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曙光


 タリス子爵は王都から、シャルルによいものも、悪いものもたずさえてきた。

 シャルルが受け取ったものは、いずれも父王からの、宝玉と、帰還命令。


 シャルルが宝玉を喜んで頂戴しただけでなく、すかさずその場で使用して、最大限の成果をあげたのは周知の事実である。

 もうひとつは、――正確にはマルセルに対して出された国王からの命令書であるのだが、そこにはしっかり「随伴の神子とともに」の文言が記されていた。





 きっかけは、シャルルのわがままだった。

 他のことならいざ知らず、こればっかりは素直にきく気になれなかった。

 前回の訪問から二年。シャルルはこの次フランソワに会える日がいつになるか、首を長くして待っていた。とても楽しみにしてきたのだ。

 それを、――途中で切り上げて帰ってこい、などと。



 せめてもの慰めに、シャルルは曙光を浴びて花開くアイリスを見たい、と望んだ。

 それが、よもや――――。

 こんな時間に、こんな場所で、フランソワに出会えるとは。



 五歳の女の子の体当たりを、じゃっかん七歳のシャルルが受け止めるには無理があった。

 抱きとめようとしてよろけたシャルルの背中を、タリス子爵の手がさりげなく支えてくれた。おかげで、シャルルは子供ながらもフランソワの婚約者として面目を保つことができた。


 泣きじゃくるフランソワは、猫の子が甘えて鼻先をすりつけてくるように、シャルルの胸に顔を押し当ててくる。

 触れてくる部分が、熱くて、こそばゆくて……。

 彼女に頼られているのだという実感が、ふつふつとわいてくる。

 シャルルのはにかんでうつむけた顔に、フランソワの髪がかかる。幼子に特有の甘い匂いと、つんとした汗の匂いすらも愛おしくて……。

 そっとフランソワの背中に添えたシャルルの手は、さながら彼女の背にはりついてしまったかのように動かせない。もしほんのわずかでも動かしたら、今のこの思いがけない幸運な状況をつくりだしている微妙なバランスが崩れて、フランソワが離れてしまうのでは――という怖れが先にたって……。


 このひとときを、少しでも長く留めておきたい。


 今、シャルルの頭を占めているのは、その想いだけ。

 くいくいと押してくるフランソワを押し返すことができなくて、ともすれば後ろに倒れそうになるシャルルの身体をタリス子爵が支え続けてくれているのは、フランソワには内緒だ。



 やがて――慌てた様子で駆けつけてくる足音が無粋に狭隘な通路にこだまして、


「……殿下。……フランソワ!」


 ついで、シャルルの幸せな時間の終わりをつげる伯爵の声が響いた。





「僕も、急にここを発つことになったんだ。タリス子爵が相手じゃ、口でかなわないし、何かしたとしてもすぐに見破られるだろうし……」


 シャルルたちは、アイリスの見える件の小部屋へと場所を移した。

 薄暗い室内のしんとした空気を、差し込む幾重もの光の帯がまだらに照らしだしている。窓辺に寄れば、流れる滝の水を通してもなお眩いばかりの冴え冴えとした光と、滲んで見える早天と庭を眺めることができた。

 日が昇る瞬間を見たいという望みはかなえられなかったが、シャルルにとってそれは二次的な願いでしかない。

 清浄な気が大気に満ちる早朝に、再びこの部屋でフランソワと一緒にいられる。

 これ以上ない巡りあわせに、らしくもなく浮き足立っているのだろう。シャルルはフランソワに向けて饒舌に語りだした。


「先を急ぐ伯爵たちとはどうせ使う道も違うんだし、別行動になるんだったらなにも今日でなくてもいいだろう、とずいぶんねばったんだけど、今回、僕はマルセルについてきちゃったからね。僕と違ってマルセルは神殿での仕事が待ってる。こちらに来るときにはいい案だと思ったんだけど、それがここにきてあだになっちゃった」


 マルセルとシャルルの二人は、王都まで馬車に乗っての移動となる。ましてマルセルは高齢なうえに、持病もある。急ごうにもおのずと限界があった。であればなおのこと、出発の日を先延ばしにすることはできない。


 流れる水に乱反射する陽射しに、窓辺にたたずむフランソワの髪が柔らかく溶け込む。

 逆光のなか可憐なその姿を前に、昨日の己の思いきった行動がやはり間違っていなかったという思いがこみあげてくる。シャルルの頬が自然とゆるんだ。


「それなら最後にもう一度あの場所へ行きたい、それが条件だ、って、むちゃくちゃだけど子爵から伯爵にかけあわせた」


 正確には、シャルルはタリス子爵に、「アイリスが見たい」と伯爵への伝言を頼んだ。どうせならと日の出の時間を指定したのは、こんな不本意なかたちで急遽この地を離れることになったのだ。接点の少ない二人の将来にとって、少しでも明るい未来を予兆させてくれるものをシャルルは欲した。理由を一応訊かれたが、「それが条件」の一点張りで押し通した。



 この国の外務卿もつとめる重鎮、グレアム候爵の継嗣であるタリス子爵は柔和な物腰と文字通りの腰の軽さから、宮廷の貴族たちのなかには影で彼を侮るものも多くいる。国王が彼を側近くにおいているのは、父であるグレアム候の多大な功績と王妃である姉の七光りゆえである、とのもっぱらの噂だった。当のタリス子爵もそんな評判を逆手にとって形ばかりの官職につくのみで、「父の跡を継ぐにはあまりに経験不足」を口実に、見聞を広めるためと多忙なはずの時間の隙をひねりだしては身軽にあちこちを旅してまわっていた。


 しかし、そんな嫉妬と羨望の入り混じった無責任な風評ほど真実とはかけ離れていたりするものである。子爵に近しい者たちはそのことをじゅうぶん承知していたし、七歳の子供であるシャルルでさえも、本当の彼がどういう人物であるかをよくよく知っていた。



 交渉事で遅れをとったことのないタリス子爵であるが、この屋敷の隠し通路が絡む事柄なので、まさか伯爵からシャルルだけでなく子爵が同行することをもかちとってくるとは、シャルルは予想していなかった。

 どうやら通路の秘密がタリス子爵に知られることより、子爵をつけておいてシャルルの手綱を握っておくほうに、伯爵の天秤が傾いたらしい。


 タリス子爵がついてくると聞いたときには驚きはしたものの、とくにこれといった計画もなく、ただフランソワと過ごした場所でもう一度アイリスを眺めたかっただけだったシャルルは、さして気にすることもなくそれを受け入れたのだが……。


 ――こんなことなら。なんとしてでも、子爵をおいてくるのだった。





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