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約束


「――今度は、きみのほうから、会いにきて」


 …………そんなの、……いつになるか、わかんない。




 目が覚めたとき、フランソワは泣いていた。

 ぼんやりとした視界が、白く仄暗く明滅している。

 やがて蝋燭のたよりない明かりに照らされて、頭上に薄暗く覆いかぶさる天蓋が見えてきた。


 ――真夜中だった。

 寝室には、フランソワひとりだ。

 エマも他の侍女もいない。部屋の片隅には使われることのなくなったあの長椅子だけが、いまだ片付けられず残されていた。


 あの日から、十日が過ぎようとしていた。


 それは、――ずっと積もり続けていた想いが、フランソワのうちにとうとう溢れかえるまでにいっぱいになり、出口を求めて見せた夢だったのか?


 涙はしばらくの間、フランソワの上気した頬をつたい流れ続けた。

 フランソワは自分でも、どうして泣いているのか、涙がとまらないのか、わからないでいた。



 せっかく、王子様にもらったのに……。

 大切にしなきゃいけないのに。


 大事な宝玉いしを失くしてしまった。それをそのままにしていたから、こんな夢をみたのか、とフランソワは思った。



 この宝玉をくれたときの、王子の甘やかな表情かおを思い出す。

 フランソワより二歳ふたつ上の王子は、それよりもっと年上なのではないかと思うくらい、しっかりしていた。

 大人たちを相手に、あの伯爵ちちを前にしても、堂々と振る舞いひけをとらない口振りで話をしていた。

 フランソワには甘い伯爵が、家族や屋敷の者たちにいかに敬意をはらわれているか、フランソワもよく知っている。




 その彼が……。


 フランソワは不思議に思った。

 そのときは、――雰囲気が違っていたのだ。

 なぜか、とても王子を近く感じた。


 ……子供、みたい?


 事実、王子はまぎれもなくフランソワと二歳ふたつしか違わない子供なのだが、フランソワの目には五歳いつつ上の三兄エリックと変わらないくらい頼もしく見えていた。

 いや、見た目をぬきにした態度と言動だけなら、それ以上かもしれない。


 その王子が、あのときは――。

 ……あがっていたのだ。療養中の屋敷からほとんど出たこともないような、ほんの子供にすぎないフランソワの眼前まえで。


 もどかしげに小箱の蓋を開ける手つきからも、それがなぜなのかはわからないまでも、王子の緊張はじゅうぶんすぎるほどにフランソワに伝わってきた。

 その手を間近で見つめていたフランソワの手にも、じわりと汗がにじむくらいに……。



 思い返していたら、顔が熱く火照ってきた。

 両頬にてのひらをあててみるが、気持ちがよかったのははじめのうちだけだ。すぐに温まってしまいよけいに熱さを増してゆくようで、フランソワはあわてて両手をおろした。

 


 宝玉の価値など、まだ幼いフランソワが知る由もない。

 だが。


 とてもきれいな宝玉いしだった。あんなの、見たことない。


 あの王子が箱からとりだすのに、あんなに固くなってしまうような代物なのだ。それがいかに貴重なものであるかを、フランソワは感じ取った。



 ――なにより。


 王子様が、わたしにくださった……。



 そう思っただけで、どうしようもなく切なくて、甘いものがこみあげてくる。

 いたたまれなくて、掛け具をかぶってもぐりこみ、その身をかくしてしまいたい衝動に駆られる。

 それでもなお襲ってくる申し訳なさに、フランソワの心はせわしなく追い立てられた。



 折にふれ去来するこの気持ちの正体を、王子から贈られた大切な宝物を失くしてしまった良心の呵責からだと、このさきフランソワはずっと思い続けることになる――。




 それから、――フランソワはたびたびエマや侍女たちの目を盗んでは、宝玉を捜し続けていた。

 もっとも花冠をつくることを決めてからは、そちらにかかりきりになってしまい忘れてしまっていたが。

 


 とはいえ決して、王子のことを忘れていたわけではない。

 むしろ――。






 フランソワは、これまで昼寝の時間には宝玉を捜してこなかった。

 夜のほうが、ゆっくりと捜すことができるからだ。

 しかし、今はいてもたってもいられなかった。



 やっぱり、……寝台の下?


 最初のころ、フランソワはひととおり寝室のなかを捜していた。

 あるとき、ふと気がついた。

 よくよく考えてみれば、部屋はエマや侍女たちによって気持ちよく掃除されているのだ。

 目につきやすいところに落ちているはずがない。


 もし、見つけていたら……?


 エマがそのことを、フランソワになにも報告しないでおくとは考えられない。


 ――エマなら、教えてくれる。


 そして、それらしいことをフランソワはエマからなにも聞いていなかった。


 他の家具の下や隠れていそうなところは、あらかた捜しおわっている。

 フランソワは床にはいつくばろうとして、が、すぐに起き上がってその場にしゃがみこんだ。


 …………こんなとこ、お母様に見つかったら……。



 曇り空とはいえ窓から注ぐ明かりは、フランソワのあるまじき姿をしっかりと照らし出していた。

 夜とは違う昼間の明るさが、フランソワをためらわせる。

 男の子の格好をして上の兄たちと同じように育てられているようでいて、両親も兄たちもエマもこういう部分は明確に区別していた。



 暫し、もんもんとしていたフランソワだったが、


 わたしが失くしたんだもの。――わたしが見つけなきゃ!


 たどりついた結論は、シンプルなだけに力があった。

 もっともな動機を得て、フランソワはもやもやとわだかまる抵抗感をどうにかはねのけた。




 そろそろと、寝台の下の床に腕をはわせる。

 もとより幼いフランソワの手が届く範囲など限られているのだが、同じ場所を、すでに無いとわかっているところを、フランソワの指は虚しくさまよっていた。

 夜であれば、見えていなければさほどには気にならなかった問題が、フランソワを次々と苛む。


 顔にあたる天蓋のやたらに立派な幕布、身を横たえた床はともすれば顔がつきそうだった。

 そして、寝台の下の狭くてしだいに濃くなってゆく闇……。

 目にふれる物すべてが、フランソワの集中をさまたげる。


 まさか、…………消えたりしないよね?


 自身が明るいところに身をおいているからこそ、明かりの届かない見えない場所へと伸ばしたじぶんの手が、闇に呑まれてしまうのではないかという錯覚にとらわれる。

 もう何度も手を出したり引っ込めたりして、今さらながらに、フランソワは「怖い」と感じた。



 ……もう、やめよう……。


 幾度、そう思ったかわからない。

 けれども床から上体をおこして座りこんだまま、フランソワはいっこうに立ち上がることができないでいた。


 悄然としたフランソワの脳裏に、ふわり、と浮かんでくる記憶のかけら。




「――きみが、大人になったときに……」



 フランソワの抜けるように白い肌が、赤く染まる。


 ――ここまでは、まだ覚えている。

 というより、ここだけは、……特に。


 このとき、――王子の顔がすごく近くにあって、つかの間とても真剣な瞳で、フランソワの胸がどくんとはねるほどに射抜いてきたのだ。

 びっくりして、何も考えられなくて、このあとの王子の言葉を聞き逃してしまうほどに。



 ――なんて、言ってたの?


 などと、聞き返すことなどできなかった。

 そんな余裕などなかった。

 後になって、とても気になったけれど。



 その言葉のあとに、王子の温かいてのひらがフランソワの両手をつつみ、その手にぎゅっと宝玉の入った小箱を握らせてくれた。



 …………。


 フランソワは、床にふたたび身を伏せた。





 思い切って伸ばしたフランソワの手の先に、床とは違うなにかが触れた。


 ――見つけた!?


 フランソワの胸がおどった。

 寝台の下に、肩をぎりぎりまで差し入れる。

 床をさぐる指先に力がはいった。

 


 かちり。


 微かに、なにかがはまったような音が聞こえた。



 ――――ガタン。


 …………え? いまの、って?



 ……ぎぎぎぃ……。



 重たいものが動くときの軋むような鈍い音が部屋に響いた。

 フランソワは反射的に、音のするほうへ顔を向けた。

 

 あの夜も――?

 こんな大きな音、していた?



「――フランソワ様?」


 隣の部屋から、侍女のけげんそうに問いかける声が聞こえる。


 

 はじかれたように立ち上がろうとして勢いあまったフランソワは、寝台脇にあるテーブルに倒れこんだ。




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