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佐輔 (5)

「ナツミ、とにかく少し休んできなさい。疲れすぎているのよ。ちゃんと休まないとあなたが壊れてしまうから。お願い。休んでそして気持ちを切り替えて来てちょうだい」

 泣きじゃくるナツミをなだめて、二人はここを離れようとしていた。

「ハルキ、ナツミを送ったら、またここに戻って来るから、待っていてね」

 一人になるのが嫌だという佐輔の気もちが伝わったのだろうか。母親がそう声をかけた。

 すると突然、佐輔の頭の中の佐輔ではない部分が、その声に答えた。

『母さん! 助けて!』

 頭蓋骨にひびくような、耳の奥に反響するような、悲痛な叫びだった。そして強烈な映像が佐輔の脳裏に広がった。

 大きなトラックが佐輔に向かって突進して来る! 怒って赤い目を光らせて!

 だけどどうしようもできない。身体は鉛か何かのように固まってしまっていて、その映像から目を逸らせたいのに、トラックが襲って来て、そして佐輔を飲み込んだ。

『うわぁぁぁぁ』

 頭の奥の奥の方から湧き出るような叫びが、佐輔の耳を満たした。

 トラックに弾き飛ばされて、佐輔の身体はボールのように空中に舞い上がった。それから黒い黒い穴のような所に、落ちて、落ちて、落ちて行った。

 そして目が覚めた。

 やはりそこは佐輔の部屋だった。時間はまだ9時になろうかというところ。佐輔は机に突っ伏して眠ってしまっていたのだ。

 耳の中にのこる叫びは、まぎれもなくハルキという少年? あるいは青年の声だったのだろうが、佐輔の口からもれていた。身体はじっとりと汗ばんでいるのに、心の芯が冷たくて、佐輔の唇はガタガタと震えていた。佐輔は自分で自分の身体を抱きしめた。

(寒い…)

 どのくらい眠っていたのだろうか。ふと見ると、窓が少し開いていた。春とはいっても陽が落ちてからは風がだいぶひんやりしている。

 その窓の隙間からぽっかりのぞいている暗闇が不気味だった。佐輔は急いで窓を閉めると、サッシの錠を下した。隙間から何かが忍び込んで来るような嫌な感じがした。

 でもとにかく、今、佐輔は自分の部屋にいる。あそこから帰って来たのだ。帰って来ることができたのだ。たぶん夢のようなものなのだから、「帰る」というのも変かもしれないけれど、でも、目覚めずにずっとあそこにいたらと思うとぞっとした。

(なんなんだ、これは? ハルキっていったい誰なんだ?)

 もしかしたら、これは夢とは性質の違う物なのではなかろうか。その理由はちゃんとは説明できないし、そんな妙な話は聞いたこともないのだけれど、佐輔にはそう思え、嫌な予感がするのだった。


 後味の悪い目覚め方だったので、気持ちを洗い流し、身体を暖めたくて佐輔は風呂に入り、湯船につかった。頭の芯が眠い。

 風呂から上がると、とにかく自分のベッドにもぐりこんだ。

 ところがどうだろう。いざ布団にもぐりこんだら、今度は眠れなくなってしまった。目を閉じるとまた病院に戻るか、交通事故現場みたいな恐ろしい場所に行ってしまうのではないか。そのまま夢が覚めなかったらどうなる? 何かの物語にあったように、夢の中が現実になってしまったら?

(アホクセ~)

 佐輔には佐輔としての思い出がある。ハルキのことはここ2日の間に急に襲ってきたイメージなのだ。改めて考えてみると、自分の存在というのは何とあいまいで、実感のないものなのだろうか。どうやって自分が自分であるということを確かめているのだろう。自分が佐輔であるというはっきりした証拠はどこにあるのか。考えがどんどんふくらんで、止められなくなり、哲学的な疑問が佐輔を責め立てた。

 布団の中で、右、左と寝返りをうち、佐輔はもんもんとしていた。また恐ろしい光景を見るのはごめんだし、かといって目を開けているのも恐い。佐輔は布団にくるまり、何も考えないようにと心がけた。そんな、奮闘をするうち、眠ったのか眠っていないのかわからないような感じで、窓の外からスズメのさえずりが聞こえてきた。

 布団から目だけ出して見てみると、もう明るい。

(あ~あ、またかよ。朝になっちゃったのかよ)

 寝そびれたようなくやしい気持ちもあり、眠りに落ち込まなかったというほっとした気持ちもあり、それから、ぐうっと眠り込んだ。目覚ましが鳴るまで、ほんの1時間だったけれど深い眠りになり夢は見なかった。改めて目が覚めた時、佐輔は心底ほっとしていた。朝の明るさが、本当にありがたかった。


 三日続きでよく眠れていなかったので、頭はぼんやりしていたが、幸い今日は佐々木の授業はない。佐輔は悪夢を振り払うように布団を払い落とした。

 それにしても…、このハルキとナツミは実在の人物なのではなかろうか。佐輔はそんな気がしてならなかった。


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