5.綻びを繕って
「かお? わたしの美しい顔がなんだって言うの?」
ヘミヴンが取り出し渡した手鏡を見て、ブリュンエットは鏡を落とした。
顔を押さえ悶絶する。
「いやああああああああああ! わたしの顔がっ! いや、いやっもどって! こんなの嘘よおお!!」
ブリュンエットの顔もバグっていた。
顔パーツの位置が一気に上にズレて、アゴ、とにかくアゴが広い。
もう、アゴの主張が激しい。
その上、左目だけ斜め上に離れている。
ブリュンエットはそれなりの美貌を誇った令嬢だったが、もはや美醜という次元ではなく、その顔は人外だった。
エインリズが元の世界の知識に沿って言うなら。
ギャグ漫画状態。
破綻した顔の潤んだ右目が、エインリズの愛らしく美しい顔を羨むように眺めた。
困って首をすくめる姿すら絵になる佇まいに、ブリュンエットは鼻をすすり上げ涙を流す。
色々な意味でぐしゃぐしゃの顔のブリュンエットから距離をとろうとしたヘミヴンだが、うまくいかなかった。
二人はお互いの変貌を嫌がった顔をしているのに、腕を大きく広げ抱擁しあおうとしているのだ。
「ちょ……やだ、今の殿下はや……」
「こっちこそ! お前のような崩れた女……むぐ」
不可視の力に押されるように、ヘミヴンとブリュンエットの体は密着した。
「なんか、壮絶だな。お互いあんなに嫌そうなのに離れられないようだ。他人の恋愛ほど摩訶不思議なものはないな」
「……たぶん、アークが思っているような恋愛ではないのよ」
なんとか恐慌を落ち着けたヘミヴンが、アークロッドへと向き直る。
「アークロッド、お前が生きていて戻ったこと父上に報告するぞ。再び敗戦するがいい。次は……生贄なんて甘い。断頭台で処刑されてしまえ」
「そうか、王城に帰ってクソ親父に伝えるならついでに言っとけ『俺は俺の道を通す! 飛ばしてやっから素っ首洗って待っとけ!』とな」
「貴様……、父上になんて事を。そんなだから勘当だけではまだ足りんとお怒りを買ったんだ!」
「知るか、これ以上禿頭で光を反射しながらガタガタいうなら魔法で吹っ飛ばすぞ。お前は俺には勝てない……」
ヘミヴンは目を潤ませて「ぐっ」とか「けっ」と声を詰まらせ、そそくさと陸へとってかえした。
エインリズの知るシナリオ通りなら、王城に帰った彼らはこれから苦労することになる。
まずエインリズが処罰されたと知った公爵家が、王太子にそっぽを向いて後援の手を引き上げ、どころか妨害を始め、こっそりアークロッドの支援につくようになる。
さらには世界の綻びを直せる力を逃したとして、国王にもこっぴどく叱責を受けるのだ。
まあそれも、再びまみえるまではエインリズの知ったことではない。
「……ひとまず、どこかで落ち着かなけりゃな。お前と式を上げる教会も探したいし」
「し、ししし式!? 式って」
「もちろん結婚式だ。今の俺じゃ盛大なものは挙げられないが……どんな寂れた教会でも、参列者がいなくても良い……二人だけの式もいいもんかも。お前と切れない絆が欲しいんだ……」
エインリズは一気に頭に血が上昇したと感じた。
胸もバクバク痛むのは血を動かしすぎて心臓が働きすぎたからだ、きっと。
(本気っぽい。進展が早すぎるよこの王子様)
「ちょ、ちょっと待って。ほら、海水で濡れてるし、それくらいどうにかしたいわ」
「そうだった! 寒くないか? 風邪をひいたら大変だ、すぐ温めてやりたい!!」
「平気よ、あ、温める必要はないから!」
止めればアークロッドは付近をキョロキョロしてひとつ頷いた。
「……この浜なら、俺の本拠地はすぐそこだ。皆の忠誠からいってまだ俺を覚えていてくれるはず、まずはそこに行こう」
エインリズの手を引いて、アークロッドは首を捻った。
「……違うな、こうか」
「な、ひゃあああ!?」
お姫様抱っこで持ち上げられてしまった。
海水を吸ったドレスは重いというのに、それごと抱えられ、エインリズはアークロッドの本拠地という砦へ運ばれる。
・:*+.
バグの影響だろう、たどり着いた砦では木々はシャンパンゴールドに輝き、きらきらしい庭を進めば手入れの庭師が脚立から落ちては上りを繰り返し、常に人が体を地面に打ちつけるドサッという音が響き続けている。
「アークロッド様! アークロッド様ではないですか」
エインリズはこれまた眉をしかめた。
洗練された老執事……が現れたのだが、彼の頭は横並びに二つあるのだ。
このバグはアークロッドは見えていないのかもしれない。
至って普通に老執事に駆け寄り、再会を喜び合って、エインリズを紹介した。
「俺の忠実な侍従をしてくれていたムラウニーだ。『綻び病』にやられているがよく気のつく働き者なんだ」
「……綻び病のせいで左腕は動きませんが、アークロッド様に不自由はさせませんぞ! 再び、ここから立ち上がりましょうぞ」
どう見ても左腕なんか問題ではなく、その双頭こそが問題なのだが……。
綻び病、と聞いてエインリズは試したい事に思い当たる。
「ムラウニーさん、その左腕を少しこちらに、ええそのあたり……」
念じれば【聖女の祈りレベル1を使いますか?】と一文が視界にかぶるので使用を選択する。
不可視の蔓を打つような感覚と共に清涼なエフェクトが現れ消えた。
「お、おおっ? 綻びが薄くなって……ぎこちないですが動きますぞエインリズ様!! 奇跡だ……なんと尊い!!」
エインリズは彼の腕よりも、ついでに頭のバグがおさまったことの方にホッとしてしまった。ムラウニーの感謝には及ばない。
「まだ慣れていない力だから、今はこのくらいしかできないですが。いつかきっと治します」
「ありがとうございます、エインリズ様。皆であなたを歓迎いたしますぞ!」
最後位に一度、頭を下げてからムラウニーは砦を駆け回りアークロッドの帰還を伝えた。
ここにいる者は皆ずっとアークロッドを忘れず、彼の眠る海に近い砦で、彼を信じて待機していたという。
信奉者が集う砦は降って湧いたような賑やかさになり、夕方からは祝いのガーデンパーティが開かれた。
エインリズも差し入れられた新しいドレスに着替え、アークロッドの復帰を喜ぶ人々の笑顔に囲まれて彼と散々踊り、たくさん笑った。
次話はアークロッド側のお話になります。