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宝玉の護り 1 ~東翼の薔薇園~

 彼の手のなかには、陽の光を浴びてとろりと輝く緑色の宝石がある。


 その宝石は、元はファウリーシュ王家の宝物庫にあった。

 数多ある収蔵品のなかでも、飛び切りの極上品である。

 そして元々は、二つあった。


 ファウリーシュの宝物庫には、多種多様な品々が眠っている。宝玉や美術工芸品のみならず、歴史的にまた宗教的学術的に価値のあるものなど――書物、武具、什器、薬草に至るまで――実に多岐にわたっている。

 この地に興り消えていった過去の王朝から、戦火と荒廃を潜り抜けて現王朝へと大切に護り受け継がれてきた希少な品も少なくない。


 なかには必要に応じて取り出され、使用の後には戻され、ごく稀には贈り物とされた品もあった。 

 王家の宝物の図録に極上と記されたその宝石は、献上されてから長らく秘蔵されてきた。幾重にも表情を変えて煌くその様は、さながら厳重に閉じ込められていたくらやみからようやく明るい外の世界へと解放された喜びに溢れているようだ。

 だがその宝石の煌きも、彼女の瞳にはかなわない。



 シャルルたち一行が王宮に帰り着いて後、宝玉は二年余りの間マルセルの仕える神殿で護られてきた。

 その宝玉いしがシャルルの元へと戻ってきたのは、つい今しがたのこと。昼食を終えてすぐ、王宮内の礼拝堂でマルセルから受け取った。

 そしてこの宝玉の儀式のために、フランソワが王都へと向かっている。

 待ち焦がれていたその時がいよいよ間近に迫り、いやが上にもシャルルの胸が高鳴る。


 折しも王宮では第一王子アンリとティエリー公爵令嬢イザベルとの婚約が正式に整い、祝賀ムードが高まっていた。

 本来であれば昨年のうちにまとまるはずであったものが、サグレーとイシュワンとの間で戦争が起こったために延び延びになっていたのだ。

 他国の戦争に水を差されたかっこうだが。


 ――先送りとなることがほぼ決定となったその当時、この情報がまだ公になるよりさきに、あろうことか会議のために王宮を訪れていたエルガー伯爵の耳に入った。



「……王家相手でも、国内でも……延期、できるんじゃねーか」


 その呟きは、まるで地の底から這い上がってくるようだった――


 運悪くその場に居合わせた者たちを震撼せしめたこの噂は、瞬く間に王宮にいた高位貴族たちの間を駆け巡り。

 この頃の御前会議はとにかく懸案事項が山積みで定刻どおりに終わることなど無いに等しいくらいであった。


 だが、この日だけは会議が予定より早く終わった。出席者たちは皆、終わるやいなやそそくさと会議場をあとにしたという。

 エルガー伯爵と、彼の無言の圧力に動けなかった国王。――この二人だけを残して。

 いつにもまして朝議が迅速に運んだぶん浮いた時間に修羅場と化したその場所で、両者の間でなにがあったのか。

 ようやくもたらされた慶事の報せに、この時ささやかれた無責任な憶測の数々を思い出した者たちもいたであろうにいっこうにそれらしい噂が漏れ聞こえてこなかったのは、単に不敬を恐れて――という理由だけでないことは確かである。


 


 マルセルは、アンリ王子とイザベルの一連の婚約の儀式のために、王宮を訪れていた。


「僕とフランソワのときもよろしくお願いします」


 手渡された宝玉の入った箱を捧げ持つシャルルの口から熱のこもったお願いをされて、マルセルは深い皺の奥の碧眼をまるくした。希望に満ちたシャルルの真剣な面持ちに、たまらず笑みがこぼれる。

 しかしすぐさま神妙な面持ちで、マルセルは色よい返事を待ち受けるシャルルにこう告げた。


「よろしくもなにも。むしろ頑張るのはお前さんたちのほうだよ」




 シャルルの私室の窓辺から王宮の中庭を連れ立って歩く兄王子と婚約者の晴れがましい姿が見える。

 イザベルは美貌で知られたファウリーシュ王家の王子と並んでも見劣りのしない華やかさと知性とを兼ね備えた女性だ。

 今日という特別の日のために誂えた式典用の格調の高いドレスが、彼女の魅力をいっそう輝かせている。


 十五歳のイザベルとまだ七歳のフランソワでは、ずいぶん年齢が離れている。

 かたや成人を間近に控え婚約をして、これからまさに花の盛りを迎えようといううら若き淑女。

 かたや兄たちと同じようにとはいかずとも、男子のように育てられるにまだなんら支障のないほどの子供。

 年齢だけではない。その面差しも、髪の色も。


 ましてシャルルの記憶にあるのは、わずか五歳のころのフランソワだ。そんなことはシャルルもよくわかっている。

 だが、それでもシャルルは今日の彼女にフランソワの姿を重ねてしまう。都合よく脳内変換されてしまうのだ。


 来る日の、それはそれは麗しく着飾ったフランソワを。

 意匠こそシンプルだが最高級の生地を惜しみなくつかったドレスは、彼女の動きにつれて優美にまとわり流れ、ひるがえり――

 そしてその隣には、今日の兄と同じように美々しく装った己が立つのだ。




 今日もまた、シャルルは東翼の庭の一角に設けられたアイリス園に向かっていた。彼は王宮にいる間、天気の良い日はほぼ欠かさずにアイリス園に通っている。

 王宮の広大な庭園にはほかにも多くの素晴らしい庭があるのだが、シャルルは目をくれようともしない。子供とはいえ王子である彼にとって自由に過ごせる時間は限られている。寄り道をしていたらアイリス園で過ごす時間が減ってしまう。


 ――タリス子爵は時間にうるさい。


 そんなシャルルが、この日は珍しく薔薇園にさしかかったところで足を止めた。


「……イザベル嬢?」


 花の見ごろの季節であれば、シャルルは脇道に入ってそのままやり過ごしていたかもしれない。だがとうに時期を過ぎて剪定も終えた薔薇園は、葉が青々と茂るばかり。


 その薔薇園の片隅に、イザベルがただ一人佇んでいる。

 婚約者である兄の姿も、案内役の姿も彼女の傍に見えない。


 今日は王宮でこれといった行事はなかったはずだけど……


 シャルルの目をひいたのはイザベルの様子だった。先日とはいささか纏う雰囲気が違っている。

 あの王宮を華やいだ空気で満たした婚約の儀式から、今日でちょうど一週間。


 イザベルのほうもシャルルに気がついたようだ。優雅な足取りでシャルルのほうに近づいてくる。

 明らかにこちらに向かってきているものを、しかも相手は兄の婚約者である。さすがに置き去りにして今さらアイリス園に行くこともできず、じれる思いでシャルルのほうからもイザベルに歩み寄る。

 二人の距離が縮まるにつれ、シャルルは先刻感じた違和感がイザベルのいで立ちのせいであると思い至った。


 先日の晴れの衣装も目を見張るものがあったが、今日のドレスもまた婚約を機に新調されたもののうちの一つでイザベルに実によく似合っている。

 たっぷりとふくらんだ袖とスカートが印象的なドレスは、光沢のある鮮やかな空色の生地をふんだんにつかい、襟ぐりと袖口には繊細なレースが贅沢にあしらわれている。施された刺繍とビーズのバランスも申し分なく、品よく豪華な仕上がりである。

 むしろ今日のドレスのほうが、彼女の年相応の魅力を余すことなく引きだしていた。



「アンリ様にお許しをいただいて、お庭を拝見させていただいておりました」


 互いにあいさつを交わした後のイザベルの言葉に、シャルルは少しほっとして丁重に提案する。


「もしかして薔薇の花をご覧にいらしたのでしたら、塔南の庭で咲いております。こちらは残念ながらもう終わってしまいましたが、塔南にある薔薇園では今が盛りのものからまだこれから開花するものまで、品種の多さでもこちらにひけをとりません。今の季節薔薇をお愉しみいただくにはそちらがおすすめです」


 さももっともらしい口振りだが、これはほとんど庭師から最近聞いた話の受け売りで、実際にシャルルが件の薔薇園を見たのはもう何年も前のことである。


「はい。とても素敵なお庭でした。先ほどアンリ様のご案内で堪能させていただきました。アドバイスありがとうございます。シャルル殿下」


 ――もうそちらは観賞済みだったか。

 体よく彼女このひとから離れられると思ったんだけど……


 同時にシャルルの頭に浮かんだ疑問をイザベルは察したようだ。

 微笑をたたえたまま柔らかな声音で答えてくれた。


「アンリ様はこの度の婚約のお祝いにいらしてくださったご友人の方々と歓談なさっておいでです。わたくしもしばらく同席させていただいていたのですけど、お暇する前にもう一度素晴らしいお庭を散策させていただきたいと、わたくしからアンリ様にお願いをしたのです」



 シャルルは耳を疑った。


 ――婚約者を一人にして、放ったらかしにしてるだなんて。信じられない!


 猛然と兄に対する怒りがこみ上げる。これは男子として義憤にかられるというより、婚約者フランソワと会う機会を手にするだけでも苦労が絶えない――と一人で勝手に悲嘆にくれているシャルルにとって、まったくもって考えられない所業であった。


 それともうひとつ、イザベルの淡々とした口調がなんとなくひっかかった。何かはわからない。


 シャルルがもう一度、イザベルの顔を仰ぎ見る。

 イザベルの表情は逆光で影に隠れてしまって判然としなかった。

 ただイザベルの白い胸元を飾るレースが頼りなく風に揺れて――



「シャルル殿下はこれからアイリス園に行かれるのでしょうか?」


 不意にかけられたイザベルの言葉に、シャルルはうろたえた。

 アイリス園に行きたくてその糸口をつかもうと、あれこれ忙しく思案していたところである。


 相手は仮にも兄の、この国の第一王子の婚約者である。

 失礼にならないように無理なく説得力のある理由を見つけようと、シャルルは躍起になっていた。

 表面上はあくまでも、あどけない天使の微笑を浮かべて。



「え? ……と、はい」


 らしくもない自身の歯切れの悪い返事に、シャルルの表情がかすかに強張る。内心ではこれ以上ないほどに焦っていた。

 この会話の流れに任せていたら、アイリス園への案内をイザベルから請われるのでは――と危惧したのだ。

 そして正しくそれこそが、シャルルのもっとも恐れていたことだった。



 なぜなら。


 もうずっと、二年前のあの日から、シャルルは心に決めていた。

 シャルルが自らアイリス園を案内する最初の女性は、ただ一人――フランソワ――と決めている。


 婚約者フランソワ以外は、あり得ない!


 ……ただし。


 王妃様は僕の母上だから。許してくれるよね、フランソワ。 

 


 

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