夏の日の夢 9 ※
※今回、ほとんどがアレンとエルガー伯爵(主人公カップル以外)視点のおはなしになります。
「こーいうのって日頃のたゆみない鍛錬がものを言うのであって! いいところを見せたいからってそのときだけ頑張ったって、せいぜいやらないよりはマシって程度だと思いますがね、殿下!」
長々と嫌味まじりの文句を並べたてるアレンの前を華麗にスルーし、シャルルは今、乗馬の訓練の真っ最中である。
――――今度の休暇はカトリーヌで過ごそうと思う。
午餐の席で語られた国王の提案に、シャルルは一も二もなく賛同した。
そしてその日の午後には、王宮の馬場に、座学で手いっぱいだからと怠りがちだった乗馬の稽古に熱心に励むシャルルの姿があった。
ようやくやる気を出してくれた王子の姿に、乗馬の教育担当の騎士は感慨ひとしおである。
――――が、アレンは違った。
速攻でこの日予定していた範囲の学習を終え、所定の時刻よりずいぶん早く馬場に駆け込んできたシャルルの行動が予想どおりであったことに、思わずひきつった笑みが浮かんだものだ。
ファウリーシュの初代国王が神官出身だったこともあり、王族が修めるべきと定められている教養分野は宗教学をはじめ歴史、法律、経済はもちろん文化面などじつに多岐にわたる。大臣や一流の学者、芸術家らをそろえた教師陣からシャルルが受けるそれらの教育の内容は、いずれも最高水準の質を誇りかつ膨大な量であった。
そもそも。習得しておくべきことが多すぎてカリキュラムに遅れが出そうだから、と乗馬にあてる時間を削って他の授業にまわしてたんじゃないのかよ。
やる気になりゃぁ、半分の時間でできるんじゃねーか!
まったく、関心のないことにはたらたらと手を抜きまくりやがって!
アルティエ家の男たちは裸馬も乗りこなす乗馬の名手ぞろいである。
そのためシャルルの乗馬の稽古には、アレンも毎回つきあうことになっていた。
そのたび、教師とともに馬場で何度待ちぼうけをくらわされたことか。
同年代でありながら年端もいかぬ子供の頃から大人顔負けの実力者であったアレンが一緒に稽古することで、シャルルのプライドと競争意識を刺激してすこしでも乗馬にまじめに取り組むように、との周囲の思惑はあえなく空振りに終わっていた。
上の王子たちにはつかえた手も、「やる気」の基準がひととは異なるシャルルにかかっては、のれんに腕押しである。
厩舎から馬場に引き出されていたシャルルの馬のマルクが走りたそうにしているので、シャルルにかわっていつもアレンが騎乗して運動させてやっていた。おかげでシャルルなどより、よっぽどマルクの性質もクセもわかっている。
だからよけいイライラするのだ。
そうじゃねーよ。マルクがとまどってるじゃねーか。ほんっと、わかってねーな。
それでつい、よけいなことを言ってしまった。
「フランソワはまじめに稽古してますからね。きっかけは体力づくりのためでしたが、わずかな時間でも毎日続けて乗っていればちゃんと上達していくもんです。今ではそこいらの男より腕前は確かですよ」
これでシャルルの本気モードが、駈歩からいっきに襲歩へと加速した。
「――――では、遠乗りに誘えるな」
しまった! と気づいたときにはもう遅い。
マルクに二人乗りで、というならまだ後を追える。が、マルクもフランソワの愛馬のドミニクも選りすぐりの名馬である。その馬にそれぞれ騎乗されたら? アレンの愛馬とて負けてはいないが、馬がどうこうという問題ではなくなってくるのだ。
こういうときのシャルルは、恐ろしく狡猾である。
かつて、一度、アレンはシャルルにしてやられたことがある。
当時七歳になっていたシャルルは前回の訪問からじつに二年ぶりに、フランソワの療養先の屋敷に、そのときも押しかけてきた。東屋でお茶とお菓子を楽しんだあと、その近くに植わっているアイリスがちょうど花の盛りだというので、シャルルに請われてフランソワが案内をして二人で見にいった。
広い、といっても自分の屋敷の庭である。アレンに油断があったことは素直に認める。にしても、アレンが目を離したのはほんの五分足らずの間である。二人を見失ってからまさか一時間も捜し回るはめになるなど、いったい誰が予測できただろうか?
今度も、うっかり目を離したら、…………巻かれる可能性がある?
ぱぁっ、と美麗な顔を輝かせ、フランソワとふたりで過ごす休暇の予定を描きはじめたシャルルの様子に、兄たちのひどく不機嫌な底冷えのする顔が覆いかぶさる。
アレンは、頭をかかえた。
休暇中に鷹狩りをするとわかってからは、その訓練にもシャルルは積極的だ。
鷹狩りでシャルルがつかう鳥は、隼である。
この隼はエルガー伯爵が初めてシャルルが鷹狩りに参加すると決まったおりに彼のためにと献上した。
じつは隼という鳥は、シャルルの兄王子たちがつかう大鷹よりずっと扱いにくい。大鷹にくらべて隼は気難しく、なかなか使い手の言うことをきいてくれない。指示したことにちゃんと応えるようになるまで、辛抱強く向き合わなければならない。
風を読み、絶好のタイミングを過たず鳥を放つ。
滑空する大型の鳥が一瞬で獲物を捕らえるさまは遠目にも鮮やかだが、失敗すればなんともしまらない有様で目も当てられない。
フランソワの見ている前で、そんな無様な醜態をさらしたくはない。
すこしでもかっこいいところを見せようと、シャルルは隼のニコラを相手に奮闘中である。
伯爵があえて隼を選んだのには、しかるべき理由がある。口さがない貴族たちが邪推するようなシャルルに対する嫌がらせに、などとそんな狭量な発想は伯爵には微塵もない。
シャルルはなにごとにおいてもカンがよく覚えが早いうえにそこそこできてしまうので、地道な努力とはおよそ無縁で生きてきた。
ただし、興味のあることには尋常でない執着と情熱を見せる、――というとんでもない例外つきではあるが。
これは、シャルルのクセをよく知る伯爵の老婆心、――配慮からであった。
個人で修められる学問などの分野では、シャルルはすこぶる優秀な生徒である。だが。他者と協調してなにかをなす、ということをシャルルはこれまでほとんどしてこなかった。
他者にまったく関心がないわけではない。むしろよく見ているほうだ、とアレンは思う。
アレンもまた成人を目前に控えている。伯爵家の四男と兄たちより気軽な身の上とはいえ、彼なりに己の責任と立場の自覚はいやがうえにも高まっていた。
王宮であったことを、父に報告がてら相談、――愚痴が大半を占めるときも多いのだが……する機会も増えてきていた。伯爵は晩餐のあとに時間があれば、私室で好きな酒を飲みながら、親子二人だけでアレンにつきあってくれる。
「殿下は、殿下おひとりでもできることなら自分でやってしまったほうが早いしラク、他人にまかせると思い通りにならないこともあるしかえって面倒、と思っておられるフシがあります。殿下は小さいころ、それで苦労されたとうかがっていますから。父上にお話ししてませんでしたか? 殿下と三人の侍女の話。殿下が侍女たちに伝えた内容はごく単純なものなのに、ひとりとして殿下のお望みをかなえられなかったという……」
「初耳だな。殿下は、侍女にいったいどんな指示を出されたのだ?」
――では以前話したのは、兄たちにだったか。
アレンは父の言葉を受けて、話を続けた。
「……水が欲しい、と。ただそれだけ」
「水?」
「はい。夜半にご自分のお部屋で。その日は昼間暑かったこともあり、殿下は喉が渇いておられるのだろう、と皆思いました。いくら殿下のご希望でも、殿下に水をさしあげるなど、ましてそんな時間にさしあげて殿下のお身体が冷えてしまっては、と気遣って、最初に頼まれた侍女は温めたミルクを殿下にお持ちしました。殿下はそのミルクをお飲みになったあと、今度は別の侍女をつかまえてまた同じお願いをされました。その侍女は、殿下がよくお寝みになれるようにとちょっぴり薄めに淹れたカモミールティーを。それもお飲みになり、殿下はまた別の侍女に今度は「水」と念押ししてお願いされました。その侍女は、……まぁ水というか、温めてあってわずかに糖蜜と果汁をたらした水を殿下にお出ししました」
「…………それは、もはや水ではないだろう。ところで、殿下はなぜそこまで「水」にこだわったのだ?」
「父上。旅の土産に、とうちの庭からアイリスの株を殿下にお分けしたことがあったのを覚えておいでですか?」
そのときのことは伯爵もよく覚えている。シャルルに庭を、とくにアイリスを絶賛された。
「うむ。どうしても! と殿下のたってのお願いで……。無事に王都までもったのか? ……もしかして?」
「はい。お部屋に飾っていたアイリスの元気がなかったので、殿下はアイリスにあげる水が欲しかったのだそうです」
「それならそうと、なぜ欲しいのか、目的をちゃんとお話しになっていればよかっただけのことではないか」
利発なシャルルの子供らしい一面を垣間見たようで、言葉とは裏腹に伯爵の口調には温かさがにじむ。
「アイリスは水をやりすぎてもいけないそうで、鉢の世話は決まった侍女がしておりました。鉢の土がすっかり乾いてしまっているとお話ししてしまったら侍女が水やりをしてしまう、それに担当の侍女があとでお咎めを受けてしまうのではないか、とご心配だったようです。なんでも殿下はずっとご自分の手でアイリスに水をあげたい、と思っておられたとかで」
「……………」
「結局、殿下は王宮におられたグレアム候をお呼びになり、手ずから水やりをなさる、という念願をおかなえになりました」
「……宰相を、そんなことにつかうなよ」
考えてみれば、あの王子が同じ失敗をそう何度も繰り返すはずがない。一度目で、おそらくわかっていたはずだ。
策士め! 伯爵が口のなかでつぶやいたのは、はたして王子ひとりにのみ向けられたものだったのか……?
「当時は、殿下の教育係をなさってました」
「あ~、そうだったか?」
「念願を果たされたものの、そんな時間に三杯分の水分をおとりになった殿下は夜中に腹痛を訴えられて、それは大変だったそうです」
「…………」
「そうそう。それ以降は、殿下のお部屋にあるアイリスの水やりは殿下がなさることになりました。殿下の情操教育の一環として、とグレアム候がお話をつけられまして」
「……ふむ」
アレンの話に耳を傾けながらふと舞い降りてきた妄想に、伯爵はらしくもなく丸く目を見開いて急いでそれを打ち消した。
十五歳となった今も、嬉々として水やりをしているシャルルの姿を想像してしまったのだ。
たしか五株くらいうちから持っていったはずだ。当然株分けもしてるだろうし、王宮の庭園に植えられたものと定期的にローテーションすれば今でもじゅうぶん………。
お小さい頃の殿下なら、さぞかしかわいかろうが…………。
アレンに訊けばすぐにも答えが得られるだろうが、……それを知ってどーする? 頭痛のタネが増えるだけだ。――と思い直した伯爵は、芽生えかけた好奇心をすっぱり無視することにした。
「とにかく、そういうおかただからよーくお話をおうかがいして意図をくんでさしあげるように、と殿下に侍るにあたり、グレアム候から訓辞がございました」
「……因果なものだな。王家の人間ってのは……。そんな幼い時分から侍女たちにもそこまで気を遣ってるのか?」
「殿下は侍女たちや、従僕たちにもとても慕われておいでです。なんでもご自分でなさろうとされるのも、第三王子というお立場ゆえに遠慮しておられるのだと好意的に受け取られていて。もっとお世話をさせてほしい、などと彼女たちがおしゃべりしているのをそこかしこでよく耳にします」
――――それは、周囲がいらぬ気を回してやたらによけいな世話までやきたがるからだろう、うっかり甘えようものなら、それこそどんどんどんどんエスカレートしていく! と口にしかけて、伯爵はぐい、とワインをあおった。
思い出したくもない記憶が、伯爵の頭をよぎる。
誰彼かまわず、男女問わず魅了するやっかいな王家特有の体質のせいで、王太子時代の国王を護衛していた頃は気の休まるときがなかった。
「美人は三日で飽きる」――などといったい誰が言ったか? 耐性ができるどころか接する期間が長くなるほど、皆彼の魅力にとりこまれていく。そのうち年のいった侍女でさえ国王の傍に侍れば顔を赤らめる、妙齢の侍女など近くで直接声をかけられようものなら魂を抜かれたようになって近づけられるか! ――状態だったのである。
「まー確かにそんな窮屈な環境では、成長の過程でどこか破綻してくるのもわからんでもないですが。にしてもですよ、それだけ周囲に気を配って何事にも控えめに振る舞っておられるのに、なんでうちに対してだけああも押しが強いんでしょうかね? 俺たちにももう少し気を遣ってほしいものだ、と兄弟でよくこぼしてますよ」
アレンの話に、伯爵は苦笑を禁じ得なかった。シャルルについて聞きながら、これでは在りし日の国王の姿ではないか……。
で、あるなら――――。
シャルルが子供のうちは、それでもよかっただろう。しかし間もなく成人を迎える王子として、これからはそれではやっていけない。
よく見ている、というだけではだめなのだ。他者との関わりかたを覚えていかなくては。
伯爵は王家に仕える臣下のひとりとして、シャルルが非凡なだけに他者に歩み寄ろうとする姿勢が希薄であるのを、いかにも残念に思っていた。
フランソワが鷹狩りに参加しない、とはシャルルは夢にも思っていない。参加するもの、――と鷹狩の話を聞いて勝手に思い込んでいた。そしてそれについては二人の関係を知る誰もが、シャルルから問われないかぎりは黙っている、というスタンスを堅持している。
誰もそのことについて言及していない、という事実にいつシャルルが気がつくか。――――戦々恐々としながら。
事実を知ったその瞬間から、シャルルの漲っていたやる気ががぷっつりと途絶えてしまい、あげく乗馬と鷹の訓練に身がはいらなくなってしまったら……。それどころか、目に見えて成果を上げてきていた他の科目にも影響が及ぶのは必至である。
とくに箝口令がしかれているわけではない。だが、まるで申し合わせたように、皆その話題には近づかないようにしていた。
――――まったく、面倒くさい!
エルガー伯爵の子息で年齢が同じというだけで、なにかとシャルルと接する機会の多いアレンは鬱憤を募らせていた。そしてそれは、最近のシャルルの豹変ぶりを受け、いまや最高潮に達しようとしている。
フランソワといくらも会ったこともないくせに……。それでどうして、ここまで夢中になれるんだ?
アレンの不安は、まさにそこにある。
一目ぼれといったって、度をこしていやしないか? 初対面は殿下が五歳、フランソワにいたっては三歳のときだったと聞いてるし。
アレンもその場に居合わせたのだが、彼もまた五歳の幼い子供だった。うっすらとした記憶しかない。
――五歳で出会って、あそこまでのいれこみようって……?




