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王女殿下を守るには

作者: 氷下魚



「ジョン・ダンケル男爵子息。

 突然だが妾と婚約、そしてゆくゆくは婚姻を結んではもらえぬだろうか」



青天の霹靂


どこか別の大陸に伝わる諺がこれ以上しっくり来る状況もないだろう。


目の前で優雅にティーカップに口付ける女性…いや、少女は驚きから口を半開きにしている私とは真逆に何の感情も読み取らせない。


突如として私が身を寄せる男爵家を訪問してきた少女は恐らく飲みつけないだろう量産品の紅茶や素朴すぎる焼き菓子にも表情一つ変えず…むしろそれが最高級品に見えてしまうほどの所作で楽しみながら私を正面から見据えている。


長く豊かな睫毛に縁どられたエメラルド色のアーモンドアイ

緩く巻かれた太陽神のごとく輝く金の髪

白磁のように滑らかな肌はやさしく色を差し、人形の類ではない生きた質感を湛えている。

小さく形のいい鼻や淡く艶を帯びる唇など、パーツひとつひとつ見ても職人が作り上げた逸品のようなそれらを神が組み上げたかのような…まだやっと12歳を過ぎた頃だというのにこの世ならざる雰囲気を感じるほどに美しい少女。


そんな少女が、何故私に婚約など申し込むのか


「そ、それは、一体どうして、」

「急な話だ、その反応も致し方なかろう。

 勿論順を追って説明させてもらう故、安心するがよい」


こちらの動揺などお見通しだったのだろう、落ち着き払った唇から発せられるのは可憐な外見にそぐわない尊大で傲慢な口調。

しかし、生まれ持った格によるものか…まるで違和感がない。

いや噂では文武両道どころかあらゆる分野においてその道のプロを凌ぐと言われているし、その胆力によるものかもしれない。


「まずは改めて自己紹介からであるな。

 知っているだろうが、妾の名はルミオーネ。ルミオーネ・オルビットである」


この国中を探したって知らない者はいないだろう。

ルミオーネ様…いや、ルミオーネ殿下はこのオルビット王国の宝玉とも言われる唯一かつ至高の存在だ。


「オルビットを統治する王ラーオスとその妃であるレーネより生まれ継承権を持つ唯一の子…まぁ簡単に言えば次期女王となる事が決まっている娘だ」

「は、勿論存じ上げております…!」


気品というにはあまりに重い、ルミオーネ殿下を包む雰囲気は椅子がなければ跪いていただろう。

今すぐにでも頭をたれ、平伏したくなる恐れ多さをなんとか噛み殺しつつ、先の言葉を待つ。


「うむ。そして其方の問いへの答えであるが…このルミオーネはいずれ女王として国の頂に立ち民の為に生きる役目と、もう一つ大切な役目を背負っている。

 妾の代より後にも豊かな治世を保つ為、子を成し育むという役目をな」

「は、はぁ…」

「流石に万能たる妾であろうと子種もなく子を成す事はできぬ。

 ましてただの人であるこの身がいくら丈夫であろうと女である以上成せる数には限りがあるというもの…

かつての王のようにハーレムを築き百を超える子を作る事などできぬだろう。三、四人が限度といったところか」

「なっ…」


可憐な美少女から発せられる生々しい言葉にこちらが赤面してしまう。

確かに歴史上そちらの欲が凄まじく、側室や妾という枠から逸脱しハーレムを作った王は存在したと言われている。

彼の王の子は百人をゆうに超えたがそれ以外にも王位継承に関しての諍いで放逐されたり生まれる前に母親ごと殺された者も存在し、正確な数は王家であっても把握できていなかったそうだ。


しかしそれも王が男だったからできた事だ。

ただ行為をするだけの男と違い、女はその体で新たな命を作り上げる。

男である自分にはわからないが一人産むだけでも一大事だろう。


「…殿下が婚約者を探す理由は、わかりました。

 しかしそれが何故私なのでしょうか?」


私の今の身分は男爵家の三男であり、その家も男爵家の序列中ほぼ最後列。つまり貴族の最後列で殆ど平民と変わらない有様だ。

…王女殿下と釣り合うなど天地がひっくり返ろうが言えない。


「妾が婚約者に求めるものはそう多くない。

 犯罪歴がないこと、他に婚約者がいないこと。

 侯爵以上の高位貴族、あるいは三代遡って他国の血が混ざっていない貴族家の子息であること。それだけだ」


その白魚のような指を折り数えながら諳んじられたのは、あまりに少ない…最低限の要望だ。

髪の色の指定や武芸の加護持ちなど、そこらへんの貴族女子の方がまだ要望を重ねているだろう。

この国で最も高い身分にある女子ならば選び放題だろうに…。


「他にはないのでしょうか?

 それでは該当者があまりに多いのでは…」

「うむ。其方のいう通りよ。

 妾の要望では到底絞り込めぬと宰相があまりに懇願するので、仕方なくもうひとつ条件を足した」

「それはどのような条件なのでしょう」

「何かひとつだけでも妾より優れているものがあると自負するものだ」

「そ…れは…」


思わず顔が引きつる。


「どのようなものでも構わぬし、なんなら実際には優れておらずともよい。

 私財、容姿、学業、武芸、ありとあらゆるものの内ひとつでも妾より優れていると自信を持つ者ならば伴侶としてより深く尊重できるであろうと考え条件とした」


簡単に言うが、そんな人物はそういない。

王女という身分に勝てるものはまずいないし、国一番の美女と言われた妃殿下に瓜二つの容姿に勝てる男なんて見たことがない。

学業も武芸もこの国で最高峰のものを学べる環境で育ち、それを幼き身でありながら余すことなく身につけ続ける御人だ。

同世代の子息の中でそれらを越えていると自負するなどよほど自信があるか馬鹿でなければできない。

単純に能力だけなら武芸であれば現役の騎士、学問であれば学院の教師陣などが挙がるかもしれないがそういった人物は既に婚姻済み…むしろ殿下と同じくらいの子がいるくらいの年齢層だ。


「秘密裡だったためそもそも候補者は少なく、その少ない候補者から選ばれたのはたった四人だ」

「…恐れながら、私はそこに入っていない筈ですし、秘密裡とは」

「うむ。まぁまだ話は続く故、そう急くな」


秘密裡、という言葉に引っ掛かるものは感じたが、これ以上話の腰を折るわけにはいかない。

殿下は紅茶で喉を潤しながらこちらへ四本立てた指を見せる。


「妾の婚約者候補…表向きには友人候補として集められた四人はいずれも高位貴族の子息達。

 その誰もがいずれ妾が王配を必要とする事を先読み、その為に育てられた立派な貴公子たちであった、殆どの者はな」

「そのような方々が…」

「最初に婚約者候補として面会したのは外務大臣の次男であった。

 星見の知識では妾を上回ると名乗りをあげたが…うむ、確かに研究者になれば後世に名を残すだろう。優れた男であった」


過去形で話すと言う事は、候補のままで終わったのか。

いやそもそも候補がとれて正式な婚約者となっているのなら私の所へ来ることなどないのだが。


「奇遇な事に妾も星見を趣味としていた故、同好の士が見つかり嬉しかったのもあり会話は盛り上がったのだが…気付けば相手は地に伏し知識不足を嘆いて候補を辞してしまったのだ」

「………」


どうして盛り上がった会話の末に相手が嘆く事になるのか。

きっと殿下にとっては楽しい会話が、公爵子息にとっては激しい議論だったんだろう…研究肌の人間が議論で負けるのは相当屈辱だと聞いているし、それがまだ子供なら尚更悔しいだろう。


「二人目は辺境伯家の三男で、武芸で勝ると豪語する通り確かに粗削りながらも見事な剣の使い手であった。

 だが剣技は妾も得意とするところ。五回ほど剣を交え全勝させてもらった」

「…それで候補から外れた、と」

「うむ。潔く負けを認めた故な。

 佳き男であったため候補から外すのは心苦しかったが既に折れた相手を求めるのは流石に哀れであろう?

 だが武芸への真摯な心根が好ましかった故、騎士団へ妾の名を添え推薦しておいた」

「他の候補者の方は?」

「三人目は魔法に長けた伯爵子息であった。

 確かに優れた魔法の腕前を持っていたが、生まれ持った魔力量が違い過ぎて殆ど勝負にならなんだ。

 しかも本人は婚約に乗り気ではなかったらしく、負けた瞬間に自由だと叫び転移魔法で何処ぞへ旅立ってしまった!」

「……そ、そうなのですね…」

「四人目は…容姿の美しさで勝ると言っておった。

 そなたもよく知る男ぞ」


ぞくりと、嫌な予感が背筋を走った。

生家に捨てられ交友関係が広くない自分がよく知る男など限られてくるし、その中で己が容姿を誇る男なんて、ただ一人しかいない。


「とある侯爵家、いや、もう伏せる必要もないだろう。

 妾の婚約者候補として手を挙げたのはエリオット・ビーゲンズ。

 ビーゲンズ侯爵家の嫡男であり其方と同じ血が流れる男よ」

「っ………」


…もう二度と関わりたくないと願い続けた男と、家の名。

美しい顔に果てしなく嫌味な笑みを浮かべる兄を思い出し眉間に皺が寄るが、長く目元を隠す前髪のせいで殿下には見えていないようだ。


「容姿に自信があると自負する通り、まぁ美しい顔立ちではあった。

 だがあれは心根がいかん。女王の伴侶、王配とは如何なる存在かを理解していない」

「な、何か、失礼を…!?」

「失礼も失礼よ……あぁ、この件に関して其方の謝罪はいらぬ。今となっては無関係の男であろう?」

「…は、御配慮痛み入ります」


血は繋がっている、けれど末端の男爵家へ身一つで養子に出されたあの日、嘲笑われながら他人だと…清々すると言われたのだ。もう関係はない。

ルミオーネ殿下はエリオットと俺が兄弟であると明言しながらもその辺りの事情も把握し、理解してくれているんだろう。


「して兄…いえ、エリオット殿はどのような失礼を…」

「うむ。軽いもので言えば初対面で妾の名を呼び捨てにし、許可もなく頬に触れ…唇を奪おうとしおった」

「は?」

「まぁ結局の所未遂で終わり、その程度の事は欲に素直なだけだと流したのだが…その後座って茶を飲み交わし会話を重ねた所、美しい自分が王となれば国はより栄えるだの、王と王妃としてこの国を導こうだの…途中から紅茶の味も感じられぬ程頭の痛い時間であった」

「…………」


あまりの酷さに言葉を失った。

今目の前にいる人はたった一人の王位継承者で、次期女王だ。

彼女と結婚する男は王配にはなるが王にはならない。女王が子を産む前に万が一の事態となった時は家系を遡って最も近い年代に王家の血が入った家の嫡子が王となる事が定められている。

しかもまだ婚約者でもない立場で許可なく触れ、口付けようとしただと?

そんな行為は相手がルミオーネ殿下でなくとも許されないっ…!


「妾は寛大であると自負しているが、あそこまで分別もつかぬ知恵なき者を伴侶とするわけにはいかぬ。

 侯爵子息にはその場で辞退を促した」

「当然の判断です…そのような男が血縁とは、己が血を恥じます…」

「なに、其方があれと違う事はわかっておる。

 そのあと、侯爵子息は現実を受け入れる事ができず少々駄々をこねたのだがその折に養子に出した弟がいる事を話しだしたのよ」

「……つまり、その話を聞いて私に打診を?」

「うむ。あやつの言葉をそのまま借りれば『馬鹿みたいに真面目』で『立場も弁えず睨みつけてくる』『不細工な弟』だそうだ。

 妾の目が似ていると、同じように見るなと激昂しおった」


似ているかはともかく、ここに来るまで毎日言われてきた言葉だ。

兄だけじゃない、血のつながった父母も私をそう言って罵り、屋根裏部屋へと押し込んでいた。

やっと抜け出せた暗闇を思い出し心の内側が黒く染まり始めた俺の頬を、殿下の細いけれど柔らかい手が包む。


「馬鹿真面目、大変結構。

 兄とはいえあのような愚かな男を睨みつけるのも当然といえよう。

 更に妾と同じ目をしているというのであれば伴侶に向くのではないかと思いついたのだ」


圧倒的な美しさを前にすると、言葉を失う。

精巧な彫刻、大胆な色遣いの絵画、自身ではとうてい生み出せない美は視線を、心を掴んで離してはくれない。

慈愛に満ちていながらただ優しいだけではない…気品と強さを乗せた豊かな微笑を浮かべるルミオーネ殿下はそっと頬を包んでいた手を上らせ顔を覆う髪の毛に至らせる。


「あ、」

「容姿にしか自信を持てぬ者は、自身より美しい者を認めぬ。

 真実醜いのであれば侮り、笑うだけで歯牙にもかけぬ。

 自身を脅かす者を恐れるからこそ悪し様に、下であると口汚く罵るのよ」


男爵家でようやく手入れする事を覚えた髪はサラサラと白く細い指の動くまま流れ、何の障害もなくなった視線が交差する。


強く美しい、けれどどこか憂いを含んだ輝く両の瞳に心が縛り付けられたように苦しくなる。


「鋭く美しい、強さを感じる良い眼差しではないか。

 この美を解さぬ者がいるとは嘆かわしいことよ」


そう笑うルミオーネ殿下の表情は、そちらの方がよっぽど美しいと言い返したくなるほどだったが、それはできなかった。

柔らかな唇が、塞ぐように重ねられたから。


「……っ殿下、!?」

「…其方には申し訳ないと思っているが、妾にも妾の事情がある。秘密裡にする理由もそれよ。

 もう下調べも下準備も万端滞りなく終わり、最初から逃げ道など用意しておらぬのだ」

「なっ、は…?」

「勿論其方が妾を拒否すれば仕方がないと諦めたが、違うであろう?

 其方の目は妾を美しいと、好ましいと語っている。ならば今この時より其方は我が伴侶よ。

 婚約さえ結べば猶予は伸びる故、その間に心を結べばよい」


確かに、好ましいと思った。

噂でしか聞いたことがなかったその稀有な美しい姿を実際目の当たりにした瞬間、全身に痺れるような衝撃が走った。

別の令嬢が真似れば滑稽でしかないだろう言葉遣い、尊大な態度もルミオーネ殿下にとってはその魅力を高める要素でしかない。

貴族としての自分が仕える王族、その頂に相応しい存在なのだと思うと同時に憧れのように胸の底をチリチリと焦がすような感情を覚えた。

けれど婚約、まして婚姻なんてそんな段階には到底至っていない。しかしルミオーネ殿下は俺の頬をもう一撫でするとサッと椅子から立ち上がった。


「さて、では行くとするか」

「お、御帰りですか?」

「あぁそうだ。其方を送りがてらな」


自宅にいる筈の自分をどこに送るというのか、首を傾げる俺にルミオーネ殿下はあっけらかんと言い放つ。


「其方はこれより公爵家に入る」

「は!?」

「男爵家が伴侶では流石に貴族の反発は避けられぬ。

 かといって自身を虐げた生家に戻るのは受け入れがたいと思ってな、妾の信頼する貴族家の子となるのだ。

 なに、病弱で社交界に出てこなかったと言えばなんとでもなる」

「だからといって公爵家なんて、私には…」

「他に付け入る隙を与えず嘘を突き通せる家などそうそうない。

 安心するがいい、そこの当主は現時点で妾の最も信頼する相手。やや厳しい男ではあるが少なくとも不当な扱いはせぬだろう」


恐ろしいほど早く進む話に目が回りそうだ。

いっそ思考を停止した方がいいのではないかと思うほど押し寄せてくる現実をなんとか処理しようとフル回転すると、ひとつのシンプルな問いがその中心に居座っていた。


「……殿下がそのように婚約を急がれるのは、何故ですか?

 わざわざ婚約者探しを秘密裡に進める必要など、ないのでは」


ルミオーネ殿下は未だ社交界デビューもしていない。


この国の社交界デビューの判断基準は年齢と礼儀作法や教養など本人の習得度合によって保護者が決める事になる。

ルミオーネ殿下は年齢で引っ掛かっているらしいが、それもあと一、二年で問題なくなる筈だ。


婚約、婚姻の類は社交界に出てから結ぶのがこの国の慣習で、法律ではないものの皆足並みをそろえる為暗黙の了解となっている。

間もなく社交界に出ていくのならそこで大っぴらに婚約者を探す事もできるし、そもそも探す前に国内外問わず求婚者が殺到するだろう。

聞くところによると現在も時間の早い行事やパーティーに国王夫妻の子として出席しておりデビューの日を皆が心待ちにしているらしい。


それを今この段階で自分を選ぶ意味がわからない。


「ふむ…かつては四歳で婚姻を結んだ王女も存在したそうだ。デビュー後の婚約が法で決められているわけでもない」

「かの有名なマリア王女ですね。二百年も前の話ではありませんか…」

「詳しい話は婚約を交わし秘密を守ると誓った後にしか話せぬ」

「失礼ながら、何もわからないまま婚約を結ぶことはできません。

 たとえ全部整っていたとしても私が了承しなければ進める事はできないはずです。

 殿下ご自身もそのような無理をよしとするようなお方ではないでしょう」

「……気持ちはわかる。が、王家の内側の話なのだ。

 正式に婚約さえ結んでくれれば全て話し、身の安全も生涯の保障も約束しよう。

 だが、そうだな…今言える範囲で言えば、妾自身の心と体を守る為、この国を守る為だ。これ以上は聞いてくれるな。

 其方の安全を保障し損はさせぬと誓う故…どうか、頼む」


ぎゅ、とルミオーネ殿下の手が俺の手を握った。

華奢なその手は微かに震えていて、焦りと何かへの怯えが見て取れた。

それに気付いた瞬間、急に目の前の殿下が一人の少女なのだと気付き心臓が再び跳ねる。


「…わかりました」

「では、」

「不束者ですが、どうぞよろしくお願いいたします」

















養子の手続きは踏まず、内密に実子として身を置く事になったルーヴェル公爵家には女子が二人いたが男子がいなかった。

けれど既に長女のマリアンヌ様が家督を継ぐことが決まっていて、年子で次女のシャルロッテ様は友好国の貴族へ輿入れが決まっている。

(この国の貴族家は男女問わず継がせることが出来るので、俺が現れたとしても跡継ぎとして育ってきたマリアンヌ様はそのままで大丈夫だ)


特に何の役割もなく、ただ王の伴侶として相応しい家格を与える為に入った俺を新しい家族はとても暖かく迎え入れてくれた。

年齢的には一応社交界デビューをしていてもおかしくなかったがそもそも親がその判断すら放棄してデビューをしていなかった事が幸いし、俺は生まれつき体が弱くずっと領地で暮らしてきたマリアンヌ様の双子の弟という立場になった。

実際は14歳のマリアンヌ様より一つ下の13歳だったが、そもそも別の人間として生きるのなら一年くらい誤魔化したところで何の問題もない、

新しい戸籍は父であるルーヴェル公爵閣下によって既に整えられている。


与えられた新しい名前は、マーニ・ルーヴェル。


初めて顔を合せた際に母となった公爵夫人が俺の瞳を月の色だと大層お気に召し、月の神を意味する名前を授けてくれた。

俺もルーヴェル家の面々もこの国では一般的な茶色の髪で、金の目はそれなりに珍しいがいない訳ではない。

顔立ちの違いに関しては、凛とした美しさを持つマリアンヌ様と温和な愛らしさを持つシャルロッテ様というわかりやすい前例がある為そうたいして話題にならないだろうとの読みだった。


エリオットの課題を全て押し付けられてきたおかげで学術的な知識は問題なく身につけていたが、礼儀作法に関して途中で止まってしまっていた俺は毎日着慣れない上等な服に身を包み、母である公爵夫人とマリアンヌ様から直々に公爵家の振る舞いというものを叩き込まれている。


「マーニの目は本当に綺麗ね、金色の瞳がまるで月のようだわ」

「ありがとうございます。ですが、貴方の美しさには敵いませんよ。

 私が月だというならそれは貴方という花を照らす為の小道具に過ぎません」

「…よろしい。殿下の前でも顔色を変えずに言えるようにね」

「はい」

「お世辞も含め、マーニは本当に呑み込みが早いわ。

 ダンスのステップも三日あれば覚えてしまうし、センスがあるというのかしらねぇ」

「ありがとうございます、母上」


顔を覆い隠していた髪は養子入りしたその日にバッサリと切られ、コンプレックスでしかなかった顔を前面に出す事になったのは正直泣きたくなったが、あの日の殿下の指先の震えを思い出すと自身の恥など関係ない、そう思えた。

幸いにも公爵家の面々は生家と違い見た目を貶す事もなく、むしろ殿下と同じように自分の魅力であると言葉を重ねてくれている。

そんな恵まれた環境の中一日でも早く公爵家の嫡男マーニ・ルーヴェルとして身分相応の自分を完成させなければならない…その事だけを考え、頭に体に公爵家から与えられる全てを叩きこんだ。

三日で覚えたというのも確かに真実なのだが、まぁ実際は夜中に起き一人で何度もステップを踏んでいるし貴族向けのマナー本は毎日欠かさず最初から最後まで目を通している。


「この調子ならデビューもそう遠くないわ。

 そうね…王妃様の誕生日に開かれる夜会がいいかしら」

「私はそこで殿下と再会するというわけですね?」

「えぇ。当日はシャルロッテのエスコートをして入場し、私達と共に王家への挨拶を。あとは殿下に任せれば大丈夫でしょう」

「しかし、そう上手くいくのでしょうか?」

「細かい情報の操作などは私達が行います。

 それに…真実の愛と国中を沸かせた、世紀の大恋愛の末に生まれた殿下が恋をするのは当然ではなくて?」


俺と殿下は、病弱で領地で暮らしていた俺がある日視察に来たルミオーネ殿下と出会い、恋に落ち、王都で運命的に再会するという少女向けの恋物語のような内容で婚約へと持ち込むそうだ。


しかし、国王夫妻の婚姻にまつわる逸話はそれを越えるほど夢があり未だに根強い人気を誇る。

平民として生まれた少女が実はとある貴族の私生児で、引き取られた直後のパーティーで王太子と出会いその類稀な美貌で見事心を射止め王妃まで成り上がった、というものだ。

正直かなり早い段階で現実というものの救いの無さを理解してしまった身としては「そんな上手い話があるかよ」と疑いを抱かずにいられなかったが、当時を知る公爵夫人曰く殆ど真実らしいから世の中不思議なものだ。


確かにそんな逸話を持つ両親の娘なら公爵家の息子と偶然恋に落ち、それで婚約・婚姻までいってもなんら違和感はない。

惚れた令嬢に相応しい男を目指し病弱な体を鍛え、颯爽と社交界に現れた貴公子…民の人気をそのまま引き継ぐにはもってこいの存在になるだろう。



そうしてひたすら勉強やダンスの練習に励む中、時折公爵夫人や姉達と共に貴族街へと買い物に出る事もした。

これには勿論買い物としての目的もあるが、それ以外に公爵家に息子がいるという噂を広める目的がある。


『今まで療養の為離れて暮らしていた息子ですわ。

 やっと王都で一緒に暮らせるようになったので、どうぞよろしくね』


ブティックで、カフェで、宝飾店で。

高位貴族が贔屓にする場所へ連れられ、顔を売り地固めをしていく。


ジョン・ダンケルは既に死亡届が出されている。

ダンケル男爵家には様々な礼を約束した上で神殿を介する契約魔術で口外を禁じているし、侯爵家はエリオットが度々やらかしているらしく社交界から閉め出され、捨てた次男を気に掛ける余裕はないだろう。

公爵曰く、あの家はもう今後は年単位で国家行事以外に出る事はない為心配はないそうだ。


そんな生活を三ヶ月ほど続けると、もうマーニ・ルーヴェル公爵子息の存在は周知の事実であり、会食やお茶会への招待状が山のように届き始めた。

双子の姉であるマリアンヌ様が早々に社交界に出ているからか、遠慮がない。

しかし正式にデビューしていない以上どこにも参加する事はできず不参加の返事を返し、その中でも特に顔の広い…噂好きの主催者にだけもう一枚の手紙を添える。


内容はこうだ。


『実はかつて領地で出会った令嬢を探している。まだ社交界にでていない為あまり知る顔がおらず、貴族社会に精通する貴方のお知恵をお借りしたい』


それに加えるのは、髪色や瞳の色などの客観的に見た殿下の特徴。

これが届けばきっとその主催者はこちらの思うまま広めてくれる筈だ。


「なんだか申し訳ないですね」

「これくらいどこの家でもやっているさ。

 人の動かし方は王配になれば嫌でも必要な技能となるからな、その下地だけでも体験しておくといい」


公爵は宰相という忙しい立場なので会話する機会こそ多くないが、夫人から細かく報告が上がっているようでその都度適切な助言や時には叱責を与えてくれる。

殿下曰く厳しいという話だったが、別に手が出るわけでもなし問題はない。

時折こうして他愛もない会話の為書斎に呼ばれるという事はそれなりに気に入られているんだろう。


「噂は順調に広がっている…今やお前は健気に恋の相手を探す御伽噺の王子様だ。条件に当てはまる娘を持つ家から大波のように招待状が届いているぞ」

「会った記憶などないでしょうに」

「なくても出てくるのだ……我が家の息子もそうして生まれた」

「そうでしたね」


チン、とグラスとカップを慣らし、公爵閣下とその息子としてブランデーと紅茶を楽しんだ。










王妃殿下の誕生祝いとして催された夜会は国家行事に次ぐ大規模なものとして多くの貴族が列席し盛大なものとなる。

公爵家には家単位での招待が届いており、人数の明記はない。


「ルーベル公爵家御一同、御入場です」


ハリのある声に参列する貴族達が一斉に出入口に視線を送る。

家族ごとで呼ばれた場合は年若い者から礼をするのが習わしの為、俺はシャルロッテ様と並び指先まで神経を巡らせた紳士の礼を見せつける。

次にマリアンヌ様と婚約者殿、そして公爵夫妻が入場を済ませるとまるで餌に群がる鳩のように人々は俺達を囲い込んだ。


とは言っても入場は家格によって決まり、公爵家の後はすぐ王族だ。

公爵が懇意にしている貴族を優先しながら挨拶をする内にラッパの音が場内に響く。


「ラーオス国王陛下、並びにレーネ王妃殿下

 ルミオーネ王女殿下、御入場です」


見事なカーテシーを披露した後エスコートもなく、颯爽と一人歩く殿下とその後ろを寄り添い歩く国王夫妻。

まだ子供と言わざるを得ない年齢ではあるが洗練されたルミオーネ殿下の所作に周囲は感嘆の息を漏らす。

そして檀上に設えられた席につき王妃殿下と並べば瓜二つである事が強調され、まるでサイズ違いの美しい人形が並んでいるようだった。



「さぁ、行こうか」

「はい父上」


国王陛下たちが着席すれば夜会は次の段階へ進み、貴族達は列を作って国王陛下への挨拶に伺う。その先頭に立った公爵家の中、俺の心臓は少しずつそのテンポをあげていく。

この後の事は何も聞かされていない。ただルミオーネ殿下に合わせて動けばいいとだけだ。


「輝きを増し続ける王妃殿下にお祝いを申し上げると共に、オルビットの太陽にご挨拶申し上げます」

「うむ。……そちらの者は?シャルロッテ嬢の婚約者か?」

「これは長く領地で静養しておりました、マリアンヌの双子の弟にございます。病弱でありましたがこの度完治いたしましたので今宵の宴をデビューとさせていただきたく存じます」

「ほう…息子とは初耳だな。其方、名はなんと申す」

「は、マーニ・ルーヴェルと申します。

 オルビットの太陽である国王陛下、ならびに王妃王女殿下へご挨拶を……」


ゆっくり国王陛下、王妃殿下、そしてルミオーネ殿下と順番に拝謁すると殿下は一瞬唇を噤む仕草を見せ、その合図に俺は言葉を切り動きを止める。


カシャン、


ルミオーネ殿下の扇がその手から滑り落ちた。

その音に国王夫妻、周囲の貴族達の視線は一斉にルミオーネ殿下へと向けられこの舞台が彼女のものとなる。


「…マーニ?あの時の…?」


震える声で呼ばれた俺は王女殿下から視線をそらさず、むしろ驚いているようにこれでもかと大きく目を見開いた。

恋しい少女との再会だ、大袈裟にすればするほどいい。


「貴女は…まさか…!」

「マーニ、どういうことだ。まさか、お前が話していた令嬢とは殿下の事ではなかろうなっ」


…俺も公爵も、国が滅んだら役者になった方がいいかもしれない。

助演男優としてならきっと人気になれるだろう。

たったこれだけの会話で、周囲の貴族は俺が探していた恋の相手は殿下で、それを覚えていた殿下と運命の再会をしたのだと理解する筈だ。


「…ルーミィ、貴女なのか…?」

「あぁマーニ…!!もう一度会えるなんて、まるで奇跡のようだ…!」


そして俺や公爵が助演男優なら、ルミオーネ殿下は主演女優だ。賞も狙えるかもしれない。

エメラルドの瞳に涙を浮かべ立ち上がったルミオーネ殿下が俺の胸に飛び込むと、貴族達はワッと歓声を上げた。

国王夫妻だけは予想外の事に驚き焦っているようだがこうなっては誰にも止められない。


『公爵子息は確か幻の君を探していたわ』

『緑の目に金の髪を持つ麗しい令嬢…言われてみれば王女殿下の事じゃないか』

『偶然の出会いが二度も重なるなんて、これこそ真実の愛ね』

『国王夫妻に続き王女殿下も…なんて愛に溢れた王族なのかしら』

『それにあの二人の姿を見ろ、まるで一枚の絵画のように美しいじゃないか』

『きっと神々がお二人の縁を結んだのだ』


貴族達の囁きが殿下と俺を後押しする。

それに促されるように、殿下は恥じらいの表情を浮かべ俺の腕の中から、座ったままの両親を振り返る。


「……父上、母上…」


誰がどう見ても、俺と殿下は愛し合っている。

そして、国王夫妻はかつて繰り広げた世紀の大恋愛のせいでこの愛を否定する事ができないのだろう。

国王は何か考えるように視線を彷徨わせるが、レーネ王妃は表情こそ取り繕っていてもその口元は僅かに歪み、手の中の扇がミシミシと悲鳴を上げている。

まだ事情とやらは聞けていないが、きっとあの王妃の態度が大きく関係している事は容易に想像がついた。


「…正式な婚約は、日を改め書面を交わそう」

「陛下っ!?」


縋るようにマントを掴む王妃の手をそっと降ろさせ、国王はこの話は終わりだとばかりに次の貴族の名を呼んだ。


「殿下、これでよろしいでしょうか?」

「うむ。なかなかの演技であった」


他の誰にも聞こえないように近付き交わす密談も、あの後では僅かな別れを惜しみ手を取り合う姿に見えているに違いない。


その後俺とルミオーネ殿下は三曲続けて笑顔で踊りきり、周囲の貴族達へ運命の恋人像を見せつけた。

…殿下はどう思ったかはわからないが、少なくとも俺は彼女の軽やかでキレのあるステップにテンションが上がり、途中から演技など忘れ夢中だった。

会えない時間が愛を育てる、と恋愛小説にはあったがどうやら愛に満たない恋であっても育つらしい。


この恋の行く末は既に決まっているが、それでも今の自分は確かに進行形で彼女に恋をしているのだ。


初めての夜会、そして殿下の企て。

どちらもなかなかの出来だったのではないかと自惚れながら屋敷に戻る馬車に乗り込むと、行きに同乗していた公爵夫妻だけではなく騎士が一人乗り込んでくる。


「父上、この者は?」

「今日の夜会でお前は国王夫妻の障害となった。

 この他にもう二人、公爵家ではなくお前専属の護衛として用意している。あとは見えにくい者も何人か付ける為少し心地が悪いかもしれんが…まぁ、その内慣れる」

「……命を狙われるかもしれないと?」

「うむ。少なくとも今頃王妃の手勢が動き出しているだろう」

「殿下の御身は安全なのでしょうか」

「殿下は既に魔術で作った身代わりの人形を置き、転移魔法にて脱出なされた。

 行き先は我々の協力者である侯爵家で王家…いや、国王夫妻と深い因縁がある家だ」


国王夫妻と因縁?

内心で首を傾げる俺に公爵夫人が囁く。


「あの恋物語の犠牲になった女性…陛下の元婚約者のご実家よ」

「え?」


間抜けな声をあげてしまった俺へ、夫人からバトンを受け取った公爵が口を開く。


「彼女は婚約破棄となった段階で王家の教育をほぼ終えていた。そのせいで機密保持の為に毒杯を与えられたのだ。

 表向きは病死となっているが、実際は毒を飲んですぐ間一髪で救いだされ…今は海の向こうで健やかに暮らしているそうだ」


そうか、本来王族ともなれば社交界に出てすぐの早い段階で婚約者が決められる。

陛下がまだ王太子だった頃、高位貴族の令嬢がその立場にいたのも当然だ…世紀の大恋愛はそのご令嬢を蹴らなければ成就しない。


「侯爵家だけではなく、他にもいくつかの貴族家が彼女を救う為尽力したわ。

 …機密保持というなら魔法で記憶を縛るか消せばよかったのに、殺す事を選んだ王家に不信感が募っていたの

 レーネ王妃がそれを望んだという噂もあったわ…王の心が離れる可能性をなくす為に、なんてね」

「あの家は王家を未だ許していない。

 真実の愛などという曖昧なものを掲げ大切な娘を傷つけ、軽んじられ、命まで奪われかけたのだ。

 マリアンヌやシャルロッテが同じ扱いを受けたら私とて命の限り恨み抜くだろう」

「…ルミオーネ殿下は王妃殿下によく似ていますが、大丈夫なのでしょうか?」

「最初に引き合わせた時、ルミオーネ殿下は自ら膝を下り頭を下げた。国王夫妻の愚行を詫びられ、更なる過ちを止める為に協力を仰いだのだ」

「………」


更なる過ちについて、俺はまだ何も聞かされていない。

けれど王家に対し強い恨みを持つ者がアッサリと協力する側に回る筈がない…それだけで極めて重大な事だとわかる。

正式に婚約を結んだ段階でしか教えられないと言われているが、気にならないと言えば嘘だ。


「…私はいつごろ正式な婚約者となれるのでしょう」

「そう遠くはないだろう、なにせ今夜の事は明日にも新聞で王都どころか国中に広まるのだからな」

「それも父上の仕込みですか?」

「仕込みというほどでもない。新聞社を抱える伯爵家当主が大慌てで駆け出したものでな…転んではいかんと我が家の者に後を追わせただけだ」


…きっと明日の新聞は運命の恋の一部始終を余すことなく、そして何倍にも盛り上げて書かれることだろう。

王家を中心とした身分制度が確立していても国の大多数は平民だ。

その平民を味方につけて結婚した以上、それを裏切る事は許されない。


「おかえりなさいませ、閣下」

「うむ」


公爵邸に到着した馬車を迎えたのは、警備らしき体格のいい男二人とその脇に縛られ置かれている破落戸共だった。


「来るとは思っていたが、随分と質の悪い者共を送ってきたな」

「あの子達が降りる前に片付けてしまってちょうだい」


公爵も夫人も、打撲痕や血がついた破落戸を見て顔色を変える事はない。

だがマリアンヌ様やシャルロッテ様にはショッキングな光景だろう。夫人の声に破落戸共は容赦なく地面を引きずられていった。


「どうやら王妃は早くもいくつかの家から見限られたらしい」

「と言いますと?」

「育ちがどうあれ王妃は王妃だ。これまでは様々な家が利用しようと金銭なり武力なり融通していた。しかし、今日王女殿下とお前の様子を見て勢力図が変わったのさ」


…手勢も、どこかの家からの借り物だったと言う事か。

破落戸しか手配できないような家しか繋ぎ止められない、後ろ盾のない王妃というのは考えているよりもずっと脆い存在なのかもしれない。

平民や下級貴族に支持された結婚は、裏を返せば高位貴族には支持されていないということ。


その高位貴族の中でもトップの公爵家、その息子がたった一人の王女に運命の出会いなんて看板を引っ提げて婿入りするとなれば勢力図が変わるのも当然と言える。


「これからは高位貴族の支持と平民の支持、そのどちらもが殿下と貴方に向けられるわ

 派閥違いから攻撃はあるでしょうがそう気にする必要もないでしょう…それだけの力が我が家にはあるのだから」

「まさか自分が権力争いの火種になるとは、人生とは奇妙なものですね」

「そうね。でも、それが貴方の人生なのよ。

 …人は自分の人生を歩まなければならないわ」


ほんの少し、公爵夫人の顔が曇った。

しかしそれは本当に一瞬で、次の瞬間には穏やかな笑顔に戻り馬車から降りてきたマリアンヌ様とシャルロッテ様に向き直る。

同じように表情の変化に気付いただろう公爵閣下は俺を見て緩く首を振った。

何故か、予感があった。

きっとあの翳りも殿下の事情に関わるものなのだろうと。







三日後、公爵家に王家より書簡が届いた。


「婚約に関してですか?」

「あぁ。思っていたよりも早かったな」

「あのような新聞が出れば、動かざるを得ないでしょう」


パーティーの翌日、王都だけではなく近隣都市にまで号外新聞が出回った。

内容は勿論ルミオーネ殿下と俺の恋物語で、領地での出会いから物語のような再会まで細かに書かれているそれは飛ぶように売れたそうだ。

だが不思議とその号外には俺の姿絵はなく公爵閣下に尋ねれば生家への予防線だそうだ。

…俺の顔を覚えている者なんている筈がないと思うが、まぁ念には念をということなのだろう。


「殿下はもう城に戻られたのでしょうか」

「身代わり人形が視察と称して侯爵領近くまで迎えに出ている。

 合流次第入れ替わり、婚約式の日には戻られる筈だ…侯爵家の娘を連れて、な」

「ご令嬢に何かあるので?」

「なんでも武勇に長け、毎日王女殿下と剣を交えているそうだ。

 いい護衛になるだろう…陛下の元婚約者に似た顔も王妃に対してのよい刺激になる」


うってつけの人材を連れて戻ってくるわけか。

事が万事うまく進んでいる事に頷いていると、書斎の扉が控えめにノックされる。


「お父様、お兄様はこちらにいらっしゃる?」

「シャーリィ、どうしたんだい?」

「今日はお勉強もお休みと聞いているので、一緒にお出かけをしたいと思ったのですが」

「それはいいけれど…」


妹となったシャルロッテは突然出来た兄だというのに慕ってくれていて、こうして休みの日に誘われる事も多い。

しかし今日は珍しく、その後ろにマリアンヌが立っていた。


「マリアンヌも一緒に?」

「アルベルト様への贈り物を探したいのだけれど、お付き合いいただける?」

「勿論さ。では父上、失礼いたします」

「うむ。マリアンヌ、シャルロッテ…マーニの事を頼んだぞ」


本来頼まれるのは男である自分なのだが、生粋の公爵令嬢達と公爵子息として日が浅い俺では比べ物にならない。

ここは素直に姉妹に守られておくのがいいだろう、情けない話だが。


「支度をしてくるから少し待っていてくれ」

「えぇ」

「わかりましたわ」


王都を歩く程度ならそのまま出かけても問題ない服装ではあったが、マリアンヌの婚約者であるアルベルトへの贈り物を買うのなら行き先は高級店、少しばかり品が足りない。

侍従や侍女に頼み急ぎで身支度を整えて玄関ホールに下り二人と合流すると馬車に乗り街へと向かった。


「ねぇお姉様、アルベルト様には何をお贈りになるの?」

「新しいペンを考えているわ。それと先日珍しい茶葉を贈ってくださったから…美味しいお菓子も添えようかしら」

「お菓子なら私のオススメがありますわ!干し果物がたくさん使われていて…」


街歩きの最中に女性同士で男の俺が入り込めない会話が始まったが不快ではなく…なんだか、不思議な気分だ。

生家でも俺を無視して会話をされるなんて日常茶飯事だったが、それとは全く違う。二人が笑い合うのが微笑ましくて、愛おしいとすら感じている自分がいる。


実兄エリオットとは二人兄弟だったけれど、そもそもこんな風に馬車に乗って出かけた事はない。

両親が出かける時はいつもエリオットだけ連れていって、自分は屋根裏部屋でエリオットから押し付けられた課題か馬小屋で馬の世話をしていた。

…きっとあそこは生まれた家ではあったけれど、家族ではなかったんだろう。


「マーニ、どうかした?」

「お兄様?」


似ていないようで、ふとした表情が似ている姉妹が俺を見る。

どこにも嘲りや皮肉が見えないその目は、家族を心配しているものだ。


「なんでもないよ。

 カフェに行くと言ったから、チョコケーキとチーズケーキどちらを食べようか悩んでいただけさ」

「まぁ!お兄様ったら食いしん坊ね

 私は新作のレモンタルトにしますわ、あぁでもチョコケーキも美味しいお店ですし…悩ましいですね」

「私はフルーツタルトと決めているけれど…そう言われるとチョコケーキも気になってしまうわね」

「では皆で一口ずつ食べましょう?それなら食べすぎにはなりませんもの!」

「分け合うなんて少し恥ずかしいけれど…フフ、どうせ家族ですもの、構いませんわ。

 あぁ、でもお父様達には内緒よ?」


輪の中に入っても、二人共不快な顔をしない。

それどころかより賑やかになる会話に心のどこかに空いていた穴が埋まっていく。

シャルロッテが隣国に嫁ぐまで。俺がルミオーネ殿下の伴侶となるまで。

僅かな時間だけでもこうして家族と呼べる人達と過ごせる…その事が、たまらなく幸福だと思った。



「ジョン?」


シャルロッテに手を引かれカフェに入りかけたその時、後ろから聞こえた声にほんの一瞬体が強張った。

何年も罵倒され聞かされ続けた声だ。

みっともなく震えるようなことはないが、不自然に一時停止してしまった事は反省せざるを得ない。


「お兄様、早く入りましょう?」

「…そうだね、シャーリィ」


シャルロッテの手に力が入ったのは偶然ではない。

…そうだ、この少女も公爵家の人間だ。そして自分も、公爵子息マーニ・ルーヴェルだ。


「おい、お前ジョンじゃ」

「弟に何かご用でしょうか?」

「へ、お、弟?」


ガラスが張られた扉を開けカフェの中に入ろうとした俺に知らない『誰か』が声をかけようとしていたが、後ろのマリアンヌが声を掛け制止している。もし『誰か』が暴れようとしても俺達三人それぞれの侍女や護衛が控えているし万が一もない。

俺が揺れて、ボロを出しさえしなければ何も起きない。


「マリアンヌ、どうかしたのかい?」


ハリボテの余裕と急ごしらえの品格を乗せた笑顔で振り向けば、そこにはかつて自分の兄だった男がいた。

顔の作りは相変わらず整っているが、仕立屋に無理を言ったのか奇抜さをふんだんにトッピングされた原色の派手な装いは悪目立ちし、艶を出し過ぎた金髪は油でも被ったようで気持ちが悪い。


…自分を追い詰めていたのは、こんな男だったのか。

落胆にも似た気持ちが生まれたが、それを表に出す事も勿論ない。


「こちらの方が貴方に声を掛けようとしていたのだけれど…お友達だった?」

「いや、初対面だ。人違いではないかな?」


ちらりと見た際に目が合ったが、その目は困惑しきっていた。

それもそうだろう、ジョン・ダンケル…いや、ジョン・ビーゲンズは死んだのだ。生家にも報せは届いている。

なのにその顔を持つ男がいて、しかもその姿は一目で高位貴族とわかり周りには美しい姉妹がいるなんて混乱しない方がおかしい。


「王都は人が多いからね、間違えてしまうのも仕方がないさ。

 さて、妹を待たせているので失礼するよ」

「フフ、あの子が怒ると長引くものね」


名乗りもしない、相手に名前も聞かない。

ただ一瞬すれ違っただけの相手として終わらせると、それ以上は追ってこないようだった。

というより理解が追い付いていないだけなのかもしれない。


「後で父上達に報告しなければ」

「えぇ、まぁ恐らくすぐに処理されるでしょう」

「ねぇお兄様?私チラリとしか見えませんでしたが、あの方が件の方なのですか?

 美しい方と聞いていましたのに…お兄様の方がよほど美しいではありませんか」

「ありがとう、シャーリィ」


シャルロッテおすすめのその店はサービスもケーキの味も一級品だった。

各々頼んだものとは別に三人で仲良くチョコケーキを分け合い、微笑みあう…その和やかな時間のおかげで先程発生した小さな旋毛風などあっという間に消え去っていた。



帰宅後、出迎えてくれた母に報告すればいつもと変わらない笑顔で「もう終わったわ」と告げられ両親の耳の良さ、手の長さに深々と頭を下げた。


翌朝の新聞によれば、酒に酔ったどこぞの侯爵家嫡男が娼館近くで魔法を暴発させ逮捕されたらしい。

死者はないものの爆破被害にあった娼館はこの国で一番の高級店で、賠償責任は勿論怪我を負った娼婦の馴染みの客達からあらゆる方法で追い詰められる事になるだろう。


スッキリした、というほどでもないが心のどこかにあった黒い塊が幾分軽くなったような気がする。










「では、神々より賜った縁により我が娘ルミオーネ・オルビットとマーニ・ルーヴェルの婚約をここに結ぶ」


王の宣言と共に、二人の名が書かれた婚約契約書が掲げられる。

そして王家と公爵家がそれぞれ用意した互いの瞳の色の宝石が嵌まった腕輪を渡し合い、婚約は成った。

王も王妃も取り繕ってはいるが心から喜んでいるようには見えず、可憐に微笑む殿下だけが浮いている。


「マーニはこれから王配教育で城に通うのだろう?

 城内の連絡を頼む事になる妾の侍女を紹介させてもらいたいが時間は大丈夫か?」

「勿論です、殿下」

「ルーミィと呼んでくれ、婚約者なのだから」

「ルミオーネ!」


婚約式の終わりの俺達の会話はさぞかし仲睦まじく見えているのだろう、王妃が苛立ちを隠さずヒールをカツカツと鳴らしながら近づいてくる。


「母上、いかがなさいましたか?」

「男を気軽に誘うなんてはしたないにもほどがあるわよ!

 それに簡単に愛称を許すなんて…王女なんだから恥を知りなさいっ」

「はしたないなどと、侍女の紹介に何を仰います。

 それに私とマーニは婚約を結んだ間柄、愛称で呼び合うのも当然かと」


そっと、殿下の細い腕が私の腕に絡む。

勿論いやらしい動きではなく、そっと寄り添うような淑女然としたものだが。


「~~~!明日から礼儀作法の時間を倍にするわよ!」

「えぇ、わかりました。では行こうかマーニ」


冷静に正論を述べるルミオーネ殿下と声を荒げ横暴な言葉を投げる王妃殿下。

どちらが子供かわからないやり取りは周囲の貴族に違和感を持たせるには十分だった。


元々平民育ちで礼儀作法や知識で問題視されていたのを、世紀の大恋愛という看板で覆い隠していたに過ぎない。

その看板が次の主役に回ってしまえば見えてくるのは足りぬばかりの王妃自身の等身大だ。


「あれほど激昂する必要があったか…?」

「王女殿下も公爵子息もまだ子供でしょう?」

「妃殿下が在学中の頃の方がよほど…」


囁き声に見送られながら殿下と共に謁見の間を出ると、添えられていた細い腕から力が抜けたようだった。

横を見ると視線に気が付いた殿下と目が合い自然と微笑み合う。


「ようやく婚約できた」

「えぇ、少しは安心できましたか?」

「勿論だとも。…侍女の紹介もある、私の私室へ行こう」


すれ違う貴族や侍女、兵士は私たちの姿を見るとまるで微笑ましいものを見るかのように頬を緩め、時には祝福の言葉を向けられる。

国中が王女殿下と私の恋を信じ、今日の婚約を歓迎しているのだ。ただ二人を除いて。


「ようこそ、マーニ。ここが私の私室だ。

 友人を招くときに使っている応接間だがな」


婚約早々寝室を晒せなど言うまいな?

悪戯に笑う殿下の言葉に頬が赤くなるのを感じたが、次の瞬間違和感を感じた。


「殿下、この部屋…」

「どちらに気付いた?」

「…恐らくどちらにも、だと思います」


見られている、が、同時に隠されている。


強い視線を感じるが不自然に遠いのだ、まるで分厚い壁を挟んでいるかのように。

私の返答に満足したのか殿下は頷き控えていた侍女を傍へ呼んだ。

この国では珍しい褐色肌に肩口で切りそろえられた黒髪を持つその少女は、最初にダンケル男爵家にいた私を訪ねてきた時から殿下が必ず傍に置いている侍女だ。


「紹介しよう、妾が唯一信を置く侍女カマルだ」

「唯一とはどういうことですか?」

「妾は母の命により特別な腕輪をつけることで魔力の大半を封じて暮らしている。

 生活魔法程度は使えるし、幼い頃ならいざ知らず今はいざとなれば強引に外す事もできるため不便はそう感じぬが、迂闊に王城の中で外せばあちらの警戒心を煽る事となろう。

 故に魔法に長けたカマルを傍に置く事で守りとしておるのよ。今この部屋に張っている結界もカマルによるものだ。

 カマル以外にも侍女は置いているが、母の手配による者ばかりでな」


殿下が言うには、この部屋には国王が使う隠密集団が監視のため常に張りつき本来なら全ての発言が記録・報告されるのだそうだ。

しかしカマルが張る結界により口は読ませる事無く、また会話も当たり障りのないものへと変換されているらしい。

そんな結界魔法は聞いたことがなかったが恐らくカマル自身がこの国の生まれではないのだろう。


「身代わり人形もカマルによるもの…この娘は私が自由に動くには必要不可欠な人材なのだ。

 カマルがいなければ其方とこうして婚約を結ぶ日が来ることもなかっただろう」

「そうなのですか…それは私も感謝せねばなりませんね」


ありがとう、と礼を伝えたがカマルは微笑みながら折り目正しく会釈をし再び部屋の隅へと戻っていった。


「今後其方は王城で王配となるべく教育を受けることになる。

 茶会の誘い程度なら他の侍女に任せるが、有事の際にはカマルを遣わせる故それで判断してほしい」

「彼女が来たら何かあった、と思えばいいのですね」

「うむ。今後妾の身もそれなりに危うくなる…他家に属する其方には信のおける護衛がつくだろうが、実の親を相手取った妾は不利となろう」

「…その危険というものについて、この場で説明いただけるのでしょうか」

「勿論。そのために呼んだ」


殿下は置かれたティーカップを手に取り唇を潤すと、小さく息を吐いた後口を開いた。






「母は、妾の体を欲しているのだ」











ルミオーネは王家唯一の娘として両親から愛されて育った。

傷ひとつもつかぬよう、常に大勢の侍女や騎士に守られ愛情深い母に寄り添われながらすくすくと成長してきた。



しかし、その愛情の本性を知ったのは6歳の誕生日。


それまでは母の部屋で日々を過ごしていたルミオーネが、6歳になった事で自室を与えられ初めて一人で過ごす夜のことだった。

一人部屋を与えられた高揚感でワクワクとしていたが、夜が深まるにつれ一人であることを自覚し不安が膨らみ始め…母恋しさにそっと自室を出てしまう。


ルミオーネはその頃既に身体能力や魔力において突出したものを見せていたが、幼い子供であることには変わりなかった。


母の部屋の場所は知っていても孤独感や限られた灯りしかない夜の雰囲気により、廊下は全く未知の場所となる。

王族の居住スペースは他エリアとの境界にのみ警備が配置されているため、幼いルミオーネが徘徊していることを誰も知らなかった。


孤独と不安に耐えながら進んだ先に、僅かな隙間から洩れる光を見つけた時はまるで天からの救いにも感じられるほどだった。


そこは確かにルミオーネの母、レーネの私室でありルミオーネが目指していた場所だったが、その扉を開けようとした小さな手がピタリと止まる。


「まだ6歳!いったいいつまで待てばいいの!」


常に穏やかな笑みを絶やさず、愛情をもって接していた母とは思えぬ声がルミオーネの手を止めた。

怒りや苛立ちを隠しもしないその声と共に、6歳といわれているのなら自分の話だろうと幼心でも気付いてしまったのだ。


「あまり幼いと器にできないと言われているんだろう?」

「だからって…!見てちょうだいよ、私の肌!

 こんなにカサついてるのよ!?子供なんて産んだばっかりに!」

「大丈夫、相変わらず君は国一番の美しさを保っているよ」

「嘘なんていらないわ!あぁ…早く成長しないかしら…!

 こんな体もううんざり、あの若い体に早く乗り換えたいわっ」

「怪しい男だが魔導士としては確かだ。

 あれが言うならまだ待つべきだろう…大丈夫、計画通りに進んでいるさ」

「乗り換えたらアレに貴方の子供を産ませるのよね?

 そして私は常に新しい体でずっと貴方の傍にいる…あぁ、その日が待ち遠しいわ」

「まったくだ。さぁその美しい顔をもっと見せておくれ…」



(うつわ、のりかえ……まどうし)


両親の会話の意味を正確に汲み取る事は出来なかったが、その会話はルミオーネの記憶に刻み込まれた。

不安や孤独感は衝撃によって吹き飛び、現実感のないまま来た道を戻り自室に戻ると気付けば次の日の朝となっていた。


母の剣幕や、聞いてはいけない会話を聞いたという引け目からルミオーネは数日の間悶々としていたが、ある日すれ違った宰相にその胸の内の不安を見抜かれてしまう。


両親の会話を伝えると宰相は驚いた様子だったがしばし考え込んだ後ルミオーネの小さな肩に手を置き、真剣な表情で問いかけた。


「殿下は王家を、この国を捨てる事を望みますか?」


ルミオーネは6歳になったばかりではあったが、思考はやや大人びた節があり知識量も同世代に比べて豊富に持っていた。

安全性ばかりを重視し行動全ての先手を打つような環境に置かれていたせいで目立つことはなかったが、自分の立場を正確に自覚できる程度には聡明だった。

唯一の王女である自分が王家を捨てればどんな影響があるか計り知れない事も理解し、その上でルミオーネは王家に残りたいと宰相へ告げた。


「であればルミオーネ王女殿下の御身は我がルーヴェル公爵家が守り、女王となるよう導きましょう。

 恐らくこの道は危険であり、ともすれば非常に苦しい思いもなさるやもしれません。

 しかし、私はこの国と王家に仕える貴族として、正しい王家の存続のために必ずやその苦難からお守りいたします」


その誓い通り、宰相…ルーヴェル公爵は翌日ルミオーネの教育について進言し、他の講師陣を入れ替え自身の妻を礼儀作法の講師として、そして何処からか連れてきたカマルを侍女に捻じ込んだ。

元々王妃の取り巻きから選ばれていた講師は総じてレベルが低かったのもあり講師をより能力の高いものを置くだけでルミオーネはめきめきと力をつけ、そしてあの日の両親の会話を正確に理解した。



一般には知らされない、禁忌と呼ばれる魔法。

その中でも別の人間の体を乗っ取る魔法を、母はルミオーネに行使するつもりなのだ。


母と瓜二つ且つ若々しく未来溢れるルミオーネになり替わって王女となり、母の体に押し込められたルミオーネに次代を…父との子を作らせる。

常に美しく、愛する者の元に居たいという少女じみた夢を叶える為の生々しい乗っ取り計画だ。


まともな人間が思いつくものではない、ルミオーネの人格など一切考慮されないその計画から逃れる為に宰相はあらゆる手を使いルミオーネを守ってきた。

幸いな事にその計画は禁忌の魔法が関係する為か国王と王妃、そして魔導士以外に知る者はいない。

公爵家側も王家への忠誠や求心力が低下しルミオーネの治世に禍根を残す事を避ける為極秘で進める必要はあるが、恋に溺れた王と平民育ちの王妃に後れを取るような家ではない。



「…その過程で色々あり妾自身の意識も随分変わった。

 口調もこのように可愛げのないものになってしまったが、身を守る為なら些事に過ぎん。

 妾が婚約者を得た今、母はこの体が穢れる前にと焦って行動を起こすことだろう…乗っとった所で父に操が立てられぬのなら意味がないのだから」


マーニは想定より業の深い、欲にまみれた事情に頭を抱えた。


「禁忌の魔法というものが存在するとは知っていましたが…まさか国母たる王妃がそれを…」

「母は王妃の器ではない。執務もほとんど任されず、婚姻を結んでも尚父を独占する事に執心し続ける『女』でしかないのだ」

「…その行く末が娘の乗っ取りですか」

「我が母ながら、浅ましく愚か極まりないよ」


マーニはそっとルミオーネの表情を見つめる。

美しい顔は薄く笑みを浮かべているものの、どこか寂しげな風情を湛えていた。

抗うと決めたとしても、真実はルミオーネの心にとってひどく残酷なものだっただろう。


「…ルーミィ、」

「どうした、急に愛称で…」

「君をこう呼ぶ人は、他にいる?」

「おらぬ。母からの言いつけで友人を作る事も許されておらぬ故な」

「なら私がたくさん呼ぶよ。君の家族になる者として、一番近くで」

「それは…願ってもない事だ」


マーニはルミオーネの手をとった。

優しく重ねられたその手はほんのりと湿っていて温かく、そこからマーニの緊張や想いが伝わってくるように感じルミオーネはそっと瞳を閉じ微笑んだ。

まるで暖かな日だまりの中にいる少女のようなその表情にマーニは自身の中にあった恋心が少しずつ愛情に変化していくのを自覚する。


(いつか、愛していると伝えられる日が来るといい)


まだその時ではないとわかっているが、けれど少しでも伝わればいいとマーニはルミオーネの手を強く強く握った。








王配教育の為、マーニが週の半分を王城で過ごすようになって二年が過ぎルミオーネは14歳を超えマーニも公の年齢は17、実年齢は16歳となった。

正式に婚約が発表されて以降準王族として扱われる事となり、王族の居住スペースの近くに自室も用意されている。


宰相の息子であり公爵子息のマーニは貴族からのウケもよく、気に入られた様々な立場のプロフェッショナルから王配教育以外の分野で知識や経験を与えられる事となったがそれも充実した生活といえるだろう。

ルミオーネとの関係も良好で休暇が重なった日は城下をデートし、その様子が新聞で報じられる事もある。

休暇が重ならずとも三日に一度は互いに時間をつくりティータイムを楽しむのが恒例となっているほどだ。


そんなある日、空き時間を過ごしていたマーニの部屋にノックの音が響いた。


「失礼します。

 マーニ様、王女殿下より御言付けを申し付かりました」


訪ねてきたのはカマルだった。

『有事の際にはカマルを遣わせる故――』


ルミオーネの言葉が蘇り、思わず勢いをつけ立ち上がりかけたマーニを目線だけで制するとカマルは音を乗せることなく微かに唇を揺らし部屋全体に結界を展開した。


「…話しても大丈夫かい?」

「はい、問題ございません」

「ルーミィの身に何かあった?」

「先ほど王城に張っている私の感知魔法に高魔力反応があり、恐らく王の雇った魔導士が侵入したと予想された為身代わり人形を置きルーヴェル公爵家へと転送いたしました」

「ということは……いや、そうか、ルーミィが無事ならよかった」


カマルの平静な様子を見て緊急事態ではないと予想はできたが、改めて言葉にされてマーニはようやく強張った体を解いた。

身代わり人形に加え転送先が公爵邸ならば危険はない。


「つきましては転送魔法を私が展開いたしますので、急ぎマーニ様も公爵邸へご帰還ください」

「このタイミングでいなくなるのは不自然に見えるだろう。公爵家への警戒を強めるわけにはいかないしギリギリまで私はここに残るよ」

「なりません。殿下よりマーニ様を必ず無事に殿下の元へお連れするよう命じられております」

「…魔導士の目的が乗っ取りじゃなく、私の暗殺かもしれないという事?」


二年の間、マーニは王妃や国王が雇った様々な輩に命を狙われてきた。

確かに運命的な出会いによって得た婚約者が不慮の事故で亡くなったとすれば、乗っ取られたルミオーネが婚姻を結ばない理由にできる。

器が穢される可能性も排除でき、王妃側にとって焦って乗っ取りを早めるより手堅い手段だろう。

だがマーニとしても大人しくやられるわけにはいかない為、今のところ護衛騎士や自身の力で退けてきたのだが…魔導士を相手取るのは初めてとなる。


「いいえ、恐らく乗っ取りが目的でしょう。

 殿下のお体はまだお若いですが既に女性として十分に成長しておりますし、度重なる暗殺の失敗で強硬手段に出たものと思われます」

「……途中で思い直してくれればよかったのになぁ」

「はい、まことに残念です。殿下も、消沈されておいででした。

 マーニ様を手にかける可能性は低いですが王城内は国王夫妻がすべての権限を握っておりますので、必ずしも安全とは限りません」

「…そうだろうね。わかった、公爵邸に帰ろう。

 王配たるもの、こういう時こそ彼女の傍にいなければ」


ルミオーネはあの日からずっと、その時に備えながらも両親…特に母親の狂気が時と共に消える事を願っていた。

婚約を結んで以来様々な妨害を行う母の姿に幻滅しながらも望みを捨てられず、マーニの胸で涙を零した夜も少なくない。


マーニはルミオーネのそんな涙を思い出しながら、カマルの手を取り発動した転送魔法の陣をくぐった。









「マーニ…!無事でよかった…」

「ルーミィこそ…いや、大丈夫じゃないみたいだね。

 こんな真っ青な顔をして…母上、彼女を支えてくれてありがとうございます」


公爵邸に跳んだマーニを出迎えたのは青い顔をしたルミオーネとそれに寄り添う母だった。

自身が着いてからずっとマーニの到着を待っていたのだろう、服を強く握りこんでいたせいか指先は白く、足も震えている。


「さぁ殿下、息子も到着しましたのでご安心ください」

「あぁ、ありがとう…ルーヴェル夫人」

「マーニ。屋敷にいれば安全ですが、貴方は殿下の御傍を離れないようにね」

「勿論です…父上はまだ王城に?」

「旦那様には既に報せを出し、返答もいただきました。

 本日は辺境伯が王城へ参内しており、彼の方と共に〈不測の事態〉に備え通常業務を行いながら待機すると」


これから先起こる事は全て全く予測しえないアクシデントであり、その後の対応は内々に行われる。

中央貴族のトップである公爵と地方を取りまとめる辺境伯が行うのであれば間違いはないだろう。


「…カマル、すまないがこの部屋に結界を張った後は…」

「はい。僭越ながらお屋敷の警固にあたらせていただきます。

 どうか殿下の事をよろしくお願いいたします」



客間ではなくマーニの私室に案内され、カマルが結界を展開したのを確認すると、瞬間ルミオーネは脱力し床に座り込んでしまう。

そうなってもおかしくはないと覚悟していたマーニは同じようにしゃがむと、そっとルミオーネの細い体を抱き締めた。


「…マーニ…」

「ルーミィ、何も言わないでいい。考えないでいい。

 今は何も考えちゃいけないんだ」

「……でも…でも…!」


王家の歪みを正すこのシナリオにおいて、王妃が計画を実行に移した時点でハッピーエンドとなる可能性は消滅する。

どう進んでも影響が免れない以上いかにそれを最小限に留めるか、公爵家や辺境伯家と共に考え抜き備えてきたがそれは14の少女が背負うにはあまりに酷なものだった。


身代わり人形は囮であると共に最大の罠になる。

いつか来る日の為にカマルの魔力によって作られたそれは人形と呼ばれているものの実際は魔石を埋め込んだ砂の塊だ。

結界を張るように砂の周囲をルミオーネの形に固め認識阻害をかけ本人に見せかけているに過ぎない。


魔導士と呼ばれるまで上り詰める者は特定の術式にのみ秀でた者が殆どで、たとえ禁忌の魔法を行使できる能力を持っていても術式が違うカマルの結界や偽装を見抜く力はない。

恐らく魔導士は王妃と共にルミオーネの元へ行き、魔法を行使するのだろう。


身代わり人形は砂が持つ特性によりすべての魔法や攻撃を抵抗なく受け入れるようにできている為、乗っ取りも問題なく発動するはずだ。


「……妾のせいで、母上が…お母様が……」

「違うよ、ルーミィ…君のせいじゃない…」


身代わり人形に向け禁忌の魔法が発動してしまえば、乗っとる為に身体から抜けた王妃の魂は砂に呑まれ魔石に封じられる。

そして何も入っていない魔石からは何も移らず、王妃の体は抜け殻のようになるだろう。


たとえ自身が産んだ娘であってもルミオーネは王家の娘であり、母親の所有物ではない。

王女を害そうとした罪を公にすればその夫である国王の求心力は下がり、現王家ではなく傍系を担ぐ者が現れる可能性すらある。

そうなれば国は荒れ、いらぬ苦しみを民に与える事になる筈だ。


改心が望めない以上蟄居や幽閉など生ぬるい対応はできず、かといって亡き者にすれば王妃を愛する王が怒り狂い国を荒らしかねない。

幸いな事に王は王妃を心の底から愛しているが、その愛はひどく偏執的なもの。

故に、王妃の抜け殻を残し与えることで怒らせる事無く、且つルミオーネに目を向けさせず譲位する日まで国王としての役目を全うさせるのだ。



国を守る為、ルミオーネが即位するまで王による治世を保たせる為にどうすべきかを悩み抜き決めた…全てを秘匿したまま、王妃を生ける屍にする為の罠。



「…確かに君が考えたことだ。

 けれどそれを…カマルに身代わり人形を置く事を命じたのは、私だ」


この罠自体はマーニと出会う前から案として出ていた。

しかしルミオーネは命を下すことができず、罠としては使えない魔石のないただの人形を置く事しかできなかった。


それをいつしか罠の人形に変えさせたのはマーニだ。


ルミオーネへの愛が深まるにつれ…彼女が抱える苦しみを理解するにつれ、マーニはその手を汚す覚悟が固まっていった。

想いを確かめ、初めて口付けた日に、マーニは自分のまま生きたいとすすり泣くルミオーネを抱き締めながらカマルへ罠の発動を命じた…その時が来たらルミオーネが何と言おうと罠を仕掛けよ、と。


ルミオーネはその命令に対し否定も肯定もしなかった。

いつかルミオーネが下さねばならなかった非情を、マーニは自ら背負ったのだ。



禁忌の魔法は必要な魔力も多く、連続して使用すれば術者の命すら危ぶまれる為重ね掛けされることはないだろう。

そもそも魔力の塊である魔石に封じられたものは変質しやすく、元の体に魂を戻したところでそれはもう王妃と呼べるものではない。


発動させるその瞬間まで王妃が踏みとどまりさえすれば、いくらでも幸せになる可能性はある。

今からでもルミオーネを娘として愛するのであれば魔石などに封じられず、国王の傍らで笑っていられる。

しかしルミオーネは、そんな未来が来るとは思えなかった。


王妃を信じたいという思いがあるというのに今まで見てきた母の姿がそれをかき消してしまう。


「お母様…!」


自身を抱き締めてくれた、細くて柔らかな腕の感触をルミオーネは覚えている。

微笑みかけ、愛を語ってくれた声はルミオーネの耳から消えていない。


たとえそれがエゴと狂気じみた父への愛によるものだとわかっていても、ルミオーネに焼き付いた幸福な記憶には違いないのだ。









その後、王は若くして譲位を発表した。


傍らに常に微笑んでいた王妃の姿はなかったが、王はそれはそれは晴れやかな顔でルミオーネの成人を待って王位を譲り、自らは王妃と共に東の直轄地に移り住むと宣言した。


改めて次代の王に指名されたルミオーネの隣には婚約者であり王配となるマーニ・ルーヴェルが立ち、貴族を含めた民の多くは若々しい二人の姿とその向こうの輝く未来に歓声をあげた。


王妃は王に愛される為ならなんでもしますが、王は王妃がそこまで執着するほど優れた人間というではありません。

けれど確かにこの二人は真実の愛で結ばれていて、王はどんな形であっても王妃を愛し続けているので王としての責務から解放され王妃と二人で暮らせる事にウキウキで譲位を了承し宣言していますね。

ルーミィの体を乗っ取る事についても王にとっては王妃の望みだから叶えたいな~程度の事で、ルーミィへの罪悪感もない夫婦揃って親にはなれなかった二人です。

王妃の抜け殻は王が生涯大事に世話をしますし、王妃の魂が封じられた魔石は王家の墓でいずれ王を納める為の棺に取り付けられています。

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先日亡くなった楳図かずおの洗礼という漫画が美しく育った娘と脳を入れ替えようとする元モデルだった母の話で、子供の頃に読んだその漫画の一場面が魔法使いに襲われたのを逃げ延びて抱き合う場面とふと重なりました…
 面白かったです。この作品を拝見した後、秋以来引きずっていた、とある劇場版アニメ(真生版)の鬱展開由来の憂さが晴れました。なるほど、鍵は身代わり人形、なのですね。欲を言えば、国王にも、もう少し痛い目に…
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