はち
「魔女の儀式っていうから、てっきり夜にやると思ってた」
箱の蓋を開けて絵の具を取り出す桃香に、紅はそう言った。相変わらず蝉の声が止まない。だんだんと太陽が高くなって、二人の影も、垣根の影も短くなっていた。剥き出しの二の腕がジリジリと焼けついてくる。紅は反対側の手で二の腕をさすった。
「魔女ってそういうイメージ?」
桃香に聞かれて、紅はうーん、と首を傾げる。
「イメージは、そうだなあ。黒服とか黒い猫とかが特徴。かまどに火をくべて、大釜で薬草を煮込んでるの。それがきっと仕事。大鍋の中の薬は青汁よりももっとドロドロしてて、すっごい臭いがしてる」
「すっごい臭い!」
それを聞いた桃香は、ヒーヒーと膝を打ちながら笑った。彼女がこんなに笑うところを見たことがなくて、紅はなんだかいい気になった。
「儀式はこういう感じ。月のない夜とか、もしくは満月の夜。そういう特別な時を選んで、沢山の魔女が集う。みんなヒッヒッヒって笑いながら円陣を組んで、その頭上にはいっぱいコウモリがいる」
「だめ、面白すぎる。全然違う。それ、なんの儀式なの」
「わかんないけど、禿山の一夜って曲があるじゃない?あれがBGMなんだよ」
桃香は笑いが止まらなくなって、しゃがみ込んでしまった。ずっと肩を震わせている。
「だから、夜だと思ってたの」
「私たちは円陣も組まないし、そんな笑い方する人ばかりじゃない。ヒッヒッヒって笑うババ様もいらっしゃるけれど」
「その人って鷲鼻?」
「いいえ、とても小さくて可愛らしい方。でもね、そのババ様、前歯がとっても大きいの」
「へえ」
魔女は全員、鷲鼻でとんがり帽子、と言うわけではないらしい。絵本に出てくる魔女はだいたいそういう雰囲気で描かれている。
「あんな邪魔になる形の帽子なんて、ハロウィンの仮装パーティーでしか使わないでしょ」
桃香は笑いすぎて滲んだ涙を、人差し指で掬った。
「夜はもっと楽しいことをしましょ。儀式は遊びではないから」
そう言って、桃香はちらりと画材が入った箱の中を見た。釣られて紅も覗き込む。変哲のない、絵の具にパレット。それから、絵筆が数本。桃香が筆洗の入れ物に水を入れてきた。
「ようこそ紅、こちらの世界への入り口にあなたは今立っている。これから起こることは、全然怖いことでもなんでもない。ただ、私を信じてくれる?」
紅の両手を取って、桃香は真剣に彼女を見つめた。本当に私でいいの、と何度も問われたことを思い出しながら、紅は頷いた。真昼間の明るい庭の真ん中で、二人きりの儀式が始まる。