第13話 噂が広がる
迷宮の入り口に、これまでとは違う気配が近づいてきたのは、ある静かな昼下がりのことだった。
冒険者ではない。商人らしき身なりの、恰幅の良い男が一人、遠目に迷宮の様子を窺っている。
「ぬし、あの人、たたかいにきたんじゃない」
「みたいだな、多分」
俺は感覚を伸ばし、男の様子を探った。武器の類は持っておらず、代わりに帳面らしきものを手にしている。どうやら、様子を記録しに来ただけらしい。
男は、入り口から一定の距離を保ったまま、しばらくの間、迷宮の外観を眺めていた。中に入ってくる気配はない。単に、噂の真偽を確かめに来ただけなのだろう。
「わざわざ確かめに来るってことは、それなりに噂が広まってるってことだよな」
「ぬし、ゆうめいじん」
「有名人は言い過ぎだろ、まだ」
スラトの茶化しに、俺は苦笑するしかなかった。それでも、悪い気分ではなかった。
振り返れば、これまでの日々は、誰にも見られることを意識せずに過ごしてきた時間だった。それが今、こうして外から観察の目を向けられるようになった。地道な積み重ねが、少しずつ、外の世界にも届き始めている証だった。
「注目されるのって、思ったより悪くないもんだな」
「ぬしも、うれしそう」
スラトの指摘に、俺は素直に頷いた。誰かに認められるというのは、何度経験しても新鮮な喜びがあった。
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男は、迷宮の入り口付近をしばらく観察した後、満足げに頷いて立ち去っていった。数日後、また別の人物が現れた。今度は、若い研究者風の女性だった。
「失礼、この迷宮について調べておりまして、はい」
女性は、丁寧な口調でそう名乗った。魔物の生態を研究しているらしく、迷宮内の従魔たちの様子に強い関心を示していた。
「最近、急成長している迷宮があると噂になっていて」
「噂、ですか」
「ええ。冒険者ギルドの一部で、密かに話題になっているようです」
女性研究者は、興奮を隠しきれない様子で続けた。
「最弱ランクの迷宮が、わずか数ヶ月でここまで急成長した例は、私が調べた限り見当たりません。しかも、従魔の質と量、両方が伴っているというのが、何より異例なのです」
「そんなに、注目されるようなことでしたか」
「されますとも。普通、迷宮の成長というのは、時間をかけてゆっくり進むものです。それが、これほど短期間で、しかも安定した形で伸びているというのは……正直、専門家として、強く興味を惹かれる事例です」
俺は曖昧に頷きながら、内心では少し面食らっていた。地道にやってきたつもりだったが、外から見れば、これほど特異な事例に映るとは思っていなかった。
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どうやら、レイラの査察報告か、あるいは駆け出し冒険者たちの体験談が、少しずつ外へ漏れ伝わっているらしい。派手な宣伝をしたわけでもないのに、噂というのは思いのほか広がるものらしかった。
「見学くらいなら、構いませんよ、ええ」
俺がそう答えると、女性研究者は嬉しそうに帳面を広げ、熱心にスラトたちの様子を書き留め始めた。
「言語理解を持つスライム、進化を遂げたゴブリン、そして核由来の魔獣……これほど多様な事例が一つの迷宮に揃うのは、極めて稀なことです」
研究者の口調には、隠しきれない興奮が滲んでいた。俺にとっては当たり前の日常でも、外から見れば、随分と珍しい光景に映るらしい。
「そんなに珍しいものですか、これ。自分では、あまり実感が湧かないんですが」
「珍しいなんてものじゃありません。論文が一本書けるレベルです」
大げさな物言いに、俺は思わず苦笑した。だが、まんざら世辞でもなさそうな熱心さだった。
「差し支えなければ、育成の記録を、定期的に見せていただくことはできますか」
「記録、というほどのものはないですが……頭の中で管理してるだけなので」
「それでしたら、私の方で記録を取らせていただいても?」
女性研究者の申し出に、俺は少し考えてから頷いた。損になる話ではない。むしろ、外部の視点で記録を残してもらえるなら、こちらとしても有り難い話だった。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ、貴重な機会をいただき、ありがとうございます」
女性研究者は、深々と頭を下げた。その様子に、スラトたちも少し戸惑ったように顔を見合わせている。
彼女は、名をリディアと名乗った。学院で魔物生態学を専攻する研究者で、この迷宮の噂を聞きつけて、独自に調査を申し出てきたのだという。
「他の迷宮と違う点を、具体的に教えていただけますか」
「うーん、そう言われると、俺自身は比較対象を知らないので、何とも言えないんですが」
「そうですよね、失礼しました。それでは、私の方で気づいた点を、いくつか挙げさせていただきますね」
リディアは、そう言うと、これまで観察した内容を一つずつ丁寧に説明し始めた。従魔たちの成長速度、個体ごとの特性の分化、そして群れとしての統率力。専門的な言葉が並ぶ中、俺は半分も理解できていなかったが、それでも彼女の熱意だけは十分に伝わってきた。
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【来訪者記録】
商人風の男性:様子見のみ
研究者の女性:従魔の生態観察を実施
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「ぬし、みんな、みられてる」
スラトが、少し落ち着かない様子で身を寄せてきた。
「注目されるのは、悪いことじゃないさ。むしろ、望んでたことだからな。まあ、少しは戸惑いもあるけどな」
とはいえ、見られ慣れていない従魔たちにとっては、それなりに緊張する出来事だったのだろう。ゴウルなどは、いつも以上に姿勢を正して、堂々とした佇まいを保とうとしていた。
バドとシズも、来訪者の視線を意識してか、いつもより機敏に動き回っている。誰に言われたわけでもないのに、良いところを見せようとする姿勢が、微笑ましくもあった。
リディアは、その様子を見て、感嘆したように声を漏らした。
「ゴブリン系統の個体が、これほど統率の取れた動きを見せるのも珍しいのです。通常、群れとしてのまとまりを作るまでには、もっと長い時間がかかるものなのですが」
「そうなんですか。うちの子たちが優秀なだけかと思ってました」
「もちろん、それもあるでしょう。ですが、迷宮主の育て方にも、何か特別な要因があるように思えてなりません」
リディアの言葉に、俺は曖昧に頷くことしかできなかった。特別なことをしているつもりはない。ただ、一体ずつに丁寧に向き合ってきただけだった。
「そんなに気負わなくていいんだぞ、いつも通りで」
声をかけても、緊張はなかなか解けないようだった。それでも、悪い緊張ではない。誰かに見てもらえるという事実そのものが、彼らにとって、確かな励みになっているようだった。
ルクスだけは、相変わらず泰然とした様子で、来訪者たちの視線をものともしていなかった。核由来の存在らしい、独特の落ち着きだった。
「お前は、動じないよな、本当に」
ルクスは、答える代わりに、静かに尾を振った。
リディアが、ルクスの姿を目にした瞬間、それまでとは比べ物にならないほどの興奮を見せた。
「これが、噂の核由来の魔獣ですか……! こんなに間近で見られる日が来るとは」
彼女は、震える手で帳面にペンを走らせながら、何度もルクスの姿を確認していた。ルクスは、そんな熱視線にも動じることなく、堂々とその場に佇んでいる。
「学会に報告したら、それこそ大騒ぎになりますよ、これは」
「大騒ぎは、勘弁してほしいんですが……」
俺の本音に、リディアは楽しそうに笑った。
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迷宮ステータスを確認すると、来訪者が増えたことで、ポイントの伸びも目に見えて加速していた。
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【迷宮ステータス】
名称:(未設定)
ランク:F(↑昇格間近)
迷宮ポイント:52
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「人が来るだけで、これだけ変わるもんなんだな。正直、実感が追いつかないくらいだ」
スラトが、満足げに体を弾ませた。
「ぬし、これから、もっと、ひとくる?」
「そうなってくれると、ありがたいけどな」
商人、研究者、そして駆け出しの冒険者たち。少しずつではあるが、この迷宮に足を運ぶ理由を持つ人々が増えてきている。派手な宣伝も、大がかりな仕掛けもない。ただ地道に積み重ねてきたことが、少しずつ実を結び始めていた。
誰にも見向きもされなかった迷宮に、少しずつ、外の世界との繋がりが生まれ始めている。それは、想像していたよりもずっと大きな手応えだった。
リディアが帰り際、もう一度深く頭を下げていった姿を思い出す。専門家からあれほど熱心な関心を向けられるとは、この迷宮に来た当初は想像もしていなかった。地道な積み重ねが、確かに何かを変え始めている。その実感を噛み締めながら、俺は静かに夜の迷宮を見渡した。




