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寝室


「それでは、いつもどおりのお時間にお部屋に参ります。もしお昼寝の間になにかございましたら、隣りの部屋に侍女が控えております。合図をなさってくださいましね、フランソワ様」


 枕辺で、エマが念を押すようにフランソワに語りかける。

 フランソワはエマの顔をちらりと見て、それからいささか面倒くさそうに掛け具を首のあたりまで引き寄せた。


「わかってるわ。おやすみなさい、エマ」



 寝室の扉が閉まる。廊下をエマの足音が遠ざかっていくのを確認した。それでもしばらくの間、フランソワは寝台に横になったままじっとしていた。


 ――見つかったら、またもとに戻っちゃう。



 あの夜から、寝室に大きな長椅子が運び込まれ、毎晩フランソワにエマや他の侍女がつきそうようになった。

 熱があるのに、それでなくとも暗闇の苦手なフランソワを夜ひとりにはしておけない、娘の身を案じてのことだ、と母には言われた。が、どうにも見張られているような感じがして、寝付けない。

 たとえそれが部屋の片隅に設置され、彼女たちの姿が天蓋に隠れてフランソワの眼にふれなかったとしても、気配は感じる。むしろ見えないぶん、よけいに感覚が研ぎ澄まされてしまうようだった。


 ――もともとの不調にくわえ、満足に睡眠もとれない状態が続いた。




 フランソワの病状は一進一退、いっこうに回復のきざしがみられないことに、カトリーヌは焦燥感をますます募らせていった。

 ある日、たまりかねて詰め寄ったカトリーヌに、医者は静かにこう告げた。


 まずは、フランソワ様の神経おこころを休ませてさしあげてください。それが、なによりの治療になります、と。


 四日めにして、フランソワはようやく、息を潜めて鳥籠のうちで過ごす夜から解放された。




 母とエマには、ことさら心配をかけてしまった。フランソワの気のせいなどではなく、ふたりとも付き添いの件以外ではフランソワがすこしでも心安くいられるようにと、つねに心を砕いてくれていた。

 それは、フランソワもよくわかっている。




  王子たちの出発を見送ってすぐに寝室へと連れていかれたフランソワが長い眠りから目覚めたとき、まぶたは重く閉じられたままで、わずかに身じろぎすることしかできなかった。

 しばらくうつらうつらとした後に、やっと気怠いまぶたが持ち上がる。白い靄でおおわれた視界の焦点が、緩慢にではあるがさだまっていく。

 その眼が、最初に映し出したのは、ようやくにして目覚めたわがを見舞う母の顔だった。


 ――お母様、泣いてる……?


 その瞬間、そう思った。安堵の表情を浮かべ微笑む母を見て。




 ――いろいろなことがあった。驚いたことも、怖かったことも、なにより嬉しいことがたくさんあった。この短い期間に、まるで嵐にみまわれたように。

 なにもかもが未知の体験だった。どきどきとする出来事が相次いで、それまで変化にとぼしい毎日を過ごしていたフランソワに、これは、結果的にいくら楽しくとも負担となった。



 心身の許容範囲をこえてなかば放心状態のフランソワの心に、慈雨が降り注ぐ。

 忙しい合間を縫って病床のフランソワに寄り添う母の姿に、フランソワは素直に甘えた。

 母の醸しだすあたたかい息吹に浸りながらひとしきり、そうしていて、落ち着いてくると、ふと思うのだ。

 

 ……お母様、……疲れてる?


 受けとめきれずに、滴り落ちてしまったいくつかの雨粒がたてる波紋は、そうしたことが重なるたびにわずかずつだが大きくなっていた。


 フランソワが不甲斐ない己の身体を情けなく思ったのは、なにも今にはじまったことではない。だが、今回はとくにこたえた。




 それで、フランソワは少しでも気分がいいときには、母に話しかけていたように思う。

 それは、母を思いやってのことだったのか、それとも、―自らの不安をぬぐおうとしていたのか?



 とりとめもないなんでもない話には、母は笑顔で耳を傾けてくれた。ところが、王子のことに話が及びそうになると、母の澄んだ空色の瞳に影がさしてしまう。およそ他人にはわからないだろうその些細な変化を、フランソワの眼は、目ざとく見つけてしまう。


 そうしてフランソワのおしゃべりが途切れると、


「さあ、もうおやすみなさい。お話の続きは、熱がさがって元気になったらいくらでもしましょうね」


 母の柔らかい声音にうながされ、フランソワは目を瞑る。




 母もエマも、ついこの間まで滞在していた賓客である王子のことを、なぜか一言も口にすることはなかった。



 王子がフランソワに身を持って示した好意――あれはもう一方的に、といってもいいのではないだろうか、とフランソワも自惚れてしまいそうになるほどに強烈なものだった――は、ごく短い間でありながら、フランソワのうちにたしかに種を残していった。フランソワはそれを育てたくてたまらない。……無意識のうちにも。



 ――もうあんな素敵な経験ことは二度とはないだろう、……夢のように甘くて、きらきらとした宝物のような時間。


 幼い子供が母に話したいと望むのは、ごく自然な情の発露である。

 なのに、そうしようとするとなぜだかいつも微妙な空気に包まれる。

 フランソワはそれ以上、言葉を続けることができなかった。

 結局、――王子の話はおろか、母にもエマにもあの宝玉いしのことを聞きそびれたまま、今日まできてしまった。




 そして、――言葉にできないからこそ、その想いはうちへうちへと降り積もっていき……。




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