互いの強み
何やらきな臭いにおいのする少年の言葉を聞いた私たちはその後、詳しく事の経緯を聞くことにした。
「なるほど、ね。」
話を聞くに両親を失い、姉も病床に伏した後、食い扶持を失ったクリスは収入を求めて街を彷徨っていた。
そんな中で、出会ったのが“バイヤー”を名乗る中年の男であった。
男は金銭面に困窮するクリスに対し、窃盗という手段を提示し、盗品を買い取るという提案をした。
そんな提案に対し、クリスに選択する余地はなかった。
「それで?なんで他にも盗みをしてる人がいるって結論になるの?」
そこまで聞いた上で、私は疑問と共に本題に入るように促す。
「この前、盗品を引き渡す時に見たんだ。俺と同じくらいの年の男と、バイヤーのおっさんが怒鳴りながらそいつをボコボコにしてる姿。」
そう呟く少年の手が、僅かに震えているように見えた。
無理もないだろう年端も行かぬ少年がそんな場面に遭遇すれば恐怖に支配されても仕方がない。
「会話の内容は聞けたりした?」
「………。」
私の問い掛けに対して、少年は無言のまま首を左右に振る。
「手掛かりは無しか。」
「まあいいわ。とにかくそのバイヤーってのに会ってみましょう。」
アレスの言う通り、手掛かりがない、故に直接聞いてみるのが早いだろう。
「だ、駄目だよ!元々誰にも言うなって言われてるし。盗品を買い取ってもらえなくなったら、本当に生きていけなくなる。」
少年は恐怖と不安の混じった様子で私の提案を拒否する。
そんな少年に対し、私はあえて冷たい口調で問いを投げ掛ける。
「気持ちはわかるし、境遇も理解できるけど、貴方はそれでいいの?」
「え?」
私の問い掛けに対して、少年は言葉をピタリと止める。
「今の貴方は若すぎる上に恐怖と、姉の為に、っていう言い訳ができる。情状酌量の余地があるわ。」
「だから、足抜けするチャンスもあげる。けどね、自分の意思でそこから先に行くのなら、それはもう明確な悪よ。」
「あ、く……。」
そして、自身のしている事の自覚が芽生えてきたのか、今度はその表情がみるみる青ざめていく。
「足を洗うことができるのは、多分ここが最後のチャンスよ。貴方が自分の意思でここより先に進むなら、私は貴方を成敗しなきゃいけない。」
私はそう言って殺気にも似た圧力と共に、鋭い眼光を少年にぶつける。
「…………ヒッ。」
脅迫じみた行動なのは理解している。
美しくないやり方なのも自覚している。
けれど、それが詭弁だったとしても、私は正義の名のもとに、この少年を利用する。
「決めなさい。私に退治されるのと、私に協力して、胸を張って生きる道を選ぶのを。」
だからこそ、私は真剣な表情で少年へと尋ねる。
「胸を……張って?」
彼の心が僅かに揺れ動く、私はそれを見逃さない。
「協力しなさい、クリス。聖女の名において私が貴方達を救ってあげるわ。」
こういうのはノリと勢いが大切だ。だから私は彼の不安すら包み込むように、笑みを浮かべながら言い放つ。
「…………わかった。」
少し思案した後、俯いたままの姿勢で絞り出すように少年は口を開く。
「……あんたに協力する。」
そして、顔を上げ私の目を真っ直ぐに見据えて答える。
「あら、いい顔になったじゃない?」
捕まった時の情けない顔でも、さっきまでの弱々しい表情でもない。覚悟の決まった良い目をしている。
こうして私は小さな協力者を得る事に成功した。
そして数時間後、太陽が通り過ぎ、夕焼けに街が照らされ始めた頃――
私とアレスの二人は、とある路地裏を進んでいた。
私たちは協力者のクリスに“バイヤー”とのアポを取りつけさせ、この場にやって来た。
そう、この路地裏こそが少年が利用する取引場所なのだ。
「――あのやり方は良くないと思うぞ。」
夕日に目を細めながらただひたすらバイヤーが来るのを待っている中、アレスがふとそんな言葉を私に投げかける。
端的に言ってはいるが、それは間違いなく先程の少年とのやり取りの事であろう。
「言うと思った。」
そこに突っ込まれるのは予想出来ていた。
「彼に協力してもらうのが手っ取り早いのは理解できる。しかし、あんな脅迫まがいのやり方は可哀想だ。」
私だって自覚はある。年が十個以上離れた男の子に対して殺気交じりの脅迫で協力させたのは、大人げないどころの話ではない。
「分かってる。けど、あのくらい強引にいかないと本当に悪人になりそうだと思ったのよ。」
先ほども言った通り、ああいう手合いは多少強引にでも切り離さない限り、永遠に楽な道、悪い道へと進んで行く。だからこそ意識してきつく当たっていたところもある。
「…………。」
私の意図を察してくれたのか、アレスは一度口を閉ざし、私の言葉に耳を傾ける。
「あの子、お姉さまと比べてもすごい痩せてたわよね。」
「ああ、確かに。」
私の言葉でアレスは少年の家で見た光景を思い出しながら呟く。
姉の方はやつれていながらもある程度肉もついており、栄養状態はこちらが思っていたほど悪くはないことが予想できたが、その一方で、弟の方は腕も細く体力もない、栄養失調気味なのが理解できた。
「きっと、自分の食べる分まで切り詰めて薬とか食事とか準備してたんだと思う。」
あの年でそれができるだけあの少年も立派なものだ。
しかし同時に飢餓というものは、そう長々と我慢できるようなものじゃない。
判断力も鈍らせるし、いつ盗み以上の凶行を働くのか分からない。
だから、あの少年が姉への思いやりだけで踏み止まってる内に何とかしてあげなきゃダメだと思った。
「だからせめて、危険な目に遭わないよう根回しした。」
それが彼を手伝わせてしまった私の責任だから。
「……貴女の考えは分かった。しかし、貴女が危険な目に遭う前に出るぞ?」
「ええ、細かい判断は貴方に任せる。」
アレスの言葉を肯定したあと、私は自らの視線の方に指を指し示す。
「それよりもほら、作戦開始みたいだから、さっさとどこかに行きなさい。」
「……っ。」
路地裏に一人残された私が視線を向ける中、取引場所には待ち構えていた相手が訪れる。
「よう、お前が例の女か?」
黒髪で刺青の入って腕が特徴の顎髭を生やした三十台程度と思われる筋肉質な男、事前に聞いていた“バイヤー”と呼ばれる男で間違いないだろう。
「……どうも。」
私の思考は正解であったようで、驚くこともないまま会話を始める。
「あのガキの紹介で話に乗ってみたが、なんで盗品を売りたいんだ。」
「金よ、遊ぶ金が欲しいの。他に理由なんてある?」
男から放たれる当然の疑問に対して、私はなるべく印象が悪くなるように返答する。
こういった手合いはむしろ、よりアウトローな人間の方を信用する。
「なるほど、どうしようもないクズみたいだな。」
「それはお互い様でしょ?」
「違いねえ。」
この感じ、第一印象は悪くない。
「安心して、損はさせないから。」
私は間髪入れずに懐から麻袋を取り出す。
クリスから受け取った“本物”の盗品だ。加えて私が購入したそこそこの価値のブレスレットまで混ぜてある。
「確かに、悪くない取引相手だ。」
そんな準備が功を奏し、私はすぐに信頼を勝ち取ることが出来た。
「鑑定する、少し待ってろ。」
「さっさとしてよ。」
男が差し出した盗品を確認している間、その場に一時の沈黙が流れる。
「…………。」
ちょうどいい、情報収集をしに来たのだ。このまま話をしてみよう。
「そういえば、今日すごい高そうな服を持った女がいたわよ。」
私はあえて自らの事をさも傍から見たように口にする。
「ほう、どんな服だ?」
高そうな服、という言葉が琴線に触れたのか、バイヤーの男は私の狙い通り、話に食いつく。
「なんか教会の人が来てるような服。」
「ああ、修道服か。最近は見てねえな。」
すると男はすぐに口を割って情報を吐き出す。
「そうなの?あれだけ目立てば盗む人間もいたと思うんだけど。」
そこからさらに情報を引き出そうと深く話に踏み込む。
「俺以外にも買い手はいる。蔵を調べればあるかもな。」
男の方はどうやら話に興味を失ったようで、私の言葉を受け流すように適当な返事をする。
しかし随分と不用心な男だ。仲間の事をこうも簡単に話してしまうとは。
「へえ、蔵ねえ。ちょっと見せて欲しいんだけど。どこにあるの?」
「お前は知らなくていい。」
流石にそこまで話をしてくれるわけもなく、男は視線すら合わせることなく私の問いを両断する。
「ほれ、今回の分だ。」
少し遅れて男は小さな袋を差し出す。中身は恐らく報酬のお金が入っているのであろう。
「結構な額ね。ありがたい話だけど、これ本当に儲かるの?」
蔵の位置の話を諦め、今度は袋の中を確認しながらそんな問いを投げ掛ける。
「んあ?そりゃお前ひとりの稼ぎなんて大した事ねえよ。」
「他にもいるの?」
私はさらに問いを重ねる。
「まあ両手で収まらないくらいにはな。」
「それって具体的には……。」
しかし私は一気に踏み込み過ぎた。
「おい⋯⋯女ぁ、あんま深入りするとケガじゃ済まねえぞ?」
瞬間、軽いノリで話をしていた男の表情が目に見えて獣のように変化する。
「……。」
「お前なんか怪しいな?」
アウトロー独特の感性で何かを感じ取ったのか、男は懐へ手を入れながら私の元へ歩み寄る。
「何の事かしら?」
男の放った殺気に対してはぐらかすように答える。が、どうせもう意味はないだろう。
こちらは既に準備を済ませているのだから。
「――そこまでにしてもらおうか。」
男の背後から現れた私の下僕が、静かにそう呟く。
「……アレス。」
「行っていいな?」
男を挟んで私たちは短く言葉を交わす。
「出てきた時点で行くしかないでしょ。祝福は?」
「不要だ。」
即座に返事をする様子を見るに相当の自信があるようだ。
「分かった、殺しちゃだめよ。」
私は一言だけそう伝えてその場から数歩引き下がる。
「心得た。」
短い返事と共に、アレスはゆっくりと剣を抜く。
すると私達の余裕の態度が気に食わなかったのか、目の前の男の雰囲気が変化する。
「殺すなだと?」
「……ッ!」
直後、バイヤーの男を中心に、得体の知れない冷たい空気が周囲に吹き荒れる。
少し遅れて、男の周囲を球状に取り囲む氷の障壁が現れる。
「よく言うぜ、俺に近づくことすら出来ねえくせによ。」
氷の障壁から放たれる冷気が全身を包み込むと同時に警戒度が一段階引き上げられる。
「近づくことすら、か。試してみようか。」
男の言葉を確かめるようにアレスは一気に距離を詰める。
そして男の身体を目掛けて斬撃を振り下ろすと、即座に彼の剣に霜が降りて凍り付く。
「……っ。」
凍結の力が剣を伝播してそれを掴む腕にまで浸食したところで、アレスは咄嗟に距離を取る。
「俺の魔法適性は氷、触れたモン全部凍らせる最強の力だ。」
「だからお前は、俺の攻撃を、避ける事しか出来ねえ!」
高笑いを上げる男は、全身に冷気を纏いながらアレスへと迫る。
「……少し違うな。」
しかし、英雄と呼ばれた男は、その程度で動揺することはなかった。
「……ッ!?」
直後、男の振るう剣をアレスは表情一つ変えぬまま弾き上げる。
「凍結が及ぶのはその障壁、あるいは剣に触れている間だけだ。鍔競り合いを避け、即座に弾けばそう脅威になるものではない。」
「な、んだ……と?」
あまりに簡単に言い放ち、それを実行してしまうアレスの姿に、男は言葉を失う。
「……その障壁、かなり形が不安定だ。余程魔力を消耗するのだろうな。」
「展開し続けられるのは五分程度といったところか?」
動揺する男にアレスはさらに言葉を重ねて魔法や男自身の弱点を看破して見せる。
「くっそ。」
男は一度距離を取るが、動揺故か、分かりやすく真っ直ぐな軌道で突き進み、アレスに斬りかかる。
「貴様が理解しているかは知らないが、その魔法は領域内の物質に術者の魔力を反応させることで凍結を引き起こしている。つまり――」
アレスは悠々と魔法の説明をしながら、変わった構えを取ると、その手から唯一の武器である一本の剣を手放す。
「――がぁ!?」
視認できないほどの速度で投擲された剣は、男の反応速度すら超越してその右肩に突き刺さる。
「その反応よりも早く打ち込めば、攻撃は通る。」
「……うっそでしょ?」
理屈は理解できたが、ここまで強引で力づくな手段を通せる人間はそうはいないだろう。
「くそっ、凍るなっ!抜けねえ!」
突き刺さった剣は一瞬遅れて霜が降り始め、傷口ごとその刀身を凍り付かせる。
皮肉にも男自身が武器にしていた魔法は、突き刺さった剣を食らい付いて離さない、かえしのような役割を果たしてしまっていた。
「――そして、最後にもう一つ。」
アレスは呟くような声で男へ歩み寄ると、
「がっ!?」
何の躊躇いもなく彼の肩に深々と突き刺さった剣に手を掛ける。
「なんで、凍らねえ!?」
男の言葉通り、氷の障壁内へ無防備に侵入していったようにしか見えないアレスの手は凍り付くことなくその存在を保っていた。
「その魔法、実は純粋な魔力を外部から直接流し込むことで凍結の効果を抑制出来る。」
「くそっ、だったら!」
男は苦しそうに呟きながら片手を上げて何かの構えを取ろうとするが、即座にその腕もアレスによって掴み上げられて動きを止めてしまう。
「通常の放出型の魔法に切り替えるか?」
「う、ぐ……。」
あらゆる対抗策を封じられ、わずか数秒で詰みの状況まで持っていかれた男は、脂汗をかきながら、声にもならないうめき声を漏らす。
「構わないが、その場合俺も火属性の魔法を使う。」
「貴様が魔法を切り替えて一撃放つのと、俺が振り下ろす一刀、どちらが早いか試すか?」
その言葉で勝敗は決した。
「……まいった、命だけは助けてくれ。」
男は自らの敗北を悟ると、全身の力を抜いて氷の障壁を解除する。
「それを決めるのは俺ではない。俺の主君だ。」
一瞬遅れて、アレスは踵を返し私の方に目配せをする。
「さ、流石ね。」
勘違いしていた。
いかに英雄といえど、魔法に制限を受けた状態での戦闘は苦戦を強いられるものだと思っていた。
しかしこの男は違った。魔法に対する知識と洞察力、そして素の身体能力だけで魔法使いを圧倒してしまった。呪いが抑制できればここまで化けるのか。
こと戦闘においては、本当に頼りになる。私はそれを心の底から思い知らされる。
「ご苦労様。下がっていいわ。」
この男は十分すぎるほどに仕事を果たした。故にここからは私の仕事だ。
「さあ、知ってること全部話してもらおうかしら。」
私はアレスのやり方に倣って、全身から魔力を発しながら男へと近づく。
「…………。」
問い掛けに対して、視線を切って黙秘を貫こうとする男、まあこれは想定の範囲内だ。
「黙ってられるかしら?」
私は肩口に突き刺さった剣に手を掛けて圧を掛けてみる。
「だ、駄目だ。言ったらあの方に殺される。」
この口ぶり、どうやら裏に黒幕がいるのは間違いなさそうだ。
そしておそらく、この男は相当深い恐怖を刻み込まれているのだろう。
ならば私が取るべき手段は一つだ。
「今、死なないと思ってるの?」
私はそんな言葉と共に、握りしめた剣を軽く動かす。
表情は出来る限り消して、声色は出来る限り重々しく圧を掛ける。
「うぐっ、あ!?……言う、全部言うから!手を離してくれ!」
名も知らぬ誰かに刻み込まれたその恐怖、私が上から塗り潰してあげる。