中編
久しぶりに会う王子は、驚くほど親切にフランソワを出迎えてくれた。
病気療養が長かったフランソワは、王家と姻戚関係にありながら、じつは王宮へは一度も足を踏み入れたことがない。それどころか、伯爵家と保養地の屋敷以外には、ほとんど出かけたことがなかった。
離宮とはいえその壮麗な外観を前にして、フランソワの足がすくんだ。
そんなフランソワの様子に気づいたのか、王子は恭しくフランソワの手をとりあげると、緊張で萎縮した彼女を宮殿のなかへといざなってくれた。
やっぱり、おきれいだわ。ううん、子どものころより、何倍もごりっぱに凛々しくなっておられる。
軽い午後のお茶のあとに、フランソワは王子から、王妃ご自慢の庭園の散歩にと誘われた。
王子の風になびく金の髪は陽の光を浴びてきらめき、白皙の端正な顔だちは気品にあふれ、サファイヤの双眸は優しくフランソワを見つめている。
フランソワがほうっとみとれ、ドギマギとしている間に、王子の手が腰にまわりフランソワはさりげなくエスコートされていた。
それと気づいたフランソワがぴくりと固まって動けなくなると、なだめるような眼差しが注がれる。
美しい王子に、夢のように美しい庭園を案内されて歩くうちに、フランソワは当初の目的をわすれて舞い上がってしまった。
武闘派の父や兄たちの颯爽とした男らしさとは異なる魅力に、洗練された王子の立ち居振る舞いに、うっとりと見入ってしまう。
こんなかたにのぞまれる女性は、さぞかしお幸せでしょうね。
などと考えて、そこではた、とフランソワは思い出した。
わたしは、このかたと、お見合いをしているのだわ。
気づいたとたん、フランソワは顔が赤くなるのがじぶんでもわかった。
どうしよう?
父の顔が思い出されてきて、フランソワの歩みが止まる。
その直後に、こちらを振り返った王子の口からフランソワに思いもよらない言葉がもたらされた。
混乱の極み、とは、今まさにわたしの状態をさす言葉だろう、とフランソワは思った。
順をおって考えてみる。
わたしは、シャルル王子とお見合いをするために、この離宮をおとずれたはずだった。
「まずは、お疲れでしょうから」と、庭園のかわいらしい東屋で、かぐわしい紅茶と王都で最近人気急上昇中のとっても美味しいお菓子をいくつかいただいた。
その席で、これだけはお伝えしなくては、とお屋敷を出る前からいくども練習してきた、王子の誕生祝いの贈り物へのお礼の言葉を申しあげた。
途中つかえてしまって思いがうまく伝わらなかったのではないか、と不安になったけれど、王子のはにかんだような笑顔に救われて、気持ちもお腹もほっこりと満たされた。
それから人払いがされて、殿下のご案内で庭園をゆったりと散策していた。
そこで突如として告げられた、「あなたとの婚約は無かったことになると思う」――――。
………………。
? ? ?
わたしは、殿下とお見合いをしていたのだったわよね。
お見合い……って、、お互いの相性をみるために、顔を合わせることではなかったかしら?
そりゃぁ、王家と貴族の間でとなったら、限りなく結婚を前提としたものに間違いはないのでしょうけれど。
でも、結婚のお約束を交わした婚約、とは違うわよね。
それなのに、……なんでいきなり一足飛びに、婚約解消の話がでてくるの?
もしや、どなたかとお間違えなのでは?
いやいやいや。仮にも一国の王子が。そんなあり得ないでしょー。
でも、もし。ほんとうにそうだったら?
………………。
いえいえいえ。目の前のこんなに麗しい王子様がそんなザンネンなかただったなんて、思いたくない。
それに、毎年フランソワの誕生日に届けられる贈り物に添えられた王子直筆のカードの字は、流麗な筆致で彼の知性と人柄をしのばせるものだった。
フランソワからの返事を期待していないのか、年々短くなっていったけれども。
……ああ、でも。
これで、わたしが殿下のこの言葉を受けいれれば……。
なにがどうなっているのかはサッパリわからないけれども。
殿下はわたしと結婚をなさるおつもりはないらしい。
わたしも、殿下とご結婚だなんて……。そんな恐れ多いこと、露ほども。
…………。
あ~~子ども心に憧れたことはあったかもしれないけど。
わたしみたいな体の弱いものが、と早々にあきらめて……。
でも。健康になったら――――。
健康になった姿をお目にかけて、殿下に微笑んでいただきたい! という夢をバネにがんばってきた。
ニガイお薬も、キライな人参も、ほかのひとにはなんでもなくて、わたしにはつらい運動も。
もう、みすぼらしい青白い顔でお会いして、殿下の柔和な笑顔のしたにがっかりした気配をさとっておびえたくない。
…………。
わたしったら、なにを?
心のうちの奥底に封印してきた想いが、あふれだしてきてしまった。
カン違いしてはダメよ、フランソワ。
そもそもわたし、このお話を殿下からお断りしていただくために、ここに来ているのだし。
それで、すべてが、丸くおさまる。
と考えて。ふいにフランソワの心は、いいしれぬ寂寥感におそわれた。
「……はい」
今日わたしは、あれほど焦がれていた殿下の微笑みを間近でたくさん見せていただいた。
それも昔より、格段にすてきな笑顔を。
夢はかなったのだ。だからふたたび、あなたの笑顔が曇る姿を見ていたくはない。
閉じた扇を両手でぎゅっと握りしめ、いつのまにか固く引き結んでいた小さな唇の端をあげて、せいいっぱいの笑顔で殿下に承諾のお返事を――――。
憂い顔の王子の顔が、ほっとしたものへ変わるかと思いきや。
王子の表情が、ますます苦悶の色を深めていく。
……どうしたのかしら? ちゃんと聞こえなかったのかしら?
ではもう一度、と声を出そうとするものの、さっきのひとことを絞り出すので気力を使い果たしてしまったようだ。フランソワの喉は、かすかにふるえるだけだった。
そんなとき――――。
「わたしは、あなたを諦めるつもりは、毛頭ない!」
突然の、王子の爆弾宣言!
憂いを帯びた表情から一変、シャルルが白皙の頬を紅潮させてフランソワの手を扇ごと握りしめてきた。