52 魔王討伐、そして……
毎朝、起きると三流宿に準備されている朝食を食べる。朝食を準備してくれる宿の受付の娘、ターシャという名前だったが、そのことも打ち解け、雑談をする関係になった。三流宿に泊まっている女性の冒険者は少ないし、彼女にとっても私は話しやすいのだと思う。
「そういえば聴いちゃったのだけど、ターシャちゃん、城門の門番さんを振ったらしいわね」と私は朝食後のお茶を飲みながら、向かいのテーブルを片付けていたターシャちゃんに声を掛ける。
「えっ、モニカさん、どこでそんな話を聞いたんですか!」と彼女は大声で言った。彼女は驚いたのだろう。彼女が持ち上げていた食器が危うく落ちるところだった。
「まぁ、冒険者は情報が命だし?」と軽くウインクをしながらターシャに言った。
「そんな情報までギルドで出回ってたりするんですか? もしかして、冒険者の方はそのことを知ってるんですか? 宿の受付するの、恥ずかしくなりそうです」と顔を真っ赤にして彼女は言う。
「それは安心して。知っているのは私だけだと思うわ。本人と、それから貴方のお兄さんから直接聞いたのよ」と私は言う。ターシャちゃん、初々しいなぁ。
「本当ですか。もう、兄は何を話しているんだか……。家に帰ったら文句言っておきます!」と、今度は頬を膨らましている。
感情が素直に表情に出る、純粋な子だなぁと思う。両頬と鼻にあるソバカスが、彼女の可愛さを増している。彼女の無垢な笑顔を見るだけで、心が晴れやかになる。それに、食器の下げ方や部屋の掃除の仕方を見ていても、テキパキと働いていて、この子の器量の良さが分かる。年齢的にもお年頃と言った感じだし、エイラトの町の優良物件と言ったところだろう。
この宿に泊まっている冒険者の男の何人かも、彼女に対して特別な視線を送っているしね。もっとも、この数日私が早起きして朝食をゆっくり食べることにしたせいで、そんな男どもとターシャちゃんが会話を交える機会が減ってしまっているようで、男どもは不満だろうけど。お邪魔虫的な視線を冒険者から送られるのは、多少心外ではある。売れ残り物件が邪魔するな的な視線を受けてるけど、私だって、一応、妙齢の独身女性ではあるのだけど……。それに、魔王討伐の報酬があるから、お金持ちよ? 百万年くらいなら養っていけるわよ? なんて思う。
「門番の彼、なかなか素敵だったと思ったけれどね。寡黙で真面目な感じがしてさ」と私は言う。寡黙というよりは、人が道を尋ねても口を開かないような人だけどね。勤務中は、余計な口をきいてはいけないというような門番の規則か何かがあるからなのらしいが。
「そうですねぇ。内緒ですけど、時々後悔しちゃうときがあります。買い物の帰りとかに、城門を守っている姿を見かけると、少しですけど胸がチクリと」とターシャちゃんは言う。私にもそんな時期があった。携帯を見つめて、「最近、元気?」くらいのメールを送ってみようかな、と思ったり。
「それなら、もう一度やり直してみたら? 直接本人に言うのも恥ずかしいなら、お兄さん経由でも? きっと、彼もまだ、ターシャちゃんのことが心に残っているのではないかしら」と私は言う。
彼はまだあなたが好きだわよ、と私は断言したりなどはしない。それは、本人達が互いに確かめ合うことであって外野が言うべきではない、というのが同期や後輩の結婚を見送り続けた私の持論だ。
「そうですか。でも、う~ん」とターシャちゃんは天井を見上げ、お盆を持ちながら悩み始める。
「まぁ、ゆっくりと考えなさいな。もしかしたら、もっと素敵な人が現れるかもしれないしね」と私は言った後、「もっと素敵な人が現われるって、過度に期待し過ぎるのもダメだけどね」と付け加える。ちなみにこれは経験則。
「そっかぁ。でも、決めました。彼の影が伸びていて、それを私が踏めそうだったら、その時は踏みます」と、ターシャちゃんは言った。彼女が何かの決意をしたように見える。
「え? 影を踏む? 何それ? 鬼ごっこ?」と私は聞く。
「モニカさん、知らないんですか? 影踏みですよ」とターシャちゃんは驚いている。
「影踏みはわかるのだけど、えっと、たしか、何かのスキルだったかしら?」と私は聞く。もちろん、知ったか振りであるけれど。
「え~。モニカさんが知らないのは意外です」とターシャちゃんは言って、「影踏みというのは、夕暮れ時や月夜で長くなった、思い人の影を踏むことです。踏むことが出来たら、思いは通じるという言い伝えです。でも、相手に見つからないように踏まなきゃいけないんです。もし、見つかったら、思いは通じることはないとも言われています」と続けた。
「それは知らなかったわ。浪漫がある話ね」と私は言う。薄暮時に、相手に見つからないように影を踏むというのは、出来そうで出来ない感じ。マカイラスさんなら、人の気配に気付きそうだから、気付かれずに影を踏むなんて、無理だろうけどね。でも、私も似たようなことを、はるか昔にやった記憶があるわ。好きな人の名前を消しゴムに書き、誰にも見つからないようにして使い切れば、両想いになれる、ということを試みた気がする。
「モニカさんが夕方や月夜に外を歩いたら、影を踏もうと男たちが押し寄せそうなものですけどね」とターシャちゃんは言う。
「そうだったら嬉しいわね」と私は答えるが、ふと思う。薄暗くなった道で、私に気づかれないように近づく男……、もし私がそんな忍び寄る男を見つけたら、即ストーカー認定、即通報だ。ロマンティックというより、ルナティックな気がしてくる。
「きっとそうですよ。私なんて、どこにでもいるような髪の色ですし、モニカさんのような薄茶色の髪って、珍しい色ですよね。羨ましいです」とターシャちゃんは笑顔で言った。いやいや、あなたの黄金のように輝くブロンドの髪が羨ましいわよって思う。
「これは地毛じゃなくて染めているのよね……」と言いながら、私は重要な事態に気づいてしまった。私は派手にならない程度に髪の毛を栗色に染めている。そしてもちろん、この世界に染髪剤があるとは思えない。このままだと頭がプリンになってしまう。悠長に3か月間もこの町で訓練をしている場合ではないのではないか。
「染めている? もしかして、魔法で髪の毛の色を変えているのですか? 私も、モニカさんのような髪の色にしてみたいです」と、ターシャちゃんは、目をキラキラ輝かせている。
「ごめんなさい。私はできないの。私も、しばらくしたら元の髪の毛の色に戻るわ」とターシャちゃんに言う。
「それは残念です。でも、元々の色って何色なんですか?」とターシャちゃんは言う。
「地毛は、黒色よ。この街では、あまりみない色かも知れないわね」と私は答える。実際、この街で黒髪はあまり見ない。
「黒髪? もしかして、モニカさんって、ダークエルフですか? あ、でも、ダークエルフなのにエルフのトクソさんとパーティーを組むっていうのは、大丈夫なんですか?」とターシャさんが私を捲し立てる。
ダークエルフってなんだよ、と思う。トクソさんは銀髪だが、私の地毛が黒ということで、なぜ私がダークエルフということになるのか。ダーク、イコール、黒だからだろうか。
「私は人類よ。エルフじゃないわよ。耳だって普通でしょ」と私は髪をかき分けて、耳をターシャちゃんに見せる。
「失礼しました。モニカさんって、スラッとされているので、もしかしたらと思ったんです」と、ターシャさんは言う。
「別に気にしないわ。じゃあ、私はそろそろ行かないといけないから、また明日ね」と私は言う。本当に気になどしていない。ターシャちゃんが「スラッとされているので」と言った時、私の胸を一瞬ちらりと見たことなど、まったく気にしていない。Fを軽く越えていそうな胸で、ウエストが私よりも細いあなたの方が、本当に人類かよって感じよ、と言いたくなったが、無邪気さ故ということなのだろう。気になどしたりしない。
「お互いに頑張りましょう。私も、何かあったらモニカさんに報告しますね!」と言って、ターシャちゃんは厨房へと消えていった。
どうやらターシャちゃんから恋話をする友達に認定されてしまったようだ。年齢を考えれば、一回り以上は違うだろうに……。
私は、コップに残ったお茶を飲み干し、三流宿を出る。




