いち
寝台列車から降りると、そこは夏だった。
花菖蒲が雨に濡れていた出発地点は、はるか北になってしまった。昨日、まだ明るいうちに列車に乗り込んだのに、夜のトンネルをくぐり抜けて、今朝は蝉の声に迎えられている。
駅舎のすぐ横に植えられた朝顔は、朝の光に群青色の顔を向けている。
こっち、と袖を引っ張られて紅は栗毛が風になびくのを見た。
ペンキの剥がれかかったバス停の前に二人で立つ。
紅が彼女の方をチラッと見ると、同じ目線で真っ直ぐに車道の方を見ている。
やってきたバスに乗り込む。先に乗った桃果は整理券を取ってから、くるりと紅の方を振り向くと、自然に彼女の方へ右手を差し出した。
生まれながらにして紳士の振る舞いが身に付いているのではないかと、いうくらい流麗な動作。それに見惚れながら、紅は彼女の手をそっと握った。
紅は彼女、桃香に誘われて、彼女の祖母の家がある南の方にやってきた。
桃香と付き合いだしたのは、高校の一学年の終わりくらい。ついこの間のようだ。
彼女はイギリス人の血を四分の一だけ持っている、栗毛と栗色の目が特徴的な子だ。身長は紅と同じくらいだけれども、その顔つきは全然違う。少し丸顔の中に収まるパーツは西洋の彫像にそっくりだ。
バスに揺られること四十分。
到着した列車の駅からは七百四十円。
ローカル線のバスは終点の一つ手前のバス停で二人を降ろすと、巨体を揺らしてゆっくりと走り去っていった。
「ここから少し歩くわよ」
そこは山がちの集落の入り口だった。
山の傾斜が緩やかなせいで、ほぼ平地のような場所が広がっている。
この集落も人が住むのに適した土地にできたようで、家と大きな畑がセットで集まっている。
桃香によると、目的の家は集落のだいぶ奥の方にあるらしい。
魔女の集まる庭だから。
と彼女は事も無げに言った。
魔女たちが電車とバスを乗り継いでここまでやってくるのを想像すると、なんだかミスマッチだ。
紅がそう思っていると、私だって魔女だって言ったじゃない、と彼女は妖艶な笑みを見せた。
インディゴのジーパンに白いTシャツ。そんな魔女なんて見た事ないよ、と言うと、魔女も現代に馴染んでいるのよ、とそれっぽい事を返される。
そんな話をしながら進む事一時間。
すっかり高くなってしまった太陽は、夏の光を撒き散らしながら、空に踏ん反り返っている。
麦わら帽子の大きなつばが一生懸命光を遮ってくれていて、二つ並んだ影はどちらも顔が大きく見えて滑稽だ。
見えてきたわ、と桃果が細い指を伸ばした方向には、白い漆喰塀が夏の光を照り返しながら長く伸びている。