黒き笑みを照らす月
書物庫を支配する異様な緊張感の中、息遣いすらも届くほどの距離で、私とモルドレッドは視線を交差させる。
あの下種女、ローラ・ギルバートの配下の騎士、実力はそれほどでもないと聞いていたが、相当の切れ者である事は知っていた。
まさかこの短いやり取りで完全に看破されるとは思わなかった。
「改めて、何故貴女がここに?」
先に沈黙を破ったのは彼女の方であった。
「…………ちょっとした調査です。」
短くそれでいて厳しい口調で投げ掛けられる彼女からの問いに、私は僅かに思考した後に答えを返す。
「ギルバート領で起こった事件について、知っている事はありますか?」
「さあ、見当もつきませんわ。」
矢継ぎ早に投げ掛けられる尋問に今度は真っ直ぐに視線を返しながら、はっきりと言い返す。
「貴女が市民を治療して回ったことは確認済みです。正直に答えて下さい。これ以上誤魔化すなら、不法侵入で突き出します。」
そうか、ギルバート領を経由してここまできたのか。ある程度知っていたが、流石は帝国騎士団、とんでもない体力だ。
そして、彼女がそれを知っているという事は、下手に嘘を重ねるのはむしろ悪手だ。
私は静かに息を吐き出すと、彼女の目を真っ直ぐに見据える。
「できるものならどうぞ、ただ、自分ばかり質問するのは少し無作法でなくって?」
丁寧でいて挑発的な言葉選び、そして直後に低く攻撃的な声色に切り替える。
「答えなさいよモルドレッド。何でこんな所に居るの?なんでそんなに焦ってるの?」
急に口調が変わったことに動揺の色は見えない、しかし、私の首を締め上げる腕の力が少しばかり強くなる。
「立場わかってます?この距離で聖女が騎士に勝てるとでも?」
言葉は丁寧だが、動作や声に随分と余裕がない、どういう状況かは知らないが、あちらもかなり焦っているようだ。
確かにこの状況であれば、私が一節の詠唱を口にするよりも彼女が剣を振う方が速い。しかし互いにこの場で相手を殺す選択肢などある訳がない。
何より、情報集めに暴力という手段を提示している時点で腹の探り合いでは勝てないと言っているようなものだ。
「もう勝ってる。」
故に私は、短くも堂々とそう言葉を返す。
「…………。」
「…………。」
直後に長い沈黙が流れる。これも良くない。黙っている時点で迷っている事を知らせているようなものだ。
「……ローラ様のお屋敷が何者かに燃やされました。私はザイオン・グランツが怪しいと思っています。」
ほどなくして、彼女はゆっくりと口を開くと、自身の思いを口にしていく。
驚いた、舌戦で優位に立てればと思っていたが、こちらの想定以上に素直に話してくれた。
「その根拠は?」
一瞬言葉を詰まらせるが、私はすぐに虚勢の仮面をつけ直して問いを紡ぐ。
「ローラ様とザイオン様は、裏で様々なやり取りをしています。関税を通さない物のやり取りや、情報の共有、そして、貴女の追放に関する暗躍も。」
「二つの家はそれぞれ伯爵家としての立場がありますが、貴族制度の制定以前の古くからの主従関係が今も残っており、今は聖女の立場を得たこともあり。ローラ様の方が完全に立場が上なのです。」
「それで?」
この程度の情報は当然、私も把握している。故に邪魔はせず最低限の相槌のみを返す。
「常日頃からローラ様はザイオン様を顎で使っており、私はその伝令役をしていましたが、命令のたび、あの方はローラ様の不満を溜め続けていたように見えました。」
「で、このタイミングでそれが爆発した、と?」
なんとも情けないというか、間抜けというか。
私の復讐対象が二人揃って内輪揉めとは、敵ながら莫迦すぎて悲しくなってくる。
「そう考えております。」
「ほぼ勘みたいなものだけど、まあそれが答えでしょうね。」
しかし同時に、私の得た情報と合わせると話に筋が通ってしまう。
「…………どういう?」
「正解だって言ってるの。この件の黒幕はザイオン・グランツよ。そして、実行犯はレジスタンス。」
眉を顰める彼女へ私は完全に気を抜いた状態で答える。
「…………っ!?そんな、流石にそれはありえない。」
一瞬私を拘束する腕の力が更に強くなって、強く首が締まる。
「事実よ。現に私は屋敷で奴らに会ってるし、直接聞いたんだから。」
「聞いた?」
呼吸が詰まり、私の顔が歪む、しかしそれにすら気付かない彼女は、更に問いを重ねてくる。
「ヘレン・ギルバートの遺言よ。」
「…………っ。」
その言葉と同時、彼女の眼には今日一番の動揺が映る。
ぐらりと揺れる眼球を見て、僅かばかりの同情をしたものの、即座に私は笑みを返す。
こいつは使える。仕掛けるならここしかない。
「協力しなさい、モルドレッド。こっちの情報もあげるわ。」
「…………。」
その言葉に応じて、彼女の考えを反映するように、腕の力は徐々に弱まっていく。
「だからまずは、手、離して。」
そしてそのタイミングでそんな要求を伝える。
「…………っ。」
「…………はっ。」
そこでようやく解放されると、私の肺は一時的にせき止められていた空気を一気に吐き出す。
同時に肉体からは一時的に力が抜けて私は両膝をつく。
「それで、そっちは今どの程度情報があるの?」
長い交渉の末ようやく解放された私は、締め上げられた腕をほぐしながら問う。
「いえまだ何も。」
「…………。」
返ってきた答えに私は少しばかり呆れて言葉を失う。
洞察力は大したものだが、行動が勢い任せ過ぎる。
「貴女はあるのでしょう?策が。」
そして、ここにきて私任せときた。私は飽きてた態度を隠すこともなく立ち上がると、ゆっくりとスカートに手を掛ける。
「私だってないわよ。私が準備したのはあくまで脱出のための手段だけ。ほら。」
そうしてスカートをたくし上げると、その下、内腿から足首付近まで、仕込めるだけ仕込んでいた煙幕や睡眠薬、魔道具など、諸々の脱出道具を見せつける。
「品がないのでやめてください。」
「貴女が聞いてきたんでしょう?そもそもいつからレジスタンスと手を組んだかすらも分かってないもの。」
顔を赤くしながら視線を逸らす彼女に皮肉を返しながら、目的が違うことを伝える。
「いつから、と問われれば、心当たりがあります。」
「いつ?」
すると今度は想定外の情報が彼女の口から飛び出す。
「三日ほど前、ローラ様とザイオン・グランツはこの近辺で密会をしております。理由は不明ですし、同席した時間もごくわずかでしたが。」
三日前、となると私が手紙であの二人を呼び出した時と全く同じタイミングだ。ごくわずかな時間という事は、私が来なかった事ですぐに解散となったのだろう。
「そしてその後、ザイオン・グランツの配下数名が行方不明となっております。」
思考の中に飛び込んできた「行方不明」の単語が、私の中に強い疑問を生み出す。
「…………怪しいわね。」
「おそらくそのタイミングで何らかの接触があったのではないかと。」
私も彼女の言葉と同じ意見だ。
「あの女はそれを把握してるの?」
同時に私は、ローラ自身がどの程度情報を持っているのかを把握するためにそんな問いを投げる。
「いえ、式典や今回の事件もありましたから、恐らくまだ伝わっていないかと。」
状況が状況とは言え、私を信じ切る状態になっている彼女は私が想定している以上に情報をくれる、多少のリスクがあるとはいえ、これはとてもやりやすい。
「まあ伝えても疑問なんて持つわけないか、バカだし。」
思考と同時に私はふと頭に浮かんだ考えをポロリと口にする。
「…………。」
直後、背筋が冷たくなる感覚がモルドレッドの鋭い視線と共に飛んでくる。
「冗談よ、いちいち威嚇しないで。」
私がため息交じりに呟くと、彼女もこちらを睨んだまま殺気だけを収める。
「けどそれなら物的証拠はないでしょうね。」
もしも本当にザイオン・グランツがレジスタンスと組んだのがここ数日の話であるのならば、恐らくもののやり取りや行動と記録の祖語などは大したものが出てこないはずだ。
「あくまで私の予想が正しければ、ですがね。」
「いえ、多分正しいわ。その二日前に私はレジスタンスの幹部と会ってるけど、その時はユーダ・ケイリスと敵対してた。もっと前から協力してるのなら、わざわざあの場で殺し合いするのは互いにとって損でしかない。」
根拠がない故に自らの考えに自信の持てない彼女をこちらと同じ思考に引き上げるため、私は自分しか知らない情報をさらに付け加える。
「ルクローズ領の襲撃事件にも関与していたのですね。」
「それは完全に巻き込まれただけよ。黒幕みたいに言わないで。」
想定内の問い掛けは、短くそれでいて強い口調で受け流す。
「まあどちらにせよ、そうなるとここに居ても無駄ね。」
私はそう言って立ち上がると、此処で解散するように暗に誘導する。
彼女にはもうここに居る意味はない、けれど、私にはまだある。彼女と違って勝利条件が二つある私は、ローラ・ギルバートとザイオン・グランツの繋がりを見つけることができればそれで十分なのだから。
「他にあてがあるのですか?」
「ないわ。だからここでさようならよ。」
少なくとも今、私にザイオン・グランツとレジスタンスの繋がりの確かな証拠を得る手段はない。手を組むメリットも互いになくなった。
故に私と彼女の協力関係のはここまでだ。
「ならばもう少しだけ付き合ってください。」
そう思った矢先、彼女は想定外のセリフを吐き出してこちらに向き直る。
「策ないんじゃなかったの?」
まだここに居るつもりか、などと心の中で毒づきながら、私は面倒臭さを前面に出して問いを投げる。
「ありません。だからこそ協力していただきたい。」
しかし彼女の真剣そのものな表情に私は少しばかり思考を回す。
「……断るわ。私とあなたが組めるのは、ザイオン・グランツを破滅させられるというメリットがあるから。それが無くなったのであれば、組む理由がない。組みたくない。」
そして私は導き出した結論を淡々と口にする。
「…………。」
すると彼女は私が振り返ると同時に深々と頭を下げる。
「どういうつもり?」
「お願いします、力を貸してください。」
私の問い掛けに、彼女は淡々とした口調で頭を下げたまま答える。
「私は追放された聖女よ?そんなのを信用していいの?」
「追放の原因が全て言い掛かりである事は知っています。これまでの非礼のすべてをお詫びします。だからどうか、ザイオン・グランツを止めるのを手伝ってはいただけませんでしょうか。」
「嫌よ。」
頭を下げ続ける彼女に冷たい視線を向けながら、私は何の感情も込めることなく一言だけ返す。
「主は、ローラ様は今回の襲撃の件を貴女の仕業だと信じています。このままでは不必要な衝突が生まれます。それは貴女の望むところではないはずです。」
「そして伯爵家の領地が被害に遭った現状、もはやローラ様に貴方を狙う余裕はない。ここでザイオンを止められれば、貴女は今まで以上に動きやすくなる。」
「それが貴女の主様を追い詰めるとしても?」
淡々とメリットを並べてくる彼女の言葉に、釘をさすように私は問いを投げ掛ける。
「貴女は悪人ではない。弱者を必要以上に貶める事はしない。」
彼女は顔を上げると、真っ直ぐに視線をこちらに向けて答える。
随分と間抜けな評価だ。そして、心のどこかで私の事を舐めているような気がして少しばかり腹が立つ。
「知ったようなこと言うじゃない?莫迦女の飼い犬してるわりには。」
「このままザイオン・グランツを野放しにすれば、その狂刃はローラ様にも向きかねない。それだけは避けたいのです。」
そうか、これが彼女の本心。ここまで行動した理由の一端なのか。
「そこまでして守りたいの?あんな奴。」
「守りたいです。あんな性格でも、幼いころから見守ってきた主ですから。」
皮肉交じりの問い掛けにも、彼女は真っ直ぐな視線のまま、少しばかり照れ臭そうに答える。
「…………はぁ、本当に莫迦ね。貴女、ハズレくじばかり引くタイプでしょ。」
アレをそこまでして守りたいとは、かなりの物好きなのだろう。
しかし確かにこの女の言う通りだ。ここでザイオンを仕留めきれれば、きっと帝国からの追跡はほぼなくなる。
それに何より、内輪揉めで共倒れなんて絶対に許せない。ローラ・ギルバートも、ザイオン・グランツもこの手で叩きのめしてこそ私の復讐は完遂される。
「……ルシア様。」
「手伝ってあげる。けど、ちゃんと従いなさいよ?」
引き攣った彼女の表情を見据えて笑顔を浮かべながら、私は作戦を口にする。




