6 ルナフィス/ナウファル国第一王子殿下
外は雨が降っていた。宮殿の入り口では傘を持ったモナが待っているはずだ。レティーナは家に帰るのを躊躇った。帰れば癇癪を起こして狂いそうだった。
宮殿の中庭を抜けて王族だけが入れる庭園に向かった。
年中薔薇が咲き誇る庭園にあるガゼボに向かうとレティーナは蹲り大理石の床を拳で殴った。
「ああああぁぁああもう嫌だ───誰か助けて!!!」
嫌だと何回も叫んで大声で泣いた。
1回目、王子妃教育の初日にレティーナは一生懸命頑張った。
しかし最後に王太子妃の指導を受けると『全くダメだわ。今日は30点、こんな劣等生は見たことないって先生方にも言われて恥ずかしかったわ』と言われたのだ。
情けなくて体が冷たくなった。しかしそれだけでは無かった。
『腕を出しなさい。次は100点取りなさいね』
王太子妃殿下はレティーナの腕を棒鞭で7回叩いたのだ。真っ赤に腫れた腕を見て『魔法で回復なさい。これも訓練よ』と母イザベルと同じことをしたのだった。
頭の中が真っ白になって魔法回復した後はラミネルと会っても何を話したのかすら覚えていなかった。不機嫌な顔のレティーナにラミネルは初日で緊張したのだろうと思った。
『今日はご苦労だったね。早く帰って休むといいよ』
『はい』
真っ白な顔で戻って来たレティーナにモナはただ事ではないと思い、馬車の中で何度も質問したがレティーナは答えなかった。
部屋に戻ってようやく『緊張して疲れただけ、勉強が難しくて30点しか貰えなかったの』と答えた。点数が低くてショックを受けたのかとモナは思った。
モナに相談しても解決しない、父だって相手が王太子妃殿下では抗議も出来ないだろう。悩む必要はない。100点を取ればいいのだとレティーナは考えた。侯爵家の家庭教師はレティーナは優秀だと言ってくれている。もっと頑張ればきっと100点取れるはずだと思った。
そう思ったが2回3回と頑張ってもずっと30点だった。そして7回叩かれる。
3回目にはラミネル殿下に『ちょっと努力が足りないんじゃないの? 母上が嘆いていたよ』と文句を言われて心が折れかけた。
そうして4回目の今日はラミネルの態度にポッキリと心が折れてしまった。
勉強は何度でも頑張れる、でも心が痛み続けた。母と同じで王太子妃殿下は自分を憎んでいる。その事実がレティーナの心を深く蝕んでいった。
雨が降れば庭園には誰も来ないと思われた。だけど大声で泣いているレティーナの背中に誰かがそっと手を置いた。
驚いて振り返ると真っ白な髪に灰色の瞳の少年がいた。その顔はラミネル殿下によく似ており、彼の後ろには公子のジェルドが立っている。
「どうしたのこんなに泣いて」
「ルナフィス様、こちらはテイラー侯爵家のレティーナ嬢です」
「そう、君がレティーナ嬢。弟の婚約者だね。喧嘩でもしたのかな? 一緒においで温かい飲み物を用意しよう」
ルナフィスは自分の上着を脱いでレティーナを包んでくれた。
「立てる?」
手を差し出してくれたがレティーナは首を横に振った。何か言いたくてもレティーナは泣き過ぎて嗚咽が漏れるばかりだ。
ルナフィス第一王子殿下(13歳)は難病を患い、離宮に隔離された悲運の王子だ。彼に付いて行けば泣いた理由を聞かれるだろう。レティーナは絶対に話せないと思った。
彼も王太子妃殿下の実子である。きっと婚約者と同じ反応をするだろう。もう誰にも嫌われたくなかった。
「だ…… だいじょうぶ……ひくっ……ぅぅう……かえります」
一人で立ち上がると上着をルナフィスに返して頭を下げた。
「あ、ありがとう…… ございました」
「いや、大丈夫ではないね。ジェルドに送らせよう」
「いいです」
「あ、待って」
レティーナはルナフィスが止めるのも聞かず駆け出した。庭園の途中で立ち止まって泣きはらした顔に回復魔法をかけると再び走り去った。それを追いかけて来たルナフィスは離れた場所から見ていた。
待っていたモナとレティーナは合流した。
「まぁ、こんなに濡れてどうなさったんですか?」
「庭園で…… 薔薇を見たくなったの」
鼻をすすりながら答えると「雨が降っているのに、風邪をひきますよ」とモナはハンカチで拭いてくれる。
「私は【水神の加護】を受けているの、だから…… 雨は優しいわ」
「泣いたんですか?」
「ちょっとだけね。もう平気」
泣いて少しだけレティーナは落ち着いた。でもまた城に来なければいけないと思うと辛くて体が震えるのだった。
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