3.断罪後に沈められた王子
致死の大波が、エインリズを取り込もうとするように打ちかかってきた。
瞬間──胸の中心に風変わりな感覚が訪れる。
高揚、爽快、解放。
前世では想像もつかなかった、なのに使えるとわかっている知覚。
エインリズを中心とした音波のように、見えないものがぴんっと一帯を走り抜け、変化させる。
打ってきた波をかぶったが、エインリズはまだ生きているし、苦しくない。
毒海は一転してサニー・シー・ブルーに透り、水面で光の綾がくるくる表情を変えていた。
海水の綻びは正され、毒海から生命を育む海に清められていた。
そして、エインリズを戒めていた鎖が腐食されたようにもろもろと崩壊して。
水音を立てて、エインリズは海中に没する。
ドレスが海水を吸って彼女を深部へ引き込むが慌てない慌てない。
(これは、決まってることなんだから、怖くない)
ゆっくりと落ちていくように浅い海底近くまで来れば、クリスタルの棺があった。
(やっと、お目にかかれるわね)
カットの入った透明な棺の中で一人の男性が眠っていた。
(う……わ、すごい美形。かなり……好み、かも)
ゲームの情報として、彼を知ってはいた。
が、こうやって同じ世界の住人としてある今、その美貌は真に迫る。
少し長めに輪郭を縁取るワインレッドの髪。
薄い唇は凛々しく引き結ばれ、瞼を閉じているから、まつ毛の長さが際立つ。
その鮮麗な顔貌はモブキャラと一線を画しすぎていた。
まだ目を閉じたきりだけど、整った容姿のオーラに当てられ、気力が抜けそうだ。
目を逸らすのすら惜しい気がして、棺越しに見つめる。
すると、棺はエインリズをのせてぐんぐん浮上しはじめた。
海面をその身で破り海上に体を出せば、岸壁の上にいたヘミヴンは衛兵に指示をとばし必死だった。
「見つけてここに引きだせ! あの力、聖女の力だ! 世界の綻びを繕う力……捕まえて僕の意のままに力を使わせる、有効利用しよう」
こんなことを言う奴に見つかりたくないけれど、クリスタルの棺は浅瀬に流れ着く。
無害化した海水では障害にならず、エインリズは衛兵とヘミヴンに包囲されてしまった。
「エインリズ、君の目覚めた力は世界にとってとても希少なものなんだ。いい子だから僕についてきて僕の言う通りに力を振うんだ。生贄は免除して僕の下僕になることを許してやる」
世界にとって重要な力、の割に扱い方を完全に間違っている。
なんて残念な男だろう。
キッとにらみ返すエインリズに、反抗と受け取った王太子。
「生意気な、捕らえろ!!」
衛兵の囲みが狭まった。
長槍の穂先で脅されて、とっさに固く目を瞑ったところでガシャン、と音がした。
エインリズの体は伸びた腕に引き寄せられる。
背中が硬くてがっしりした筋肉にあたり、すぐ耳元で男性の声が響く。
「……出てこれたと思ったら物騒なお出迎えだな。……ローディア・ローディア……エパナスタスィ・ローディア!」
エインリズを追い詰めていた者たちは後ろへ吹っ飛ばされていった。
押し殺した笑いが、背中越しに伝わってくる。
「俺を出られるようにしてくれたのはお前だろ、礼に助けてやったぞ」
胸にずんっと切なさをもたらす、深くて艶やかな美声。
(ああ、誰か知らないけどいい声優さん使ったんだな……)
その声の素晴らしさに感動していると、引き寄せられて、のぞき込まれた。
「なあ、お前……。…………っ! お前……え……? お前、名前は!?」
人に名前を聞くときは──という常識が頭をよぎったが、棺から出てきた男の、アクアグリーンの瞳が美しすぎて。
開くとこんな眼なんだな。と陶然としてしまい、エインリズは聞かれるまま名前を答えてしまう。
「……エインリズ=ハートロコルタ=シャイフォムよ」
「シャイフォム公爵令嬢の……エインリズ? ほんとの、ほんとにエインリズ……こんなに綺麗になって……最高だ……」
きらめかしい顔は、泣き笑いのように歪められていた。
こんな大の男……しかもすごみのある美形から情感たっぷりに見つめられると、脈が速まってしかたない。
両肩をわしつかみ、穴が開くほど見てきた男は、急に抱きしめてきて、エインリズの肩口に顔を埋めた。
「エインリズ……エインリズ! 俺と結婚してくれ!! それしかない。手離せない」
「ちょ、ちょっと」
力が入りすぎていて苦しいからもがけば、彼は力を緩め、キスでもしそうな至近距離で微笑む。
「お前を昔から知っている。お前だって、知っているはずだぞ。俺はアークロッド。アークロッド=フォルタガ=ティフォナスだ」
当然知っている。
アークロッドこそエインリズの攻略すべき『俺様王子ルート』のヒーローだし、『エインリズ公爵令嬢』にとってはかつて王城の庭園で会って懐いていたお兄ちゃん、なのだから。