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王家  ~マルセル~


 フランソワが窓から一心に見つめる先にはブナの並木、その間を通る道をたどっていくと屋敷の広大な敷地と壁を隔てて接するレムの村へ出ることができる。

 だがこの屋敷に移ってから、療養中のフランソワが村へ降りていくことは、たぶんない。

 これまでが、そうだった。



 レムの属するカトリーヌの女領主である母はもちろん、他にも所領を抱え多忙なはずの父までがなにかと都合をつけてはフランソワの顔を見に療養先の屋敷へと足を運んでくる。

 騎士見習いとして王宮へあがっている長兄のシャルルと次兄のユルグも、休暇になると領主館ではなくフランソワのいる屋敷へとやって来た。


 父母や兄たちを迎え、見送るのは、いつもフランソワだ。

 ついていきたい、とどんなにフランソワがねだっても、これだけはかなえられることはなかった。



 フランソワの今年の療養先にあてられたレムの屋敷は立派だが古めかしい建物で、改装をされてはいてもなおいろいろと使い勝手が悪く、侍女のエマや他の使用人たちも大変そうにしている。

 フランソワも母にないしょで父にこっそり、去年いた屋敷のほうがよかった、とこぼしてみた。


「それは困ったな。フランソワに会いたいというお客様が、もうすぐこの屋敷においでになる。おまえのことをなにかと気にかけていてくださってて、毎年の療養先選びにもお知恵をかしてくださってるおかただ。おまえに会うのを楽しみにしていると、お手紙をいただいたばかりだったのだが……」


 フランソワは、小躍りして喜んだ。

 家族以外に、フランソワを目当てにたずねてくる客など、彼女はついぞお目にかかったことがない。

 しいてあげれば医者くらいのものだったが、帰ったあとに薬の味が苦く変わっていたりなどの置き土産を残していく相手を、客と呼ぶには抵抗がある。



 客といえば、二年前にローレの屋敷に来た男の子は、フランソワに強烈な印象を残していった。あの短くもやたらに濃い出来事を上書きするような事件など、フランソワの身にそうそう起きるわけもない。


 幼い子供の頼りない記憶とはいえ、――――なかでも、あの蕩けるような笑みは忘れられないほど強烈だった。

 その男の子が「王子様」だと聞いて、それ以降フランソワは物語りに出てくる「王子様」の姿が彼に置き換えられて思い浮かぶようになってしまったくらいである。


 彼がいた、いや来訪したその日の朝からの半日にも満たない短い時間を、フランソワはめまぐるしく過ごした。

 そのひとときは、フランソワにとって初めて経験することばかりであった。


 二年前のあの日に、――――フランソワはそれは可愛らしいドレスを着て、たいそう綺麗な王子様をお迎えして、すこぶる世話好きなその方のお相手をして、お昼寝をしている間にその方がお帰りになったあと、……熱を出してしばらく寝込んでしまった。


 その子の滞在中フランソワと遊んでいた時間が一番長かったように思うが、とても珍しくて大切な客というので、父こそ仕事で不在だったものの屋敷をあげて彼をもてなしていた。

 だから彼の訪問の目的が、まさにフランソワに会うため、だったとは彼女はゆめ知らなかった。




 今日王都から来る客人は、フランソワにとって「初めてのお客様」――――。



 その人も、ふだん王都から離れることのないとても珍しい客なのだとカトリーヌから聞いた。

 もしやまたドレスを着ることになるのでは、とふと思ったフランソワだったが、その不安と期待のないまぜになった気持ちは肩透かしを食ってしまった。


 今日のフランソワのいでたちは、兄たちと同じように男の格好だ。

 二年前のような正装ではなく、家族皆、普段着より質がよく色使いなどにセンスと品のよさがうかがえるものを着用していた。


 髪型も二年前とは違う。脇に届く長さまで伸びたフランソワの髪は、成長とともに軽やかなウエーブがより目立つようになった。フランソワにしてみればからまりやすく厄介でしかないくせっ毛だが、少し手をくわえてやるだけで華やかな巻き毛に変貌する。


 エマは今回もわけありお嬢様のおめかしに手腕を発揮した。くるくると波打つ毛の流れを整えてふんわりと仕上がった蜂蜜色の髪を、ボリュームを損なうことのないように項のところでひとつにくくる。

 リボン選びには、今回はフランソワも参加させてもらった。

 色も素材も大きさも数あるなかからフランソワは、しっとりと艶のあるブルーのリボンに決めて結んでもらった。


 二年前よりずっと短くすんだおめかしの時間のあとも、鏡の前で、横を向いたり後ろを向いて背中越しに振り返ってみたりと出来上がった自分の姿をそわそわとチェックするフランソワの様子を、母とエマが視線だけを交わして笑いあっていた。




 眼下に広がる敷地と村の景色を見渡せる居間の窓際には小さなフランソワが見やすいようにと、長兄のシャルルが出かける前に場所を移動してくれた椅子がある。

 シャルルは父にしたがい、領主館まで客人たちを出迎えに行っていた。




 四月の終わりのひんやりと爽やかな風がぬるみはじめた頃に、王都から来たという客人を乗せた馬車が並木を抜け門をくぐりこちらへ走ってくるのを、フランソワは見つけた。

 フランソワは早速、母と兄たちに知らせようと声をあげた。





「フランソワかい? 大きくなったねぇ、見違えるようだよ。でもまだまだ細っこいね」


 フランソワはエメラルドの瞳を瞬いた。

 その瞳に映るお客様の顔は、楡の樹肌のように深いシワが刻まれている。

 ゆったりとした灰色のローブにほっそりとした身をつつみ、同色のベールで肩のところで切りそろえた真っ白な髪を覆っている。薄い色の碧眼は底の見えぬ池の水を見ているようで、いたたまれなくなったフランソワはお客様の視線から逃れるように下を向いてしまった。


「わたしのような年寄りを見るのは初めてかい? わたしはマルセル。おまえさんの母親の親戚にあたる者だ。持病のリウマチの療養で、しばらくここでお世話になるから、よろしくお願いしますよ」


 男の人のようにざっくばらんだった口調が、最後のほうは女の人みたいだった。

 声はしわがれているし髪の毛は短いし顔に化粧もしていない。でも男の人ともなんか違う。

 フランソワは隣にいたカトリーヌのドレスを、ぎゅぅっと握りしめていた。


 

「シャルル殿下は予定どおり、伯爵と明朝ここへ到着なさる。おまえさんたちからもらった手紙によると、殿下と一緒に来たんでは殿下にフランソワを独り占めされてしまいそうだったからね。あらかじめ殿下には内緒で伯爵にお願いをしておいて正解だったよ。カトリーヌまでの道中、殿下と顔をあわせると、話題はフランソワのことばかりだったんだから……」


 二年前とちっとも変わらぬらしい殿下の様子に、苦笑するカトリーヌとしらけた表情の三兄弟にマルセルは鷹揚にうなずくと、


「……懐かしいねぇ。子供の頃はわたしも身体が弱くてね、王都での生活がつらくなる夏と冬の間はここに来て過ごしたもんだったよ」


 ぐるりと辺りを見回して玄関ホールへと歩き出す。

 不在中の主にかわり、ユルグがさっと老婦人のエスコートを買って出た。





「マルセル様には、思いのほかお元気のご様子で安堵いたしました。こちらへ療養にいらっじゃるとお聞きして、わたしも夫もそれは心配しておりましたので」


 マルセルが滞在中使用する客間に彼女を案内すると、カトリーヌはユルグと侍女を退がらせた。

 二人きりになって、カトリーヌが自らカップに紅茶を注いで彼女にすすめる。


 ここはマルセルが子供の頃ここを訪れるたびに使っていた部屋だった。ファブリックなどは別にして、屋敷が王家のものだった当時の面影を色濃く残している部屋のひとつだ。


「まぁ。変わりはあったよ」


「……と、おっしゃいますと?」


「わたしの後継者に、ジョルジュ殿下の名前があがっている」


 思いもかけない方向からの返答に、カトリーヌはつかの間口ごもった。


「それは、……ほんとうですか?」


「まだ決まったわけじゃない。わたしも殿下とは数えるほどしか会ったことがないからね。まあ以前から病弱だと噂があるようだが、だから「マルセル」にと推されてるようで。……母親をなくしたうえに、後ろ盾になってくれるはずの母親の実家も今じゃ当てにはできない有様だそうだし。そんな子供を、と気の毒な気がしているよ」


 ジョルジュ王子の母親とは、すなわち亡くなった前の王妃だ。ドニ公爵家から十七のときに国王に嫁いだ女性だが、ジョルジュ王子を出産後、産後の肥立ちが悪くてそのまま儚くなってしまった。

 実家の公爵家は大蔵卿だった前王妃の父親の死後、兄が跡を継いでから、徐々に往時の勢いが衰えてきている。


 ジョルジュ王子にそのような話がもちあがっていることを、カトリーヌは知らなかった。

 所領のカトリーヌへと旅立つ前、挨拶もかねて王宮へうかがった折に会った不憫な甥と、前王妃の顔が思い浮かぶ。

 四人もの元気な息子たちと身体の弱いフランソワ、夫に多くをゆだねているとはいえ領主としての務めなどに追われて手一杯で、彼のことを忘れがちになっていたことをカトリーヌは申し訳なく感じた。


「……マルセル様、の例があったからでしょうか?」


「それも、あるんだろうね……。「マルセル」は還俗して国王となった初代のかわりに、神殿につめて神様に祈りを捧げる役目だ。初代が男だったからその役を担う者も、本来は男のほうが望ましい。だけど途切れることなく代々のマルセルを王子から選ぶってのも存外難しくてね、王子なら誰でもってわけではないし。ならば王族のなかから男子を、という意見も過去には何度かあったようだけど、そもそも初代がたてた誓約により必ず王家の者のなかから選ばなくではならない決まりがある。それで、……王女がつとめることもある。わたしが子供のころは適当な王子がいないというんで、わたしが神子になり「マルセル」となって長らくつとめてきたんだが……」


 今カトリーヌの目の前で紅茶をすすっている「マルセル」は、彼女の大叔母に当たる女性である。

 俗世で暮らしていた頃の彼女の名は、「シモーヌ」といった。


 神殿の神子を経て「マルセル」となったその日から、彼女は女でもなく、ただ神につかえる僕としてその生を生きてきた。

 来る日も来る日も、国王とマルセル以外立ち入りを許されぬ神殿の最奥部、長く続く階段の先にある祭壇をただ一人で浄め、民からの多くの捧げ物のなかから自ら選り分け、また手ずからこしらえた供物を天に供え、祈りを捧げる。

 国王の名代として、ひたすらに天に精誠を尽くす日々……。


 カトリーヌの憂いを感じ取ったのか、マルセルがことさらに明るい調子で続けた。


「そんな顔をしなくてもいいよ。おまえさんたちにしてみれば苦労ばかりが目につくのかもしれないが、そのぶん恵みもたくさんいただいている。前にも話して聞かせたろう? 法名の「マルセル」は男の名前だ。その御名をお預かりして、女の身でしかも身体の弱かったわたしが男でも厳しく重いお役目を果たしていくに不足している分を、天に補っていただいている。王宮で世話をされて過ごしていたときより見栄えもよくなって、天の恩恵を感じるって、わたしに会うごとに妹が言っていたよ。わたしも、つくづくとそう思うよ。わたしなんかよりずっと元気だった兄妹たちをこのわたしが見送ることになるだなんて、神殿にはいる前のわたしを知る者なら誰も思ってもみなかったろう」


 ここでマルセルは、いたずらっ子のような笑みを浮かべた。


「それに今頃は、陛下がわたしの代わりにおつとめに励んでいてくださってるよ。これまでは年に二回、三日間だけだったのが、わたしの年齢を考慮した皆のはからいで、今回はひと月も陛下にお役目を代わっていただけることになった。陛下も昔に比べりゃ神殿づとめもだいぶ板についてきたし、わたしと違って他の者にかわっても支障のない部分はもれなく任せてしまってるだろうから一日かかりきりなんてこともない。神殿を出てカトリーヌへまた来られるなんて、……まったくこんな日がくるなんて夢にも思っていなかったよ。長生きはするもんさね」


 もともと国王が果たすべきであったものを、マルセルが代わりに行っているのだ。

 国王の代理人であるマルセルが他者に任せることはできないが、当の国王ならばそれをしても許される部分もある。



 そのあたりの事情を知るカトリーヌも、マルセルの長年の労に感謝し花のように美しい微笑を返した。


「マルセル様の助言を頂戴していなかったら、と思うと背筋が寒くなる思いがいたします。フランソワのことでは、夫もとても感謝しております」


 男の名でフランソワを呼ばせる。――――その知恵をカトリーヌに授けたのは、マルセルだった。


「どうやら、役にたったようだね。生まれてすぐのあの子は、……ずいぶん気をもんだものだったが、血色もよくなって。あれは将来、おまえに似て美人に育つだろう」


 生まれたばかりのフランソワは、明日をも知れない虚弱な赤ん坊だった。

 ようやくに生まれた女の子。

 伯爵夫妻は喜びもつかの間、愛しい娘の命をつなぐためにあらゆる手を尽くし奔走した。

 そんなとき、夫のために王都の屋敷で出産をしたカトリーヌのもとを、国王から話を聞いたマルセルが駆けつけてきた。




 言葉には、力が宿る。

 それが、個人を特定し象徴する名前ならなおさらである。


 マルセルが娘のために、祈る言葉をカトリーヌは間近で聞いた。

 それは、驚くほどにシンプルで、だからこそ重くカトリーヌの胸を打った。


 決まりきった祈祷文の一節一節が、人としてごく当たり前の幸福を願う言葉で占められている。

 平時であれば気にもとめないようなありふれたことのひとつひとつが、どれほど貴重でありがたいものであるのか。

 娘を喪うかもしれない、という不安と恐怖と必死に闘うカトリーヌの心に、その祈りは熱くしみて広がっていった。



 マルセルが天に奉げる祈りは、地上に暮らす人々の願いの精華なのだ、と彼女は語った。

 だからこそ、日々祈りを奉げるなかで、強く感じる世界がある。


 言葉には、波動がある――――。




 

「……マルセル様のおかげにございます」


 当時を振り返りしみじみと語るカトリーヌに、マルセルは身をのりだした。


「およし、他人行儀な。それにわたしは、自分の経験を語ったにすぎないよ。そんなたいそうなお礼を言われるほどのことじゃない。それより、おまえの顔ももっとよく見せておくれ。すっかり衰えてしまったわたしの眼に、おまえの美しい顔はこのうえもない保養になるからね」




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