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菜摘 (2)

 手術後、春樹の元へ通された頃には、母も菜摘もひとまず落ち着いているようには見えた。主治医の指示に従い、薄緑色の白衣とキャップ、紙製のマスクを付け、三人はそろって春樹のベッドのかたわらに座った。

 事故の後、できる限りの処置を施したが、すでに呼吸は止り、今は機械によって呼吸しているのだという。心臓はまだ動いている。でも、残された時間は数日とのことだった。その間にゆっくりお別れをするように…、ということだった。

 春樹のそばにいると、もしかして起き上がってくれるのではないか、と期待してしまう。せめて目を開けて欲しい! 菜摘がそう念じて身体を動かした時、春樹の目がうっすらと開くのを見た。

 菜摘は大きく目を見開き、春樹のほうにかがみこんだ。注意しなければわからないほどだが、まぶたが開いた。

「お兄ちゃん! 目が覚めたの!?」

「どうした?」と両親が立ち上がった。

「ね、お父さん、今お兄ちゃんの目が少し開いたの。わたし、先生を呼んでくる」

 そう言いうと、菜摘は春樹の意識が戻った、と医師に告げに走った。医師はすぐにやって来たが、菜摘の思い違いだろう、とさとした。

 家族の者に「元のように元気になって欲しい」という思いが強いのは当然のことだ。強い希望を抱くあまり、ちょっとした変化を好転の兆しと思い込んでしまうのは仕方のないことだ。

 家族にとって暗く、重い夜になった。


 三人はそのまま病院で次の日の朝を迎えた。

「今日はとりあえず会社に出るよ。どうしてもやらなければならないことを済ませて、お願いできることは割り振って、早めにここに戻ってくるよ」

 と父が立ち上がった。

 父は右手を母の、左手を菜摘の肩にそっと置き、春樹に向かって言った。

「春樹、ちょっと行ってくる。それまで待ってろ」

 そして病室を出て行った。

 菜摘は学校を休み、母と一緒にその水曜日を一日病院で過ごした。二人で何か話をするでもなく、ただ春樹のかたわらに寄り添っていた。

 午後5時過ぎ、父が一度戻ってきた。

「食欲はないだろうが…、少し外に出よう」

 そう言って、近くのレストランに二人を連れ出した。言葉もなく、食欲もなく、機械的な食事をするだけになった。

 三人でむっつりと黙り込んだまま、ひとまず春樹の元に戻ると

「どうしても外せない用事があって…」

 と、父は言い難そうに言い、

「遅くなっても、またここに来るから」

 と言い残して、再び職場へと出て行った。それをきっかけに菜摘が再びめそめそし始めた。

「あたしがいけなかったんだわ。このままお兄ちゃんの目が覚めなかったら…」

「さ、ナツミちゃん、今夜はあなたはもう家に帰りなさい。お風呂にも入って、ちゃんと自分の布団で休んだ方がいいわ。今日は母さん、一人でここにいるから」

菜摘が春樹の腕を触り、力が入るのを感じたと言い出し、もう一度医師を呼んでくると言った時、母は悲しいと言うより怒りに近い気持ちを感じた。

 母にとっても春樹の事故は耐え難いものだ。でもなんとか現実との折り合いをつけようと、母なりに努力していた。菜摘にも一緒に越えて欲しかった。菜摘が自分のことを責めている、その気持ちが重かった。

「信じてくれないのね」

 と菜摘が泣き出し、母も泣き出したい気持ちだった。

「ナツミ、とにかく少し休んできなさい。疲れすぎているのよ。ちゃんと休まないとあなたが壊れてしまうから。お願い。休んでそして気持ちを切り替えて来てちょうだい」

 母は祈るような気持ちで、菜摘にそう言った。

 二人で春樹の元を離れ、母はエレベーターホールまで菜摘を送って行った。

「タクシーで帰りなさい。良く休んで、明日ゆっくりしてから来てもいいのよ。何かあったら連絡するし、自分の好きな物を食べて…、それから…」

 エレベータの扉が閉まるまでの数秒の間に、母は急に思いついたようにこまごまとまくしたてた。

 扉が閉まると、今まで菜摘の前で保っていた気力が急に萎えて行くのを感じた。肩は重く、硬く、目の奥がジンジンと痛い。頭は腐ってしまったように半分雲がかかったようで、どんよりしていた。

 もう一度春樹に会いに行くと、父が戻ってくるまで母も仮眠室で少し横になることにした。


 菜摘が家に着いたのは夜の9時を少し過ぎた頃だった。家は静かだった。今までこの家でたった一人で過ごすことはなかったのだ、と今さらながら思い当った。

 またどっと春樹への思いに押しつぶされそうになりながら、菜摘は唇をぎゅっとかんだ。

「しっかりして! とにかくシャワーを浴びよう」

 自分に言い聞かせるつもりで声に出した。

 シャワーを浴びて少し頭がすっきりしたが、身体はくたくただった。菜摘の身体は眠りを欲していた。ところがどうだろう、布団に入ろうと言う時になって、突然、どうしてもあるものを確かめたいという気持ちに駆られた。

 それは昔、春樹が菜摘のために描いてくれたスイカの絵だった。今までずっと忘れていたというのに、なぜか急に思い出したのだ。

 母は春樹の物も菜摘の物も捨てずに、どこかにしまってある。その絵が取ってあるだろうことは確かだった。


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