絵美のアパートへ行ったら居ったからそれから」

「だからどれ位の付き合いだった?」

「半年位の間と思う。それから事故にあって死んだから」

「それでその子の名前は?」

「知らない。龍志だったかな?」

「そらないだろう?どうしてあんた山田のアパートへ行って、山田絵美と寝なかったのか?」


「寝たよ。当然。」

「なら子供が泣いた事は無かったのか?」

「あったよ。そりゃ」

「その時絵美は子供の名前を言っただろう。」

「覚えていない。」

「覚えていない?そんな馬鹿な。それじゃ聞くけど、お前その子を抱いた事あるのか?あやした事が」

「いや無い。いや在る。」

「おい白井、お前子供が邪魔だったのではないのか?邪魔で、邪魔で殺してしまいたいくらい邪魔で」

「待ってくれよ。そんな乱暴なことを・・・俺そんな子の事なんか関係無いから。俺あいつを、絵美を抱けるだけでいいから。 刑事さん。元彼との間で出来た子にあんたなら興味ありますか?俺まだ若いからそんな子なんか居ないほど良いと思うけど、誰だって同じではないのですか?だから泣かなかったらそれで良いのであって絵美が可愛がっていたならそれはそれ、関わる必要なんか無いと俺は思う。違いますか。あやさなければいけないのですか?」


「そんな身勝手な屁理屈が子供を平気で犠牲にするんだよ。女を好きになったのならその子も大事にするのが当たり前じゃないのか?」

「でも俺は俺の考えがあるから」

「どうしたんだ、目の色を変えて?震えているのと違うのか?」

「いいえ、刑事さんがあまりにも強引だから腹が立って、俺こんな所に居なかったらあんたと今取っ組み合いに成っていると思いますよ。何が警察だ!豪そうに」

「そうかい。」

「そうだよ。苛々してくるな。全く!」

「そんなに怒るなよ。」

「何だよ怒らせておいて人権侵害だよ。刑事なら何を言ってもいいのかよ。」


「白井よ。そんな言い方をする奴が多いが、特に何かをやった奴が・・・知らなかったとか、子供を教育しただけだとか、そんな事言って折檻を繰り返す奴が最近多いな、みんな同じだよ悪い奴は。 

お前も今私に言い返しているが、何かを隠しているから疚しい事をしているからその様な態度になるんだな。私は刑事を長年やって来ているからお前の心の中が読めるんだよ。私を舐めんなよ。」

「弁護士を呼べ!」


白井はそれから仏頂面をして黙ってしまった。

南本刑事は側にいた稲葉と共に取り調べ室から出て、お茶をすすりながら苦虫を噛んでいた。

翌日南本は熱田警察署の小村を伴って被害者の猪倉亜紀の実家を訪ねていた。

猪倉亜紀の母と妹が居たので気になる事を聴く事にした。 

現状報告に来させて頂きました。熱田署と合同捜査本部を設け鋭意努力をしておりますが、今の所犯人逮捕に至っていないのが現実で少々苦戦を強いられています。しかしながら必ずや満身創痍の下にその日が来る事を信じて頑張っておる次第であります。」

「ご苦労様です。この儘では亜紀が浮かばれないと思います。気掛かりです。何方も警察の方が来られないので気が気ではありませんでした。              

その内何方かが来て頂いて犯人逮捕の知らせを言って下さるものと信じています。どうかご無理の無い様に頑張って頂ければと思われます。」

「ええ、その積りであります。所で貴女やお妹さんの友達の事で再度お聞きしたいのですが、お二人は白井健三と言う男や山田絵美、それに山田美鈴それと友永淳と言う名前の人を知らないかとお聞きしたくて」

「知りませんね、聞いた事ありません。姉の友達にもその様な名前の方は居ないと思います。」

「例えば何かイベントがあり、何か歴史の探索などの募集があり、そこへ参加したとかそんな事無いでしょうか?」

「それは調べてみないと判りませんが、寧ろ遺品に成っているメモ帳に書かれているかも知れませんから、そこには載っていないのでしょうか?」

 

「はい見ましたがその様な事は」

「そうですか。それでは私も分かりませんが、お姉ちゃんの部屋はその儘に成っていますから今調べられては如何です?」

「宜しいですか?妹さんもお母さんも立ち会って頂きながら調べさせて頂く事にしましょう。それで触ってはいけない物はお二人にお願い致しまして」

「判りました。どうぞお上がり下さい」

亜紀の部屋に案内された二人の刑事は机の前に立ち 

「ここから調べさせて頂きます。」と言って黙々とノートや本や仕事で使っている何もかもを調べ始めた。 

しかし対して目を引くものなど無く、二人が気に成ったのは婚約者と何処かのホテルの部屋で撮った浴衣着で肩寄せ合うラブラブの写真であった。 おそらく家族に見られる事が照れくさくて隠している様に思えて、南本は結婚を間近に控えた女であった筈が、予期せぬことが起こり哀れな人生になってしまった事に心が痛む思いであった。


❷そうこうしている二人に妹の瑠璃が整理ダンスの小引き出しを最後まで開け 

「刑事さんこれ見てください。姉が居たら怒られるでしょうが、これ見てください。」

「下着ですね。」

「そうです。この中に姉がつけていたような下着があるでしょうか?これも、これも、これも全部あの様な物はありません。それに服だってあの様な柄はありません。服はともかく下着はこの様な感じの物ばかりです。あんな考えられないような卑しい下着は何処にもありません。どうしてあのような下着を姉はつけていたのでしょうか?解せませんね?」


「それは、判って来た事は犯人だと疑念を持つ男を今熱田刑務所に拘留しています。任意同行と言う扱いで」

「その人が犯人の可能性があるのですか?」

「だから任意同行ですから拘留期限が切れればその時我々が何か証拠を摑まなかったなら放免になる訳です。だから今躍起に成って頑張っている所なのです。当然帰ると言えば帰さざるをえんわけです。」


「それが冒頭に言いました白井健三とか山田絵美とか山田美鈴とかと言う名の者たちで容疑者と睨んでいる人物です。」

「そうですか。ともかくあの下着は今でも警察にあ

るのならこれと比べて下されば一目瞭然だと思います。あんな下着をお姉ちゃんが着ける訳が無いとお解りに成る筈です。」


「そうですね。あの下着の様な物を着けている方は、今までの経験から夜の商売の方とか、要するに風俗関係に携わっている人とかそれ位ですね。他に在るとするなら特殊な事をしているSMクラブとか言う関係に在るかも知れませんね。」

「そうでしょう。絶対ありえないです。でも何故あの様な下着をしていたのか私には全く判りません

だから今拘束している白井と言う男に、履かされたのかも知れないから取り調べているのですが、山田絵美が言うには、ブラウスなどは貸してあげたが下着は知らないようで、その辺が未だ判らないのです。何れ吐くと思いますが今の所判りません。今現在は容疑が掛かっているだけで何もかもをお話は出来ませんが、何かがあると思っています。

 それでは今一度下着の件であの男を追及して見ます。」

                  


「ええお願いします。」

「所で婚約者の田所光樹さん、今は?」

「ええだいぶ良く成って来たと聞いています。だから今は自宅で静養されているとか聞いています。」

「それで失礼なことを言いますがご勘弁ください・・・婚約は解消されたのでしょうか?」

「いいえ、まだその儘です。

田所さんが退院されて落ちつかれられた時に来られ、お墓参りとここの仏壇に線香を上げて頂いた時、婚約している事は出来れば解消しないでこの儘にして下さいとおっしゃられて、せめて一周忌が過ぎる迄この儘でと」


「そりゃーお気の毒な事で身の詰まる思いですな」

「ええ、お気の毒に、こんな事が無ければもう直ぐ結ばれていたと思うと悔しいですね」

「そうですね。お気の毒な事に。それで田所さんはその後病院へ」

「ええ、その内にお勤めされると思います。何しろあの方は中部医科大学付属病院の有望なお医者さんの卵ですから、その内立ち直って戴けるものと願っております。」

「そうでしたね。お医者さんでしたね。」

「ええ、だから私たちも随分期待していたのですよ。何しろそんな方と結婚するなんて思っていませんでしたから。彼のお父さんが開業医だから、何れ後を継ぎ立派に勤めると思い、娘も内助の功で頑張ってくれると思っていたのですよ。それが・・・」


「では近い内に一度ご自宅へ行ってお話お聞きして来ます。気を落とされていると思いますが、何か犯人逮捕に繋がるものがあれば幸いです。」

「でもあまり刺激に成る様な事は言わないで下さいね。何しろ繊細な方だから。あの方にとって思いだした所で、何ら心が安らぐ事など無いのですから。それにお体がやっと立ち直り始めた時ですから・・・」

「解かりました。気をつけます。」

南本と小村は婚約者の田所光樹が、兎にも角にも退院して自宅療養に成った事を知り、心が少しだけであったが安らぐ思いであった。     

「良かったですな。小村さん。」

「そうですね。婚約者が突然殺されたら、私なら卒倒しますね。そんな事ありえないと抵抗しますね。」

 

「それは皆同じだと思うよ。だから幾らお医者さんでも田所さんも狂い始めたのだろうね。」


「そうでしょうね。逆にその様な職業の方は、お母さんが言うように繊細かも知れないから、でも兎に角又頑張ろうと言う気に成って貰いたいですね。」

「誰もがお医者さんに成れるなんて事無いからね。」

「そうですね。医学なんて目指すと三浪とか四浪とかざらですからね。」

「そうだろうね。厳しいと思うよ。医学は。」

「これから行ってみましょうか?」


「止めておこう。だって今行って何かが起こると可哀相だから。そうだろう。あの人に亜紀さんが着けていた下着の事を聞ける?あの人がどんな返事をすれば良いかと思うと可哀相に成ってくるよ。夜の商売をしていた可能性があると思われると何て言える?」

「下着の事はあの人は何も知らないのでしょうね?」

「そうだと思うよ。警察と亜紀さんの家族だけだと思うよ。婚約者は事件のあった時に吉野まで来て居なかったから、それで吉野で司法解剖され荼毘に付されたから何も判らなかった筈だよ。」

「それを名古屋で耳にして卒倒したと言うかショックで狂った様に成って、精神科に掛かるまでに落ち込んでしまったのでしたね。」

「そう」


「だからそんな男にアリバイはとか等聞けませんね。」

「そうだね。今一番にしなければならないのは、白井に拘留中に吐かせる事だからな。何処かに落とし穴がある筈」

「でも南本さん一度私暇が出来れば中部医科大学付属病院へ行って婚約者の田所光樹の事を調べて来ますから」

「そうしてくれますか。私は白井を徹底的に追い詰めるから」

「解かりました。」

二人は署に帰ったがいきなり白井に詰め寄るだけの材料も無く、気に成っていた山田絵美が子供を亡くした事故を新聞で捜す事にして南本は眉間に皺を寄せて読み続けていた。


【平成二十一年七月三十日 長良川上流の通称小金田の今川で一歳の子供が溺れているのをキャンプに来ていた家族が見つけ消防に通報しましたが、既に亡くなっていて溺れ死んでいた事がわかりました。  

 お子さんの家族が躍起になって捜していましたが見つからず、川下でキャンプをされていた家族に見つけて貰った様です。


居なくなってから発見される迄に既に三十分が過ぎていた様で手遅れであったようです。亡くなっていたのは名古屋市昭和区御器所通りの山田龍志君で、僅か一歳の方でした。家族でキャンプに来られて夕方薪拾いにお母さんと男友達が出掛けて、その間にテントで眠っていた龍志ちゃんが目を覚まし、川原へ行き流され帰らぬ姿に成ってしまったようです。ご冥福をお祈りいたします。悲しい出来事でした。これからお盆に成ります。キャンプの計画をされている家族も沢山居られるでしょう。同じ様な事が起こらない様に皆様も十分気を付けられます様に。】


「何もないか・・・」

南本は読み終えて呟いた。

下着の線、山田と白井の過去の線、その取り巻きの線 何処かに突破口がある事には変わりないとベテラン刑事は決して引き下がる事はなかったが、正直詰まっていた。

刑事たちの熟慮断行の毎日が続く間に拘留期間が来て、女性の山田姉妹は熱田警察署から放免と成った。白井は拘留延長が認められ更に取り調べられる事と成ったが、さりとて手掛かりの無い日が続く事と成った。ところが一旦開放した姉の山田絵美のアパートに南本刑事が訪ねて再度質問をしていた。


「山田さん、取調べ中にお聞き出来なかったのですが、いやぁお聞きしたかも知れませんが、今一度お聞きしたくて遣って参りました。」

「まだ何かあるのでしょうか?反吐へどが出るほど聞かれましたけど」

「それが我々も忙しいもので神様では在りませんので完璧になど出来ません。ご勘弁ください。 それで私この前に殺された猪倉亜紀さんの実家へ行って線香を上げさせて参りましたが、未だに亜紀さんの部屋は何もかもが手つかずでその儘の様です。


家族が殺される事はどれほど悲しい事か絵美さんなら良くお解りだと思います。貴女も過去にそんな事を経験されている訳で、どれだけ辛かったか計り知れません。もしこんな私でも許されるなら、貴女のお子さんに線香をあげさせて頂けないかと思いまして」

「いえ結構です。関係ない事です。」

「そうですか。残念です。長良川上流の今川と言う川が中洲に成った所ですね。お子さんが亡くなられていたのは。先日新聞を読ませて頂きました。とてもお辛かった事をお察し致します。その前に猪倉亜紀さんのお宅へ行かせて貰って、全く同じ思いに成って居られる家族がある事が、とても治安を守る私としては言い切れない気持ちに成った事を覚えています。   

山田絵美さん、どうかこんな私ですが線香をあげさせて頂けないでしょうか?しつこく言って申し訳ありませんが」

「いえ結構です。それより何か質問があるのでしょう?それを言って下さい。」

「解りました。実は亜紀さんの実家へ行って亜紀さんの妹さんが居られ言われたのですが、お姉さんが着けていた下着の事なのですが」

「だから私も言ったと思いますがその事は」


「それでですね。あの様な言わば卑猥な下着は貴女も着けた事がないとおっしゃられていた事を覚えておりますが、例えば白井が貴女に着ける様に言った事は在りませんでしたか?冗談でも、それとも彼が持っていた事が」

「健三はあの様な物は嫌いだと思います。寧ろ私なら考えますが気分転換に。でも彼はあの様な下着を私が着けていたなら怒るかも知れないですね。


おそらく浮気をしているだろうとか、その様な流れに成るでしょうね。

 だから私はそれを解かっているからそんな下着は先ず着けない事にしています。嫌いじゃないけど。

 実は元彼と付き合っている時はあんな下着を着けていると嬉しがった事があり、私も勇気を出して買った事も在りましたが、今は箪笥をチェックされるから絶対買わないです。在らぬ疑いを掛けられて揉めるだけだから」

「そうでしたか。それでもう一つだけお聞きしたいのですが、吉野で貴女が亜紀さんに服を着替えるように言って草むらに隠れて着替えましたね?その時亜紀さんは服だけでしたか着替えたのは?」 

「そうだと思います。ただ服とズボンも渡しましたから紙袋へ入れて、だからあの人自分が着ていた物もその袋へ入れて持っていましたから、それを持った儘で車に乗り込んで健三と下へ下って行きましたから」             

「それが時間で言えば・・・と言うよりその時周りはどの様な感じだったのでしょうか?」

「どの様なって?」

「だからまだ陽が照って居て暑い位だったとか」

「いいえ、既に夕陽で赤く染まっていて綺麗だった事を、コーヒーを飲みながら見ていましたから」

「それで白井が帰って来た時はどの様な感じだったでしょう?」

「ええ、僅かの間でしたがその夕陽が沈み始め、やや暗く成っていた事は確かです。」


「でも全く見えない事など無かった。はっきり見る事が出来た。」              

「でも下って行く道は森に成っていたから可成暗かった事は確かです。だから健三の車が消えるように降りて行った事も確かです。木の無い反対側はまだ明るかったのですが」

「そうでしたか。それじゃぁ飲み物を買いに行った時と買ってきた時では少しは差が在った訳ですね。更に白井が車で下って行った時は、更に暗く成っていたと言う事ですね。」

「ええ、多分」

「ここの所が大事なのですが、今の状態では白井が警察から出られるかは判りません。


疑いが晴れない為に拘留され延長された訳ですから、それだけ嫌疑が掛かっていると裁判所が判断した訳です。

だから貴女も白井の為に彼が事件には関係が無い事を考えてあげて下さい。くどいですが貴女方をあの場所に残して白井は亜紀さんを車に乗せて降りて行ったのですね。」

「はい。」

「それからどれ位の時間で戻って来ましたか?」

「確か十数分で、はっきりとは判りませんが、まだコーヒーが可成残っている時に戻って来た事を覚えています。」

「貴女はコーヒーを飲むのは早い方ですか?遅い方ですか?ゆっくりたしなみながら飲む方ですか?」

「私はどちらかと言えばゆっくりかな?」

「それならどれだけの時間が経っていたのかはっきりしないですね。」

「でも妹も居て話し込んでいたから少々時間が経っていたかも知れません。」

「判りました。それで亜紀さんを車に乗せて下って行ったと言われましたが、亜紀さんはおそらく白井の横には乗らなかった筈と思われましが、どうでした?」


「後ろです。後ろの座席に乗りました」

「そうでしょうね。だって亜紀さんは白井の事を恐がっていたと思いますから、例え貴女に親切にされて服などを貸して貰っても警戒をしていたと思いますから、それで亜紀さんが後ろに乗って車は走り出したのですね。」

「ええ、」

「まるで暗い森の中に入って行く様に」

「そこまで大げさな事は無かったですが、あそこは西陽を受けていて大きな木で鬱蒼としていたから、その様な感じであった事は確かです。

「山田さん。白井は言い辛いのだけど疑いが晴れる事は無いかも知れないですよ 実はそれから亜紀さんを何処かへ連れて行ったかも知れないと考えられる訳で、何しろあれから亜紀さんの消息が誰も判らない訳で、それは白井が亜紀さんを何処で降ろして、その後どの様に成ったのかを証明しなければ成らない状況だと思いますから。知らないとか判らないでは済まされない状況だと思いますよ。                   

「・・・」

「質問を変えます。貴女は白井健三を愛していますか?」       

「ええ」

「それじゃぁ白井は貴女を愛していますか?」 

「と、思います。」

「貴女が子供を亡くした時に白井は泣いてくれましたか?」

「いえ」

「何故泣いてくれなかったのですか?」

「解りません」

「白井は貴女だけが目的で子供の事など関係ないと言っている様に、全く関心が無ったのですか?」

「かも知れません」

「ではお答えし辛いかも知れませんが、貴女と白井がセックスをしていてそのとき子供が泣いた事ありませんか?」

「在ります。前にも言った筈です。」

「その時白井はどうしましたか?」

「だから前にも言ったように一旦止めてミルクを飲ませたりして眠らせ仕切り直ししました。」

「何時もその様にしたのですか?白井が苛立って子供に当たった事など在りませんでしたか?」

「どうしてそんな事を聞かれるのですか?刑事さんなら何を聞いても構わないのですか?それに私は答えなければ成らないのですか?疑いが晴れたからこうして家に帰れたのではないのですか?」


「でも答えて貰えませんか。死んで逝った赤ちゃんの為にも」               

「それはどう言う意味なのですか?」

「絵美さん私に線香を上げさせて下さい。実は私も幼い子供を亡くしているのです。病気でしたが、しかし問題は私が事件で家には帰れなかった事が命取りに成ったかも知れないと思ったからです。                          

家に居てあげれば、直ぐに帰ってあげれば、あの様な事には成っていなかったと思うからです。

貴女が川へキャンプに行き子供さんの事を一瞬忘れた時間に起こった事と似ているからです。


 どれだけ悔やんだか、どれだけ迫られたか、幼い子をみすみす死なせて仕舞った事が今に成っても昨日の事に様に思い出すのです。こんな私でも構わないならどうか線香を一本あげさせて下さい。他人事とは思われないのです。」

「・・・解りました。それほどまでにおっしゃられるのならお願い致します。」

「ありがとう御座います。」

「お上がりください」

南本は仏様に手を合わせている時涙が一筋流れている事を感じていた。

「ありがとう御座いました。これで何か気が落ち着いて来た様に思います。」 


そう言って絵美の顔を見たとき南本の頬から流れ出る泪に絵美も目を真っ赤にして一筋の泪を流していた。                             

「すみません。刑事にあるまじき事で、恥かしい事で」

南本は慌ててハンカチを出し顔全体を拭く様に、手を動かせて恥ずかしそうにした。

「刑事さん・・・」

「因果な仕事ですよ。こうやって犯人を捜しながら『そんな事をしていてあんたは自分の子が気にならないのか』と誰かに言われている様な気が何時もして、おそらく刑事を辞めるまでこの叱咤されている様な気持ちは続くでしょうね。いや辞めてからも・・・いや死ぬまで続くと思います。」

「でも忘れてください。私も出来たら忘れたいのですが・・・」  


「いや貴女は忘れる事など出来ないと思います。何故ならこんな事言うと失礼な事かも知れませんが、此方へ来させて頂きまして、仏様に線香を上げさせて戴きたいと言ったものの貴女が頑なに断られるから、おそらく子供の事など忘れていて粗末にされている様に思いました。      

 でもこうしてきちんとお供えして綺麗なお花も供えられて感心させて貰っているのです。お若いのにたいしたものだと。」 

「ありがとう御座います。きちんとお供えしていて良かったです。そうですね、絶対忘れる事など出来ませんからね。でも刑事さんが言うように健三がこの子を粗末にしたとは思いません。構ってはくれなかったですが、だからと言って彼を攻める事など出来ませんし、それはお方違いだと思います。」


「そうですね。白井の潔白が証明され嫌疑が晴れれば良いのですがね。」 

「その様に願っております。」

「解かりました。私たちは犯人と思い込んで追い詰める事が仕事で証拠探しが目的ですが、それは言い換えれば皮肉にも潔白を証明している事でもあるのです。

だから今白井に目くじらを立てる様に言って居ますが、はっきりして貰いたい事も確かです。しかし現実は吉野のホテルに泊まった貴女たちは、深夜にホテルを抜け出す事も可能ですし、誰も気が付かなかったなら幾らでも出来る訳です。

そして泊まっていたホテルから一歩も出なかったと嘯けばそれで事は済むわけです。本当にあの夜何も無かったでしょうか、誰も判らないのです。」


「私と妹はカラオケが済んでから眠りましたので真夜中の健三の事は判りません。そうなのですか?ホテルから勝手に抜けられるのですか?判りませんね。健三を疑う事なんかしたくないですし」

「そうですか。しかしこの様に話させて貰っていても白井のアリバイなど無いわけで、もし企みがあるならお腹が痛いと言った事でさえ何か我々には分からない目的があったのかも知れないし、それに白井がトイレで苦しんでいたと貴女は思っている様ですが、実際は抜け出して何処かへ行って居たかも知れない訳で、だから私は貴女に冒頭で聞かせて頂いたのは、


「白井を愛していますか?」と言った訳です。あの男の延長線上に殺人があると考えた時、そこに至るまでに複線が必ずある訳で、その複線に貴女や妹さん更に友永などが存在すると言う事に成るかも知れません。 

もう一度お聞き致します。貴女は白井を愛していますか?そして白井は貴女を愛してくれていますか?お子さんの事を白井はどの様に思っているのですか?お返事はいりません。これで帰らせて頂きますが一人でじっくり考えてみては如何でしょうか?では失礼致します。」

「ええ、考えて見ます。私も出来れば幸せに成りたいですから。死んで逝った子の為にも」

「そうですよ。」


南本刑事は山田のアパートに背を向けながら山田絵美の心の中が少しだけでも動き始めた事を感じていた。             

そして山田絵美とは決していい加減な女ではなく、全うな心を持った女である事も仏さんを見せられて十分感じる事と成った。それは言い換えれば、決して嘘など無い事にも繋がったから、ある意味気抜けする結果であった。


もっと闇のある女であってほしかった。もっといい加減な所があり稚拙であってほしかった。そして白井と思い付きで犯行に及んだ事に繋げたかったのであったが、決してその様な事は考えられる状態でない事を気が付かされた。

それは白井が悠然として殺人の嫌疑に対処している姿にも及ぶ事となった。 


南本は気が付けば白井はもとより山田絵美更に美鈴、更に友永いや他にも居ないか・・・あの猪倉の妹瑠璃は関係ないだろうか?妹の瑠璃は白井たちと面識が全く無いのだろうか・・・ 

それさえも判らないが・・・頭の中がこんがらがって来て痛くさえ成っていた。

「どうだ、進捗具合は?」

「はい、白井を追い詰めていますが一向に吐きません。他の容疑者など考えられないと思うのですが今のところは」

「南本さんなら解かって居るだろうが、『将を討たんと欲せば馬を射よ』って言葉の通りにならないのかね。」

「それも今やっています。女が居りますのでその辺りから何かが見付からないかと」

「それでその女は脈がありそうかだな?」

「はい少しなら・・・先日会った時から少し心に変化が出て来た様な気も致します。」


「それでその女は何かを知っていそうか?」

「解かりませんが割りと賢い女で、容易くないかも知れません。詰まり拘留中の白井健三に惚れていると思われますので、男の為に嘘を言っている事も考えられ、それは言い換えれば大して愛情など無かったなら一気に潰せる事も考えられます。それを今ちょっと考えているのですが・・・・」         


❺              

「成程ね。それで拘留期間は後何日に成る?」

「四日です。」

「なら急がないと」

「ええ、それは解かっていますが」

「南本君、君は吉野へ来てまだ一年も経っていないからあまり知らないかも知れないが、柿の葉寿司って結構美味しいからそれを持って行ってあげたらどうかな?」 

「何処へです?」

「解かるだろう?その白井健三の女にだよ。馬を射よだろう。」             

「そうですね。でもそれは冒険です。魚を好きか判らないから」       

「何を言っているんだよ南本君。女とは山田絵美の事だろう。任意同行求めておいて出身地も把握出来ていないのか。しっかりしろよ。彼女は土佐だよ。漁師町の」

「あぁそうでした。うっかりして」

「噂で聞く《落としの南本》も少々鈍ったかな」

「すみません。早速手土産を持って行って来ます魚は食べ慣れていると思いますね。」

「そう、だから賭けだけど柿の葉寿司を持って行ってあげたら魂胆があるのなら」

「ええ、白井に今突きつけるものが無く正直焦っているのが現実で」

「熱田署も同じ状態かな」

「ええ」


吉野警察署へ帰った南本捜査部長に署長の吉井隆三が遠慮なく迫った。南本は年齢を考えた時心を痛めたが、それが刑事でそれが仕事で、それが生き甲斐だと心に誓っていたから堪えなかった。  

その様に考えないと成らなかったのは、幼い子供を見守る事もなく亡くした過去があったからで、割り切らないと気持ちが詰まって来る事は確かであった。


南本が他の刑事より検挙率が高く優秀なのは、心の奥に幼くして犠牲にしてしまった子供に対する悔恨の思いが魂と成って存在していたからであった。

署長の言葉を頭の隅で感じながら、心が動き始めた様に感じる山田絵美の泪を流して目を真っ赤にした姿であった。

「稲葉君、これから又吉野山へ登って検証してみようと思うんだけど行かないか?」

「行きますよ。私今何をして良いのか考えていた所ですから。」

「なら行こう。現場には何かが落ちていると信じて」

「ええ」


南本と稲葉は蔵王堂の前の松の植え込みに向かっていた。直ぐに着いて猪倉亜紀が死んでいた場所に立って彼女の霊を迎えるように黙った儘で佇んでいた。

「南本さん何故犯人はこんな目立つ所に亜紀さんを放置したのでしょうね。殺す事が目的なら見つからない所にするでしょうし、乱暴が目的でもこんな誰からも見える所なんか態々選ばないし、この場所は言わば態々運ばなければならない訳でしょう。それもおぶってそんな事をして意味があるのでしょうか?」

「そうだな、それは初めから感じていたが未だに解からないな。しかし考えてみて、亜紀さんは商売女が履く様な下着を着けていた。

それは妹に言わせればありえないと言っているし、実際箪笥の中にあった亜紀さんの下着から見ても考えられない柄で、しかも卑猥なものであった。では何故犯人は亜紀さんにあの様な下着を付けさせ、誰もが直ぐに分かる所に放置したかであるかと考える事が妥当だろうな」

「つまり犯人は亜紀さんをそんな女にでっち上げたかった。そんなだらしない遊び女であると世間に知らしめたかった。そう言うことですね?でも何の為に?」


「もしそうなら、例えば男女が付き合っている時は旨く行っているから結構何をしても構わないのだが、いざ旨く行かなく成って喧嘩別れでもする様に成った時に、男は良く女と絡まった写真を公にしたりするだろう。卑怯な事を。墓場まで持って行かなければ成らないものを」

「ええ、良く在りますね。それで又脅す事も」

「それと似ていると思わないか?」

「どう言う事でしょう?」

「だから犯人は亜紀さんと付き合っていたが旨く行かなく成って、それで自棄に成り腹いせに復讐したく成って、更に殺してしまいたい様な気にも成って、


しかし亜紀さんは活発で明朗な人であるがら、犯人もその様に捉えていたので、

亜紀さんは強引に自分の考えを押し通す性格だから、犯人はそんな亜紀さんが実際は淫らな女であると間逆な事を世間に知らしめようとして、態々あの下着を用意して亜紀さんの首を何処かで絞めて殺し、更に下着を履き替え、更に目立つこの場所に深夜の誰も居ない時に運んで来た。」


「それでは犯人は実に嫉妬深い人物って事でしょうか?」

「そう、警察は亜紀さんがふしだらな事をしていた女性であると判断して、それがマスコミに流れれば、犯人は納得行くと言うか面子が立つ事に成る。復讐した事にもなる。こんな所かな・・・」

「でもどうして?」

「腹いせだよ。仕返しって言うか、ケチな男が考える様な事だよ。さっきも言ったように嫌われたら女の裸の写真をネットに投稿したりばら撒いたりする単純な男と一緒だよ。」

「そんなものでしょうか?」

「私はその様に思うな。案外」

「その様に考えると婚約中の田所光樹?」

「まさかそれは無いだろう。寧ろ亜紀さんが今まで付き合っていて、それで田所と好い仲に亜紀さんが成り、あえなく身を引かされたか嫌われたか振られたか、そんな事があった人物だよ。亜紀さんが田所さんと付きい会い出したのは何時か分からないけど、それまでの事を調べる必要があるかも知れないな。そこで今は誰とも判らない男が現れて来たら、その男が我々の目指す人物かも知れないな。」

「犯人ですか?」

「そうだな。」

「そうでしょうか?」

「何だ、私の言う事を信じられないのか稲葉君は?」                   


「おかしな下着のお陰で色んな事を詮索しなければ成りませんね。」

「捜査ってそんなものだよ。後で考えたら馬鹿みたいな事が動機に成ったり、考えられない様な事を考えるのが悪い奴だから、それって人間なんて躓き始めたら何処までも躓くから、決して冷静でいられなく成って、人を殺める者などは理解に苦しむ事をしてしまう訳だ。おそらくこの事件の犯人もそんな所だと思うよ」

「・・・」

「それで稲葉君、これから又あの女性たちが待たされた所に行ってみないか。まだ気が付いていない事があるかも知れないから」

「先輩、先輩はこの事件があってからこの現場にどれ位来ました?」

「十回はくだらないな。どうして?」

「私は先輩と来ただけだから六回くらいです。出来の悪い後輩ですみません。」

「でも回数ではないだろう?どれだけ洞察力があるかって事が大事だよ。一回でも推理を解く事が出来ればそれで良いのだから、でも私はそれが出来ないから足で何度も来て肌で覚え感じる訳だ。それしか出来ないから」


「私は気が付いている様で付いていなかったです。まだ若いからとかそんな言い訳を思っていました。でもこうして先輩と同行させて貰っていて私の考えが何も無い事に気が付きました。何故何も掴んでいないのに先輩の様に足で何かを探さなかったのかと今気が付きました。情けないです。」

「いいじゃない。これからなんだから君は、これから気が付いた事はその日の内に動いて、頭の中を整理する癖を付ければ毎日が進歩するから、進歩とは我々の立場では犯人逮捕に繋がるから。まぁ頑張って」「はい。」

「それでこれから白井が車で下った時の事を再現してみるから。夕方の日が暮れる頃、今は九月とは違うけど時間の事は考えないで夕方の景色を思い出してみよう。

それから二人はあの亜紀が車から降りたと言う場所まで行って車を止めた。 この辺りで車から降りた亜紀はその儘泊まる筈だった吉野荘まで歩いたと思われるが、はて誰かが見ていた事は無いとなると、今は冬だから全く人気に無い道だが、当時は九月の終わり頃、まだ暑い日であったから人気はあった筈。白井の言う事がもし嘘なら亜紀さんはここからどの様な行動を取ったかだな?」


「取らされたと言う言い方も考えられるのではないでしょうか?            

つまり亜紀さんは誰かにそれが白井かも知れないですが、兎に角誰かに拘束された事は考えられないでしょうか?」

「拘束ね?それも当然考えられるな。有り得る話だな」

「その様に考えないと、白井は僅かの時間で女性たちの元に帰って来たのですから、亜紀さんをどうかする時間など無かった筈。しかし誰かと組めば亜紀さんの身柄を拘束出来たと思います。」

「それは誰かな?」

「だから南本さんが先程言って居た様に亜紀に恨みとか持っている男か、若しくは誰かです。

私はそれが女性である事も考えられると思います。車で来て亜紀さんを白井から受け取り、或は白井の車から降りた所を強引に拉致する様に車に乗せ、もし知り合いであったならそれも可能だし、知らない関係であっても無理矢理車に乗せれば・・・そして殺して深夜にあの蔵王堂の階段を担いで上がる事も出来ると思います。火事場の底力じゃないですが、幾ら女性でも」

「そんな風に考えると婚約者の田所光樹の女性関係も調べる必要があるな。」

「そうなりますね。」

「ややこしく成って来たな。 とりあえず上まで行ってみよう。車をここに置いて」

「解かりました。南本さんは同じ事を歩いてされた事ありましたね」

「そう二回ほど」

「凄いですね。その情熱って言うか信念って言うか」

「それでも判らないんだよ。それが捜査」

「はい」


 二人は薄暗く成った木々の中へ入って行った。

それは正しくあの時の再現であった。

「稲葉君、これ判るだろう。車で走り抜けて上がってしまうと全く気が付かないだろう。この自動販売機は」


「そうですね、南本さんが言って居た自販機ですね。それに道と言うには無理かも知れないですが、あの場所は車が一台停める事も出来ますね。 ここで白井と待ち合わせをして亜紀さんを受け取ったなら、簡単に事が運べますね。亜紀さんの何処かを殴って気を失わせれば」

「そうだね。さっき言って居た仮説が在りうる話と成るね。」         

「南本さんここにタイヤ痕がありますよ。木があってこれでは判らないと思いますが」

「念の為に鑑識さんにお願いして採って貰おうか?」

「そうですね。念のために」

「白井の拘留期間が迫っているから急がないと。」

「でも万が一タイヤ痕が取れてそれで車の種類がわかったなら、その車がパトロールカメラに映っている事も考えられる訳でしょう。当然乗っていた人も。」

「そうだね。では早くやって貰って」

「はい」

「他にも何かあるかも知れないね。」

「南本さん私もっとここで捜してみます。まだ明るさが残っている間に。例えばタバコの吸殻とか、或は無造作に棄てた高速道路の領収書とか、何かないか調べてみます。」

「そうだな。じゃぁ私も手伝うよ。」


それから二人は必死に成って探したが、何も無く結局消えそうなタイヤ痕だけが収穫であった。それも日が経っていて何時出来たものであるかなど、全く検討の付かない状態であった。  

 南本は吉野山を降りながらふとお土産と言う看板に目が行き、その下に書かれた柿の葉寿司と言う文字に目をやっていた。そして注文して翌日それを貰いに来る事を伝えてその日の警察業務を終了した。   

翌日に成り天気予報で盛んに言われていた通り吉野地方は一面雪景色に成って、柿の葉寿司はキャンセルと成り、みやげ物店の店主からお叱りを受けたがどうにもならなった。 南本は雪景色を見ながらがっくりとしていた。


意気込んでいた事は確かで、署長に言われたように柿の葉寿司を手土産に山田絵美を訪ねる積りであったので番狂わせと成った。稲葉もまた自分が立てた仮説に基づいて、鑑識にタイヤ痕を採って貰う積りであったが、それも吉野山は標高では吉野の中でも可成高い場所にある為に、同場所は思いのほか可成の雪が積もる事と成った。二人でお茶を啜りながら立て様の無いスケジュールを組んでいたが、それも気が入らず何処かに突破口がないかと考え込んでいた。

「南本さん。これって何か意味ないでしょか?」

「どれ?」

「これ亜紀が書き残したメモ帳なのですが、この部分です。」

「どれ、『やめようか・・・』かな?」

「そうですね。これって何を意味するのでしょうね。何をやめたかったのでしょうね?」

「判らんよ。会社かも知れないし、旅行かも知れないし、他に何がある?」

「無いですね。いや在るかも知れません。ダイエットはする事無いし、吉野行きの所に書いてあるから、この事かも知れませんね。婚約者があまり賛成でなかったようだし

「判らんね。これだけでは。」

「まさか婚約をって事はないでしょうね。」

「それは無いと思うけど。だってそれならあの様に婚約者の田所さんが落ち込んだりしない筈だろう。それにあの写真だって・・・」

「それもそうですね。でも何か意味があるかも知れませんね。」

「判らないな。私らは探偵じゃないから。しかし何でも可能性があるものは消してしまってはいけないな。下手すりゃ時効まで二十五年同じ事をしなければならないからな。闇夜に針に糸を通す様な事を。それを思うだけでもぞっとするな。」

「でも南本さんは定年だから」

「でもな、未解決のまま去らなければならないなんてぞっとすると思わないか?間違いなく犯人が居て俺たちをせせら笑っているかも知れないと思うと、それがあの白井だったらと思うと」

「そうですね。」


「私これからやっぱり名古屋へ行って来るから稲葉も行くか?」 

「行きますよ。当然。例え雪が降ろうと槍が降ろうと」

「そうか、なら二人で行こう。雪が降っているけど」

熱田警察署の吉村刑事に事情を報告して南本と稲葉は警察で拘留されている白井の事はさておき、白井と好い仲である山田絵美を再度訪ねる事にした。


途中近鉄八木駅で買った柿の葉寿司を提げていた。

「こんな日に来させて貰いまして申し訳御座いません。お仕事でお疲れの所を本当に申し訳ありません。                         

いよいよ白井も拘留期限が切れるでしょう。我々としては思い残す事が多々在りますが、確証に成るものは無く、亜紀さんの携帯を盗った事とそれを壊した事で窃盗罪と器物損壊の罪は逃れられませんが、略式起訴に成る程度ですから遥かに罪は軽く済む筈です。

しかしながら我々はそんな事は頭に無く、貴女が何もかもを言っているとは思わないし、それに口裏を合わせて白井も頑張っている様に思われます。


 今日は最後に成りますが、今日まで兎に角ご迷惑をお掛けした事は事実ですから、お詫びの積りでこれを持って来させて頂きました ちなみに絵美さんは魚は大丈夫でしょうか?お生まれが土佐だと聞いていますからこれで好いと勝手に思い」

「ええ、大好きです魚なら何でも」

「良かった。貴女が好きな物は子供さんも絶対好きな筈、お供えしてあげて下さい。今日の吉野は可成雪が積もっています。おそらくこのお寿司は朝早くから凍て付く寒さの中で造られた物だと思います。   


ご存じないかも知れませんが奈良県は海の無い所だからこの様なお寿司とか大変進んでいて、味も良く私も吉野と言う所に行ってからまだ一年未満なのですが、とてもこれは美味しく再三買っております。どうか召し上がって下さい。」

「ありがとう御座います。でもこんな物を戴いても良いのでしょうか?」

「ええ、私の気持ちですから。」

「それで今日は何を?」

「とりあえずお召し上り下さい。」

「はい、ありがとう御座います。兎に角お上がりください。」

「お邪魔致します。」

「でもこんな時間ですから私も何やかやと忙しくてお相手出来るかは・・・」


「そうですか、では率直に言わせて頂きます、実はこの前から熱田警察署の吉村刑事と井村刑事とが、貴女のお子さんが亡くなった時の事を消防署や管轄の警察に行って詳しく聞かれた訳ですが、その話の中で気に成った事が御座いまして、それで貴女にお聞きしたく成りこうして来させて頂いた訳です。」

「どんな事でしょうか?」

「はい、其れは確かな話ではないのですが、ある消防署員が感じた事なのですが、それを吉村刑事が耳にして私に言ってくれた訳です。」             

「どの様な事を?」


「それがですね。不謹慎と思われるかも知れませんがはっきり言います。実はあの時白井健三がうっすら笑みを浮かべていたのをその消防隊員は見たようです。一瞬だった様ですが不敵な笑みを浮かべていたようです。其れは消防隊員が人工呼吸をしながらAEDをセットしている時に。AEDとは電気ショックを与えて蘇生する装置なのですが」

「何か見間違いではないのでしょうか」

「消防隊員もその様に思いたかったと言っていた様です。しかし間違いなく笑い顔であったと」


「いいです。そんな話はそんな話ならお帰りください。今更そんな事を言っても子供は帰らないのです。違いますか?気分を害するだけなのです。それにそんな事を言って今の事件に何か関係があるのでしょうか?私忙しいからお帰り下さい。」

「すみません。気分を悪くされましたか、申し訳ありません。ではこれで失礼致します。しかし山田さん。私は白井が拘留期限が過ぎて放免になり自由の身に成ったとしても、我々は追い続けます真犯人が見付からない限り。もし戻って来られてもその様に言って下さい。これからも四六時中見張られている事も」


「そうなのですか?疑いが晴れれば貴方などには関係ないのではないのですか?」

「だから絵美さん貴女のお子さんが亡くなられた時に白井が笑い顔を浮かべていたと言う事が事実なら、そこにも何かが在り、そして猪倉亜紀さんが殺された事にも係っていたなら、又そこにも何かがあると考えるのが普通でしょう。

 だから今日は貴女の口から子供さんが亡くなった時の事を詳しくお聞きしたかったわけです。


本当に白井はあの事故で悲しんでくれたか、或はそうでは無かったのか、だからこの前貴女に「白井は貴女の事を愛していますか」とか「貴女は白井の事を愛していますか」とか、更に「貴女のお子さんを白井は愛していますか」とか聞かせて頂いたのです。 絵美さん、過ぎた事なので何ら思い出したくないのでしょうか?何も言いたくないのでしょうか?」              

「はい、過ぎた事です。」

「解かりました。それでは失礼致します。でも一つだけお約束ください。


その吉野の柿の葉寿司を仏さんに供えてあげて下さい。お子さんも喜んで下さると思います。お願いします。」

「解かりました。その様に致しますからお帰りください。」 

「では失礼致します。」

山田絵美に不機嫌そうな顔をしながらドアを閉められ南本と稲葉の両刑事は帰途に着いた。

「壊せると思ったけどなぁ。唐突で怒らせたかな・・・私は心持何処かで焦っているのかも知らないな。白井は明後日釈放だからな・・・無念だが仕方ないか」

「いっそ別件で引き伸ばせないのでしょうか?バッグを取った事とその中に入っていた携帯電話を盗り更に壊した事など他に何か無いのでしょうか?誘拐とか拉致とか。」

「其れは無理だろうな。あの男にも弁護士が居るから迂闊な事は出来ないからな。」

「じゃあこのまま釈放に?」

「その様だな。でもこれからだからな。これからが勝負だからな。別件逮捕なんか重さが違うからな。あれは馬ならばハンデ戦の様なもので我々が有利な仕組みだから」


「そうでしょうね。だからその時に勝たなければならないのですね。有利な時に。」

「そう、だが思うように行かなかった。そこで武蔵も小次郎も考えたが・・・あーぁ成す術が無い・・・」

「私が小次郎ですか・・・でも南本さん今まで絵美ってあんな女でしたか?ぴりぴりして神経質でまるで箸がこけただけでも気に障るような」          

「いい所に気が付いたね。いま頃あの女仏さんの前で何かを思っている筈と思うな」

「何かって?」

「其れがわかれば良いのだが。子供の事を思い出している筈。仏壇を見たか稲葉君は?」

「どう言う意味でしょうか?」

「だから気になった事無かったかな?」

「さぁわかりません。綺麗に花が飾って在る事は判りましたが」

「他には?」

「それだけですね。」


「きちんとお供えされていただろう。ご飯が、真っ白なご飯が。あれは朝から供えた物だよ。彼女は毎日お供えをしてから仕事に行く様だね。前にも思ったから間違いないと思う。」

「そんな所まで見られているのですか」

「だから私は山田絵美が如何に子供を大切に思っているかと言う事と、白井が子供の事など一切関係ないと薄情である事が、何か関係していないかと睨んだからこの様にして動いているわけだ。                          


それで山田に言った様に吉村刑事からあの様な事を聞かされているから、更に何かがあると思う気持ちが増して来て、白井に対する疑念が深まるばかりであるから今日は山田の所へ行ったわけ。」

「もし南本さんがさっき山田に言った事が合っていたなら、二人の関係は只事ではないと成るのではないのですか? 白井が地検から出て来ても穏便になど行かないでしょう。山田が先ず言うでしょうね。『息子が人工呼吸をしている時に貴方は笑っていたの?』って」


「そうなるね。だからその様に考えたからあえて今日あの様な言い方をしたんだよ。白井が帰って来て二人の生活が始まれば、何かが起こるかも知れないから、それを狙っている訳だ。何しろ我々には時効までに二十五年の時間があるからな」


「後二十四年と七か月ですけどね。」

「さぁ喧嘩しろ。揉めて、揉めてぶち壊せ!今、仏さんの前で山田絵美は何を思うか?死んで逝った子供を思い、その横で薄ら笑みを浮かべて佇んで居る白井の顔を浮かべ、一体何を思うのか絵美は。私又明日にでも自分の耳でその消防士の声を聞いてくるから」

「では私も行かせて頂きます。」

「いや、稲葉君は猪倉亜紀がメモ帳に残したあの例のメモ『やめようか』と書かれた言葉の裏にはどのような意味が潜んでいるのか調べて貰いたいんだ。 

おそらく妹さんに聞けば何かが解かるかも知れないから」

「解かりました。」

翌日南本は岐阜県小金田の消防署を訪ねていた。そしてその時担当であった蓑田伝雄と倉田優二と言う署員から話を聞く事が出来た。

「私の思いすごしかも知れませんが、あの日連絡が入って我々が駆けつけましたところ、子供さんを大人の方が人工呼吸をされていたのですが、人工呼吸は一分間に百回が目安なのですが割りと遅く感じ又余り力も入っていなかったので直ぐに変わりました。 


それで他の隊員がAEDを用意して又他の隊員も服が濡れていたので切り離し、それでAEDでショックを与えましたが、既に手遅れ状態で何度か試みた後救急車で病院に搬送しました。

 しかしその様な事をしている時に私は旦那さんを見ると、何故か薄ら笑みを浮かべている様に思ったのです。私の思い過ごしかも知れませんがでも分かるのです。」

「何が分かるのですか?」

「あの表情が。あれは我々にもある表情です。つまり何か大きな事が起こり其れが上手く収まった時やひと段落して心が落ち着いて来た時に出る表情だと思ったのです。

我々も大きな火事があった時とか、事故があって誰かが亡くなった時とか、そんな時に全てが片が付き疲れ果てた後起こる表情です。緊張から解された時に」 

「そうですか、何となく言っている意味がわかります。」

「ですから私は実に不謹慎な男だと旦那さんの事をあの時は思いました。でも後で新聞を読みあの男が実の親でない事を知って、そんなものかと思い直したのです」

「その時奥さんはつまり山田絵美はどんな感じでした?」                  

「そりゃもう狂わんばかりの仕草でわめき散らしていた事を覚えています。」


「でも旦那、つまり白井健三は薄ら笑いを浮かべていた」

「ええ、だからこの事故は本当の事故なのかと私は少々疑った事も確かです。でも其れも翌日新聞で本当の父親でない事を知って忘れる事としたのです。」

「でもその話を署員の皆であの後何回かした事があり、合点の行かない事故であった事は確かです。」

「そう、兎に角私らは好きに成った女の子なら大事にする事は当たり前だと言う考えの者ですから、例えその子が前の男の子であっても同じだと思いますが」


「そうだね。俺たち二人ともそんな風に考えたね。」

「そうでしたか。大きな開きがあった事は間違いない様ですね。山田と白井の心の内は」

「ええ、あれから奥さんは一度此方へ来てお礼の言葉を掛けて下さいましたが、その時は一人でした。当然現場にも行かれた様ですが其れも一人だと言っていました。」

「だから奥さんは自分の子だと思います。お歳の割にはしっかりされていて、する事はしなければと言った感じでした。ちゃんとお子さんを祭っていますとも言っていました。」

「貴方方は子供さんが死んだ事に対して何か疑問に思う様な事を感じたのでしょうか?」

「いいえ、そんな事は在りません。事故は事故だと思います。事故が事件などとは思いません。ただ起こった事に対して受け止め方が随分違ったと思った事は確かです。それだけです。


今でも何も問題に成っていないと言う事はそれで良いのだと思います。

私たちもこれ以上変に住民を詮索出来ませんから守秘義務を守る立場ですから」

「ごもっとも。嫌われるような質問をしてはいけませんね。」

「では仕事がありますからこれで良いでしょうか?」

「はい、ありがとう御座いました。後一つだけお教え頂けないでしょうか?」

「何でしょう?」

「その現場で同じ様にキャンプをしていた方が居りましたね。百メートルほど川下で、新聞でも読んだのですが?」

「はい居りました。」

「その方の住所などお聞きしても構いませんか?」               

「良いと思います。警察の方だから問題など無いと思います。では後でメモをお渡し致しますから」

「お願いします。今日はお時間を取らせましてありがとう御座いました。」

「早く犯人が捕まれば良いですね。」


突破口を開ける事は無かった。白井は子供が息絶えて行く姿を見ながら、冷酷にその一部始終を眺めながら心の中で安堵感に包まれていたのかも知れない。 

『これで気楽に絵美を抱ける』と思ったのかも知れない。  

南本は明日地検から放免になる白井に何を言いたいかと言えば、子供が亡くなって行くその瞬間に、白井の心に芽生えた鬼畜の様な思いに対して鋭く言いたかったのである。

『私にはお前が犯人である事を立証出来なかったが、お前は間違いなく見張られている事を知っておけ。神様もお前を見ている事を知っておけ。多くの受刑者はお前が今良かれと思いして居る事を無我夢中になってして、それで病気に成って命を早めた者がどれだけ居るかお前は知らないだろう。しかし身をもって知る事に成るだろう。


出てゆけ!これからお前は警察だけでなく国民全体から睨まれている事を忘れるな。特に絵美さんがお前を凝視している事を忘れるな。」 

「・・・お世話に成りました。苛めて頂いた事忘れません。」

 白井はそれ以上何を口にする事無く拘留を解き解される事となった。

『もみじが赤くなるまでに片付けたいね。』と言って居た事件であったが、吉野は紅葉もつかの間で雪景色一色に変わり、大寒と成り、奈良ではお水取りも終り、桜の咲く季節を迎えるまでに成っていた。              


桜は吉野の代名詞 

慌ただしく成って来た交通課を意識しながら、南本たちは遠慮気味で名古屋へ向かっていた。

猪倉亜紀のメモ帳に書き込まれた『やめようか』と言う文字にどれだけの意味があるのか気に成っていた事が何時までも南本の心に引っ掛かっていた。     


熱田署に着いた南本と稲葉は待っていた吉村と小村と共に策を練る事にした。そして南本と吉村は猪倉亜紀が勤めていた名古屋市栄のアパレル会社レモーラへ行く事にして、稲葉と小村はまさかと思いながらも、婚約者の田所光樹の職場中部医科大学付属病院に向かっていた。中部医科大学付属病院へ行った稲葉と小村は早速婦人科医の田所光樹を訪ね、


「こんな事お聞きしていかがなものかと思いますがご勘弁ください。大変な事が遭った時にこの様な事をお聞きするのは辛いのですが、実は亡くなられた猪倉亜紀さんがメモ帳を持っておりまして、今警察でお預かりしている遺品なのですが、その中に彼女が吉野へ行かれる計画が書かれていまして、その冒頭に『やめようか』と書かれているのです。其れがどの様な意味なのか我々には解からず、婚約をされていた田所さんなら何かご存知ではないかと思いまして、それでお伺い致した次第です。どの様な意味があるかご見当がお付にならないでしょうか?」

「唐突にその様な事を言われましてもさっぱり見当は付きません。其れって吉野行きを止め様と思ったのではないのでしょうか?そのページに書かれているのなら・・・」


「実は私もその様に思ったのですが、止めようかと書かれていたのは冒頭で、考えてみるとこれから何処かへ行こうと思っている事を最初から止めようかなど思う筈が無く、それならその後詳細を書く事などありえないと思われるのです。何か他に止めたいことがあったとしか思われないのです。吉野行きではなく例えば会社かも知れないし、それに言い憎いのですが貴方との婚約かも知れないし、私どもには全く判りません。どうか未だに犯人は判っていません。何か気が付くものがあればおっしゃって頂けないでしょうか?」


「でも彼女は仕事でも頑張っていて販売主任の立場でもありましたから、結構張り切っていた事も確かですから私には分かりません。本当ならこの春結婚する事に成っていた事も彼女はとても楽しみにしてくれていましたから、何を止めたかったのかなど見当が付きません。

何かの間違いとか単に走り書きをしたとか、大して意味が無いものかも知れないと思いますよ。」

「そうでしょうか?」

「では何かあるでしょうか?私には分かりません。」

「所でお体はもう大丈夫なのですか?」

「ええ、何とか。この四月から正式に担当医に成り責任のある立場に成るのですからへこたれては居られません。頑張らないと」


「そうでしたか。でも良かった。貴方が立ち直って下さって」

「はい。何とか・・後は時間が解決してくれると思っています。」          

「解かりました。では最後に一つだけ質問しても良いでしょうか?」

「ええ、何なりと」

「覚えて居られないかも知れませんが、昨年亜紀さんが殺された日の行動を知りたいのですが・・・アリバイって奴です。」

「ええ、後輩と飲んでいました。後輩のマンションで。後輩で名前は小山徹って男です。それで朝近くまで飲んでいて翌日も二日酔いでふらふらしていた筈です。それから何日かしてあの事件でしょう。大変辛いでした。」


「わかりました。医学部後輩の小山徹さんですね。」

「いえ、高校の時の後輩です。彼も覚えてくれている筈です。あんな事があったのですから。彼からお聞き下さい。」

「解かりました。その様に致します。一日も早く元気に成られて頑張って下さる事を願っております。お邪魔致しました。」

稲葉と小村はその足で田所の後輩小山徹を訪ねたが、田所の言った事を何の狂いも無く裏付けた。

   

稲葉はもっと疑いたかったが田所光樹を見た途端にその気が薄れた。田所は気丈に稲葉の質問に答えていたが痩せ細って、きらきら光る眼も病人そのものであった。


更に稲葉は先入観として思っていたのは、田所が亜紀さんの死で心を狂わせて精神科に年明けまで掛かっていた事を知っていたからで、変な質問をすれば又ぶり返して再度精神科に掛からなければ成らないかも知れないと慎重に思っていたのであった。 

 だから触らぬ神に祟りなしと言うわけで、あえて質問を控えていたのであった。 其れで後輩と飲んでいたと言った田所の言葉を信じ、その後輩の言葉も信じる運びと成った。


本当なら後輩のマンションで飲んでいた事を誰が知っているのかとか、又其れは何時から何時までであったのかとか聞くべきであったが、今はその次期では無いと思う事にしたのであった。 

同じ頃ベテラン南本刑事は尋ねた亜紀の勤め先のアパレル会社レモーラに期待を寄せていた。

「亡くなられた猪倉亜紀さんの事でお尋ねしたいのですが」

「私は上司の峠と申します。どの様な事でしょうか?」

「いえ、彼女が休みの日に、あの亡くなられた時の事ですが、奈良の吉野へ行かれてそして亡くなられた訳ですが、その吉野へ行くに当たってメモ帳に詳細を書かれていたのです。その色んな事を書かれていた一番上の場所に「やめようか」と書かれていて其れが何であるかと考えた時、会社を辞めようかとか、吉野行きを止め様かとか、更にこの春結婚をする予定だったから、それを止め様かとか色んな事が考えられる訳です。それで何か心当たりが無いかと思いましてお尋ねした次第です。」


「そうですか。でも解かりませんね。仕事も張り切っていたし結婚の事も止めたいなんて言って居なかったですし、さて何をやめたかったのか?其れって吉野へ行く事を止めたかったとは考えられないのですか?そのページに書かれていると言う事は?」

「でも考えてみて下さい。止めたい事の計画をその後立てるでしょうか?そんな事はありえないと私は思います。もし止めたいなら最後に書かれるか全部を×で括るか」

「なるほどね。そう言えばそうですね。でも心当たりが無いですね。仕事も何のトラブルも無いですから、むしろ彼女はトラブルがあってもそれを解決して抑える立場の人ですから、又その様にしっかりこなして来た女性ですから」

「全く何も思いつく事がないと」

「ええ」

「変な事お聞きしますが、彼女は亡くなった今も相手の方の意向で婚約をされていますが、この会社に来られた時から今の婚約された方とお付き合いをしていたのでしょうか?」


「其れはわかりませんが、彼女がここへ来たのは五年ほど前、そうそう大学を出てからこの会社に来たと思います。寧ろ私ほど後から大阪支店の方から此方へ来ましたから、だから全ては判りかねます。寧ろ同期で入った社員に聞かれた方が良く判ると思います。でも今は個人のプライバシーは重視されますから、内容によっては個人を傷つける事もありうるかも知れませんから答え辛いでしょうね」

「そうですね。さしさわりの無い様にお尋ね致しますので」

「あの人です。澤田さんと言います。」

「では仕事に影響が無いお昼に出直して来ます。」              

「そうですか。伝えておきます。」


昼に成り、

「澤田さんですね。お聞き戴いて居ると思いますが、貴女にご迷惑をおかけしない事をお約束させて頂いて、二、三質問させて下さい。これも皆亜紀さんの殺害犯人を逮捕する為の事ですから」

「解かりました。私は構いません。何なりとお聞き下さい。亜紀の為なら」

その様に言って下さるとありがたいです。それで亜紀さんの事をお聞き致しますが、絶対口外しない秘密である事を先ずお伝えしておきます。 

それで亜紀さんがこの会社に来られたのは貴女と同期で五年前とお聞きしておりますが、それで宜しいでしょうか?」 

「はい」

「それで今婚約されていた訳ですが、亜紀さんは中部医科大学付属病院婦人科勤務の田所光樹先生と何時婚約されたのでしょうか?」        

「はっきりとは知りません。婚約をした事を後で知りましたから」               

「教えて貰えなかったのですか?そんな事は仲の良い女性同士なら話し合う事もあるでしょう?」


「でも彼女はそんな事全くなくって、まるで男の子みたいでしてね。自分の事は自分で決める子でしたね。だから後で『婚約したわよ』ってあっけらかんと言われて」

「それで亜紀さんは何時頃から田所さんと知り会われたのでしょうか?」

「ええ、其れがわたしたち一緒の合コンに行って、それで彼女が田所さんと知り合いに成り、とんとん拍子で深まって行った様です。今から一年半ほど前でしたっけ」

「と言う事は付き合いだしてから一年足らずで婚約された訳ですね。」

「ええ、そんなものだと思います。」

「つかぬ事をお聞きしますが、亜紀さんは田所さんと知り合うまでに他の方と付き合っておられた事はないのでしょうか?つまり会社に入られてから田所さんと知り合う迄の三年半の間に?」 

「在りましたよ。其れでも彼女気も強いし更に自己管理が優れていると言うか、きっちりしていたから男受けはしなかったのね。             


だから付き合っていた男の人は真面目だったけど、傷付いた様に成って結局彼女を恨みながら会社を去って行ったわ。 

彼女は凄腕であり上司であったので、言葉もきつく私でさえムカッとする事もあったわ。自分が出来たから誰もが出来ると思った様よ、彼女は。」

「それで辞めて行った方は、今は?」

「誰も知らないわ。それでその後彼女から合コンに行かないって成って、そこで中部医科大学付属病院の彼と出会った訳」

「なるほど」

「だから今まで付き合っていた人に比べれば雲泥の差じゃない。 

お医者さんだもん。ましてお父さんが名古屋で開業医をしているのだから」

「では元彼は今は全く判らないのですね?その話を知れば腹が立つかも知れませんね」

「ええ、かも知れない。まるで差別された様な気に成っているかも知れないですね。でも彼、そんな気も無かった様で、だって亜紀さんに言い包められたらシュンと成って後へ引き下がる様な人だったから」

                 


「仕返しをしてやろうとか恨んでいるとか」

「そりゃ血の通った人間だから大なり小なりあると思うわ。でもそんな事あの人には出来ないわ。亜紀さんを殺すなんて事は」

「そうは言っていませんが」

「でも行き着く所はそこなのでしょう?刑事さんの考えは」

「まぁそうですが」

「職安にでも行って聞かれたら良いのではないでしょうか?判ると思います。でも三年も経っていますから。刑事さん三年も前の事を、今も恨みつらみを持っている人なんて居るのでしょうか?」

「其れは人それぞれだから解かりません。死んでも恨んでやるとか言う言葉もある位ですから。断ち切れない男って相当いますから


それで話は変わりますが、亜紀さんが貴女に婚約中の田所さんの事を何か言っていませんでしたか?」

「言って居たのは、お医者さんであると言う事と、其れに可成神経質で難しい所があるって、でも其れは難しい事をしているお医者さんだから仕方ない事かなって、それだけです。」

「なら、メモ帳に亜紀さんが『やめようか』って書かれていたのですが、全く見当が付かないって事でしょうか?」

「メモ帳にねぇ、さぁ判りませんね。何しろあの人は愚痴を零す様な事は無かったから。自分にも厳しい人で周りにも厳しい人だったから。」

「そうですか。判りました。でも何か気付かれたらご連絡ください。」                

レモーラを後にした南本は心なしか気を落としていた。既に事件が起こってから半年近くを迎えていた事に、自然と苛立ったものが重苦しく圧し掛かっている事を感じずには居られなかった。

吉野の桜は蕾を大きくして今にも咲かんとしていた三月の終わりごろ、

稲葉刑事の元に鑑識の渡会わたらいが側へ来て、    


「稲葉さん。まだ目処が立っていませんか?犯人の?もしまだなら吉野山に大雪が降る前に言って居た事があったでしょう。何かタイヤ痕があるからとか何とか・・・それで花見が始まる前にそこへ今でも良かったなら行きますけど。遅いですか今更?何故かと言うと、もしか何かが落ちているかも知れないと思って。以前にも同じ様な事があって、それにこの事件でもあったでしょう下市の千石橋で見付かった猪倉亜紀のバッグがあり、それでその近くにメモ帳が落ちていた事が、其れと同じで、もし犯人が言われているその場所に来ていて、そこで何かをしたなら、何かがあるかも知れないって事ですよ。


今更そんな事をしても意味が無いかも知れませんが、捜査が行き詰っているのならそんな事もありかと思いまして。」                           

「でもあれから大雪も降ったから何とも言えないですね。それに時間も経ち過ぎているから、幾らタイヤ痕があったとしても、それにあの時でさえタイヤ痕らしく見えた程度で」


「いえいえ、無理には言いませんよ。ただあの近くで先ほど若い子が単車で事故を起こしまして、其れの実地検証に行きますから人身事故だったから」

「其れはいつですか?」

「これから」

「なら少し遅れてから私も行きます。それで実地検証が終われば私の現場へ来て戴ければ」

「ええ、そうします。何かが出れば良いのですがねぇ」

「ありがとう御座います。気を使って頂きまして」

「辛いでしょう。署長に報告しなければならないし、かと言って今更捜査員を増やして貰っても其れもまた辛い事ですからね。吉野はこれから花で忙しく成るから尚更」

「だから私なんかより南本さんが吉野署へ来て間もなくこの事件でしょう。幾らベテランでも堪えていると思いますよ。ベテランなればこそ我々以上に辛いと思います。」

「では何か出る事を祈って一時間ほど後から来て下さい。」

稲葉と鑑識の渡会わたらいが現場で出会ったのは昼前に成っていた。調度良かった。その場所は昼間でも木が鬱蒼と繁っていて昼にしてはとても暗く日陽が落ちる頃は不気味ささえあった。二人は 対して見つけるものも無いと括っていたが、ライトで照らしながら先ずタイヤ痕を捜し始めた稲葉は覚えていた場所に足を進めていた。 

「無いなー何も無し―在りませんね?雪に埋もれていたし、溶ければ濡れて形は崩れるから無理ですね。折角来て頂きましたが」

「稲葉さん、でも貴方が見つけられたタイヤ痕がもし犯人の物なら、それ以外に何かがあるかも知れませんよ。」


「そうでしょうか?」

「私らはね、一ミリの証拠でも探す感覚ですよ。一ミリの塗料の破片で車を探し出すのですよ。だから何が在るかなど捜してみないと判りませんから」

「そうでしょうか?根性の居る仕事ですね」

「お互い様です。稲葉さんだって南本さんだって、どれだけ名古屋へ行っておられるか黒板に書かれているのを再三見ますから」

「お恥ずかしい事で。あ~ぁ犯人さんよ出て来てくれませんか?・・」

 「さぁ元気を出して捜しましょう。」

「ええ」

 暫くして、

「渡会さん、渡会さん」

「どうしましたか?」

「これ、何か判らないですが・・・ブレスレットかな。汚れていて・・・偽物でしょうね。子供のおもちゃかな?」

「どれです。ええブレスレッドですね。子供さんのかな?それとも小柄な女性の物かも知れませんね?でもおもちゃですね。」

「違いますね。それにこんなに褪せていて」

「でもとりあえず持って帰りましょう。私調べてみます。

「そうそう名古屋へ行った時念の為に家族の方に見て貰います。一部まだ痛んでいない所もあるので見る人が見れば判るでしょう。」

「では早く調べてお伝えします。」「もしですよ。もし白井が亜紀さんをここで首を絞めて殺したと成ると、抵抗をして亜紀さんは逃げようとしたので、その時亜紀さんの手首からブレスレッドが抜け落ちた。

しかし白井は亜紀さんを扼殺して、この辺の何処かへ置き去りにして枯葉でも被せ、深夜にホテルを抜け出して亜紀さんを遺棄されていたあの場所まで運んで捨てた。」


「でもそれは無理があるのではないでしょうか?蔵王堂までは車を走らさなければならないし、深夜ならエンジンの音もするから、誰かに見られる事も考えられるでしょう。」

「無理かな?すみません。たまたまこんな物が見付かったから考えが飛躍してしまって。」 

「それにこれっておもちゃですからね・・・でもこんな事の繰り返しですよ。我々は」

「渡会さんそのブレスレッドもう一度返して下さい。磨いてみます。構いませんか?」

「ええ、柔らかく布で」

「固い石の様な物があるでしょう。セラミックの様な物が」 


「ええ、硬いですねぇ」

「それを磨いてみます。返して下さい」

稲葉は両手で磨き始めた。かすかに薄汚れた玉が磨かれて淡い色で蘇る様に綺麗になった。何かの石とも思ったが、相変わらずおもちゃの域からは抜け出さない物である事は確かであった。

「もしもし、私奈良の吉野警察署の稲葉と申します。妹の瑠璃さんですね?」

「はい。」

「電話番号をお聞きしていましたから、それでお聞きしたい事が在りお電話させて頂きました。」

「はい」

「それでお姉さんの事でお聞きしたいのですが、お姉さん生前ブレスレッドをしていなかったでしょうか?」

「していました。」

「それでどの様な物を?」

「はい、子供の時からと言いますか、イミテーションの様な物をしていました。おばあちゃんから貰った物を何時もしていました。」

「それって肌色のような」

「ええ、そうだと思います。色は褪せて判らなく成っていたと思います。白呆けて」

「おそらく其れが見つかった可能性があります。」

「どう言う事でしょうか?」

「ええ、もしこれがお姉さんの物なら犯人逮捕に近づく可能性があります。」

「そうなのですか。今私自宅に向かっている所です。母に相談して父にも連絡を入れて確認に行かせて頂きます。」

「いえ此方から行きますが」

「いえ其れが姉の物で犯人逮捕に繋がるなら私たちが行かせて頂きます。」

「もう一度お聞き致します。薄い肌色で楕円形のビーズの様な物です。全部で十二個繋がっています。」

「間違いないと思います。急いで帰り其方へ向かいます。」

「そうですか。では熱田警察署の吉村さんにも伝えておきます。近鉄で来られるほど安全ですからお越し下さい。気をつけて」


「南本さんとんでもない物を見つけたかも知れませんよ。亜紀さんがしていたブレスレッドを見つけたかも知れません。場所は以前貴方と行った所で、白井が亜紀さんを車から降ろしたと言われる場所の近くです。

 そうそうタイヤ痕が残っているかも知れないと私が言って、そんな事があったでしょう。その場所です。そこでタイヤ痕を捜して貰っていて、タイヤ痕は駄目でしたが、代わりに泥だらけに成っていたブレスレッドを見つけたのです。


それで磨いて何とか色が判って来て名古屋へ電話を入れたら、妹さんが言うには、お姉さんがおばあちゃんから貰った物で幼い頃から亜紀さんが手首に嵌めていた様です。

だから色は褪せていておもちゃのような感じですが、正に其れが亜紀さんの物かも知れないのです。」

「つまりその場所で亜紀さんは殺された可能性があると言う事に成るのかな?」

「ええ、この場所で殺されて、それで何処かこの当たりに放置され、夜に成って蔵王堂まで運ばれて行ったと言う事かも知れません。」

「よし、私鑑識を連れて行くから待っていてくれる」

「いえ鑑識の渡会さんは来て頂いています。他の事故の検証で来られていて、だからこれから更に応援を頼んで徹底的に調べる様です。」

「わかった。」

 夕方に成り名古屋から亜紀の家族が遣って来た、吉村の姿もあった。 

「ご苦労様です。遠くまで」

「何を言われます。何度も名古屋まで足を運んで頂きまして」

「それで猪倉さんに見て頂きたいのはこれです。」

「ええ姉の物に間違い御座いません。ねえ母さん。」

「そうね。間違いありません。」


「実はこれがこの場所で見付かったのです。枯葉や土に埋まっていた状態で、僅かだけ見えていて其れが指に引っ掛かったので引き抜きますとブレスレッドの様な感じだったので、慌てて磨いた所この様な物だと判り、結構大事に古く成った物をつけている方が居られると思い、念の為にと思い瑠璃さんに電話させて頂いた訳です。本当に間違いないでしょうか?」

「間違いありません。」 

「南本さん。それに吉村さん白井をもう一度しょっ引けるでしょうね。」          

「事の次第では逮捕状も取れると思うよ。よく見つけたね。」

「吉村さん、白井の身柄を」

 「でも今釈放したばかりだから、今度は必ず縄を掛けたいから、もっと詰める事出来ないでしょうか?」

「そうですね。手ごわい奴だから」


「其れに同行の女性が亜紀さんのブレスレッドを取ってこの場所に棄てたとか言ったなら、それだけの話に成りますからね。」

「いっそう三人みんなを又身柄拘束しましょうか?」             

「そうして貰えば一番良いかも知れませんね。」

「女性にこのブレスレッドの事を先に聞いて何も知らない事を確かめた上で白井を潰そうか」 

南本の力強い言葉で締め括った。それから躍起に成って証拠品が他にもないか調べたが、何一つ出る事が無く署員全員が山を降りた。猪倉の家族は其れから来た道を帰る事と成り吉村を残して家路に向かっていた。

夜捜査会議が開かれ三人の処遇について意見を詰める事にした。

稲葉が口火を切った。 


「吉村さん遠くまでお越し頂き申し訳御座いません。あの場所で亜紀さんの持ち物が見付かったと言う事は相当意味があると思われます。必ず白井は亜紀さんを無理矢理あの場所で何かをしたと思われます。何かがあったからブレスレッドが落ちていたと判断して良いと考えます。それで何があったのかは白井が知っていると思います。」


「逮捕状が出ないでしょうか?熱田警察署の考えを聞かせて貰って、それで判断致します。吉野署の考えはもう一度警察に白井を出頭させ詳細を聞く事が何よりだと思いますが、当然その前に女性たち山田姉妹を」            

「わかりました。私も同感です。しかし逮捕ではなく参考人でしょうね。寧ろそれほど良いのかも知れないですね。それで動き出す事も考えられる訳ですから、泳がせるほど早く終着駅に着くかも知れませんね。署に戻って検討致します。とりあえず女性たちは先に手を打ちます。   

そして吉村は熱田警察署に戻り高鳴る鼓動を抑えながら翌日山田絵美と山田美鈴に任意同行を求めて署に呼んだ。               

「絵美さん貴女にお聞き致しますがこのネックレスを知っておられますか?」

「いえ知りません。」

「では美鈴さんは?」

「私も知りません」

「本当に知りませんか?」

「知りません」

「私も知りません」

「ではこの飾りは?ブレスレッドって言うのか、これを知りませんか?」

「知りません。おもちゃですね。」

「私も知りません。」

「ほんとに知りませんか?」

「待ってください。私見た事あります」

「見た事が?」

「はい。これあのひとがつけていたと思います。私手を握った時にこれに触った様な気がします。何故なら汚なかったから気持ち悪くてそれで覚えています。」

「美鈴さん其れはいつの事ですか?」

「ええ、あの健三さんが車であの人にぶつかって、その時車に乗せてあげた時に手を取って引っ張った時に。」


「其れは猪倉亜紀さんの事ですね?」

「そうです。」

「それで車に乗って上まで行ったのでしたね。」

「ええ」

「それでその後彼女はブレスレッドを其れからも着けていましたか?」

「其れは判りません。」

「覚えがないと。絵美さんも全く知らないと?」

「はい知りません。」

「貴女は着替えを手伝ったのではないのですか?」

「でも彼女が勝手に着替えていましたから。目を逸らしていたし、だから全く気が付かなかったです。」

「それでもう一度お聞きしたいのですが、貴女たちはあの日白井が亜紀さんを車に乗せ降りて行ったのですが、何故貴女たちは置いてきぼりにされたのですか?」

「違います。私は夕陽が綺麗だったからここで暫く居たいと言ったからです。コーヒーも熱かったし」

「白井がここで居ってくれと言ったのではないのですか?」

「違います。だから私が言ったから、コーヒーも飲んでいたし」

「それで白井はどのように?」

「そうしたいのならごゆっくりって言って降りて行きました。」

「それなら帰って来た時間はまるで覚えていないでしょう?」

「そうですね」

「どれくらい経ったか」

「・・・」


「実は最初に貴女にコーヒーを出させて頂きましたが、まだ殆ど残っていますね。」

「ええ私はゆっくり飲む方ですから」

「つまりあの日も貴女方は自販機でコーヒーを買って来て、夕陽を眺めながらゆっくり飲んだ訳ですね。おしゃべりして」

「言われればその通りです。」

「だから白井が帰って来る迄に可成の時間が経っていたかも知れないですね。」

「ええ、はっきりしませんが、でも何故そんな事に拘るのですか?」

「其れは言えません。言えるとしたら、白井さんがあの事件には全く関係ないかも知れないと言う事だと思います。」

「でも刑事さんは健三の事を今でも疑っておられる訳でしょう。だったらそんな言い方をしなくても良いのではありませんか。おだてる様な貶める魂胆があるような、紛らわしい」

「とにかく今お話した物は亜紀さんの遺品です。この事件に大きな意味があるのです。」

「刑事さん。健三は一体どうなのですか?事件に関係あるのですか?それなら言って下さい。こんな扱いをされては侵害です。」

「そうですね。真実は一つ、何故真実が見付からないのでしょうね。しかし既に真実に向かっている事は間違いないと思っております。真実を誤魔化したり隠したりすると、必ず又何か障害が起こる訳です。そして又その何かと戦わなければならなくなり、又嘘が始まるのです。                 絵美さん貴女は三年ほど前に子供さんを失くされましたね。でもその時の事を全て話されたでしょうか?真実を?隠されたものは何も無かったでしょうか?

お子さんが亡くなられた時に携わった方からお聞きしました。それで腑に落ちない事があった様です。内容は言えません。守秘義務がありますから。それに其れは良い事とか悪い事とかも言えません。ただ心に強く感じる事があった様です。前に少しふれたことがありましたね。白井の態度のことを。そのことです。


それは絵美さんには判って居られるかも知れません。我々はそんな事に耳を立て犯罪を起こす者の気持ちを汲む訳です。そして絞り込んで行く訳です。

絵美さんあのお子さんの事故はあれで良かったのですか?悔いが残らないのですか?」

「其れはどういう意味なのでしょう?変な言い方をしないで下さい。妹も側で居りますから」

「お姉ちゃん刑事さんが何を言っているのか私にはわからないわ。」

「良いのよ。この人が変な事言っているだけだから」

「そうなの?」

「そうよ?刑事さん私たちは帰ってはいけませんか?こんな事を言われなければ成らないなんて気分の良いものではありません。」

「其れでははっきり言います。先ほど話したブレスレッドですが、あれは言いました様に猪倉亜紀さんが子供の頃から大事につけているものです。おばあさんから貰った物で、大事にされていた事を家族の方から確認しています。


ところがあのブレスレッドが亜紀さんが行った事のない所で落ちていた訳です。其れは貴女方が亜紀さんを車に乗せて登って行った奥千本の空き地の近くで、貴女方が歩いて下って行き自販機でコーヒーを買った所の近くなのです。そこで亜紀さんは何者かに襲われ殺された可能性があるのです。

或は何処かへ連れ攫われた。そしてその何もかもに関わったのが白井健三だと考えます。

貴女方が上の広場で夕陽を眺めながら白井が帰るのを待っていた時に、白井は亜紀さんに乱暴しようとしたかも知れません。それ迄にも貴女方が自販機でコーヒーを買っている間に白井が亜紀さんに悪戯をしようとしていたのかも知れない疑惑もあります。


 しかし貴女方が思いのほか早く戻って来て未遂に終わり、その腹いせに再度白井が亜紀さんを下り坂で襲った事も考えられる訳です。しかし亜紀さんはまたしても抵抗して拒んだので、今度は亜紀さんの首を絞めて殺してしまった。そして貴女方の所へ戻らなければ成らないから、亜紀さんの体に枯葉などを掛けてその場を去り、夜に成って亜紀さんを車に乗せエンジンを掛けないで蔵王堂まで運んだ。この様な事が考えられる訳です。」


「でも刑事さんその話は可笑しいです。あの女性は健三に襲われたとは言っていませんでした。私はっきり聞きましたから」

「ええ、亜紀さんが車の中で居て後ろから亜紀さんの腰に手を当てた時、亜紀さんにバッグで顔を殴られたと白井は言っています。しかしその時に白井の心にどのような思いがあったかです。何故なら貴女方にコーヒーを買ってきてほしいと言った白井の考えは、車でなら五百メートルほど下らなければ自販機は無いのです。しかし貴女方の様に歩いて下っていけば僅か二百メートルほどで別の自販機がある訳です。其れは車で走っていても気が付かない場所にあって、おそらく白井は下の自販機しか知らなかったから、貴女方が帰って来るのは可成時間が掛かる事を計算していたと思われます。」


「まさか健三は私を騙してそんな事をするなんて考えられないわ。まさか」

「だから絵美さんもう一度お聞き致しますが、白井健二は貴女を愛していますか?白井健三を貴女は愛していますか?心の底から愛していますか?仏さんの前に座ってそう言えますか?子供さんを愛してくれていましたか?心の底から信頼出来ますか?」

「・・・」

「兎に角白井は貴女方がコーヒーを買った所の近くで亜紀さんと揉み合いに成り、亜紀さんはブレスレッドを腕から外れる事をされ、それから白井に何処かへ連れて行かれたわけです。

その時殺されていたかも知れません。気絶させられて猿轡をされていたかも知れません。その重要人物が白井なのです。

亜紀さんのズボンの裾には争った事が分かる様な証拠もあります。」

「・・・」

「絵美さん。これから白井をもう一度任意同行で来て貰うのですが、何か言いたい事は無いでしょうか?」

「在りません。早く疑いが晴れる様にはっきり何もかもを言ってほしいと思うだけです。」

「ではブレスレッドの事はどのように思われますか?」

 「私には判りません。健三に聞いて下さい。」

「解りました。」

「美鈴さん、あなたが見られたブレスレッドはこれに間違いありませんか?」

「はい」

「絶対間違いないと言えるのですね?」

「はい間違い御座いません。」

「白井は黒であることを言っておきます。お二人に言っておきますが、白井に余計なことを言ってはいけませんよ。貴方方も犯人隠匿の罪になりますから」

山田絵美と美鈴を解き放し刑事たちの心の中が一つに固まってくる事を感じていた。

間違いなく白井が本星である事を。


それでも熱田署の吉村は白井の逮捕状をこれで取る事が出来るとは思わなかったのか、彼の口からその言葉が出ることはなかった。そして

「南本さん。逮捕には時期尚早かと思いますが如何でしょう?」

「そうですね。あの様な証拠を掴んだのですから、詰めれば何とかなるかも知れませんが、絵美を使って泳がせるのも手ですからね。」

「そうですね。絵美と内輪揉めになれば事件が速く解決するかも知れないですね。大手柄の稲葉さんはどの様にお考えですか?」

「しょっ引いて吐かすべきだと思います。十日も頑張れば何とかなるでしょう。違うでしょうか?」

「桜が散るまでに、だね。稲葉君」


  

次話❸に続きます。

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