第2話 迷子のプロポーズ(2)
「そこの者! 一体そこで何をしている!?」
「――!?」
不意に現れた何者かの誰何に、マリーは振り向いた。
と、そこにいたのは真面目そうな長身痩躯の男子が一人。雰囲気からするとたぶん高等部だ。
けれどその彼は、何がそんなに気に入らないのか、血相を変えてこちらに向かって来る。
「ほう。私に見つかった時点で逃げるかと思いましたが……」
「え? わ、わたし?」
「ええ。他に誰かいますか?」
口を開けば敵意が見え隠れする彼に、マリーは焦り始めた。
わたし、何かマズいことした?
この学校に不慣れなマリーだ。もしかしたら知らないうちに校則違反を犯していたのかも知れない。
今いるこの生垣庭園も、迷路のように複雑な造りになっているし、立ち入りが制限されていたのかも。
「しかし私が来た以上もう逃がしません。貴女がその裏を洗いざらい白状するまで、いかなる尋問も厭わず――」
「いや。待ってくれフレデリク。彼女はキミが思うような悪意の人ではないよ。道に迷っていたボクを助けてくれた親切な人なのだから」
何やら物騒なことを出した彼を止めたのは、クラウスだった。
「……そうなのですか?」
「そうさ。だってここはトリアピーが迷路になっているだろう? 興味本位でふらっと立ち入ってみたら出られなくなってしまって」
「……」
クラウスがハハと自嘲すると、フレデリクと呼ばれた彼はしばらく眉間にしわを寄せた。
クラウスの言葉に疑義がないのか慎重に検討している様子だ。
けれど、それでもすぐに心の整理がついたようで、彼はふっと一息つくと、
「貴方がいなくなったと聞いた時は心臓が止まるかと思いました。好奇心に従うのも結構ですがそういう時は必ず周りの者に一声かけてからにしてください」
「そうだね……キミたちに迷惑がかからないよう努めるよ」
緊張が解けて微笑むフレデリクに、注意深く観察してみると実はあまり反省していないクラウスが微笑み返す。
年長の従者と年下の主人。どうやらこの二人はそういう関係だったらしい。
フレデリクは主人が急に消えたものだから、血相変えて探していたのだ。
「では、本当にこの方は悪意ある者ではないのですか?」
「彼女がそんな悪人に見えるかい? 偶然通りかかってぼくを助けてくれた美しくて親切な女性だよ。でもねフレデリク。キミはそんな彼女に言うべきことがあるんじゃないかと、ぼくは思うのだけど……?」
「……分かっております」
フレデリクは主人のお咎めを受け入れた。
なにしろマリーのことをあたかも誘拐犯か何かのように扱ったフレデリクだ。
だからフレデリクは素直に主人の言葉に従うと、
「Miss。貴女の厚意を踏みにじる発言があったことをここにお詫びいたします」
「ええっ!?」
少しの迷いもなくひざまづくフレデリクに、マリーはかえって恐縮した。
実はマリー、二人のやり取りを見ているうちに、フレデリクについて思い出したことがあったのだ。
そう。彼の名はフレデリク。
フレデリク・リッジワース。
昨日、入学式で新1年生に式辞を送るべく壇上に上がった在校生が彼だったのだ。
そんな彼の最大の特徴は、なんと言っても知性的で穏やかな物腰とよく通る声。そんな彼が壇上に上がった時、多くの女子が黄色い声を上げたのを、マリーは覚えている。
「あ、あの! そんなやめてください! 頭を、頭を上げて――」
ひざまづいたフレデリクに、マリーは慌てた。
この学校では入学式で式辞を読み上げる在校生は、成績主席の生徒と決まっている。
つまり彼は、栄えある帝立魔導院・高等部にあってトップを張る人物なのだ。
それまで、貴族や魔導と無縁の生活を送っていたマリーにとって、そんな人はもう雲の上の存在でしかない。
「やめる? と言うことは、主人の恩人である貴女を貶めた罪はこの程度では到底贖えない、と? 今すぐ主人に仕えるのを辞めるべきだ。と、仰られるのですね?」
「ちがっ、違います! 逆! 逆です! なんでそうなるんです!」
厳し過ぎる裁定を下されたと影を落とすフレデリクに、マリーはますます慌てた。
もう下町がどうとか秘密がこうとか言っている場合じゃない。
入学早々新入生(とりわけ女子たち)の憧憬の眼差しを独り占めにした先輩が、ひざまづき許しを請うている。それは本当に夢みたいな光景だ。
けど、生真面目と言うか、融通の利かない性格のフレデリクは、マリーの言葉をとにかく自分の失態を責める方向に捉えてしまっている。
「逆? そうですか。つまりもはや貴女にとって私は逆賊も同様。と、仰りたいのですね。ならば仕方ありません。主人の恩人である貴女にそこまで言わせてしまったのであれば、この不肖フレデリク。貴女の意に従い直ちに主人との関係を――」
「フレデリク。ストップ」
一人暴走するフレデリクを止めたのは、クラウスの静かな一言だった。
「それ以上は許さないよ。謝罪はもちろん必要だけど、キミの役目は彼女のご機嫌を取ることじゃない。だろう?」
「は。しかし私の発言が彼女を傷付けたのです。その責任はきちんと取らなければ」
「取らなければ。じゃないんだよ。ほら見たまえよ。彼女、すっかり困ってしまっているじゃないか」
クラウスとフレデリクはそろってマリーに目を向けた。
マリーはもうどうしていいのか分からず、ひたすら居心地が悪そうに視線を逸らすばかりだ。
「ね? 彼女はキミの誤解一つで怒るほど狭量の人じゃないんだよ。むしろキミのそのストイックさが彼女を追い詰めてしまっているんだ」
クラウスはフレデリクを叱ると、マリーに頭を下げた。
「ごめんなさい。ぼくの不注意で貴女を困らせてしまいました。この埋め合わせはきっとします。だから……だからぼくを嫌わないでくれますか?」
「えっ? あ、うん。それは大丈夫だけど……」
マリーはつい絆された。
けど、ただでさえ整っている顔立ちのクラウスが、小動物みたいにうるうると瞳を潤ませ見つめてくるのだ。Yes以外の選択しなんてあるわけがない。
「あの。お話し中のところすみませんが、主。そろそろ戻りませんと、皆が……」
「おっとそうだね。これ以上姿をくらましていたら誰かが責任を取る必要も出てきそうだし。それじゃあ、ぼくたちはもう戻ろうと思います。貴女は?」
「えっ、わたし? あ、えっとそうね……私は、もうちょっとだけこの辺りを見て回ろうかと」
にわかに慌ただしくなる二人に、マリーはここぞとばかりに別れを告げた。
「そうなんですか? ん~、それは残念ですが仕方ありませんね」
「Miss。徒に貴女を困らせたこと重ねてお詫びいたします。この埋め合わせは必ず致しますので、何かあれば是非私に言いつけてください。それでは」
星の如く現れ、風の如く去ってゆく主人とその従者。
あまりにも唐突な出会いに、呆気にとられっぱなしだったマリーはその場に立ち尽くすしかなかく――しかし……
「そう言えば、さっきのお返事をまだもらってませんでしたね。でもそれはまた次の機会のお楽しみと言うことにします。それじゃあ、またお会いしましょうね、愛してますよ、マリーお姉さん」
駆け戻って来たと思ったらそれだけ告げてまた去ってゆくクラウスに、マリーは今度こそ立ち尽くした。
【登場人物とか】
マリー …… 高等部1年。下町育ちのにわか令嬢。編入したばかり。
クラウス …… 初等部4年。マリーに一目惚れした。
フレデリク …… 高等部2年。長身痩躯。クールな外見で生真面目な性格。




