佐輔 (3)
輪郭のぼんやりした、その、すっと立ち上がった人は、丸い形のマスクをして、上着と同じ薄緑色のキャップをかぶっていた。ずっとここに座っていたのだろうか? ずっとって、いつから?
その人が佐輔の方にかがみ込むと、その人の目が佐輔の目をとらえ、佐輔は思わず目を閉じてしまった。なにか、そのまま見つめ返してはいけないような気がした。
「お兄ちゃん! 目が覚めたの!?」
他にも人がいたらしく、
「どうした?」
と立ち上がりながら、抑えた声で言った。
佐輔はむりやりまぶたを押し上げていたことを後悔した。そんなことをしてはいけなかったんだ。きっと。
最初に立ちあがったのは、間違いなく少女だった。その人が意外に強い力で佐輔の腕を握った。それは夢とは思えない実感を伴った。
「ね、お父さん、今お兄ちゃんの目が少し開いたの。わたし、先生を呼んでくる」
そして、すぐ近くに座っている人は出て行ったようだった。もう目を開けてはいけない! だけど、いったい今のはどこのだれなんだ? そう思うと、好奇心がうずき、いけないと思いつつも佐輔は細心の注意をはらって、もういちど重たいまぶたを、ゆっくりと押し上げて見た。人はまだいた。同じ薄緑色の上着を着た人が二人。佐輔はあわててまた目を閉じた。普通だったら、ここで心臓がバクバクするだろう。だけど、まるで佐輔の身体は何も感じないように動かなかった。
本当はもっと周りのことを良く見てみたかったのだけれど、こわすぎた。動かない身体とは裏腹に佐輔の頭は目まぐるしく活動しようとしていて、パニック寸前だった。
(お兄ちゃん???????)
確かに今の少女は自分のことをそう呼んでいた。その言葉で思い出したのは小学校六年生の妹、佐緒里だった。
(でも、佐緒里じゃないことは確かだ…。あんな、チューリップの洋服着るわけないしな)
いつも悪たれ口ばかりきく、憎たらしい妹だ。
いったい佐輔はどうなってしまったのだろう。やはり夢を見ているのだろうか。
(でも、いつも見るような夢とは何かが違う。何が違うんだろう)
佐輔を覗きこんでいた男女は何か小声で言いながら、佐輔のそばを離れて行った。
(今だ!)
とにかくどうにかして、今の状態から脱したかった。ありったけの力を頭部に集中させ、必死で身体に力を吹き込んだ。
佐輔の頭はクラクラとして、今度は本当に目が覚めた。
そこは、いつも見慣れた正真正銘の佐輔の部屋だったし、いつもと同じような朝だった。
不思議なことに、腕にはまだ少女が握った感触が残っていた。佐輔は感触が残っているその部分に自分の手をそっと当ててみた。
眠っている間に何かに触っていたのだろうか。それとも自分で握りしめて寝ていたのだろうか。とても奇妙な感じだった。
目が覚めたのだから、やっぱり今のは夢には違いないのだろうが、なんだかしっくりしない変な感じが心の中に残った、
昨日、布団に倒れ込んだのが6時半。今時計が表示しているのが6:00。たっぷり12時間も眠ったことになる。だが、続けて見た変な夢のおかげで、ぐっすり眠ったという充実感はなくて、半分起きていたような感じだった。
2階にある佐輔の部屋から下に降りて行くと、いつもの朝のように佐緒里がダイニングテーブルに先に座っていて、トーストをほおばっていた。
佐緒里はつんとすましていて、佐輔のことを完全に無視している。いつもと同じ朝の感じだ。
このところこの二人はとなりに座っても向かいに座っても一言も言葉を交わさずに、ただただ食べるだけだ。まだ良く目が覚め切っていないうちに口をきくと、けんかしているわけでもないのに、なんだか負けを認めるような気もちになる。だから、めったなことでは自分から話しかけたりはしない。
佐緒里は佐輔の事が本当に見えていないのじゃなかろうか。まるで透明人間を相手にしているような感じだ。佐輔はためにし、佐緒里の顔の前で思い切り顔をゆがめて、「イ~ッ」と口を真横に開ききってみた。
佐緒里は冷たい目で2、3秒佐輔を見つめた。
「ばか!」
まだイ~~ッと変な顔をしている佐輔に佐緒里は言い捨てて、食べ終わった自分の皿を流しに置くと、さっさと行ってしまった。
「ちぇっ。見えてるくせに。かわいくね~の」
母がおもしろそうにその様子を見て、
「相変わらずね」と佐輔をにらんだ。
「今日、あたし、少し遅くなるからね。ゲームばかりしていないで、ちゃんと勉強もしてよ! だいたいあんたは…」
おっと、母の小言が始まりそうだ。じゃあそろそろ逃げるに限る。もそもそ起き出して来た父を横目で見ながら、トーストを口にくわえると、佐輔は玄関に向かった。
「こら! ちゃんと座って食べて行きなさい! 落ち着きがないんだから!」
母の声が追いかけて来たが、ドアの外に出てしまえばこちらのものだ。