佐輔 (6)
その日は学校でもどんよりと過ごした。そんな佐輔の気分とは裏腹にクラスの皆はやけに華やいできている。新学年になり暖かくなってきて、新しいことを始める期待感で気分が高揚しているのかもしれなかった。
自分の気持ちが暗く重たいので、周りの明るさがまぶしくてうるさいくらいだった。
その嫌な気分を一新するため、佐輔はクラブに出てみることにした。入学と同時にバスケット部に入ったのだけれど、1年の三学期からさぼりぎみで、半分幽霊部員になっていた。
1年の二学期までには、自分はレギュラーにはなれないだろうとわかってきていた。友達はぐんぐん背が伸びていくのに、佐輔だけ取り残されたみたいに背が伸びないのも、部活から足が遠のいた理由の一つだった。
でも、とにかく汗をかいて、久しぶりにスカッとしたかったのだ。
佐輔は悪夢の残像を振り払うように練習に没頭した。
同級生の木原雄二が
「友田、珍し~。今日は燃えてるじゃん」
とからかうように言ったが、佐輔はニコリともしなかった。木原は佐輔と似たりよったりの補欠組だったが、真面目でさぼることもなく、部活をやっているようだった。
佐輔の気迫が伝わったのか、木原もいつになく真剣にボールをパスしてきた。(ふっきれるぞ)という手ごたえがあった。
佐輔が望んでいた緊張感、疲労感、汗、空気。ボールのことだけに意識を集中してボールだけを見つめていると、嫌なことも忘れられそうだったし、満足感も得られそうだった。
二人とも無駄口をたたかず、お互いの息を感じながら、リズムもうまくかみ合って、時間を忘れるほどだった。
「おおおお。補欠組もやる時はやるもんだな」
と、部長の香川が二人に気づき、おもしろそうに声をかけてきた。
木原が香川の声にふっと反応して、ちょっとリズムがくずれた。そして木原の手を離れたボールが佐輔の額に当たり、佐輔の力がふわっと抜けた。ひょろひょろのボールだったのに、佐輔は簡単にその場に倒れ込んでしまった。
「い、いけねえ! 大丈夫かよ、友田!」
自分の気の抜けたボールで倒れてしまった佐輔のことを、木原は当惑した面持ちで見つめていた。
その木原の声に重なって
「おい、おい!」
と、違う声が自分を呼んでいるのを佐輔は感じた。
ぼんやりとした頭の片隅で(あれ? これ、木原の声?)と佐輔は思った。
「おい、サガラ、しっかりしろよ! おい! だれか! 足がつったらしいぞ!」
そして水をガバっと飲み込んだ感覚がして、佐輔は苦しくなった。
(え? 水? プール? え? サガラ?)
どこかおかしいと思いながら、佐輔はもがいた。
「サガラ、どうしたんだ? おーい!」
水に沈んでいく感触。
(え? 体育館で? なんで?)
ボールをパスし合っていて、水に溺れるって、いったい?
佐輔は混乱していた。あんなマヌケなボールで、どうしてこんなことに? そう思いながらも佐輔はもがいて、もがいて、やっと床に手をついた。
「サガラ、大丈夫か?」
「ああ、死ぬかと思いましたよ」
佐輔の声じゃあない声で、佐輔は答えていた。
木原のでかい手が佐輔の肩をつかんだ。
「友田! 友田!」
必死に佐輔のことを呼んでいる。
「おい、どうした? しっかりしろ! 友田!」
香川も佐輔を呼んでいた。
(あれ? これは香川の声。木原の声…。さっきの声はいったい誰なんだ?)
佐輔は自分の感覚を確かめながら、もうろうとする頭を押さえて、恐る恐る目を開けた。そこはプールではなくて、やっぱり体育館だった。
周りで練習していた連中が、異様な気配に気が付いて、佐輔の方に集まりかけていた。
「おい、お前、大丈夫かよ。久しぶりに出て来たからって…、リキの入れすぎだよ」
香川が佐輔の顔をまじまじと見つめていた。
「ああ、マジ、あせった。あんな玉でぶっ倒れるからさ…、オレの方が心臓止りそうだったよ…」
木原の顔色が冷めてきていた。
「おい、今日はもうやめて、上がれよ。毎日少しずつやって慣らしていった方がいいぜ」
香川が心配そうに言った。
「ずっとサボってたからしょうがないよ。ちょっとずつ戻せよ」
同学年だというのに、香川は部長だけあって、心底心配している風だった。
「木原、一緒に上がって、友田を送って行けよ」
香川は木原にそう言うと、佐輔と木原をなだめるように、体育館の出口まで送って来てくれた。
ロッカーで二人は黙々と服を着替えた。佐輔は自分の考えに没頭していて、他の物を寄せつけないオーラを発していた。
(きっと…、サガラっていうのは、ハルキの名字だ。そういうことなんだ…)
そして、ぞっとした。(危ないぞ)と思った。こんな調子で実際のことと頭の中の出来事が混乱したらえらいことだ。それもまだ眠ってもいないっていうのに。
今朝の夢では、ハルキは病院のベッドで寝ていたはずだ。プールでおぼれるって…、いったいどういうことなんだろう。ハルキについてもっと知りたいと思った。だけど、こんな形で何の前触れもなくいきなりハルキの感覚と切り替わったら困る。スイッチを入れたり切ったりするみたいに、一瞬でハルキの意識と入れ替わってしまうなんて…。
しかもそのスイッチを入れたのは自分ではない。自分の意志とは関係ない物がこのスイッチを操作している。いったい何の力で? いったい誰が?