第3話 マリーと四人の令嬢と(1)
「あらあら? こんなところで泥遊び? 貴女、ずいぶんと変わった趣味をお持ちですのね?」
街灯に魔力の青白い火が入り始めた薄暮。
何かに足をとられ、偶然そこにあった水たまりにダイブしてしまったマリーに吐きかけられたのは、そんな嘲りの言葉だった。
「それともその泥に用事でもあったのかしら? いずれにしてもよくお似合いですが」
マリーの前に立ちはだかったのは四人の令嬢。同じクラスの女子だった。
彼女らはそれぞれ、緑、黄、赤、青と、自身のドレスに合わせた色の洋扇を口元にかざし、泥まみれのマリーを嘲笑っている。
「あ、え……なんで?」
マリーは混乱した。
どうしてこんな所に水たまりが?
どうしてわたしはこの綺麗に舗装された道でつまづいたの?
彼女たちは同級生と言っても、特にこれと言った言葉を交わしたことのない間柄だった。
それがなぜこんな侮辱を?
「なんで? あら。なぜそこに水たまりがあるのかなんて、わたくしたちが知るわけないじゃありませんの」
マリーの呟きを拾った赤ドレスが、思わせぶりなセリフを吐いた。
マリーが不意の災難に襲われたのは、学生寮と大ホールを結ぶ小路でのことだった。
今日は新入生歓迎パーティの日。
フレデリクからエスコートの申し出を受けたマリーは、慣れないドレスに四苦八苦した末に、少し遅れて会場に向かっているところだったのだ。
けれど……
「それにしてもひっどい姿ですわねえ」
「あらそう? でも案外お似合いじゃありませんこと?」
「ええ。きっと普段からこのような格好をしていらっしゃるんですわ。だから――」
容赦ない令嬢たちの嘲笑に、マリーはうなだれた。
そうして水たまりに映るのは、街灯の青白い魔力光と、泥まみれになったドレス姿の自分。
泥水もうはすっかりドレスを汚しきって、下着にすらも滲み込んできてしまっている。
こんな有様じゃパーティどころか、人前に出ることだってできはしない。
「あら? もしかして貴女、泣いていらっしゃるんですの?」
マリーの変化に目聡く気付いた赤ドレスが目を細めた。
事実、マリーは泣くギリギリの線でどうにかとどまっている状態だ。
この学校に編入してから一ヶ月。その間まったく級友と馴染めなかったマリーは、――一人でいいから――と、密かに今日のこのパーティに期待していたのだ。
けれど、そんなマリーの元に訪れたのは、級友は級友でもあまり好ましくないタイプの級友のようで……
「あらいやですわ。そんなふうに泣かれては、まるでわたくしたちが貴女をいじめたみたい見えるじゃありませんか。貴女が泥と戯れているのは、あなた自身の不注意。ではなくて?」
赤ドレスたちは、クスクスと嗤い続けていた。
けれど、マリーにはこんなことをされる心当たりがない。
今日まで友だちのできなかったマリーだけど、敵を作るようなこともしていないはずなのだ。
「さあさあそれでは皆さま、そろそろパーティに参りましょうか。これ以上リッジワース様をお待たせしては、申し訳がありませんもの」
「――?」
今なんて? ――ひとしきり嗤って引き揚げようとする赤ドレスたちに、マリーは顔を上げた。
リッジワースとはフレデリクの家名だ。
でも今日のフレデリクはマリーとの約束があって、そして彼は複数の女子と約束するような不誠実な人ではない。
「あの……待って!」
何かが見えかけたマリーは赤ドレスたちを呼び止めた。
そして彼女たちの出方を窺いつつ、こっそり泥に手を沈める。
「リッジワースって、その……フレデリク様のことですか?」
「ええそうですわ。この学校にリッジワースが他にいらっしゃって?」
「でも彼はわたしと約束があって……だからその、彼が待っているのはわたしで――」
「それが何だって言うんですの!?」
マリーの指摘に、赤ドレスの目が据わった。
「あの方はね、この魔導院の誉れ。栄えある主席生徒なのですわよ! それをどこの馬の骨とも知れない貴女なんぞが、エスコートの約束? 伯爵令嬢であるこのわたくしを差し置いて、なんて図々しいっ!」
激昂する赤ドレスに、マリーは理解した。
マリーに対するこの仕打ち。つまりは嫉妬だったのだ。
フレデリクがマリーのエスコートを申し出たのは、あくまでも先日の件の埋め合わせだ。
だからそこにマリーに対する好意とかそう言った感情は存在しないし、それはマリーだって自覚している。
フレデリクが女子たちの憧憬の的になっていることは知っていたけれど、まさかそれだけのことでここまでしてくるなんて。
「さ。分かりましたら貴女はそこで泥遊びでもなんでもしていらっしゃいな。それじゃ皆さん。行きますわよ」
激情に駆られるあまり本音を吐露した赤ドレスは、気を取り直すと踵を返した。
しかし――。
『きゃあっ!』
取り巻きたちが悲鳴を上げた。
密かに水たまりに手を沈めていたマリーが、彼女たちに泥をお見舞いしたのだ。
「か、借り物のドレスに汚れが!?」
「ああ~ん! これ一張羅でしたのにぃ!」
「メイド! 誰か今すぐここにランドリーメイドを! 早く洗わないとシミが!」
分かりやすく取り乱し、ついつい本性が漏れ出る取り巻きたち。
彼女たち、一流貴族を気取っていたわりに、その実態はマリーとそう変わらなかったらしい。
けれどそんな彼女たちの中にあってただ一人、赤ドレスだけは慌てもしなければ騒ぎもしなかった。
赤ドレスは頬に飛んできた泥を指で拭い取りそれを見つめると、わなわなと肩を震わせだして、
「は、伯爵令嬢であるこのわたくしに、なんてことを……!!」
赤ドレスがパチッと指を鳴らした。
すると、それまでワタワタするばかりだった取り巻きたちが一瞬にして我を取り戻し、マリーを水たまりに押しつける。
「なっ!? いやっ! ちょっと――!!」
「よくもやってくださいましたわね!」
「もう泣いて謝ったって許して差し上げませんから!」
「ドレスの恨み! 万倍にして返して差し上げますわ!」
取り巻きたちがそれぞれマリーへの恨みを口にすると、最後に陰湿な笑みを浮かべた赤ドレスが、閉じた洋扇をマリーに向けた。
その先端に小さな炎が生まれる。
魔導だ。
その炎は拳ほどの大きさになると、今度は渦を巻き始める。
その尋常ならざる業に、マリーは血の気が引いた。
魔導は、長い間貴族だけに与えられた特権だった。
ここ帝立魔導院も、今でこそ一部平民にもその門戸を開いているけれど、そうなったのはつい最近のこと。
それまでは貴族たちが魔導の技術を研究・寡占するために存在していた機関だったのだ。
そして、長い間そんな国の平民として暮らしていたマリーにとって、本格的な魔導を目の当たりにするのは、これが初めてのことで――。
「や! ちょっと! 放してっ!! 誰かっ!!」
「貴女がいけないんですのよ。大人しくわたくしにリッジワース様を譲っていればよかったものを……!」
赤ドレスの目が完全に据わっていた。
洋扇の先端がマリーに近づいてくる。
逃げたくても三人がかりで押さえつけられているマリーはどうすることもできない。
と、その時――。
「――おっとゴメン! そこ退いて!」
それはまるで盛夏に吹く一陣の清風のような人だった。
ホールの方から駆けてきたその彼は、白の礼服が汚れるのも気にせずに水たまりに突っ込むと、マリーたちの間を駆け抜けて行く。
「あっそうだ! ねえキミたち! 謝りついでで悪いけど、もしよかったらあとから来る彼の相手をしてあげてよ!」
去り際に振り返った彼は、そう言い残すと駆け去って行った。
「……な、何なだったんですの?」
呆気に取られた赤ドレスが呟いた。
すると、清風の彼の言う通りあとから一人の男子が駆けてきて、
「ああくそ、あいつどこ行った!? ――なあ。ちょっと聞きたいんだけど、今こっちに白い服のやつが……て、あんたら何やってんだ?」
遅れてやって来た彼は、マリーたちのただならぬ様子にただただ驚いていた。
【登場人物とか】
マリー …… 高等部1年。下町育ちのにわか令嬢。編入したばかり。
クラウス …… 初等部4年。マリーに一目惚れした。
フレデリク …… 高等部2年。長身痩躯。クールな外見で生真面目な性格。




