聖女の魔法
朝食を放り出して村へと出た私の視界に飛び込んできた景色は、私の予測していた中で最悪、いや、私の想像を超えて最悪だった。
魔物、それも数える事すら億劫になるような大群。用心棒の数は足りてないし、対策は完全に後手に回っているのが目に見えて分かった。
追放された翌日にこのような事態に巻き込まれ、不幸であると言えばいいのか、はたまたこれは私を狙って仕組まれたものなのかは現状では判断に苦しむが、一つ言えるのは「面倒なことになった」という事だけである。
けれど、悲鳴に反応して、咄嗟に着替えて出てきたのは正解だった。
この状況と“彼”を上手く使えれば、私の野望へと一つ近付ける。
「――下僕?」
荒れ狂う惨状の中、私の放った言葉に男は眉を顰めながら問い返してくる。
「ええ、私の言うことには絶対服従。戦うタイミングも、戦い方も私が決めるわ。」
この説明は非常に重要だ。もし彼が本当に英雄であるのであれば、今後、彼の強大な力に対する首輪が必要となる。口約束とはいえ、この契約が私の生命線になりうる可能性さえある。だからこそ、この条件は可能な限り私に有利に、そして、穴のないものにする必要がある。
「どうする?たった一度、誰かを助けたいっていう望みのために私に人生を捧げられる?」
その問いかけに彼が絶対に答えるという確信があった。故に、私はこれ以上ない絶好のタイミングで、一方的で不平等な契約を仕掛ける。
「分かった。それでいい。」
予想通り、即座に答えが返ってくる。
「後悔はないわね?」
「ああ、ない。早くしてくれ。」
そう答える彼の表情は、急かしている言葉とは裏腹に、どこか落ち着き払っている様子であり、紫色の瞳の奥は、強い覚悟が込められているようにみえた。
「そう、じゃあ今回は簡単な方で行くわね。」
立ち上がり、こちらを見下ろす男に対し、私は金色の光が灯る両手を突き出す。
「…………。」
目を瞑り、精神を研ぎ澄ます。瞬間、村に広がる悲鳴、断末魔が私の耳から消える。
二人を中心とした光と、風が、周囲に広がっていき、心臓から湧き上がる魔力が、徐々に高まっていくのを感じる。
そして静寂を斬り裂くように、私の口が詠唱を刻む。
『浄化、創造、破壊、消尽――』
『四天に坐するその刃は、大地を進む民へと還る。』
『栄光は彼方へ、伝説は終焉へと帰結する。』
『それでも、此処に残りし魂と共に、この道を歩もう。』
『女神アルテイナの名のもとに、祝福を捧げます。』
最後の一節を唱えると共に、両の手を重ね合わせ、その大きな背中へと、真っ直ぐに手を伸ばす。
「…………満たせ。」
私の言葉と共に、二人を包む金色の光は、一人の身体へと収束して彼の肉体へと流れ込んでいく。
「…………ッ!?」
「…………きゃ!?」
直後に彼の心臓から強い光が広がると、周囲に嵐のような突風が吹き荒れる。
そして、完全に油断していた私の身体は後方に激しく吹き飛ばされる。
「……?」
突風の中心に立つ男は、自らの肉体に起きた変化についていけていないのか、呆然と立ち尽くすばかりであったが、彼のその変化はすぐに目に見えて広がっていく。先程まで必死に抑えていたであろう体の震えは消え、顔を侵食していた呪いの痕は私の光に包まれて消えていき、紫色の瞳も、彼の本来持つ紅色の輝きを取り戻す。
「……暖かい。」
色々思うことはあるのであろうが、彼はただ一言、自らの手を優しく握りしめてそう呟く。
「……っとと、これは“聖女の祝福”、魂の情報を書き換えて、人体の機能とあらゆる魔力に対する耐性が向上する魔法よ。」
そんな彼を現実に引き戻すように、私は土埃を振り払いながら、軽く魔法の説明をする。
「魔力耐性?」
「そう、つまり、魔法だけじゃなく魔術にも耐性ができるの。」
「もちろん呪術にもね。」
これが私にできる解呪の一つ。
いかに強力な呪いといえど、魂そのものを呪いに強い性質に書き換えてしまえば、その効力は限りなく弱体化する。つまり、私がこの魔法を発動している限り、彼は呪いを気にすることなく戦うことができる。
「なるほど。」
その瞬間、彼の顔がようやくらしくなったような気がした。
「――ウウウウウウウゥゥゥ。」
強大な力に呼び寄せられたのか、聞こえてくる声に視線を移すと、その先には天や大地を覆いつくさんばかりの魔物の群れがこちらを睨みつけていた。
「ほら、お相手よ。やっておしまいなさい。」
しかし私に恐怖など無かった。
「ああ、任せてくれ。」
なぜなら、私には英雄の力があるのだから。
「アアアアアアァァァァァァ!!」
「……はあ!!」
男は一匹の狼の遠吠えと共に、堰を切ったようになだれ込む魔物たちへと構えると、紅に燃え上がる炎の剣を振り下ろす。
「…………カッ!?」
剣から放たれた炎の一撃は、魔物たちを焼き尽くしながら上下左右に方向を変えて突き進む。
「この村は、俺が守る。」
「はあぁ!!」
一瞬にして勢いを失った魔物たちに対して、男は動きを止めることなく、今度は横薙ぎに刃を振うと、四方へと広がる炎の刃が魔物たちをまとめて焼き払う。
「…………っ!?」
「これが、英雄の力……。」
彼の実力について、以前、神代の猛者にも匹敵する力、などという眉唾物の噂を聞いたことがある。私自身、正直そのような噂を信じているわけではなかった。しかしここまで鮮烈、圧倒的な力を見せつけられると、噂を信じてしまいたくなってしまう気持ちも分かった。
「さて、残るは貴様だけか。」
復活した英雄のその力を前に、塵となって消えていく魔物達、しかし彼の視線の先にはただ一匹、巨大な魔物が立ちはだかる。
「フシュウゥゥゥゥゥ!!」
ここまでの力を見せつけられてもなお、魔物は英雄の剣技を前にしても一切引くことなく、雄叫びを上げる。
一度勝利したからと甘く見ているのだろうが、哀れなものだ。
その男は先程までの彼とは別人と言って良い程に強くなっているというのに。
「逃げないのだな。ならば……。」
男が決着をつけようと再び武器を構えた瞬間、私は彼の背中に向かって声をかける。
「あ、まって。」
「なんだ?」
「一個だけ。さっき言った、戦い方の指示よ。」
振り返った英雄に対し、私は歯が浮くような感覚を抑えながら人差し指を立ててそう返す。
そうだ、いいことを思い付いた。
「全力で吹っ飛ばしなさい。」
「…………?分かった。言うとおりにしよう。」
おそらく彼は私の言葉の意図は理解できていないだろう。しかし、直前の契約もあってか、彼は躊躇いもなくそれを受け入れる。
「アアアアアアァァァ!」
その瞬間、視線を切った彼の背後から、魔物は大きく腕を振りかぶって攻撃を仕掛ける。
「……。」
「ガァ……!?」
しかし、男はそれをあっさりと回避すると、高速で大地を駆け抜け、魔物の視界から消えてしまう。
『猛り迸る紅蓮へ沈め。』
最後に私の耳に聞こえてきたのは、ただ一節の詠唱。
「…………ッ!?」
そしてその姿を再び視界に収めた時、彼の剣には紅よりもさらに深い、高温の白色にも近しい光が輝いていた。
「――ブレイジング・アルマ」
瞬間、私の目の前で太陽が二つあると錯覚してしまうほどの巨大な紅の光が弾ける。
振り上げられた剣戟をなぞるようにその光は天を衝き、光の直撃を受けた魔物の身体は、灼ける訳でも熔けるわけでもなく、瞬き一つにも満たない時間で塵となって消失する。
「うわっぷ!?」
そして、その攻撃の余波も凄まじく、剣を振り上げた直後から数秒間、強烈な熱風が周囲に広がり、至近距離にいた私も、肌を焼くような熱に乗せられて、遥か後方まで吹き飛ばされてしまう。
「……噓でしょ?剣振っただけでこれとか。」
塵すら残さない超高温・超火力の斬撃、その影響は凄まじく、温められた空気は周囲の雲を呼び寄せて、瞬く間に雨を降らせる。
「…………。」
その場に静寂が拡がり、魔物の脅威が去ったことを理解して村人たちが民家から顔を出し始める。
「なんだ今のは?」
「彼がやったのか?」
滝のように降り注ぐ水滴に打たれながら、こちらに歩み寄ってきた英雄は一人、静かに笑みを浮かべる。
「無事か?聖女殿。」
「ええ、よくやったわ!」
「なら、よかった。」
安堵のため息をつく男に対して、私は自らの手の甲を差し出す。
「じゃ、最後にもうひと仕事よろしく。」
「仕事?」
そう、この男にはもう一つしてもらわなければならないことがある。
本当の意味で彼を私の下僕とするために、そして、この戦いに意味を持たせるために。
「ええ、もう一度ここで忠誠を誓いなさい。」
不思議そうな様子で首を傾げる彼は混乱する村人たちの姿を見て、そして私の言葉を聞いて、その意図を理解する。
「……いったい何者なんだ?」
そんな声を聞き、彼は小さく鼻を鳴らす。
「……なるほど。では貴女の名を聞いてもいいか?」
男は私の手を掴みながらそう問いを投げる。
「ルシア・カトリーナよ。好きなようにお呼びなさい。」
そして私がそう答えると、彼はそれ以上何も言う事はなく、ただゆっくりと片膝をついて、私の目を見据える。
「……我が主君、ルシア・カトリーナよ。今此処に、剣士アレス・イーリオスが忠誠を誓おう。」
「我が剣は貴女の進む道を開き、我が肉体は貴女の盾となる。何時如何なる時であっても、私の全霊を懸けてあなたを守る事をここに誓います。」
そして今ここに、英雄は聖女へと忠誠の言葉を唱える。
「アレス、って言ったか?」
「アレス、あの英雄アレスか!?」
「すげえ、英雄が復活したんだ!俺たちを守るために!」
その誓いを聞き届けた民衆たちは、口々に彼の名を呼び、英雄の復活劇に興奮の声を漏らす。
「オオオオオオォォォ!!」
そして、鳴り響く称賛の声に囲まれながら、私は掴まれた手を引いて彼の身体を立ち上がらせる。
「悪くない口上だったわよ。英雄君。」
「そろそろ名前で呼んでくれ。主君。」
皮肉交じりの賞賛に答える彼の表情は、どこか憑き物が落ちたような、清々しい笑みであった。
――初めてしっかりと彼の顔を見たが、やはり噂通りのイケメンであった。険しい表情が抜けたからであろうか、それとも初めて笑顔を見たからであろうか、私の脳から一瞬だけ思考が抜け落ちる。
「……っ、だいぶマシな顔になったじゃない。」
そしてそれに気が付いた私は、ハッと息を吸い込みながらそんな言葉を投げる。
「少しは英雄らしくなったか?」
「ええ、これからもよろしくね。アレス。」
こうして私は見事、野望を果たすための第一歩を踏み出すことに成功した。
「ああ、全ては貴女の仰せのままに。」
アレスはそう答えると、その手で包み込んだ私の手に軽く口づけをする。
次話は明日8時に更新します。
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