35 完結
シルバームーンの翌朝、見知らぬ部屋でレティーナは目覚めた。
「私、生きてる? 胸を貫かれたのに……」
昨夜は神殿の近く、馬車に向かう途中で暴漢に襲われ命を落としたはずだった。胸に手を当てても傷はなく、心臓の鼓動が手に伝わる。
(何があったの? ここはどこなの?)
酷い頭痛がして気分は最悪だった。
「あ! 左手が……」
切断されたはずの左手を握ったり開いたりしていると突然 ガチャッ! とドアが開く音がして誰かが入って来た。
「お姉さま────!」
部屋の入り口には5歳くらいの女の子が立っている。
「お姉さま、朝ごはんの時間ですよ」
「お母様は起きたかな?」
その女の子の後ろから白髪の青年が小さな男の子を抱いて部屋に入って来た。
「おはようティーナ、昨夜は随分魘されて何度も起こしたんだよ?」
「あの……」
「どうしたの、ティーナ?」
「あの、誰ですか?」
青年は驚いた顔をしたが振り返って女の子に優しく告げた。
「アネット、セレンと食堂で待っててくれる? ティーナはまた悪夢を見ているみたいだ」
「うん」
抱いていた男の子の額にキスをして下におろすと青年はレティーナに近づいた。
「私は君の夫だよ。悪夢の中から出ておいで」
青年がレティーナの頭に手を翳すと温かな光に包まれた。祝福を受けて酷かった頭痛も治まると、白髪の彼は確かに夫のルナフィスだとレティーナは思い出した。
「ルナ様、私はシルバームーンに死んでしまったの。でもこうして生きている……」
「ああ、私も太陽光に焼かれて一度死んでしまった。でもそれは悪夢の中の出来事だ」
「夢? あれが全部夢……」
「私を忘れるなんて夢に決まってる」
ルナフィスはレティーナを抱きしめて軽く口付けた。
「そうね、ごめんなさい。貴方は私の夫で、男の子は私達の愛する息子セレン、アネットは父とモナの愛娘、私の妹」
確認するように話すレティーナにルナフィスは頷いた。
「そうだよ、具合が悪いならまだ休んでおいで。食事はここに運ぶから」
「大丈夫です。すぐに着替えて食堂に行くわ」
再びレティーナにキスをしてルナフィスは部屋を出て行った。
「どういうこと? 記憶が2つあるわ……」
咎人だったレティーナと聖人の妻であるレティーナ、どちらもはっきり覚えている。
今は着替えて夫の待つ食堂に向かおうとレティーナはベッドから降りた。すると枕元に見覚えのある紙が置かれているのを見つけた。
<お手紙有難う>
それはレティーナが子供の頃にシルバームーンの【手紙送りで】知らない誰かに送った手紙だった。今朝それがレティーナの元に送られてきたのだ。
「知らない誰かは…… 私自身だったのね」
そして繋がった記憶に涙が溢れて止まらなくなった。命を落としたあの日、レティーナは過去の自分に手紙を送っていた。
<傲慢な心、嫉妬心は捨てなさい。癇癪もいけません。将来貴方の味方はどこにもいない>
手紙は過去の自分を憐れんで書いたものだ。あの日は父のシオンに会いたい一心だった。それでも月神は過去のレティーナに手紙を届けてくれた。その小さな奇跡が運命を変えてレティーナとルナフィスは巡り合った。
かつて2人が繰り返し見ていた悪夢──それは実際に過去で起こった出来事だった。
「未来の自分からの手紙を受け取った私は人生を変えたんだわ…… 月神様有難うございます」
レティーナは後で夫に手紙の話を伝えようと思った。夫は何て答えるだろうか? 咎人だった自分をどう思うのか不安だった。
「ティーナ、やはり具合が悪いのか?」
なかなか来ないレティーナを心配して再びルナフィスが部屋に訪れた。
「ルナ様、もしも私が咎人だったら嫌いになりますか?」
「私も咎人だよ。だって私達は流刑者だからね」
「冗談では無くて真面目な話です」
「嫌いになんてなるはず無いだろう? 例え君が魔王の生まれ変わりだとしても、愛してるよ」
初めから彼はずっとレティーナの味方だった。いつだって心の支えだった。流刑された日から互いに惜しみない愛情を捧げてきた。
「良かった。後で懺悔しますから話を聞いて下さいね」
「いいよ、後で神殿に向かおう。今は皆待ってるから食堂へ行こう」
食堂に向かうと、父はアネットとセレンを膝に乗せてレティーナを待っていた。年を取ってから生まれた娘アネットと孫のセレンをオーサーは溺愛している。
「おはようレティーナ」
「お父様、おはようございます。遅くなってごめんなさい」
「ティーナ大丈夫ですか? まだ寝てていいのですよ?」
「お母様大丈夫です。片付けは私がやりますからね」
義母になったモナの過去は分からないが、今はオーサーと仲のいい夫婦だ。
「いいえ若奥様、私どもがやりますので」
この家には年配の使用人を二人雇っていて雑用は何でもやってくれる。
「うん? レティーナは具合が悪いのか? まさか二人目ができたのか?」
「違いますよお父様、片頭痛です」
「かーさま、あたまいたいの?」
3歳の息子セレンは銀色の髪に灰色がかった青い瞳、ルナフィスによく似た子だった。レティーナと同じ【水神の加護】を持って生まれると、ルナフィスは心底安堵したものだ。
「セレン、痛いのはもう治りましたよ。一緒に食べましょうね!」
「うん!」
「悪夢から目は覚めたかな?」
夫が椅子を引いてくれて「ええ、もうすっかり!」とレティーナは席に着いた。
愛しい家族達と囲む食卓は温かで優しいものだった。
浮かんだテイラー侯爵家の食卓の風景は色褪せ、やがてレティーナの記憶から消えていった。
あの日、家族と婚約者の愛情を諦めたら幸福が訪れた。
それはレティーナに月神が届けてくれたシルバームーンの奇跡だった。
最後まで読んでいただいて有難うございました。




