34 北大陸の聖人
──この日、ようやく月神の願いは成就した。
その昔、魔王によって氷の国は滅び不毛の地と成り果て月神は支配力を失った。父なる主星神に願って不毛の地を再び支配し、呪われた多くの魂を鎮めようとしたが兄である太陽神は許さなかった。
加護する力も脆弱で多くの人間を死なせておきながら再びその地を支配しようとする月神を夜の神殿に閉じ込めて二度と支配できないようにした。
だが年に一度だけ夜の神殿の門は開かれる。そのシルバームーンの夜にルナフィスはナウファル国の王子として生まれた。
勇者の子孫である彼は聖人となる素質を持ち、太陽神が支配する国の賢王になるべく生まれたはずだった。
その彼に不毛の地で彷徨っている魂を鎮めさせようと月神は太陽神よりも早く加護を与えたのだ。
それに太陽神は激怒しルナフィスに灼熱の呪いを与えた。
これがルナフィスの不幸の始まりだった。
月神はシルバームーンの都度、ルナフィスに天啓を与えようとしたが彼には神々に対する信仰心が無かった。むしろ恨んでおり、天啓を与えることは不可能だった。
月神の願いも虚しく、呪いを解こうと一人で北大陸の神殿跡に向かったルナフィスは太陽神の呪いで命を落としてしまった。
またレティーナは23歳で凶悪な犯罪者によって命を絶たれた。
だが月神が起こした小さな奇跡が二人の運命を変えたのだった。
その事実を二人が知るのはもう少し先のこと。
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オーサーはベッドを並べて眠り続けるルナフィスとレティーナを見守っていた。
「綿菓子聖女は直ぐに目覚めたのに、なぜ婿殿は三日も寝てるんだ? 私の娘は大丈夫なのか?」
「お嬢様は婿様の魔力に当てられ気絶されただけで命に別状はありませんが、目覚めないのは私共も理由が分かりません」
船医も司祭も口を揃えて分からないと言う。
幸いにもオーサーとモナは一足先に神殿を出ていたので巻き込まれなかった。神殿の中で倒れていたルナフィスの右手には【聖人の印】が現れ、これでいかなる毒も呪いも彼には通じない。
「本当に太陽神の呪いは大丈夫なのだろうか。早く目覚めて確かめて欲しいものだ」
陛下に頼まれて以来オーサーはルナフィスを息子のように可愛がってきた。呪いに苦しみ続けていたのをずっと見て来たのだ。
「公爵様、交代致しましょう。私が見守りますので」
モナが声を掛けるとオーサーは素直に頷いて部屋を出た。モナがレティーナの手を握るとピクッと動く、それでも目覚めないのは二人が夢に囚われているのだと彼女は思った。
────夢の中、城の庭園でレティーナはラミネルとミシュベルがキスを交わしているのを泣きながら見ていた。なぜ自分は誰にも愛されないのか、キリキリと胸が痛む。黒い殺意に囚われて気持ちを抑えることが出来ない。
「ミシュベル! この泥棒猫!」
飛び出していけばラミネルに叱責されて突き飛ばされた。そうすると場面は暗転して気づけばまた同じ事が繰り返される。
「ぁあ、苦しい……」
膝を着いて慟哭するレティーナの背中に誰かががそっと手を置いた。
振り返ると白髪の──
「……ルナ様?」
「一緒に行こう、ティーナ」
差し出された彼の手をレティーナはしっかりと握った。
────夢の中、ルナフィスは神殿跡で息絶えようとしていた。それが何度も繰り返されている。
強烈な太陽光に焼かれて身動きできない。
「ここまで来て油断した。太陽神よそれほど私が憎いのか?」
目の前が暗くなり息絶えたと思うと──
「ルナ様!」
外套を体に被せて誰かが必死に回復魔法を掛けてくれている。
「……ティーナ?」
「死なないで!」
「ああ、死なない。君を置いて死んだりしない……」
今までルナフィスを苦しめた太陽の日差しは彼の体を温かく包んでいた。
モナは思わず息を呑んだ。
──まるで約束でもしていたかのように、ルナフィスとレティーナが同時にゆっくりと瞳を開いたのだ。
「……やっと、会えたね」
ふたりは見つめ合い、手を取り合う。
その手の温もりが、長く続いた夢の苦しみを溶かしていった。
やっと、ふたりは闇を抜け、同じ朝にたどり着いたのだった。
体調が戻ると直ぐにルナフィスは神殿跡に向かい<鎮魂の祈り>を捧げた。聖なる力で彷徨っていた魂も呪いが解けて天に召されていった。
空を覆っていた厚い雲も消えて中央地帯を眩しい太陽光が降り注いだ。
彼はミシュベルと違い初めから【真の聖人】だった。
「やはり夜の方が魔力は格段に強くなる。月神の加護のお陰だ」
「太陽神様の呪いも効かなくなって良かったですね」
二人は神殿の近くに家を建てて住み、夏の間は毎日神殿で月神像に祈り、冬になればアトール国で月に祈りを捧げた。
────北の大陸に聖人が誕生した。
いつしか噂が広まり、ルナフィスは各国の神殿から招致を受けたが全て断り北の神殿とアトール国を往復しながら家族と暮らした。
聖人の祝福を受けたい者は後を絶たなかったがルナフィスは北の漁港の神殿で夏の夜のみ祝福を行なっており、人々は簡単に祝福を受けることが出来なかった。
そこでオーサーは魔道船内を改造しアトール国から北の大陸まで祝福を求める人々を運搬する商売を始め生活の基盤を築いた。
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レティーナとルナフィス、オーサーとモナ夫婦は共に幸福に暮らし6年目のシルバームーンを迎えていた。
この日はルナフィスの誕生日と結婚記念日でもある。例年通りレティーナ達はディナーでお祝いの乾杯をし、その後港に向かうとランタンを夜空に飛ばした。
この幸せが生涯続くことを祈って。
読んで頂いて有難うございました。




