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出会い

 

 ――――「フランソワ」――――


 シャルルが初めてその名を耳にしたときは、不思議に思ったものだ。


 その日、シャルルは父王がお相手の女の子、――シャルルの婚約者の名前を教えてくれるというので、朝から、いや夕べから、いやもっと前からソワソワと落ち着かない日々を過ごしていた。

 さんざんもったいをつけた父王は、その子の三歳のお誕生日に、いよいよ名前を明かしてくれると約束していたのだ。

 ねばりにねばって、どこの誰か、というところまでは聞き出していたものの、やはり名前がわかっているのとそうでないのとでは大違いだ。


 情報元の父王が、その子を最後に見たのが赤ん坊のとき、ではてんでお話にならない。

 その子の母が父王の自慢の姉で、――だからきっとよく似ているにちがいない、と言うのだが、そんなのどこまでアテになるものか……。


 とにかく、イメージが、いまひとつわいてこない。


 せめて、名前だけでもわかれば。

 子供のシャルルがこれまで出会ってきた人々は数からすればそう多いとは言えないものの、名前から受ける印象とその人となりとは、さほどにかけ離れていない気がする。


 すこし前にその子の兄だという子供と対面したが、シャルルが見たこともない日焼けした肌をしていて、ちょっと予想外な衝撃をうけた。


 この兄に、その子は似ているのだろうか?


 造作は悪くはない。むしろ整っているといっていい。

 ――――が。

 どこからどう見ても、男の子だ。

 上級の貴族の子弟には珍しいほどの生命力に満ちていて、シャルルは一目見てしなやかな獣を連想した。

 アレンというその男の子を、女の子らしくおきかえてイメージしようとしてみたのだが…………。


「…………」


 シャルルは頭を振った。さらさらの柔らかい金の髪が、シャルルの動きを追って軽やかに揺れる。


 やっぱり、違う気がする。

 シャルルの数少ない事前情報では、玲瓏たる「絶世の美女」を母にもつ娘、――――というふれこみだったからである。



 だから、その名を聞いたとき。

 アレンの姿が目の前に浮かんできて、思わず間の抜けた声を出して、父に聞き返していた。


「…………ぇえ~と? フランソワ? ……それって……」






 今日は、朝からなんだか変だった。

 正確には、昨日のお昼過ぎからだろうか?


 フランソワは目の前の衣装箱の上に並べられたそれらをながめて、ついでにちょんちょんとつついてみた。


 フランソワが普段身につけている衣服は、兄たちのものにくらべて彩りが明るくて色味も豊かなものが多い。

 が、今フランソワが手にしているそれらは、もっとずっと綺麗でかわいい、とフランソワは思った。

 かたちは、母や侍女のエマが着ているものとだいたい同じだ。


「あら? それが気に入ったの、フランソワ?」


 母のカトリーヌが、ちょうどフランソワがオーガンジーの部分をいじっていた衣服に目をとめた。

 透け感のある生地が面白くて、生地の下に自分の小さな手をもぐらせて布越しに握ったり開いたりして遊んでいたのだ。

 

「うふふ。やっぱりかわいいのがいいわよね。生地はあちらのほうがいいんだけど。いいわ、これにしましょう」


 母はいつになくウキウキしている。

 母はそれをフランソワの手からやさしく取りあげて、フランソワの身体にあてがった。


「ああ! よく似合うわ、フランソワ! 想像以上よ。やっぱりつくっておいてよかったわ!」


 母が花のように美しいその顔を、薔薇色に上気させている。

 カトリーヌのテンションにあてられて、なにがそんなに嬉しいのかよくわからないままフランソワの気分もしだいに浮きたってきた。


「髪はどうしようかしら? もうすこし長かったら、結い上げたり編んだりいろいろとできるのに」


 フランソワの蜂蜜色の髪は両サイドが耳の下にかかるくらいのショートカットで、はっきりいって男の子の髪型となんら変わらない。

 しかしふうわりとウエーブのかかるその髪は手入れがゆきとどいて艶やかで、とびぬけて白い肌は有明の新雪のよう、きらめくエメラルドの瞳は吸いまれそうなほどである。

 顔立ちは母のカトリーヌによく似ているが、成長すれば繊細なつくりの母親より心持ちぜんたいに線がしっかりした面差しになるのでは、と思わせる――。


 些細な差だが、この特徴はフランソワの日常においておおいに役立った。


 兄たちと同じ服装に身をつつんだフランソワは、伯爵家の兄弟のなかでも、「とびきりかわいい男の子」――――として、療養先のカトリーヌで過ごしていたのである。




「…………」


 ドレスを手に盛り上がる母の様子を、フランソワは不思議そうにながめる。

 下着からして、今日はいつもと違うものに着替えさせられた。


「これを、着るの?」


 フランソワはぱちぱちと瞬きをして、淡いオレンジ色をしたタフタ地のドレスを見つめた。首周りには品よく繊細な刺繍がほどこされウエストの切り返し部分から裾へと広がるオーガンジーがさながら花びらのように幾重にも重なっている。


「……そうよ」


「わたしが?」


「そうよ。今日は特別。おめかしをするの」






 できあがった姿見の前の自分を、なんだかみょうちくりんだとフランソワは思った。

 しばし首をひねって、母を見てエマを見て、髪型のせいか、と思いいたった。

 二人とも、長く豊かな髪をかたちよく結い上げている。


 そういえば、常よりずっと時間のかかったこの着付けのなかで、母がもっとも心を砕いたのはフランソワの短い髪のことだった。


 フランソワが髪に飾りをつけるのをいやがったので、エマが前髪のまんなかの部分をふわりとゆるめに持ち上げて紐でとめ、ドレスと共布のリボンとレースの細いリボンを使って飾ってくれた。はじめシフォンの大きなリボンで頭を飾ろうとしていたようだが、ウエストに巻くサッシュとのバランスがよくないというのでやめにしたようだ。

 顔のまわりや襟足の髪を巻いてボリュームをもたせて、いくらかは女の子らしい雰囲気にしあがった。


 髪のセットが終わる前からごそごそと落ち着きをなくしていたフランソワはすぐにこの問題に見切りをつけた。というよりどうでもよくなったフランソワは、別のことが気になりだしていた。


 腰から下が重いし、なのに心もとない、というか、すかすかしている。

 とくにドレスをかわいく見せるために一役買っているという、パニエとかいう下着の一種が気になってしようがない。

 腕を自然におろそうとすると当たるのだ。


 フランソワの年齢であればしなくてもいいようなものなのだが、

「今日は特別なの。お客様がいらしてる間だけでいいのよ、ちょっとの間だから辛抱してちょうだいね」

 と、すっかり着替え終わってから、母に可愛くお願いされてしまった。

 


 居間へ行くと、フランソワだけでなく、兄たちもきっちり正装していた。

 各々の体型にあわせて仕立てられた膝丈まである長いコートは身体にしっくりと馴染み、精緻な刺繍が最上質の生地をより引き立てている。首に巻いたスカーフと上着の袖口にあしらわれたレースの白が、洗練された印象を与えていた。


 ドレス姿のフランソワと違って、直線的なシルエットの衣装に身をつつんだ兄たちはぴしりと決まっていて、とても素敵だ。

 

「……わたしも、お兄様たちと同じがいい!」


 そうフランソワが言いだす前に、兄たちがフランソワのドレスアップした姿を口々にほめてくれる。

 かっこう良くて妹にめっぽう甘い兄たちに囲まれて、フランソワはご機嫌である。

 先ほど抱いた考えのことなど、ころっと、忘れてしまった。





 これから尊いお方にご挨拶をするというので、フランソワは即席で練習をさせられた。

 いつも兄たちにひっついて真似をしてきたフランソワだったが、今回はそれではダメだという。


 フランソワの記憶にあるかぎり、彼女がドレスを着るのは、これが初めてである。

 立っているだけでも不自由だというのに、このうえその場所まで歩いていっていかにも貴族の令嬢らしく「礼をとる」など、期待するほうがどうかしている。

 それに、まだ三歳の女の子、という免罪符もある。


 それらしく見えさえすればいい、とフランソワの出来に関して、カトリーヌもあまりうるさくは言わなかった。




 そろそろと、慎重に足を進める。

 子供用のドレスは丈が短めにつくられているというが、着慣れていないフランソワは裾をふんづけてしまいはしないか、と気掛かりでならない。

 おぼつかない足取りで足元ばかりを気にして、先を歩く長兄のシャルルの脚のあとを追って懸命についていった。

 ときどき長兄が立ち止まって振り返り、フランソワを待っていてくれる。

 アルティエ家の男には珍しく優美な雰囲気をたたえた長兄のその慕わしい微笑みに、フランソワの小さな胸にがんばろう、という元気がわいてくる。


 そんなことを何度も繰り返しながら、兄妹は屋敷で一番いい客間の中へ、入っていった。




 兄が立ち止まったので、フランソワも足を止め、顔を上げた。

 今度は兄は、フランソワのほうを見てはいなかった。


 兄の背中の向こう、居並ぶ大人たちの真ん中にただひとり、一番下の兄と同じ年頃の子供がいる。


 ずいぶん、華やかな子供である。


 彼だけがまっすぐにこちらを向いていて、なぜかはわからないがフランソワの前にいる兄たちを通り越し、自分がその子に見られている気がした。



 順々に挨拶をすませた兄たちが後ろへと移動していき、その子とフランソワが相対するかたちになった。


 とんでもなく綺麗な顔をしているが、身に纏う服装は兄たちと同じデザインのもののようだ。

 けれどもっと煌びやかで見るからに豪華な衣装をいやみなく着こなしたその子供は、紅い唇をかすかに開けてフランソワを見ていた。



「…………」


 きょと、とフランソワが、男の子のサファイアの瞳と視線を合わせる。



 すると男の子の頬が薄紅色に染まり、彼は、――――花のように笑った。


 満面の、笑みであった。





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