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夏の日の夢 3



「……め、滅相もない、ことでございます」


 不意打ちで至近距離からまともに視線をからめてきたシャルルの破壊力は満点であった。その衝撃からかろうじて立ち直ったフランソワは、シャルルへの返事もそこそこに制作中の花冠へと向き直る。

 心臓は早鐘のように、落ち着きなく鳴り続けていた。



 このまま、殿下の視線にさらされ続けていたら――――。

 冗談ではなく、倒れてしまうかもしれない。殿下の御前でそんな醜態、とんでもないことだわ。気をしっかりもたなくちゃ!


 病弱だったフランソワは、幼いころから家族の前で何度も気を失って面倒をかけてきた。そのたび、家族がどれほど心配し彼女のために手を尽くしてきたかを彼女は身にしみてわかっている。


 殿下の前で、それだけはやってはいけない! なんとしても!




 いっぽうのシャルルは、拍子抜けをしていた。

 すぐ傍にいて自分と言葉を交わしていながら、女性のほうから早々に視線をはずされて無視される、という経験が皆無だったのである。ましてさっきは、フランソワの瞳に自身の影が映るくらいの距離まで近づいていた。

 肩透かしをくらったようで、シャルルはしばらく所在なげにフランソワの横顔を見つめていたが、やがて気を取り直すと数本の花を取り上げた。



 小さいころは、あんなに俺に懐いていたのに。

 無邪気で素直で、とても可愛らしかったフランソワ。初めて会ったきみは、俺が笑いかけたら花が咲いたように笑って、話しかけたらまだたどたどしい言葉で懸命に応えてくれた。二人で積み木遊びをしたり、絵本を読んでとせがんできたり……。俺たちの間には今もあの楽しかった時間が続いているのだと思っていた。なのに、なんだろう? この気まずい雰囲気……。フランソワもいわゆる難しいお年頃? ……にさしかかっているのかな?



 緊張した面持ちで心なしか頬まで紅潮させて、フランソワは指を動かしている。

 彼女の食い入るような眼差しは、手元の一点にのみ集中している。


 ……まさか、とは思うけど。俺のことなど、見えていない?

 たしかに作業中のフランソワのところを訪れて、そのまま続けてくれていい、と言ったのは俺だけれど。

 …………こんなふうにあしらわれるとは思ってなかった。

 俺はずっとフランソワに会いたくてたまらなかったけど、……フランソワは俺が思うほどには――――。


 そこまで考えて、シャルルは不意に鼻をついた青臭い匂いに我にかえった。見ると、シャルルが手にしていた花の茎が彼の指の下で折れ曲がり力なく垂れている。束の間呆然としていたシャルルだが、その後の行動は早かった。さりげなく鋏をとり無残に折れたその場所に、鋏をいれて切り口をととのえる。


 ばかだな、俺は。容姿が女らしく綺麗になってつい惑わされてしまうけれど、フランソワはまだ十三歳のあどけない子供なんだ。なにかに夢中になって我を忘れてしまうなんて、子供にはよくあることだろ?



 シャルルはフランソワの気をひこうと、花冠をそぅっと引っ張った。


「僕にも手伝わせて。……ね?」


 そのまま自分のほうへ引き寄せようとする。驚いたフランソワがあわてて取り戻そうとするのを見て、シャルルはその手をとめた。


 あまり引っ張って形が崩れてしまっては、かえってフランソワの機嫌を損ねてしまう。こんなに頑張っているのだから……。


「で、殿下のお手をわずらわせるなど、とんでもないことにございます」


 フランソワは恥ずかしそうに覆いかぶさって、花冠を隠そうとする。

 その仕種は子供のころのままで、嬉しくなったシャルルは甘えるようにフランソワに囁きかけた。


「そんなつれないことを言わないで、フランソワ。僕はきみのためならなんだってしてあげたいんだ」


 シャルルの言葉の終わらないうちから、フランソワの顔は真っ赤になってしまった。

 ところが、なぜ、自分の顔が、身体がこんなにも火照ってしまっているのか、フランソワにはその正体がわからない。


 フランソワにとって年齢の近い遊び相手は、兄たちと、ごくたまに現れるシャルルくらいのものだった。

 フランソワは美しくて優しいシャルルが大好きで、喜んでその後をついてまわった。シャルルにかまってもらえるのが嬉しくて、いつもより動きすぎて無理をしては熱を出して、彼を困らせていた。

 そうしたことが幾度かあって、あるときとうとう、「殿下にあまり心配をかけるものではないわ、フランソワ。殿下はあなたといるとまるであなたのお守りのように振る舞っておられるけれど、王子様が本来どういうおかたであるのか、あなたもそろそろそういう分別がつく年頃でしょう?」と母から諭された。

 これに、フランソワは子供ながらに恥じ入った。


 王子様はお兄様たちとは違うのに。わたしったら、……お兄様たちにするように、そんな尊いかたの前でも、平気で駄々をこねたりしたのだわ。

 もうこんなことを繰り返してはいけない。わたしばかりが一方的に甘えて、気遣われているような関係なんて……。お兄様たち家族はもちろん王子様にまで、あんな心配そうな悲しい目をさせてしまうようなことは……。


 ――――元気になりたい!

 切実に、フランソワはそう願った。

 

 王子様やお兄様たちと同じように行動しても、ちゃんとついていけるように。お互いになんの遠慮も気遣いもなく、一緒にいられるように。わたしにとって楽しい時間が、王子様やお兄様たちにとっても、心から楽しい時間であるように……。



 かような次第で、今まで兄たちや家族に守られて、ひたすらに健康になることを目標にして生きてきたフランソワは、そうした方面での知識が致命的に不足していた。



 いやだ。熱が出てきてしまったみたい。今朝はいつになくすっきりと調子がよかったのに。

 あぁ、でも。手先が思うように動かないのも、熱があるせいなのかもしれないわ。


 シャルルに熱のあるみっともない顔を見られたくないフランソワは、顔をますますうつむけてしまった。熱があることをシャルルに気づかれまいと頑なな姿勢を見せるフランソワに、そうとは知らないシャルルはさらに甘い言葉を重ねがけする。まだ二人が幼い頃にそうしていたからなのか、他の令嬢の前では恥ずかしくて決して言えないような台詞でも、フランソワを前にすると自然に出てくるのだ。


「ほら、こちらへかしてごらん。ねえフランソワ、きみは覚えているかな? きみがまだ八歳のとき、僕たちが一緒に一枚の絵を描いたこと。僕ときみが、いつの日にか二人で住むお城の絵を――。お城のまわりにきみがいっぱいお花を描いて……。あのお城は美しいと評判の母上の離宮よりきっと優美になるだろうね。僕はきみと描き上げたあの絵を今も大切に持っているんだ」



 ……と、突然、なにを仰るのかしら?


 フランソワは耳まで赤く染まるのを自覚した。

 あのときのことは、……フランソワも覚えている。

 王子様とお姫様の幸せなおとぎ話の話題から、二人で絵を描くことになったのだった。

 それで……。



「――――王子様と一緒にお城でくらすの。めでたしめでたし」

「うん。めでたしめでたしだね、フランソワ」


 ……などというたわいもない会話をしながら描いていた。



 今思うと、……なんてことを口走ってたのかしら? わたし。


「今日はあのときのようにまた二人で、きみにふさわしい花冠をこしらえよう。それで、……ああそうだ。いつか今日の記念に、花冠を模した本物のティアラをきみに贈るよ」



 ………………。


 フランソワの体温は上がるいっぽうでうある。

 ――兄や父たちもフランソワに甘いが……。


 まさか、来年の誕生日にはティアラが届くなんてことは……?


 いくらなんでもそれはない、とフランソワは心のうちで頭をふった。


 ……なんてことを考えてるの? わたしったら。そんな厚かましいこと、とんでもないわ!


 だいいち、シャルルに、そんなにまでしてもらう理由がない。

 ただ、弟妹のいないシャルルから妹のようにかわいがってもらっている、というだけで……。



「殿下。わたし自分でやりますから」


 目の前のたくさんの花の香に酔ったような心持ちで告げたフランソワの声は、細くかすかに震えていた。


「いいや。僕がやりたいんだ。僕もこしらえるのに関わった花冠で、きみの頭を飾りたい」


 いっこうに縮まらない距離に、もどかしくてシャルルは、なおもフランソワに攻勢をかける。


「それに殿下だなんて水臭い呼び方はやめてほしいな」

「……?」

「……シャルル、と呼んでほしい」




 ――――え? シャルル?


 戸惑いを浮かべた表情でシャルルの顔を見上げたフランソワに、シャルルは優しく微笑んでみせる。フランソワが照れていると思ったのだ。

 シャルルは、うっかりと失念して勘違いをしてしまった。

 フランソワの身近には、もう一人の「シャルル」がいる。


 フランソワの長兄ダニエル子爵は、その名を、シャルル・エドモンド・アルティエという。

 そして、長兄のことをフランソワは、「シャルル兄様」と呼んでいた。




 それにしても従兄弟という近い関係にある者同士が、いったいどのようないきさつで同じ名前を持つにいたったのか?

 それは、長兄が産まれる以前までさかのぼる。



 エルガー伯爵も先の例にもれず、カトリーヌとの婚約話が持ち上がったころから、天災あり、人災あり、戦争あり、おまけに貴族たちや男どものやっかみあり……と、次々と実に様々な苦難に見舞われた。彼は怒涛のごとく押し寄せるそれら艱難辛苦をのりこえて、どうにか結婚までこぎつけた。


 ――――当人いわく、「俺でなければ死んでいた」…………。


 結婚して三月が過ぎた頃にはあの嵐のような二年足らずの歳月が嘘のように穏やかな日々が続くようになり、十ゕ月後にはめでたく嫡男が誕生した。この慶事を彼の想像を絶する苦労を知る先代国王がことのほか喜び、その子に特別に「シャルル」という名前を授けた。


 この「シャルル」という名前。この国では長く王族の間でのみ繰り返し使用されてきた名前である。伝統的に王族の男子に使われる名前はだいたい決まっていて、数もそう多くはない。そうした名前は特に禁止されているのでもないのだが、いつしか憚られるとして貴族階級では子供につけられることはなくなっていた。



 時は移り――――、当代の国王は頭を悩ませることになった。第三王子につける適当な名前がないのである。同じ時代に同じ名前を持つ者がかぶらないよう、これまでは配慮して命名されてきたのであるが、いよいよそれも限界になってしまった。

 使われていない名前がまったく無い、わけではない。だが、残っているのは、暴君であったり、暗愚であったりとあまり評判のかんばしくなかった者、悲運の末路をたどった者などの名前となれば、国王とてひとの子である。避けたい、と思うのは親心――。ましてその美貌から、早くも「不吉な王子」となる運命を予見するけしからぬ者まで現れる有様に、国王はついに決断した。


 ――――王族のなかでは、かぶらない。


 かくして、第三王子の名前は、「シャルル」と決まった。





 さらに時は移り――――、エルガー伯爵の嫡男シャルルは、困惑している男を前にげんなりとしていた。

 貴族階級で、彼とシャルル王子を間違う者はさすがにいない。

 しかし、中途半端な階層と接触せざるをえない場面では、しばしば混乱する者もいた。

 たとえば、こんなふうに――――。



 …………え? シャルル? ……って、もしかして、王子様?

 え~~と。いや待て、しかし?

 「シャルル王子」と目の前の貴公子とでは、どう見ても年齢があわない。

 この男は王子ではない。だが……?

 まんいち失礼がないようにと伝え聞いた「王族名鑑」には、たしかに、「シャルル」という名があったし、名君として名高い「シャルル二世」、それに新しい王妃様との間に生まれた王子様が「シャルル王子」……。

 それでもって「シャルル」という名は、王族にのみ許される名前で、近い世代で同じ名をつけることはないと聞いたような……?

 しかもこの男、王家のかたがたに多いと聞く、「美形、金髪、碧眼」にも、ぴたりとあてはまっている。

 しかし、この美丈夫は自分のことをエルガー伯爵家の嫡男だと名乗った。

 エルガーって、あのエルガー……? 家名はアルティエ、とか言ったか? 古くからある名家で大貴族だが、王族ではない。

 ……と思っていたが、違うのか? どうなんだ?



 惜しげもなく半端ないオーラを放つシャルルを前に、畏怖してしまった男は口にこそ出してこない。だがそのうろたえた様子から、経験上シャルルは、おおむね男が今目まぐるしく考えていることの見当がついてしまい心中で嘆息した。



 ……シャルル殿下のお背も伸びてきたし、長ずるにつれますますまぎらわしくなるのだろうな。



 そこで長兄のシャルルは、父から領地経営を任されるようになっていたダニエル子爵領の相続を願い出たのである。




 ちなみにエルガー伯爵は結婚前、エルガー伯爵領、ダニエル子爵領、コルビ子爵領、キース男爵領を所領とし、国からその政を任されていた。ただし王女であったカトリーヌの持参金がカトリーヌ侯爵領と決まった時点で、コルビ子爵領を王家に返還している。エルガー伯爵とはエルガー伯爵領を国王に代わって治める者の役職名であり、彼のように複数の領地を預かる者はふだんはそのうちの代表的な所領の名前で呼ばれる。

 そのカトリーヌ侯爵領であるが、主はカトリーヌであり、夫であるエルガー伯爵にカトリーヌ候領の統治権はない。夫妻は仲睦まじくカトリーヌ自身はエルガー伯爵夫人と呼ばれることを好んでいるが、彼女の身分は正式にはカトリーヌ侯爵でありエルガー伯爵より上位である。


 これらの所領はいずれ継嗣であるシャルルが、両親からすべて相続することとなる。つまり、シャルルは将来、カトリーヌ侯爵であり、エルガー伯爵であり、ダニエル子爵であり、キース男爵でもある、というように一人で複数の爵位を持つことになるのである。


 このようにこの国では、父が持つ複数の爵位のうちのひとつを継嗣が若くして父が健在であるうちに相続することは、たいして珍しいことではない。もっとも爵位を複数持っている家じたい、限られてくるのであるが。


 長兄のシャルルは、「ダニエル子爵」という身分を手に入れることで、「二人のシャルル」による混乱と煩わしさから逃れようとしたのであった。




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