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前編


「フランソワ嬢、まことに申しあげにくいのだが、あなたとの婚約は無かったことになると思う」


 これこそ晴天の霹靂だ、とフランソワは思った。


 ところは、王都から西へ五キロ、ロウ川の畔に建つ瀟洒な離宮の庭園。うららかな日差しの降り注ぐ午後、王妃のために建てられたこの宮の、特に美しいと評判のいまを盛りと咲き誇る薔薇園で。


 今、なんと言われたのか? すぐには理解が追いつかず、フランソワはもう一度ゆっくりと、ざわめく心のうちで今の言葉を反芻した。


 ――――婚約は無かったことに。


 薄紅色の花が咲き乱れる薔薇のアーチのすぐ下にたたずむ貴公子は、この国の第三王子シャルル・ヴリアは、たったいま確かにフランソワに向けてそう言った。

 きらきらとやたら見目麗しい相貌が苦渋にゆがんでいるさまは、いっそ芝居じみていて真実味に欠けている。


 じぶんは悪い夢でもみているのではないか、とフランソワは疑った。



 そうかぁ。これが白昼夢というものなのね。

 そうよね~。こんなことあるはずがない。婚約破棄だなんて、そんなばかげた話。


 フランソワの思考は、あっさり現実逃避の道を選んだ。

 こわばる顔の筋肉を懸命に動かして、かりそめの笑顔をかたちづくる。


 とにかく、失礼のないように。殿下のご機嫌を損ねないようにしないとね。




 先ほどの非情ともいえる告白を、ややひきつってはいるものの思いもよらない笑顔でかえされて、美貌の王子はたじろいだ。


 き、聞こえていなかったのか?

 意を決して、ようやくの思いで伝えたというのに。


 憂いを宿した王子の宝石にもたとえられる碧眼に、あらたに困惑の色がにじむ。


 やはり、一筋縄ではいかぬということか。

 さすがは、エルガー伯のご息女。



 シャルル・ヴリアと、エルガー伯爵令嬢フランソワは、許婚である。

 シャルルが生まれる前から、この婚約は決まっていた。

 国王にこの次王子が生まれ、エルガー伯に息女が生まれたら、二人をめあわせると。

 シャルルの二人の兄には、生前から決まっていた婚約者などいない。

 どうも賭け事の席で決まった話らしいとシャルルが知ることになるのは、十五の年。それは成人を間近にひかえ希望に胸をふくらませていた多感な少年の心を打ち砕くにじゅうぶんな衝撃をあたえた。



 俺だって王家の人間として生まれたからには、好きな相手と結婚できるなどと思ってはいなかったさ。

 フランソワ嬢との婚約だって、武勇のほまれたかいエルガー伯家と姻戚関係を結ぶためと承知していた。それが、よりにもよって父王が、ポーカーに負け続けたあげくに言い出した戯言に端を発したものだったとは。 



 そうとわかれば、伯爵家側の数々の非礼な仕打ちも納得がいくというものだ。


 まず、肝心のフランソワ嬢とシャルルは数えるほどしか会ったことがない。

 シャルルに遅れること二年、フランソワ嬢の誕生から十六年がたつというのに、両手で足りるってのはどういうことだ。

 


 内気だか病弱だかなんだか知らないが、まともに話したこともないまま十六年って、いくらなんでもおかしいだろう!

 俺の誕生日に王宮に招いても、贈り物だけよこして会いにもこない。それならばと、こちらが都合をつけてたずねていこうとしても、なんだかんだと理由をつけて断ってくる。


 これはもう、向こうにその気がないのではないか、と、シャルルはそう結論づけた。


 十六歳の誕生日をむかえ、いよいよフランソワ嬢が社交界デビューする。

 それにあわせて、正式に二人の婚約が内外に発表される運びになっていた。


 だから、シャルルは動いた。

 この話を白紙に戻せないか、と、父王を必死に説き伏せた。

 そして、設けられたのが、今日のフランソワ嬢との対面だった。



 今回もフランソワ嬢は来ないのではないか、と心配したが、意外にも彼女は現れた。

 久しぶりに近くで見た彼女は、弱々しい線の細すぎるはかなげな少女から脱皮して、すっかり美しくなっていた。


 もとから色白だったが、年頃を迎えた彼女の肌はみずみずしく透明感にあふれていて、その柔らかそうな頬ややや広がった襟元からちょっとだけのぞく胸もとは匂い立つような色香をはなっている。濡れたように輝くエメラルドの瞳は、ひきこまれそうなほどだ。彼女のながれるような動きにつれて艶やかな蜂蜜色の巻き毛がゆれて、シャルルの視線を奪っていく。


 なにより、可憐だった。


 シャルルは、ここにきて、婚約破棄を急いだ自分の行いが短慮だったのでは、という気がしてきた。


 いや。俺は決してフランソワ嬢の美しさに懸想したのではないぞ。彼女のたたずまいというか、彼女のかもし出す雰囲気は、俺が今まで彼女に抱いていたイメージと違いすぎてて、面食らってるだけだ。もっと病的でわがままで高慢な女かと思っていたが、目の前の彼女からはそんな印象をまったく感じない。これは、どうしたわけだ?


 シャルルとて許嫁のいる身とはいえ、王子という身分とその美貌で、社交の場では多くの貴婦人たちに囲まれてきた。それなりに、女性を見る目はあるつもりである。

 そんなシャルルの目から見ても、彼女は。


 なんてことだ。…………好みだ。


 しかし王子はすでに、賽を投げてしまったのだ。

 あれほど強情に父王に詰め寄っておいて、いまさら後戻りはできない。 






 代々なぜか男ばかりが生まれるエルガー伯爵家に、フランソワはようやく生まれた女の子だった。

 フランソワの誕生に、伯爵夫妻をはじめ四人の兄たちも夢中になった。

 頑健な兄たちにくらべて、フランソワが病弱だったことも、彼らの溺愛ぶりに拍車をかけた。

 フランソワは家族の過剰なまでの愛につつまれて、一年の半分以上の期間を静養のために気候のよい保養地で過ごしてきた。

 そのかいあって、他のひとと同じように暮らせるまでにフランソワの体がよくなったのは最近のことだ。

 この時期に王都にいるのも、今年がはじめてだった。


 社交界デビューに備えて着々と準備のすすむなか、ある日、フランソワは父に呼ばれた。

 フランソワにはでれでれの父が、珍しく深刻な面持ちで告げた話とは――。



「お見合い?」

「うむ。第三王子のシャルル殿下だ。フランソワより二つ年が上だったかな?」


 フランソワもその名前には覚えがあった。

 なぜか毎年フランソワの誕生日に、国王夫妻をはじめとする多くの祝いの品に混じって、シャルル王子の名前でたいそうな贈り物が届いていた。

 ほかの王子からはこないのに、なぜシャルル王子からだけ届くのか、子ども心に不思議に思っていたものだ。

 何度かお会いしたこともあるはずだが、体調がすぐれないうえにごく短い時間にすこしだけお話したというのでは、そのときのことはフランソワの記憶に正直あまり残っていない。

 ただ、「女の子のようにきれいな王子さまだった」、とういうことは鮮明に覚えている。

 「絵本からぬけでたようにすてきなかただった」とほめれば、ただでさえ厳つい父の顔がさらにけわしくなるので、フランソワはいつしか父の前では王子の話をしなくなった。


 それが社交界デビューを目前にして、突然の見合い話。


 あれ? ……お見合い?


「いやだったら、遠慮なくそう言いなさい」


 やけにハッキリきっぱりそう言われると、不安になってくる。


 第三王子って、相手は王家よね。

 断るってそんなこと、簡単にできるものなの?


 いや。父なら、やりかねない。

 目のなかにいれても痛くない、ほかならぬフランソワのためならば。

 父だけではない。王姉の母も、兄たちも、なにをやらかすかわかったものではない。


 ……なにやら、面倒ごとの予感しかしない。

 ここは、わたしがなんとかしなくては!


 フランソワは、この短い時間に決意を固めた。



 病いがちだったわたしが、結婚だなんて――。

 子どものころから、とうにあきらめていた。

 健康になって、やっとお父様たちに、いままで注いでいただいた愛情のなん分の一かでもお返しできると思っていたのに。


 そうか。

 断られればいいんだわ。向こうからお断りになるぶんには、問題ないわよね。

 ……でも、失礼にならないように、うまく断られる方法なんてあるのかしら?

 それにわたし、王子様から、あんなにすばらしい贈り物をいっぱい頂戴しておいて。

 書き物も疲れてしまうからと、これまでずっと、お母様が殿下におくるお礼のお手紙に添えるカードを書くくらいですませてきてしまってた。

 さすがに十を過ぎてからは、きちんとわたしが殿下にお礼状を、とお母様にお話ししてみたのだけれど、「いーのいーの」でいともかる~く流されてしまった。

 これって、断られるいぜんの問題よね。

 まずは、わたしの口から、殿下にお礼をちゃんと申し上げなくては。

 そのあとで……。

 あとで……、どうしたら?


 いろいろ思案をめぐらせてはみたものの、フランソワひとりの知恵では、結局どれも失礼にあたるのではないか、という不安はぬぐいきれない。

 それにあまりに度がすぎて、父や家名に泥をぬるような事態におちいっても困る。

 さりとて、王家相手のこんな重大なこと、誰に相談することもできなくて。


 そして、フランソワがただいたずらに思い悩むうちに、今日がやってきてしまったのだった。




 

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