住む世界
その日、子ライオンのイオは一匹で野原を散歩していた。
イオは兄弟の中で一番心の優しいライオンだったので、いつも兄弟にミルクを譲ってしまっていた。だからイオは、一番体の弱いライオンになってしまった。
「イオ、あなたが男の子で良かったわ」
それは、イオのお母さんの口癖だった。
ライオンのオスは基本的に狩りをしない。狩りをするのはメスの仕事で、オスは木の下で子どもを見守るか寝ているか。
だから、心優しいイオが男の子で良かったと、彼の母も父も思っていたのだ。
イオは他の兄弟のように、狩りの練習をするでもなく、大人になるための訓練をするでもなく、だたボーっと空を眺めるか、こうやって散歩をするのが好きなライオンである。サバンナは危険が多いため、あまり遠くには行けない。しかし今日は、考え事をしながら歩いていたため、いつもより少し遠くまで来てしまっていた。
「あぁ。こんなとこまで来ちゃった。お母さんに怒られちゃう」
イオは慌てて元来た道を戻ろうとした。でも、ここは広い野原。イオは自分がどこをどう通ってきたのか、分からなくなってしまったのだ。
「どうしよう。迷子になっちゃった!これじゃあ帰れないよ」
イオが半分泣きそうになりながら、そこら辺を行ったり来たりしていると、象の親子が歩いてきた。象は群れで暮らす生き物で、その親子も3匹の大人の象に3匹の小象がくっついていた。
いくらライオンでも象に手出しすることはほとんどなく、飢えて死にそうな時にしか襲わないという。それくらい象の力は恐ろしく、強大なものなのだ。イオは象の群れを見て、母の言葉を思い出し、ますます泣き出しそうになった。
「どうしよう。殺されちゃう!!!」
「君、迷子?」
群れの一頭である小象が話しかけてきた。彼は好奇心旺盛で、以前もハイエナにちょっかいを出して殺されそうになったことがある。そんな経験をしているというのに、今回もイオに話しかけてきたのだ。
「う、うん」
その様子をほかの象たちは警戒しながら見守っている。
「そっか。ライオンの親子だったらあっちの方で見たよ。誰かを探してるみたいだったから、君のお母さんかも」
そう言ってその小象は、自分達が来た方向を鼻で指した。それから、自分の群れに何かを言ってイオに近くまで送っていくと言った。警戒して姿勢を低くしていたイオは、象の思わぬ提案にどうしようかと考えた。一匹で家族の元に行くのは心細いが、象と一緒というのが少し怖い。イオがどうしようかと悩んでいると、一匹の象がイオの近くまで進み出た。
「子ライオン。私たちは草食だし、襲われない限り襲うことはない。あんたが襲わないと約束するなら、近くまで送ってあげるよ」
ほかの象たちも同意するように鼻をゆさゆさと揺らした。イオは、自分だってライオンの端くれだと覚悟を決めて、象たちに送って行ってもらうことにした。そこで、最初に声をかけてきた小象とその母親がイオを送って行くことになった。ほかの4頭は、ここで休憩しているという。
「僕、エルっていうんだ」
「ぼくはイオ」
「僕、ライオンと話すの初めてだよ!」
「ぼくも!象と会うのも、話すのも初めて!」
エルは、以前にハイエナと話したことがあり、その時は死にかけたことを恥ずかしそうに話した。そしてイオは、自分より体の大きなエルの足元をうろうろしながら楽しそうに話を聞いていた。その様子を母象は警戒しながらも楽しそうに見守っている。
「普通、ライオンと象は話さないんだよ。関わりも持たない。まったく、エルの好奇心には困ったものだよ」
そう言いつつも、付き合ってあげるこの母象を、イオは優しい象だと思った。
「あっお母さんだ!」
イオがそう声を上げると、確かに遠くの方にライオンの親子がいるのが見える。母象はライオンの姿を認めると、イオとエルに声をかけた。
「イオ、ここまででいいわね。エル、戻りましょう」
エルは、大人のライオンにも興味を示していたが、母象からダメだと言われて渋々諦めた。エルたちが帰るのを見届けると、イオも自分の家族の元に戻って行った。
「あぁ!イオが帰ってきた」「弱虫イオが帰ってきた!」「どうせボーっとしてたんだろ」
イオが兄弟のところに行くと、兄弟は口々にイオに声をかけた。憎まれ口を叩いていても、心配はしてくれていたらしい。とりわけ母ライオンからは前足で叩かれた上に、首を咥えられて投げ飛ばされた。
「どこに行ってたの!散歩はあの木までだって言っていたでしょう!」
「ごめんなさい」
「ハイエナに喰われたか、象やカバに踏まれたかと思ったわ」
その象に送ってもらったとイオが言うと、兄弟たちはイオを羨望の目で見た。しかし母ライオンは目を剥いて怒った。
「そんな危ないことして!象が怒らなかったから良かったけど。
この際だから、皆にも言っておきます!私たち肉食動物と彼ら草食動物は住む世界が違うの。同じ肉食でもハイエナや豹なんかと違うようにね。特に象やカバは怒らせたら怖い。いくらライオンでも殺されることがある。だから、絶対近づいてはダメよ!」
母ライオンはそう言うと、獲物を捕りに出掛けて行った。その様子を見ていた父ライオンは、同意するように頷いた。
「でも、エルは友達なんだ・・・」
イオのその小さな呟きは、サバンナの風にかき消された。