39 魔王討伐、そして……
グロテスクな惨状となってしまったネズミの死体をマカイラスさんとトクソさんは検分する。
「やはり、サイクロプスと同じ状態になったな」とトクソさんが言う。
サイクロプスの死体の状況は、先日の数日間で嫌というほど見てきたから見間違ったりしはしない。サイクロプスと同じ現象がネズミにも起きている。
「ああ。モニカ、お前がサイクロプスを倒したということは、自分で納得できたか?」とマカイラスさんが言う。頭ではやはり納得はしていないけれど、感覚的に私がやったということは嫌なほど理解できる。私は頷いた。
「皮膚が凍っている? 冷たいぞ」とネズミを触りながらトクソさんが叫んだ。
「え? 死んでしまったから冷たいのではないの?」と私は聞く。マカイラスさんも、トクソさんと同じように触り、「確かに凍っているぞ。ここの毛は、朝霜のようになっているな」と言う。ネズミの背中の毛並みの一部が、リーゼントをしたかのように束になってぴしっと立っていた。
「死んでからまだ時間が経っていないだろう。こんなに早く冷たくなったりはしない。それに、凍るほど冷たくなったりもしない」とトクソさんに言われ、それもそうだ、と私は思った。
「モニカ、何か気付くことがあるかも知れない。お前もそんな離れたとこから見てないで、近づいてよく見てみてくれ」というマカイラスさんの無情の声が響く。
仕方ないから右足と左足を1歩ずつ前に動かす。
「いや、もっと近づけ。俺も共犯だが、こいつを殺したのはお前だ。これを食べろとは言わん。しかし、死を無駄にしないように精一杯に俺達は努力するべきだ」とトクソさんが言った。私はちょっと躊躇ったが、殺したという後ろめたい気持ちが大きくなり、私も横たわるネズミの前に屈む。そして、私は目を閉じて、「ごめんなさい。あなたの死を無駄にしないように頑張ります」と両手を合わせて祈った。
目を開けると、マカイラスさんとトクソさんが私を見つめていた。
「ん?」と私は首を傾げて言う。
「いや、その仕草、食事の前にお前がしていたやつと同じものかが気になったんだ。清らかな仕草だな、と思ってな」とマカイラスさんが言う。マカイラスさんは、食事の前の「いただきます」のことを言っているのだろう。
「あ、食べるつもりでしたんじゃないからね」と私は言う。
「食事の時もそうだったが、お前が奪った命に敬意を払っていることは分かる。1人のエルフ族として、それには好感が持てる」とトクソさんが言った。真面目な顔して、好感が持てる、なんて言われるとちょっと照れる。
食事の時の「いただきます」は習慣として無意識にやっていた。しかし、振り返ってみると食事の席で、「いただきます」をしていた人はこの世界では見ていない。日本ならありふれた光景だろうけど。この世界では、「いただきます」は独特の所作なのかも知れない。この2人、細かいところまで良く見てるわね。
それにしても、なんか褒められたような感じになってしまった。持ち上げられたからには、ネズミがどうしてこうなったのか、原因を何がなんでも解明しないといけない空気になってしまったじゃない。
私は、思い切ってネズミに触れる。私の掌に冷たい感触が伝わってきた。この冷たさも、魔法の効果ということで間違いないだろう。この氷のような冷たさは不自然過ぎる。
「確かに冷たいわね。サイクロプスの時も、こういう状況だったのかしら」と私は2人に聞く。サイクロプスを倒した後、疫病かも知れないという話が持ち上がり、死体の片付けを始めるまでに半日以上経ってしまっていた。私がサイクロプスの全身骨格を作る作業の時は、すでにサイクロプスは、冷たくなっていたけれど、このネズミのように不自然な冷たさでは無かった。
「いや、サイクロプスが倒れた時は、サイクロプスに触るということまではしていないから分からないな」とマカイラスさんが言う。
サイクロプスが倒れた時に様子を見に行った2人ならば分かるかもと思ったが、分からないようだ。まぁ、サイクロプスが死んだふりをしているかも知れないという状況で、あの惨状だ。仕方ないと言えば仕方ない。
「ただ、感覚的なことで申し訳ないが、サイクロプスの様子を見に行った時は、サイクロプスのいた周囲の空気は冷たかったように思う。背筋が寒くなっていただけかも知れないから、確かとは言えないが」とマカイラスさんはさらに言った。
「わかったわ。ありがとう」と私は言った。はっきりとは言えないが、サイクロプスも同じようになったと仮定して推論をした方が良いだろう。それに、目玉が飛び出ていたり、体中のあちこちから血が噴き出していたりしているという点では、同じ状況だしね。同じことが起こったと考えて間違いないだろう。まぁ、私も、同じ魔法を使ったはずだし……。
それにしても気圧魔法を使って気圧を下げたのに、なぜ凍ったようになっているのか、理由がさっぱり分からない。それに、凍っただけなら血が吹き出たりしないように思う。飛び出してきた目玉から気泡が出ていたのは、凍るというよりも、沸かした鍋が沸騰したような、そんな感じだった。でも、沸騰したのに凍るというのは、物理現象としておかしい。温度が低い順に、固体、液体、気体と状態が変わるはずだし。魔法なんだから物理現象では説明できないことって言ってしまってはそれまでだけど、この世界もちゃんと重力もあれば太陽もある。物理法則は共通していると思うのよね。マカイラスさんがペガサスを見た後に見せてくれた、空烈横一閃という魔法だって、かまいたちが発生する状況を魔法で作り出しているだけだと思う。魔法は、科学とは違った方法で物理法則に作用しているというという印象ではあるのだけどね。
「モニカ、何か分かったことはあるか?」とマカイラスさんが聞いた。
「いえ、分からないわ」と私は言って「この魔法で、魔王は倒せそうなの?」と私は逆に質問をする。考えても分からないし、魔王が倒せるならそれでいいじゃん、という気持ちになったというのが正直なところだ。
「正直、凍らせる、というようなことでは、魔王は倒せないだろう。氷魔法を使う勇者もいたと聞いているからな。しかし、この魔法はただ凍らせるだけの魔法では無いように思えるのだ。もう少し、判断できるような材料が欲しい」とトクソさんが言った。
「確かに噂を聞く限り、凍らせて死んでくれるような奴ではないからな」とマカイラスさんも言う。
「凍らせる以外には、気圧を下げているはずだから、酸素も少なくなっているはずよ。この魔法にはそういう効果もあるはずだわ」と私は言う。飛んでいる鳥を落とす事ができていたのは、気圧を下げて、鳥を一時的に酸欠状態にしていたからのはずだ。
「すまん、酸素って何だ?」とマカイラスさんが言う。トクソさんも、私が言ったことが分からなかったようだ。酸素は、酸素なのだけど。O2と言っても、通じないだろう。
「えっと、私達が生きるのに必要なもの? 呼吸をしているのも、酸素ってものを吸うためなの。酸素がなかったら、水の中で溺れたように苦しくなって、死ぬの。そういうものかな? あと、高い山に登ったりしたら、息苦しくなるでしょ? あれは、酸素が減っているからなの」と私はしどろもどろになりながら説明した。
「空気のことか?」とマカイラスさんは言う。
空気は分かるのね、と安堵しながら「まぁ、そうよ」と私は誤解を承知で肯定する。酸素とか窒素とか二酸化炭素とか、存在を知らない人にそんなことを説明するのが無理だろう。
「空気が無くなれば死ぬだろうな。しかし、空気が無くなると、凍るものなのか?」とトクソさんが尋ねる。核心を突く、鋭い質問だと私は思った。
「私も、そこがよく分からないのよ」と私は答える。
「だが、高い山の上に登るにしたがって寒くなっていくぜ。アララト山の山頂なんて、夏でも雪が溶けていないぜ」とマカイラスさんが言う。
「気圧が低くなって温度が下がったということもあると思うのよ。でも、それで、血が吹き出たりしていることが説明できないのよ。窒息して、凍るだけってなら、それで納得なんだけどね。それだけなら、あなた達だって、サイクロプスが死んだのが疫病だったなんて勘違いしないでしょ?」と私は言う。死体がグロテスクになる理由がはっきり言って分からない。
「それもそうだな。アララト山頂に豹霊白っていう薬草を採取しに行ったことがあるが、寒かっただけで、血が俺の体から吹き出たりはしなかったな。目玉も、幸いなことにまだ顔に付いているぜ」とマカイラスさんが笑いながら言う。
「まだまだ考えなくてはならないことが多いようだな。だが、まずは朝飯にしないか?」とトクソさんが言った。
「あ、確かに朝だしお腹は減ったわね。昨日もエールを飲みながら干し肉を少し食べただけだったし」と私は言う。
「その意見に賛成だ。まずは腹を膨らませないと、頭も回らないしな」
「では、話し合いは一時中断して飯にしよう。パンと野菜と塩は持って来た」とトクソさんが背嚢から、鍋や食料を取り出す。
私とマカイラスさんはお酒を飲んでいた状態ですぐに飛ばされたから、食料も毛布も持っていない。トクソさんは、転送魔法を使う魔術師の魔力の回復までの時間を利用し、夜を徹して討伐に行くための装備の準備をしてくれたとのことだ。とても気が利くし、助かった。セーブクリスタルの効果があるからここで寝ても体調が悪くなることはないが、他の場所で野宿をするならば、夜の寒さに耐えるのはさぞかしきつかったであろう。
ちなみに、マカイラスさんと私が背負う分の背嚢もトクソさんは持って来てくれている。しかし、この背嚢、中身が詰まっていて、結構重い。これを背負って歩くって、嫌なんだけど。こんな森の中を重い荷物を背負って歩くの、勘弁して欲しい……。




