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夏の日の夢 8


 そのくらい言われずともわかっている!


 ダニエル子爵のかんでふくめるような物言いに思わずむっとして、シャルルは喉元まで出かかった言葉をのみこんだ。




 先行するダニエル子爵にシャルルが同道すると父王に申し出たとき、父王もエルガー伯爵も、もちろん子爵もいい顔はしなかった。

 いかに休暇といえど、王家ともなれば、各人が自由気ままに過ごせる時間などほんの気持ち程度のごく限られたものである。この休暇中も連日なにかしらのイベントが組まれていて、今日は国王一家うちそろって鷹狩りを楽しむという予定になっていた。おまけに今日の狩りには、少数ながら国王とごく近しい貴族たちも参加している。狩場までの道のりとはいえ、第一王子ばかりか第三王子までが急遽国王と行動を別にするというのでは、いかにも体裁が悪い。

 それに予定外の行動は、滞在中の王家の安全上の責任を任されているエルガー伯爵の負担を増やすことになる。それでなくともシャルルは昨日、レムの屋敷を突然たずねていって周囲をあわてさせていた。



 国王はエルガー伯爵の仏頂面をちらり、と横目で見やった。


 ひとの上に立つ者としてここは己を律するようシャルルを諭すべきであるのだが、来し方の事実が饒舌なはずの国王の口に重しをする。どうにも空々しくて、そういう気持ちへと踏みきれないのだ。

 こと惚れた女性がらみのこのテの問題行動は、国王自身も身に覚えがある。血筋とでもいうのだろうか、この一点においては王子たちだけでなく王太子時代の国王も似たようなものであった。


 ……説得されて聞き分けるくらいなら、そもそも言いだしてはこない。

 シャルルにひく気がないことは明らかだし、ここでいたずらに時を無駄にするのもどうだろうか?


 と、言外に伯爵に理解を求めたのである。


 伯爵は大袈裟にため息を吐いてみせたあと、三人の息子たちを呼びよせ手短かに指示を出した。


 三男のエリックはこれまでどおり第二王子のジョルジュに付き従い、ダニエル子爵とアレンはシャルルとともに一足先に狩猟小屋へ向かいつつアンリを捜索するように、――――と。



 このとき、国王たち一行は知る由もなかった。

 フランソワと、アンリ。

 別々の場所から狩猟小屋へと向かったこの二人が、互いに互いの素性に気づくことなく、よもや出会っているなどとは。

 そして――――。



 レムの屋敷からの早馬に胸騒ぎを覚えたシャルルも、降ってわいたチャンスに舞い上がってしまっていた。

 昨日レムの屋敷を強襲して久々にフランソワと再会を果たしたものの、さてこの次に彼女の姿を直接見て触れて声を聞くことのできる日はいったいいつになるだろう、と憂いていたのが、思いがけず、しかもこんなに早く会える可能性が出てきたのだ。

 その好機は狩猟小屋へ早く到着すればするほどものにする確率が高くなる、とあってはいてもたってもいられない。

 シャルルは、がぜんはりきっていた。



 シャルルの頭のなかは今、フランソワのことでいっぱいである。

 兄のことはどうでもいいのか、と問われればそういうわけでは決してない。たしかにアンリは異母兄でたいして仲がよいとも言えないが、シャルルはそこまで薄情ではない。

 

 行方知れずと言うものの、エルガー伯爵の管理下でそれもこの日のために厳戒態勢がしかれているなかである。まして第一王子のアンリには、忠義者の侍従に、シャルルなどより多くの腕利きの護衛の騎士がついている。

 ここ数日は、このあたりの天気も良好。

 これだけの条件がそろっていて、彼が事件や事故にまきこまれているとはまず考えにくい。


 昨夜はずいぶん聞こし召しておられたようだし、おおかた街道を外れてどこか気持ちの良い木陰ででも休んでおられるのだろう……。


 ただほうっておくとアンリが狩りの始まる刻限に遅れてきたりそのまま来なかったりするのでは、という不安はぬぐえない。公的な場ではさすがにないが、近年私的な交わりではアンリのそうした振る舞いが目につくようになってきていた。

 そして口にこそ出さないが、国王をはじめとする他の者の考えもシャルルとおおむね一致していたのである。



 シャルルがアンリの身をさして案じていないのには、もうひとつ理由があった。

 それは、昨日ユルグからむりやり聞かされた予備知識である。


 ほとんど一方的にえんえんと続いた話のなかには、成人を翌年にひかえた王子として詰め込み教育まっただなか、――――どころか近頃とみに拍車のかかっているシャルルでさえ初めて耳にする情報もあった。




「こちらがなにもしなければ、森に棲む獣のほうからひとを襲ってくることなど、まずありません」


 それは意外な言葉だった。それまで隣りで花冠づくりにいそしむフランソワの様子をサファイアの瞳で愛でつつ聞き流していたシャルルも、このときばかりは真剣に聞き入った。


「ひとが大勢集まっているところに、わざわざ向こうから近づいてきたりはしませんから。ただし、彼らのテリトリーに不用意に立ち入ってしまった場合は、この限りではありません」


 貴族にとっての狩猟は、食糧の獲得が主たる目的ではない。戦いに備えた訓練としての位置づけであり、奨励している国家は多い。

 ファウリーシュもその例にもれず、国王も、そして貴族たちの間でも狩猟好きが多数派を占めている。社交の場でさかんに耳にする狩りの話題に、もはや娯楽としての側面のほうが色濃くなっているのでは、と立場上必須だから程度の興味しか持ちあわせていないシャルルなどは思っていた。

 そこへ武門の家柄の出身で国でも屈指の騎士として名高いユルグの、消極的ながら狩りを否定しているともとれるこの発言である。

 シャルルは、まさに意表をつかれた。


 ユルグはこの話題でようやく、はたから見てもうっとうしいまでのシャルルの関心をフランソワから引きはがすのに成功したのである。



「テリトリーか。獣たちにとっては、森で狩りを行う俺達は侵入者というわけか。たしかに森以外の場所で襲われたという話は聞かないな」


 家畜や人が野犬に襲われたという記録はある。いずれも人里に近い場所、いうなれば人間の生活領域での被害だった、とシャルルは記憶をたどった。

 

 そこでシャルルはふと気になった。


「野生化した犬と、森の獣とはなにが違うんだろうな? 増えすぎた野犬をどうにかしてくれ、という陳情が領主のところに時折あがってくるらしいんだが、それというのは、やつらが近くの林や森をねぐらにしているくせにたびたび人間のテリトリーに入ってくるから問題になっているということだろう?」


 せっかくこちらに向いてくれたシャルルの関心を逃すまいと、ユルグは懇切丁寧に解説する。


「森のなかにもそれぞれテリトリーがあるのです。種族によってはいうまでもなく、同族の間でも群れや固体ごとになわばりを持っているのは、殿下もお聞きになったことがおありでしょう? よそものは受け入れてもらえないうえに、犬は群れで狩りをする生き物です。兎などの小物とかなら、単独でも体格差で優位にある犬が捕えるのは造作もないことのように思われるかもしれませんが、野生の獣たち相手の狩りはなかなかどうして容易ではありません。かといって野犬同士かりに仲間が増えたところで、いい猟場をもっていないのでは群れを維持していくだけの獲物にありつけるかどうか、……ご聡明な殿下には、わたしがこれ以上申すまでもなくご想像がつきますでしょう?」


「うむ。森で食糧を得るのが難しいから家畜を狙って人里へおりてくるということか。よそものに手厳しいのは、人間以上……」


 言いさして、シャルルは口を閉ざした。

 ときに人間のほうが、本能でそうする彼らよりずっと残酷なことは、過去の歴史が物語っている。

 ユルグもシャルルの言葉の続きを待つことなく、話をすすめる。


「リーヌの森では狼や熊などの多くは森の奥、通称「魔の森」と呼ばれる地帯をテリトリーにしています。明日の狩場はそうした危険な獣の縄張りからはずれた地域、――そうしたところには餌となる草木などを食べに鹿や小動物などが集まってきますが、その限られた地域のなかでも開けた場所です。といって油断はなりません。群れからはぐれた狼などもいたりしますから。ちなみに、野犬はおりません」


 となりでフランソワがくすりと笑うのが聞こえた。

 反射的に振り向いたシャルルの目に、おかしそうに微笑むフランソワの姿が映った。


 …………笑った!


 シャルルが力業で果たした感動の再会から、フランソワはずっと緊張した面持ちで、たまに見せる笑顔もどれもぎこちないものばかりであった。

 それは――――、シャルルが今日初めて見る、心から打ち解けたいい笑顔だった。



「…………」


 花冠を編む手をとめてフランソワがユルグに微笑みかけている。ユルグも溺愛する妹にしか見せない優しい表情を浮かべていた。

 ほっこりとした空気を醸し出す兄妹の間にはさまれて、すっかり蚊帳の外におかれてしまったシャルルの脳内はちょっとしたパニックに陥っていた。


 …………今のは?

 ひょっとして、いやひょっとしなくても、気を利かせたジョークのつもりだったのか?

 今のは笑うべきところだったのか?

 …………いったい、なにがおかしかったんだ?

 でも、フランソワがあんなに楽しそうに笑ってる、……てことは、おかしかったのか?

 ………………。

 っにしてもっ、……表情を変えずに言うか、ふつー?

 ……わかりづらすぎる!


 

 たまさかに兄妹にしかわからない世界をまざまざと見せつけられ、シャルルの秀麗な顔がふくれた。

 ユルグの顔がますます緩んだのが、いっそうシャルルは気に入らない。

 どうやら彼は、ユルグの笑顔はすべてフランソワのために向けられたものと勘違いしているらしかった。




 ほんとにこの王子様は! フランソワのことになると、どうしてこうもわかりやすくなるんだ?


 笑いを必死にかみ殺し、ユルグが仲間外れにされたとご機嫌ななめのシャルルに手をさしのべる。


「殿下は、狼と犬の違いをご存じですか?」


「詳しくは知らない。外見は似ているところがあるようにも思うが……。わざわざとりあげるということは、なにか明確な違いがあるのか?」


 兄妹の間に割って入るべく、シャルルも積極的に質問をぶつけた。

 

「見てわかる特徴の違いなぞ、今さら殿下に申し上げるまでもないでしょう。ですので、本質的な部分について」



 ――――――――本質?


 シャルルはヒヤリとした。

 なにかが、シャルルの神経にひっかかった。

 たかが獣の話をしていたのではあるが、その言葉の端にはからずもなにかを垣間見た気がしたのだ。


 彼らが…………のは――――。




「狼はたとえひとに慣れたとしても、飼われることのない生き物です。犬のようにひとの命令を従順にきくようにしつけることはできないと……。わたしは子供のころ森番の爺にそう教わりました」


 ユルグの声にシャルルはハッとして、彼の話へと再び意識を集中する。

 なにがひっかかったのか気にはなるが、いつまでもそれにとらわれていて、聞き逃してはいけない気がするのだ。

 あとで時間のあるときに、いくらでも考えればいい。


「それでいてじつは好奇心の強い生き物でして、ときに人間の子供や女性に興味をしめすことがあります。まれに近づいてくることもあるようですが、とくにまだ若い狼は……、もし近づいてきたとしてもそしらぬ顔してじっとしていれば案外やり過ごすことができます」


「……なに?」


「……わたしも子供の頃に一度だけ、出くわしたことがあります」


 そんなことが、とシャルルはにわかに信じがたい心地がしたが、ユルグがこんなことで嘘をつくとも思えない。

 それに、どこか誇らしげなのだ。剣術にかけては国でも一、二を争う技量の持ち主で、その実力を称賛されてもさしたる感慨もなく受け流す男が、である。


「さすがにアルティエ家の者ともなると、類い稀な経験をしているな。子供の時分にそのような胆のすわった行いは、誰でもできることではない。これが女性ならなおさらだな。狼に近くまで寄ってこられて無事だったという女性も、やはりアルティエ家のご婦人か?」


「いえ、こちらは昔の話でございます。爺の縁者にそういう女性がいたのだそうで、わたしも話を聞いたことがあるだけでございます」


「ふうん。……ところで、明日の狩りは母上たちも一緒だ。母上はああ見えて、乗馬がお上手でけっこう行動的なおかたでね。くれぐれも皆とはぐれてしまわないように、申し上げておくとしようかな」


 もちろん王妃が、それも狩猟の場でひとりきりになることなどありえない。

 シャルルはさっきのユルグのジョークを参考に試しに言ってみたのだが、これにはフランソワどころかユルグもただ目を丸くしているだけだった。

 無残にも、シャルルの適当に放ったジョークは完全に不発に終わった。



 …………まさか、本気で受け取ってはいないだろうな?

 なんなのだ? この、沈黙……。これでは、今さらあれは冗談だったとも言いにくいではないか。

 いったい、ユルグのと俺のと、なにがそんなに違うというんだ?

 ユルグよりは、まだ俺のがマシだと思うぞ。

 わからん! この兄妹の笑いのツボは、――――どこにあるんだ?




 しらけてしまった場の空気をとりなすでもなく、ユルグがしれっと話を元に戻す。


「……とは申しましても、我々のような大人の男は論外です。彼らを狩る存在ですから警戒してきますし、狼が危険な獣であることに変わりありません。どうか殿下には近づいてみようとか、お独りになってみようなどとか、酔狂な気はおおこしになりませんようお願いいたします」



 …………やっぱり。キライだ、この兄弟!


 シャルルは神妙にうなずいてみせながら、声にならない悪態をついていた。







 エルガー伯爵の息子たちは国王のたっての希望で、それぞれが王子たちの遊び相手をつとめてきた。

 アンリには、ダニエル子爵とユルグが、ジョルジュにはエリックが、シャルルには同い年のアレンが、という具合に。


 そして、彼らは、――――そろいもそろって王子たちにその存在を煙たがられていたのである。





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