8 暴走
5度目の登城となったレティーナの手を握ると凍ったように冷たくなっていた。モナは心配で「本日はお休みしませんか」と勧めたがレティーナは拒否した。
「いい子でいなければ、今日は100点取らないと」
家では成績優秀なレティーナがどうしてここまで追いつめられるのかモナは不思議だった。下級貴族令嬢のモナには王子妃教育がどんなものか分からないが、たった10歳の少女を苦しめる大人達に怒りを覚える。
馬車を下りて空を見上げると雲一つない晴天だった。まぶしい太陽は王家の紋章。レティーナは雨の日のルナフィス殿下の顔を思い浮かべた。
────この国は太陽神が支配する国。
王族の男子は【太陽神の加護】を持って生まれる。ラミネル殿下も当然【太陽神の加護】を持って生まれた。しかしルナフィス殿下は極めて珍しい【月神の加護】の印を持って生まれたのだ。これを知る者はごく一部である。
『【月神の加護】を持つ者が王位につけば、その国は滅亡する』とまで言われる不吉な印だった。それ故に難病と偽り離宮に隔離され王位継承権もない。
月神は太陽神の弟神で父なる主星神の寵愛を受けていた。兄の嫉妬と嫌忌により月神は夜の神殿に閉じ込められたと昔から言い伝えられている。
『そんな【月神の加護】を持って生まれた兄は王家の恥だ』とラミネルから聞いた覚えのあるレティーナは孤独なルナフィスが自分と似ていると思った。
「レティーナ嬢」
廊下を歩いていると声を掛けてきたのは公子のジェルドだった。
「御機嫌ようジェルド様。先日は失礼致しました」
「御機嫌よう。もう元気になられましたか?」
「はい、大丈夫です」
「ではまた」
「はい」
あの日ジェルド様はなぜルナフィス殿下と一緒だったのだろうと思ったが、聞く間もなく彼は足早に離れて行った。
王子妃教育は分刻みで予定が立てられており瞬く間に時間は過ぎていく。最後は王太子妃の説教で終わりだ。レティーナは疲れて早く帰りたかった。きっとまた30点だろう。そう考えていると勢いよく王太子妃は扉を開けて入って来た。
立ち上がったレティーナの挨拶を待つことも無く王太子妃は声を荒げた。
「お前はラミネルにお茶の時間の中止を言い渡したそうね! なんて生意気な」
「それは……私といると息苦しいと仰せで」
「その辛気臭い顔を見てるとお茶も不味くなるでしょうよ。腕を出しなさい」
「……いやです」
「何ですって?」
「ぼ……暴力はいけない事です。どうかもうお止め下さい」
王太子妃は【火神の加護】持ちであった。その手に魔力を纏わせると思いっきりレティーナの顔を平手打ちし、レティーナの体は後方によろめいて倒れた。
「勘違いも甚だしいわ、これは躾です!」
だが倒れたレティーナを見て王太子妃はやり過ぎたと青くなった。少女の口と鼻から血が流れていたのだ。
レティーナは茫然としていたが「さっさと立って回復なさい!」と怒鳴られて起き上がった。
鼻血はポタポタと流れ落ちて顔と手、ドレスを汚した。
「今日はここまでよ、回復したら帰りなさい」
「はい……」
レティーナが回復したのを見届けて王太子妃はそそくさと逃げて行った。
太陽の下薔薇の香りにむせ返る中庭を通り、フラフラとレティーナはおぼつかない足取りでガゼボを目指した。家には帰れない、帰ると大変なことが起こる気がした。体は芯まで冷え切り絶望が心を支配していた。
「はぁ、はぁ、誰か……助けて、助けて……」
ガゼボに到着すると体の底から得体の知れない何かがこみ上げてくる。その何かに耐えられずレティーナは身を任せた。
ルナフィスは離宮でジェルドとチェスを楽しんでいた。ジェルドは彼に与えられた話し相手だ。話し相手なのだがジェルドは言葉少ない少年で会話は長続きしない。それでもたった一人の親友だった。
不意にチェス駒を持った二人の手が止まる。
突然ビリビリと空気が震え続いて大きな衝撃を感じたルナフィスは「魔力の暴走だ!」と叫ぶなり外に飛び出した。
「殿下いけません!」
ジェルドが止めるのも聞かずルナフィスは庭園のガゼボに向かった。
(この魔力はあの子だ、急がなければ危険だ)
ガゼボが見えてくると目の前の光景にルナフィスは驚愕した。あたり一帯は全て凍り付き、薔薇もガゼボも氷に包まれていた。
「レティーナ!」
凍ったガゼボの中にレティーナは倒れていた。
ルナフィスは急いで彼女を抱き起こし、息があるのを確認した。
「ジェルド、この子を運んでくれ」
「はい、殿下は大丈夫ですか?」
「いいから行け!」
レティーナを抱いて走るジェルドの後をヨロヨロとルナフィスは追いかけた。
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