幸せの黄色いポスト
タタンタタン、タタンタタン……。
鈍行の電車はゆっくりと、そして淡々と、窓の外の景色を後ろに流してゆく。
いかにも、といった感じの田園風景。さすがにまったく昔のままというわけでもないようだが、それでも私が数時間前まで見ていた景色と比べれば別世界だった。
数時間前。私は自分のねぐらである、六畳一間の部屋の中に在った。
一人用の小さなテーブルと、ベッド、絵を描くための美術机以外の場所は総じて散らかっており、その上に殺風景。我ながら女子の部屋ではないなぁと思うが、住んでいるのが私なんだからしょうがない。
私はベッドに腰掛け、テーブルの上で出来上がったカップ麺の蓋を開けて、いただく。
「うう……メンチカツが食べたいなぁ……」
私は思わず呟いていた。
メンチカツ。サクサクの衣の上からかぶりつくと、熱々の肉汁がじゅわっと出てきて……ごくり。
もちろん、カップ麺を買うお金があるんだから、近所のお肉屋さんなりスーパーなりに行ってメンチカツを買ってくることぐらいはできる。
できるのだが、私が食べたいのはそんなメンチカツではなかった。
私の長所のひとつは、思い立ったらすぐ実行する、その高い行動力にある。
私は美術机の隅に置いてあった黄色いポスト型の貯金箱を手に取る。これは私の故郷の名物『幸せの黄色いポスト』にちなんだグッズのひとつで、観光客用の土産物である。私はそれを、上京するときに一個買って、以後ちまちまと貯金していたのだ。
黄色いポストは、手に取るとじゃらっと音がして、それなりの重みがあった。私はそれを叩き割った。
そうして気が付いたときには、私はこうして電車に揺られていた──そういう次第だった。
電車はしばらくの時間をかけて、私の目的の駅へと到着した。
私は電車から降り、駅を出る。
そして途方に暮れた。
私の短所のひとつは、思い立ったらすぐ実行する、その向こう見ずなところにある。
ここまで来たはいいが、ここから先をどうするかなんて、ひとつも考えていなかった。
とりあえず、歩きながら考えよう。
そう思い、商店街を歩いていると、黄色いポストに出会った。
貯金箱でなく、『幸せの黄色いポスト』そのものである。
五年前の春、私はこの街を出て、東京の美大に進学した。
絵を仕事にしたいと言った私に、両親は反対。
それに対して私は、持ち前の向こう見ずさで、ほとんど啖呵を切るようにして家を出た。
以後、まったく連絡もせず、今に至る。
ちなみに現在、大学を卒業しても就職はできず、アルバイトをしながら絵の勉強を続け、先の見えない日々を送る毎日。正直に言って、心が折れそうになる日々だった。
「……はぁ、それでのこのこメンチカツを食べに家に戻ってきましたとか、ありえないし」
うん、やっぱり家には戻れない。でも……。
色々考えた結果、私はコンビニでレターセットを購入し、図書館に入って手紙を書くことにした。
幸せの黄色いポスト。そんなもので幸せが訪れるなら誰も苦労はしないのだが、せっかく貯金箱の中身を電車賃にしてここまで来たのだから、帰るにしても、ここでしかできない何かをしてから帰りたかったのだ。
「『メ・ン・チ・カ・ツ・が・食・べ・た・い』……いや、そんなこと書いてどうするんだ私」
文面に悩み、書いては没、書いては没を繰り返し、だいぶ時間をかけた結果──最終的には、一行しか文章がないという、何とも奇妙な手紙ができあがってしまった。
私はその手紙を封筒に入れ、送り主には自分の名前を、あて先には実家の住所を書いた。
図書館を出て、『幸せの黄色いポスト』の前まで行き、投函する。
これでよし、さあ帰ろう、と踵を返して駅に向かおうとしたそのとき。
不意に、私の名前が呼ばれた。
「……あんた、こんなところで何やってるの」
買い物袋を提げたお母さんがそこにいた。
それからはあれよあれよという間に実家の家に連れて行かれ、無理やり風呂に押し込まれ、夕食では念願だったメンチカツ……というかお母さんのご飯にありつけた。
私にとってメンチカツとは、お母さんが作るメンチカツを指す。
食卓では私が涙を流しながらメンチカツを食べるものだから、お父さんもお母さんも呆れていた。
もちろん、色々と質問攻めに遭い、今まで連絡をしなかったことについてだけはものすごく怒られた。
そして最終的には、正月ぐらいは毎年戻って来い、というところで話は落ち着いた。
お父さんとお母さんって、こういう人たちだったんだなと、再発見した気分だった。そして私がまた泣いたものだから、両親はまた呆れるのだった。
ところでこの話にはオチがある。
その日は泊まってゆけ、という話になり、翌日。
郵便受けに「私から」手紙が届いた。
その手紙の内容を見て、お母さんが私を呼んだ。
「あんた、自殺でもする気だったんじゃないでしょうね」
「へ? なんで」
お母さんから手紙を受け取り、文面を見る。あのとき書いた内容は、確か……。
ぶっ。読んでみて噴いた。
確かにこれは死ぬわ、この子。人間テンパっていると、何を書くか分からないもんだなぁ。
そこには、一行だけ、こう書かれていたのだ。
「お父さん、お母さん、育ててくれてありがとう」