36 魔王討伐、そして……
擬音語で表現すれば、ぴーぽろろ、だろうか。ちゅんちゅちゅちゅん、だろうか。ぽっぽっぽ、鳩ぽっぽだろうか。こけこっこー、ではないだろう。
とりあえず、森の朝は五月蠅かった。嫌でも目が覚める。鳥の鳴き声って、いろいろな種類があるのだな、と当たり前のことを気づかされた。あと、頭に響いて嫌でも目が覚めてしまうような鳴き声と、聞いていても夢心地のままでいられる鳴き声とがあるということも身を以って知った。
辺りはまだ薄明かりで、太陽が山の背から顔を出してもいない。上半身を起き上がって辺りを私は見渡す。マカイラスさんの姿がなかった。そして、私が上半身を預けていた場所に、花が一輪潰れていた。なんの花なのかは分からないが、黄色と白色との斑色の花だ。
「あ、ごめんね」と私は小声で呟く。私の体で押し花をしてしまった。昨日、良く確認してから寝そべれば良かったな、なんて少し後悔をした。
私は、水晶石の置いてある岩の下から湧き出ている水で顔を洗い、簡単に寝癖を整えた。歯磨きもしたいし、洗顔もしたい。
あ、でも、お肌がなんか凄い水気があって、張りがある感じになっている。頬を触った両手の感触が、赤ちゃんの肌のようだ。そして肌の弾力が違う。10歳くらい若返った肌の感触!! これも水晶石、セーブポイントの効能なのだろうか。これ、一家に一個くらいあれば、夜のお手入れとか要らなくなるんではないだろうか。こんな森の中に置いておくのはもったいない。できれば持ち帰って、枕元に置いておきたいなぁと思う。別に盗むつもりではなかったけど、持って帰れないかなと思って持ち上げようとしたが、どうも岩と固定されてしまっているらしく、持ち上げることができなかった。すごく残念。この水晶石を砕いたとして、その欠片でも同じ効能があるのなら、マカイラスさんにお願いして砕いてもらってもよいかも知れない。パワーストーンとして重宝したい。この世界って、加湿器がまだ発明されていないらしく、どうも朝起きると肌が乾燥気味なのよねぇ。マイナスイオンの加湿器とか、贅沢は言わないけれど、加湿器くらいは宿の部屋に欲しいなぁ。
そういえばマカイラスさんは何処へ行ったのだろうかと、辺りを見渡しても彼の姿はない。ただ、鳥の鳴き声に紛れて、水音がする。耳を澄ますと、ばしゃばしゃという音が聞こえる。おそらく、近くに池があって、そこで水浴びでもしているのだろうと思う。今行けば、なんか、見ちゃいけないものを見てしまいそうだから、とりあえずここで待っていようと思う。
・
「おう、モニカ、起きたのか」と、マカイラスさんが茂みの向こうから私に声を掛ける。一応、恐る恐るマカイラスさんの方を見ると、上半身裸だった。下は、茂みに隠れて見えない。
「おはよう。でも、まずは服を着てよね」と私は言って、水晶石の方を向いて、マカイラスさんが視界に入らないようにした。
「ああ、すまん。ちょっと待っててくれ」と、マカイラスさんは言う。
暫くして「待たせたな。モニカも水浴びしてくるか? 水は冷たいが、セーブポイントの影響で、暖かいぞ」とマカイラスさんが言う。
冷たいけれど、暖かいって意味が分からないのだけど、朝シャンしたいとは思う。
「私が水浴びしていても、覗かないでよね。ここで正座して。あと、目隠しも」と、私は言う。そして持っていた手拭いをマカイラスさんの目に当てて巻いて、目隠しの代用をした。そして、先ほど潰してしまった花をそっとマカイラスさんの頭の上に置く。
「動かないでよね。もし、少しでも動いたら、覗いたと思って、とっちめるからね!」と言って、私も水浴びに向かう。マカイラスさんの頭に置いた花びらの角度は憶えた。この花の向きが変わっていたら、マカイラスさんは、動いたということ、つまり私の水浴びを覗いたということだ。
「ああ、分かったよ。さっさと行ってこい。その池も安全なはずだが、万が一何かあったら、声を上げろ。その時は助けに行くからな」と、マカイラスさんが言った。
「何か危ないと思ったらそうするわ。とりあえず、動かないでよね! 覗いたら、本当に怒るからね!」と私は言って、水浴びに向かった。
・
水場は茂みの向こうにあった。水晶石の下の岩の湧き水が溜まってできた池なのだろう。水は冷たいのだけど、マカイラスさんの言う通り、体感上は本当に暖かい。温水プールに入っているような感覚だ。あの水晶石、一家に一台置いとけば、給湯器も不要となるのではないだろうか。本気で持ち帰りたくなってしまう。
水浴びを終え、私はタオルを持って居ないことに気がついた。最悪なことに、下着も池で簡単に手洗いしてしまっている。マカイラスさんは、どうやって体を乾かしたのだろうか。体が濡れたまま服を着たということはないだろう。マカイラスさんの頭に花を置いた際の印象では、髪も乾いていた。どうやったのだろう。
あ、そうか。マカイラスさん、風魔法が使えるとか言っていたから、ドライヤーを魔法で作り出したのかもしれない。私は、しかたなく脱いだ服で隠すところは隠しながら、マカイラスさんが正座している所に向かった。
「マカイラスさん、タオルとか持ってますか?」と私は茂みに隠れながら聞く。
「そんなの持ってないぞ。俺の魔法で乾かすか?」とマカイラスさんが言う。思った通り、風魔法で水気を弾いたのだろう。魔法って、結構便利ね、と思う。
「私もそれ、お願いできます? もちろん、マカイラスさんは目隠しをしたままでですけど」と、私は聞く。
「そんなことは容易いぞ。場所だけ分かるように言ってくれ」と、マカイラスさんは言った。マカイラスさんの頭の上に置いた花を見る限り、本当にマカイラスさんはずっと動かないでいたようだ。ちょっとは信用しても良さそうと思う。とりあえず、いきなり隠す所は隠すとは言え、全裸で前に出るのはためらいがあったので、私は近くに生えていた木の枝を折り、その枝の先に下着を掛ける。そして、茂みからその下着をマカイラスさんの前にぶら下げる。
「マカイラスさんから見て、右斜め前の少し上方に風魔法を使ってください。乾燥する風を送ってください。あ、飛ばないようなゆっくりとした風でお願いします」と私は言う。
「わかった。風の強弱も指示をしてくれ」とマカイラスさんは言った。そして、枝にぶら下げた下着が微かに揺れ始める。
「もうちょっと強くしてで大丈夫よ。そんなそよ風じゃ、乾くのに時間がかかってしまうわ」と私はマカイラスさんに注文をつける。
下着の揺れが大きくなる。ブラのホックがぶらんぶらんと揺れているから、扇風機の中くらいの勢いの風だろう。それにしても、風魔法って使えるの便利ね。扇風機入らずだわ。欲を言えば、温風を送ったりできないのかしら。そしてたら暖房要らずにもなるわね。
スゥ、スゥ、スゥ、という、風の音ではない音が響く。あ、水晶石の音だ、と思ったら、トクソさんが立っていた。
「待たせたな。って、お前ら何をやっているんだ。目隠しして正座? 顔の前に下着をぶら下げて。馬の顔の前に人参をぶら下げると、馬が全力で走るらしいと聞いたことがあったが……。それに、モニカは裸なのか。よく分からないが、何かのプレイなのか? 人間族の趣向はやはり理解しがたいな」とトクソさん言った。彼の目には、心なしか軽蔑の色が映っている。
「な、いきなり現れないでよ」と言って、私は茂みに屈んで身を隠す。「それに、冷静に現状分析してないで、少しは慌てなさいよ。覗き魔! 出歯亀!」と私は言う。
仕方ないので、結局まだ半乾きにもなっていないのを着た。乾いていないのに着ると、後から変な匂いがしてくるのよね。
私が服を着て茂みから出ると、マカイラスさんとトクソさんは地面に胡座座りをしていた。マカイラスさんは、既に目隠しを外していた。私も、彼等が座っている場所に座った。
「やっと、全員揃ったところで、現状の分析と今後の方針を打ち合わせしよう」とトクソさんが言う。私が来るのが遅かったみたいな言い方だった。私はちょっとイラッとする。あなたが来るのが遅かったんじゃないのよ。しかも、現れるタイミングも最悪だし!
「トクソさん。その前に私に言うことがあるんじゃないの?」と私は叫ぶ。転送されて来たという不可抗力を勘案したとしても、見たからには見たなりの対応があると私は思う。もうお嫁に行けない、とか言う年齢ではないけれどね……。既にお嫁に行き遅れている……と言う年齢ではないと自分では信じている。
「何を俺が言わなければならないのだ?」とトクソさんは真顔で言う。マカイラスさんは苦笑している。
「ここに来るなら来るで随分と遅いし、私の下着と裸を見たんだし。先に謝るのが筋じゃないのかしら。なんか普通にスルーされるのって、結構腹立つわ」と私は言う。別に、「目の保養になったぜ」とか「眼福、眼福」とか、そんなコメントは期待していなし、そんなことを言われる程のスタイルでもないけど、無性に腹が立つ。
「遅くなったのは、魔術師達の魔力が無くなったからだ。奴らの魔力の回復を待っていたのだ。謝るべきことではない。それに、お前のを見たから何だというのだ? お前は、鳥の生け捕りを最近していたな。お前は、雄の鳥を見て、欲情するのか?」とトクソさんは言う。
「は? 意味分からないのだけれど。話をはぐらかさないでよ!」と私は言う。女の意地というものが私にだってある。
「少し冷静になれ」とマカイラスさんが叫び、「モニカ、お前の気持ちも分かるが、トクソはエルフだ。そのことを分かってやってくれ」と続けた。
「エルフ? エルフって、ドイツ語でしょ。11って意味でしょ。11番目の子供ってことなんでしょ? それが何なのよ?」と私はマカイラスさんを睨む。この際、トクソさんは無視をする。
「また変な勘違いをしていないか? 俺とお前は、人間族。トクソは、エルフ族だ。人間族がエルフ族に欲情することはあっても、エルフ族が人間族に欲情することはない。トクソにとっては、お前の裸を見ることと、あそこに生えている雌花や、雌鳥を見ることと、さほど違いがない。そういう感性なんだ。俺達人間からすれば理解しがたい感性だが、エルフ族っていうのはそういうものなんだ」と、マカイラスさんは言う。
「エ、エルフ族?」と私は首を傾げる。
「やはり分かっていなかったようだな。おいトクソ、お前、今何歳だ? 年齢を教えてやるのが一番手っ取り早い」とマカイラスさんが言う。
「次の春が来れば、278歳だ」と、トクソさんが言う。
「え? 278歳? 嘘でしょ?」と私は自分の耳を疑った。




