第十九話 永遠の継承
大きなキャンバスには、ピエタが描かれていた。
何枚も何枚も描き続けてきたピエタは、写真を見なくてもその服のドレープまで思い出せる程。
もうすぐ、一年遅れの卒業制作展。
このペースで描いていけば、充分に間に合いそうだ。
描くことが、オレが自分を表現できる場所。今なら素直にそう言える。
たくさんの人がオレを助けてくれて、未来を繋いでくれて。
やっぱり、オレは絵が好きだ。
「フミト先輩〜、ちょっと私の絵見てもらってもいい〜?」
「ああ、今行くよ。」
同級生になってもうすぐ一年になるというのに、みんなオレを先輩と呼ぶ。
少しだけ照れくさいな。そんな風に思いながら、声を掛けてくれた子の元へ向かう。
「先輩、何かいいことあったんですか?楽しそうですね!」
オレは自然に笑ってたのかも知れない。それで良いんだよな。
「ああ、オレはやっぱり絵が好きだなって思ってさ。」
制作の時間もあるからとオープン準備はケンジマネージャーと百瀬くんに任せるようになっていた。
開店直前に出勤して、制服に着替える。
シャツに袖を通した時、胸元の指輪が揺れる。
指輪を握り締めて、心の中で行ってくるよ、と呟いて。
「遅くなりました!」
「おう、お疲れさん!
今日も頼むぜ、ギムレットの王!」
「もうそれやめてくださいってケンジマネージャー!
百瀬くんも笑ってないで味方してよ!」
笑いながら、蝶番を軋ませてドアを開け看板を外に出す。
コンセントを入れ、もう一度重いドアを開けて店の中に戻る。
さあ、開店だ。
日曜日。
オレは、根津さんに相談したいことがある、と時間を取ってもらっていた。
「そうか…。
フミトが決めたのなら、それでいいよ。
寂しくはなるけど、な。」
あの後も、根津さんは折につけてオレのことを気にしてくれて。
「すみません。
本当に、根津さんには何から何まで良くしてもらったのに。
でも、オレは……今度こそ、ちゃんと自分で選んだ道で生きていきたいんです。
親父への反骨心でも、由美子への贖罪のためでもなく。
オレ自身のために。」
オレがそう言うと、根津さんは少しだけ目を潤ませて。
フ、と小さく笑って。
「そうか…。
嬉しいよ、フミト。
お前の口から、自分のために生きたい、なんて言ってくれて。」
「これも、根津さんと、安永さん…あの時オレを助けてくれた皆さんのお陰です。
誰よりも…マスターの。
あの時、誰も手を差し伸べてくれなかったら。
オレは今でも、贖罪のためだけに生きてたと思う。」
「ああ、そうだったかも知れないな。
だがな、そのたくさんの人たちとの信頼、絆を築いて行ったのは。
お前自身の行動なんだ。
自信を持てよ。」
「はい。ありがとうございます。」
フゥ、と小さく根津さんが息を吐き出して、人好きのするあの温かい笑顔を浮かべる。
「お前が、こうしてちゃんとやりたいことがあると相談して来てくれるようになるとはな…。
お前も、成長したということなんだな。」
確かに、昔のオレだったら一人で抱え込んで、誰にも相談することはしなかっただろう。
マスターの病気を一人で抱え込んでいたように。
「そうですね…そうであってくれるのなら、嬉しいです。」
「話は分かった。ケンジには言ったのか?」
「いえ、まだです。
これから、話そうと思います。」
「そうか。私からは何も言わないから、ちゃんと自分の言葉で話して来なさい。」
「はい……あの、」
「ん、どうした?」
「本当に。
オレを、助けてくれて。ありがとうございました。
オレにとっては、その…本当の親父より、父だと思ってます。
また、道に迷ったら。
会いに来ても、良いですか。」
みるみる内に根津さんの顔が赤くなり、その瞳に涙が溢れていく。
「当たり前、だろう!
いつでも、遠慮せずに帰って来い!
この、馬鹿息子が…ッ!」
「根津さん…。
――お父さん。
本当に、色々とありがとうございました。」
根津さんの手を両手で握り締める。
繋いだ二人の手に、二人の目から雫が落ちた。
その後は、安永さん、横山マスターにも報告をして。
本当に、お二人にはお世話になりっぱなしだった。
安永さんなんかは、話をしたらボロボロに泣いて、お前が生きていてくれて良かった、自分で考えて選んでくれて良かった、なんて。
オレの独りよがりな約束で、あんなに苦しめたと言うのに…胸が締め付けられるような思いを抱きながら、二人で抱き合って。
いつか、飲みに行きましょう。
そう約束をした。
この約束は、今度こそ守るんだって、少し楽しみにしながら心に誓って。
オレにとっては、歳の離れた兄の様な、オレを理解し、支えてくれた。
大切な人だ。
横山マスターに話した時には、目を潤ませて、ちょっとだけ洟を啜りながら。
おう、頑張れよ、
なんてぶっきらぼうに言ってくれて。
不器用なくせに、この人の言葉はいつも愛情に溢れてることをオレは知っている。
オレにとっては、もう一人の師匠だ。
山根マスターと、横山マスター。
Yという店の名前も、実は兄弟弟子となる二人の名前の頭文字から取ったという裏話を聞いた時は、この義理を大切にする横山マスターらしいな、なんて思ったくらいで。
山根マスターと同じくらい、横山マスターからは色々なことを教えてもらった。
バーテンダーとしての技術だけじゃない、生きる上で大切なことを。
あの日の病室で教えてもらった恩送りという言葉は、今のオレの生きる指針になっている。
たくさんの人から受けた恩を、次の人に受け渡す。それも、きっと楽しみなことなんだ。
そして、ケンジマネージャーと二人で。
月曜日の営業が終わってから、時間を作ってもらった。
「そうか…。
なんとなく、お前がマスターのギムレットを飲んだ日から、こうなるんじゃないかっては思ってたけど。
やっぱり、か。」
「はい…。
もちろん、バーテンダーの仕事が嫌だとか、ioriが嫌になったとか。
そういうことではないんです。
ただ……。」
ケンジマネージャーは、笑いながら肩を叩いてくれる。
「話してくれよ、フミト。」
「はい……。
以前、お話しした、彼女のことで…オレはずっと罪を償わなきゃ、ってそう思っていて。」
由美子とのことは、ケンジマネージャーには話してあった。
マスターが亡くなった後、どうしてあそこまでしたんだ、って聞かれた時に、素直に話したんだ。
「その時に、マスターに出会って。
オレはバーテンダーになりました。
マスターが言っていた、魂を癒す、ってのに…。
オレもできるかなって。
彼女を死なせたオレでも、誰かを癒せるかなって。」
ケンジマネージャーは黙ってオレの次の言葉を待ってくれている。
「そうやって、このカウンターに立っている内に。
オレにとっては、罪を抱えたオレが、誰かの魂を癒すことで、少しでも赦されるんじゃないかって。
そう、思うようになっていたんだと思います。
だから、あの時、マスターの居場所を守ろうって言い訳で、オレは――自分の贖罪の場所を守ろうとしてたんだと思う。
いつからか、オレにとって、このカウンターは贖罪の象徴になっていた。
このまま、バーテンダーを続けても。
またいつか、贖罪の場所に利用してしまうことが、怖いんです。
許せないんです。
だって、ここは。」
誰もいない店内を見渡す。四年と半年。オレにとっての、贖罪の場所。
そして。
「オレにとっても、大切な、帰る場所だから。」
アトリエでは、何人もの学生が、思い思いに筆を走らせている。
単位がかかっていることもあって、血走った目で筆を握っているヤツもいる。
オレの目の前のピエタは、その大部分が完成しつつあった。
少し息抜きをしよう、そう思って、他の学生の絵を見ながら気付いたことを少し言葉にしたりしてアトリエを出る。
ちょうど佐川教授が、廊下の角を曲がって来たところだった。
「おお、フミト!どうだ、終わりそうか?」
何が、なんて聞く必要はない。
卒業制作の件だ。
「はい、もう少しってとこですね。
乾燥の時間も計算してバッチリですよ。」
「そうかそうか!
まあ、今の段階でも今年の最優秀賞はお前で決まりだろうから、頑張れよ。」
「ありがとうございます。
でも、良いんですかそれ。
オレ留年してるんですけど。」
「大丈夫、来場の方にはそんなこと言わなきゃ分からんよ。
それに、学生の中でも皆同じ意見さ。」
「本当そういうところはいい加減ですよねうちの大学…。」
オレのそんな言葉に、つい教授が吹き出す。
「まぁそんなもんだろう!
常識に囚われていたら絵なんて描けないものさ!」
「それもそうですね!
……よし、もう少し描こう!」
「ん?何か用事があったんじゃないのか?」
「いえ、少し疲れたなって気分転換しようとしただけでしたから。
教授と話してたら、また描きたくなっちゃって。
じゃあ行きましょうか!」
「……。」
何かを言いたそうに、教授がオレの顔をまじまじと見つめる。
「?
どうしたんですか、教授。
あ、もしかしてまた顔に絵の具ついてました!?」
「あぁ、いや…お前、いい笑顔で笑うようになったなって思ってな。」
自分でも、よく笑うようになったと思う。
これも、きっとオレを支えてくれたたくさんの人と、そして、マスターのお陰だ。
「そう、ですね。
それは、きっと…たくさんの人のお陰、ですよ。」
「そうだな。その気持ちは忘れちゃダメだぞ?
……あとな、顔に絵の具はバッチリ付いてるからな。」
「えっ、ウソ早く言ってくださいよ教授!」
廊下には、二人の明るい笑い声が響いていた。
その日、オレのピエタは完成した。
卒業制作展の、前日。
オレは、最後の制服に袖を通して、営業終了後のioriのカウンターに立っていた。
お客様はもういない。
日付が変わり、あの、マスターからのギムレットを受けたと同じ2月27日。
オレの、誕生日。
ケンジマネージャー、オレ、そして、百瀬くん。
三人で迎える、一足早いオレの卒業の日だ。
オレは、今日でioriを去る。
思い入れがない、なんて言ったら大嘘だ。
正直、まだ明日からここに立つことがない、ということが信じられない…。
だけど。これは、自分で決めたことだから。
全ての閉店作業が終わる。
オレは、ケンジマネージャーとアイコンタクトを取る。
「チーフ…本当に、今日で終わりなんですね…。
長い間、お疲れ様でした……。」
百瀬くんが涙目で声を掛けてくる――だけど。
まだ、終わりには出来ない理由がある。
「いいや、まだだよ。
百瀬くん。」
今度は、オレの番だ。
「は……はい。」
「そこに、座れ。」
有無を言わせぬ口調で、敢えて冷たく告げる。
カウンター席の一席を指す。
あの日、オレが座った、あの席を。
その意図を理解したのか、百瀬くんは震え出して、泣きそうな顔になる。
「む…無理です…!
ダメです、そんな!
オレ…、オレ、そんなの!」
「泣くな、百瀬!
バーテンダーなら、カウンターの中では泣くんじゃない!」
心を鬼にして、百瀬くんを怒鳴りつける。
「座れ、百瀬。
お前に、受け取って欲しいんだ。
お前しか、いない。」
これが、このioriの、チーフバーテンダーとしての最後の仕事。
マスターから受け継いだ、この店の魂を。
百瀬くんに、受け継ぐ。
初めて聞くオレの厳しい言葉に、百瀬くんがノロノロと席に座る。
あぁ、あの日のオレもこんな感じだったな、と一年前を思い出す。
オレは黙って、シェーカーのボディを裏返し、氷を組む。
その間に、ケンジマネージャーがカクテルグラスを冷凍庫に入れ、ライムを洗うのを横目に見る。
あの時の、山根マスターと横山マスターのように。
ゴードン・ドライ・ジンのボトルを開ける――ジンのジェニパーの香りが辺りに漂い、オレの鼻腔をくすぐる。
こうして、この香りをこの場所で嗅ぐのも、これが最後なんだな。
そんなことを思い、すぐに頭から切り離す。
ボトルを傾け、メジャーカップに注ぐ……45ml、表面張力いっぱいまで張ったメジャーカップを傾け、シェーカーに流し入れる。
氷が常温のジンに触れ、小さくピキ、と音を響かせる。
既にカットの終わっているライムをスクイーザーに、ゆっくりと回しながら押し込むように、その果肉の一粒一粒を余すことなく。
とはいえ雑味が出ないように、優しく。
そして、溜まった果汁をまたメジャーカップに注ぎ測る、15ml。
シェーカーの中の氷を避けるように注ぐ。
ケンジマネージャーが差し出してくれた粉糖をバースプーンで測る、1/2tsp。
シェーカーの氷の上から、その粉糖を振り掛ける。
煌めきを残しながらシェーカーの中へと滑り落ちて行く。
ストレーナーを被せ、キャップを嵌め、空気を抜くように、二回。作業台に打ち付ける。
百瀬くんは一言も発することなく、オレの手元を見つめている――流れる涙を、拭うこともなく。
しっかり見ていてくれ。
これが――、王の最後のギムレットだ。
シェーカーを左肩の前に構える。
意識を集中させる。
百瀬くんと、ケンジマネージャーの呼吸の音が――鼓動の音までが聴こえる――
スゥ、と小さく息を吸って、それを開始する。
カシャ…
カシャ、カシャ
カシャカシャカシャカシャカシャカシャ
カシャ、カシャ、
カシャ……ン。
あの日と同じ……全ての音を置き去りにするような静寂の中で、寂しげな残響を残してシェーカーが止まる。
ケンジマネージャーが差し出したカクテルグラスを受け取る――そのグラスが、ほんの少しだけ震えて見えたのは、気のせいだろうか。
シェーカーのキャップを外し、カクテルグラスの上に持ち上げたシェーカーを傾け、淡いジンクホワイトの液体を注ぐ。
トットットッ、と小さな液体の流れる音だけが、三人の間を通り過ぎる。
そして、やがてその音が、ピチョン、と変わって――最後の一滴がカクテルグラスに落ちる。
シェーカーを回し、動いた中の氷が名残惜しそうな声を上げて、その一杯は――
完成する。
「ギムレットだ。飲んでくれ、百瀬。」
コースターを差し出し、その上に、ジンクホワイトの液体で満たされたグラスを置く。
百瀬くんの、震える指先がカクテルグラスの脚に伸びる。
目を何度も瞬かせ、涙を振り払おうとしながら、グラスを持ち上げる。
表面の氷のフレークが揺れ動いて、柔らかなダウンライトの光に照らされプリズムを生む――あの日、このカウンターで見たのと同じ輝きが、今度は百瀬の持つグラスの中で揺蕩っている。
そして、グラスを唇に触れさせて。
百瀬くんの喉仏が、上下に動くのが見えた。
――終わったんだ。全部が。
知らず知らずのうちに、深い溜め息を吐き出す。
「戴冠式も、無事終了、だな。
チーフ…フミト。」
「……はい。
ありがとうございます、ケンジ…さん。」
百瀬くんはグラスの脚を摘んだまま、顔を伏せたまま。
カウンターの上に、ただただ涙の跡を落として行く。
「なぁ…百瀬くん。
――うまかったかい?」
何度も頷きながら、言葉を絞り出すように。
「はい――。
うまい、です……!」
「良かった。
これで、心残りもなくなったよ。
ありがとう、百瀬くん。
これで、マスターからオレが受け取ったもの――この店の魂は、間違いなくキミに受け継いだよ。
頼んだ、百瀬バーテンダー。」
袖で涙を拭い、百瀬くんが顔を上げ、オレの目を見て応える。
「はい……間違いなく、受け継ぎました。
ありがとうございました、チーフ!」
その答えを聞いて、オレは微笑む。
もうオレは、二度とカウンターには立たないけれど…。
オレがバーテンダーを辞めても、バーテンダーの生き様は、こうして受け継がれて。
永遠になるんだな。
「お疲れ様、フミト。
今まで、ありがとう。
何かあれば、いつでも言ってくれよ。
出来ることなら、なんでも力になるさ。」
オレの肩に手を掛けたケンジさんが、微笑みながらそう言ってくれた。
だから…オレは、一つだけワガママを言わせてもらうことにした。
「ひとつだけ、お願いがあるんです…。
ケンジさんが良ければ、オレの絵を…。
店に、置いてはいただけませんか?」
--------
「こんばんは、百瀬マスター!
今日は取材、よろしくお願いします。」
「こちらこそよろしくお願いします、三井様…。
もう、三井様も立派なテレビマンですね?」
今日は地元テレビの取材だ。
この店の常連でもある、三井様が企画を押し通したと伺っている。
あの頃に比べると少しだけ精悍な顔つきの三井様が、穏やかな笑みで手を差し出してくる。
ありがたいことだ。
その手を握り返しながら、お互いに白髪の混じり始めた髪に過ぎ去った年月を感じる。
私、百瀬がこの店を受け継いで3年。
ケンジさんはKを買い戻し、私にこの「iori」を任せてくれた。
お前だけが、この店の魂を、正しく受け継ぐ資格がある、そう言って。
今では、こんな私にも弟子と呼べる人も増えた。
「百瀬さんこそ、すっかりマスターが板に付いて…。
最初はチーフに怒られてばっかりだったのにね。」
チーフ。
その呼び名も、随分と久しぶりだ。
この店においてチーフというポジションは、彼が去って16年が経った今でもなお、永久欠番だ。
「すべてが…懐かしい、ですね。今となっては。」
「そうですね。
チーフ、今は何やってるのかな…?」
「もう、随分と連絡を取っていませんね。でも、」
背後の、あの人が残していった絵に目を移す。
「きっと、元気にしていると…信じています。」
「きっとそうだろうね。
オレも、そう信じているよ。
オレ、あの時は何もできなかったけど。
あの時約束した、チーフの魂を、今日、こうやって受け継ぐことができる…。
随分と時間がかかっちゃったけどね。
と、準備できたかな?
じゃあ、サヤカちゃん、よろしくね!」
「はーい、レポーターのサヤカです!
本日はよろしくお願いします!」
地元のアイドルユニットの子、らしい。
事前の打ち合わせでは聞いていたけれど、本当に明るい子だな。
カメラが回る、三井様のゴーサイン。
「今日はここ、バーioriさんにお邪魔しています!
雰囲気があって、大人の空間って感じですね〜!」
「ありがとうございます。
皆様の帰る場所、になれたらと思って、落ち着いて過ごせる空間を目指しています。
是非一度、お越しいただけましたら幸いでございます。」
「そうなんですね〜!
オススメのカクテルはあるんですか?」
――オススメのカクテル。
もちろん、あのカクテルしかない。
「王のギムレットでございます。」
「王のギムレット?
なんだか美味しそうですね〜!
この後、いただきたいと思います!
あ、もちろん私は成人してますので安心してくださいね!」
「かしこまりました。」
「それにしても、目に付くのが、カウンターの奥に飾られたあの絵!
すごい、見てるだけでも――惹き込まれそうな雰囲気がありますよね!
ピエタ、って言うんでしたっけ?」
「はい。
サン・ピエトロ大聖堂にある、ミケランジェロのピエタをモチーフに描かれた絵ですね。
この店の、魂の象徴です。」
「魂の象徴?
気になりますね〜!」
ギムレットの準備をしながら、背後のピエタに目を移す。
そこに描かれた聖母マリアは――穏やかな笑みを浮かべて、眠るようなキリストを抱いている。
この物語りを語るのは、私の役目だ。
あの人から魂を受け継いだ、私の。
レポーターに向き直り、あの人の最後の笑顔を思い出す。
カメラの奥にいる三井様は、涙を堪えることが出来ないでいる。
そんな三井様を支えるように寄り添う奥様。
滲んでしまいそうになる視界を、カウンターの中にいるんだぞ、と唾を飲み込んで――
少しだけ、震える声で語る。
「それでは、語りましょうか。
この店を守るために、全てを投げ打ち、犠牲にして、
たった一人で戦った…。
孤高の王の物語りを――。」




