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怪盗モンブランと魔法の猫  作者: 望月 幸
第一章【コソ泥と猫の出会い】
8/19

八話【ピンチに陥ったことはあるか?】

 顔にいくつかひっかき傷をもらいつつ、殴り抜いたガラスの隙間から手を差し込み、鍵を開ける。そっと中を確認しつつ、開いた窓に体を滑り込ませた。マロンも軽やかなジャンプで、窓枠にぴょんと着地する。


 瞬間、目の前の景色がふわりと切り替わる感覚に襲われる。

 場所は、名だたる美術館か、博物館か。目指すお宝に続く通路には、赤いレーザー状のセンサーが蜘蛛の巣のように張り巡らされている。その隙間の一つ一つは、体がギリギリ通るか否かといういやらしさだ。まるで「ここを通ってみろ!」と挑発するかのように。

 怪盗モンブランはその挑発を喜んで受け入れ、磨き抜かれた柔軟性とバランス感覚を持った体一つで、そのレーザーの網を潜り抜けていくのだ……!


(アキトよ、何ぼけーっとしとるのじゃ?)

(……えっ!? ああ、すまないすまない)いつもの妄想癖が出てきてしまった。こんな肝心な場面でも、気持ちが昂るといつもこうだ。

 予想通り、そこは浴室だった。湯船のお湯は抜いてあるようだが、浴室全体に湿り気が感じられる。おそらく出勤前に、シャワーを浴びるか軽く入浴したのだろう。やはり朝は忙しいのか、風呂掃除はまだのようだ。

(ほら、マロン。足を拭いてあげるよ。そのままじゃ家を汚しちゃうだろ?)

(……お主も随分細かいのぉ)

 近くに掛けられていたタオルで綺麗にマロンの足を拭く。空き巣に入っておいてなんだが、必要以上にその家を荒らすということは避けるべきだ。これは師匠の教えでもあるが、それ以前に俺自身の考えでもある。だったらそもそも空き巣などするなという話でもあるが、俺にも生活があるのだ。


 浴室、洗面室を抜けて、一階の観察に入る。

 圧巻なのは、俺の部屋よりも広いLDKだ。十帖は軽く超えているだろう。片付いているというよりは、物が少ないという印象を受ける。蛇口から漏れる水滴が、寂しそうにポチャン、ポチャンとシンクの中の茶碗に水たまりを作っていた。

(広い部屋じゃのぉ。お主の部屋とはえらい違いじゃ)そんなマロンの煽りを無視しながら考えを巡らせる。

(子供もいないし、共働きだからね。家の中で過ごす時間が短い以上、物も少なくて済むんだろうさ)

 目につくものと言えばせいぜい、背の高い観葉植物の数々と、立てかけられたゴルフクラブにクラブケースくらいか。ゴルフの面白さはよくわからないが、観葉植物くらいは俺の部屋に置いておいてもいいかもしれない。鮮やかな緑色が、無機質な部屋の中に自然の香りを振りまいていた。


 一階は他にめぼしい部屋も無いようなので二階に上がる。一階とは違い、こちらは洋室が三部屋あるようだ。一つはトレーニング器具がいくつか置かれた部屋、一つはダブルベッドが置かれた寝室、一つは天井近くまで雑多に物が積まれた物置――といった具合だ。

(こちらは随分な散らかりようじゃな……って、お主、なにをしておるのじゃ?)

(……えっ? 俺、今何かしていたか?)

(うむ。小動物みたいに、鼻をヒクつかせていたぞ。何か臭うのか?)

(ああ、それか。ほら、よく漫画で「お宝の匂いが……!」とかあるだろ? だから金目のものを盗むときは、よくこうしてるのさ)と、先ほどより荒くクンクンと鼻を鳴らして見せた。

(……まあよい。それでお主の鼻は、どの部屋に金目のものがあると言っとるんじゃ?)

(ん~、そうだなぁ。俺は寝室が怪しいと思うんだ)

(ほう。儂には当たりの見当もつかぬし、お主の勘を信じてみるとするか)

(勘と言わず、嗅覚と言ってほしいなぁ……)

 ぶつくさ言いながら、俺たちは寝室に入って行った。

 先ほどのリビングとは違い、こちらには生活感が溢れていた。パッと見ではビジネスホテルの一室のようだが、くしゃくしゃのベッドに脱ぎ散らかされたパジャマ。鏡台には土肥夫妻の旅行の写真だろうか、仲睦まじい二人の笑顔が眩しい写真がいくつも立てかけられている。俺の身長ほどの本棚には、ビジネス書や自己啓発本が何冊も並べられている。月刊のゴルフ雑誌は三冊のみ。ゴルフ歴はまだ浅いのかもしれない。クローゼットの中には、クリーニングから戻ってきたばかりのスーツが三着目に入る。私服の類は少ないが、ベージュの薄手のコートは夜が冷える今の季節では重宝するかもしれない。

(儂が思うに、あの白いキャビネットが怪しいんじゃないかのう)

 そう言って、マロンは白い足で部屋の角のキャビネットを指さした。確かに、小物がたくさん入りそうだし、金庫のようなサイズのあるものでも十分収納できそうだ。

 しかし、俺が選んだのは鏡台だった。右側の、真ん中の段。その幅の狭い引き出しを引っ張り出すと、高級なお菓子でも入っていそうなこげ茶色の箱が現れる。天使たちが描かれた純白の箱をそっと開けてみると――

(ほうら! 俺の勘もバカにならないだろう?)

(う……嘘にゃ! 一発で……)

 宝石があしらわれた指輪たちの前で驚愕するマロンに、もう一度スンスンと鼻を鳴らして見せた。俺の嗅覚の鋭さは、歴戦の泥棒である師匠すら認めるほどのものだ。彼女からは「ワンちゃんみたい」と、たまに無邪気な笑みで褒められることもあるが、それはまた別の話だ。


 時計を見ると、土肥家に着いてから十分ほど経過していた。空き巣の活動時間としては、これくらいでキリを付けるべきか。俺はその指輪たちをリュックの中にしまい込もうとするが、マロンの耳としっぽがぴくぴく動いていることに気が付いた。

(どうした、マロン? お腹でも空いたか)そういえば朝食の時、マロンとキャットフードを買う約束をしていたっけ。そんな呑気な考えも浮かぶようになっていた。

(……敷地内に何か来たようじゃ。ここへ来る途中にいくつか見たが、「くるま」とかいう乗り物じゃろうな)

 急に、背筋に冷たいものが走る。氷点下の世界に放り出されたかのように体が冷たくなった。床を這いつくばり、窓からそっと顔をのぞかせる。

 そこにあったのは、赤いコンパクトカーだった。間違いない、土肥夫妻の奥さんの方、土肥凜子どひりんこさんの愛車だった。ちょうど車体の前方がガレージに入っていて顔は見えないが、窓からちらりとのぞく茶色のロングヘアが揺れている。

(どっ、どうしてこんな時間に帰ってくるんだ!? さっきキッチンを見た時、確かに弁当の分まで調理した跡があったのに!?)動揺して、窓から飛び退いた。この数日の観察と部屋の様子から、凜子さんが出勤しているのは間違いなかった。再び窓から確認することもできない俺の代わりに、マロンが耳をそばだててその気配を探る。

(どうやら、こちらに近づいておるぞ。……カチャカチャと音が聞こえる。鍵を開けておるんじゃろう。まっすぐここに来れば、あと十秒ちょっとで鉢合わせじゃな)

(どどどっ、どうしよう、マロン!)

(まあ、向こうは女じゃ。力づくで襲い掛かれば、お主が勝てるじゃろう)

(そんな手荒なことできないよ! 俺は金目のものが欲しいだけで、暴力を働きたいわけじゃないんだ!)

(お主は、妙なところで律儀じゃのう――)

 そんな不毛な会話を繰り広げるうちに、階段の軋む音が聞こえてきた。今度はマロンの猫の耳じゃなくても聞こえる。運の悪いことに、まっすぐ二階に上がってきているようだ……!


 バンッ! と、勢いよくドアが開く。寝室に飛び込んだ凜子さんの手には、リビングで見かけたゴルフクラブの一本が力強く握られていた。その顔はこわばっているが、表情に反して青白さが滲んでいる。

「……誰もいない?」

 寝室を見渡した凜子さんは、同じ部屋にいる俺たちを見つけることはできなかった。

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