想定外の邂逅
――夜、キーモンの街から光が消え、昼間はあれだけ騒がしかった喧騒も静まり返った頃、私は既にグランツ家の屋敷へと潜入を済ましていた。
「…………。成功ね。」
僅かに開かれた木製の扉から差し込む月明かりが瞼にしみ込み、ガンガンと痛む頭を静かに包み込んでいく中で、私は小さく呟く。
場所は小さくて狭いながらも清潔に保たれた倉庫の中。
私は縛り上げたロープを近くの柱に固定してとある女性を眺める。
「……ん……。」
金髪に碧い瞳、背丈も平均的。どこにでもいるようなごく普通の女性、が今は私の目の前で縛り上げられながら眠っている。
可能な限り私の見た目に寄せた人選、そうこれは情報収集のための潜入。そのために私がなりすますメイドの一人だ。
「立ち振る舞いがぎこちなかったから狙ってみたけど、やっぱり新入りみたいね。」
奪い取って着てみたメイド服の清潔さと目新しさを見てそんな事に気が付く。
「…………。」
「ごめんなさいね、少し姿を借りるわ。」
そんな私の事情など知る由もなく穏やかな表情を浮かべて眠りにつく女性の姿に、少しばかりの罪悪感を胸に私は蔵の扉をゆっくりと閉じる。
そしてほどなくして私は中庭を抜けて、本格的に屋敷の中に入っていく。
まずは自然に溶け込んでザイオン・グランツの動向を確認する。そして、ギルバート家とグランツ家のパラダポピィ、ロスリリィのやり取りに関する記録の入手だ。
「となると最初は書庫、かしら。」
執務室にありそうな気もするが、最初に本丸を狙うのは無謀もいいところだろう。
直後、私の思考に割り込むように背後から女性の声が響く。
「ちょっと、マリー。貴女倉庫の掃除は終わったの?」
「…………っ。」
マリー、恐らく私が化けている女性の名前だろうか。となるとこの女は先輩か?
振り返ると同時、私は張り付けたような笑顔で答える。
「はい。先程終わりました。」
「そう、なら次なんだけど、お食事の準備を…………。」
直後に発せられる指示に、私は言葉を重ねる。
「――申し訳ありません。先程マルコス様から、書物庫に帳簿を取りに行くようにと言付けを頂きまして⋯⋯。」
マルコス・グランツ。確かザイオンの弟だか息子だか、とにかく帝都に入り浸るザイオンの代わりに領主としての業務を実質的に担当する男の名だ。
「こんな忙しい時に?とりあえず早く済ましてよね?」
それを聞いた彼女は呆れたように呟きながら納得する。
興味すらなかった知識だが、覚えておいた情報がこんな所で役に立つとは思わなかった。
「ああ、その事なんですけど、書物庫の場所が分からなくて…………。」
上手く躱せたのと同時に質問を重ねた瞬間、先輩と思われるメイドの女の表情が鬼のように激しくなる。
「ああもう、二階の西側の突き当り!昨日言ったでしょう!?」
「も、申し訳ありません。ありがとうございます。」
まさか質問一つでここまで怒られるとは思わなかった私は、小さく頭を下げて踵を返す。この子は普段から相当“できない”子なのか、あるいは虫の居所が悪い時に聞いてしまったか。
「もう、こっちも急な来客でてんやわんやなんだから。」
そんな疑問の答えは思わぬ形で耳に入る。
「来客……?…………っ!?」
そんな情報に、言葉にならない違和感を覚えた私は、足を止めて廊下の奥へと消えていくメイドを目線で追う。
「お待たせしました。」
そして、廊下を曲がって消えていく先輩メイドを追って顔を覗かせた瞬間、私は背筋が凍るような感覚に襲われる。
「…………そう来るか。」
そして咄嗟に顔を引っ込めて、天井を仰ぐ。
彼女が言う急な来客の正体、それは私もよく知っている人間であった。
「モルドレット、何で来てるのよ。」
完全に想定外の敵の存在に私は吐き捨てるように呟く。
何故、今こんな所に?私を追ってきてのか?別件だとしても主君の故郷が焼かれた今、わざわざ主と離れてまでする事とはなんだ?
困惑する脳内に問いを投げるが、当然、答えは出ない。
私は即座に思考を切り替えて、今度は彼女の存在の影響を考え始める。
どこまで自由に動けるか、何をしたら疑われるか。
それを知るためにはまずは彼女の目的を知る必要があるが――
「――そんな暇はないわね。」
数秒の逡巡ののち、脳内で私が出した結論は彼女を“無視する”ことであった。
「…………。」
そして私は可能な限り気配を殺しながら屋敷の廊下を駆け出す。
幸い西側の突き当りであれば、此処から近い上にモルドレットの居る位置からは正反対。彼女の目に触れる事はまずない。
そして予測通り、数分としない内に私は書物庫と思われる部屋の扉の前にまでたどり着く。
「ここね。」
数秒の静止、そして呼吸を整えた後、私はその扉を軽くノックして開く。
「失礼いたします。」
「…………。」
扉を開けた先に広がるのは沈黙と薄暗い空間、そして視界を覆い尽くさんばかりの書物。
倉庫とは違い少しばかり埃っぽいのは恐らく気のせいではない。私は軽くせき込みながらゆっくりと足を踏み入れ、そしてそのうちの一つを手に取る。
内容から見るに図鑑のようなものだろうか。書物庫とはいえ、こんなものも置いているとは、貴族の屋敷はどこもこんなものなのだろうか?
どちらにせよこうなると、まずは貿易や売買についての記録がどこにあるのかから探していく必要がある。
その事実に辟易しながらも、私は手元に小さな光を灯して、一冊、また一冊と書籍を手にとってその内容を確認していく。
こういう時に光属性の魔法は便利だ。火事の心配なく本が読める。…………まあやり過ぎてシスターローザに起こられたこともあったっけ。
手に取った本の中身をざっと確認して本棚に戻す。そんな作業を気が遠くなる程に繰り返した後、背後からコンコンと小さな音が響く。
「…………っ。」
この音は知っている。私も先程鳴らしたばかりの音だ。
私は咄嗟に魔法で作り出した光を消すと、開かれるであろう扉の方に振り返って訪問者を待ち構える。
「失礼します。おや、先客がいましたか。」
開かれた扉の先に現れたのは、先程私が逃げてきたばかりの女、モルドレットであった。
「…………っ。御来客の方、でしょうか?」
一番来てほしくない相手が目の前に来たことで、一瞬思考が停止しかけるが、私は絞り出せる限りの知識でメイドっぽい問いを投げ掛ける。
そして同時に、扉の先から漏れる光から逃げるように体をゆっくりと横にスライドさせ、少しでも顔を見られないように悪あがきをする。
「…………ええ、申し訳ありませんが、領主様の執務室はご存知ですか?」
そんな私の静かな抵抗を知ってか知らずか、彼女は躊躇いもなく薄暗い部屋に足を踏み入れて問いを投げ掛ける。
「申し訳ありません。私、こちらに来たばかりでして、他の方をお呼びしますね。」
これ以上彼女と同じ空間に居るのはリスクでしかない。
私は事実を交えながら答え、そして即座に退室しようとする。
「いえ、その必要はありません。」
そして彼女の横を通り抜けようとした瞬間、私の耳にそんな言葉が響く。
「ぐっ…………!?」
直後、振り返った私の胸倉をモルドレットは掴み上げ、そのままの勢いで背後の壁に叩き付けられる。
「……かっ、は。」
咄嗟に背中のみに魔力による肉体強化をしていたことで、なんとか勢いを吸収したが、私の肺は一時的にその機能をマヒさせる。
「動きがあまりにもメイドからかけ離れている。それに入ったばかりとは言え、メイドが主の部屋を知らないわけがないでしょう。何故、貴女がここに居る?」
「な、何のことでしょう?」
鋭い視線と共に投げ掛けられる問い掛けに対して、私は息を詰まらせながらなんとか笑顔を張り付けて答える。
敵の本拠地に潜入したのだ、私だって様々なリスクを想定してきた。そしてその対策も時間が許す限り全て用意してきたつもりだ。
「大声で名前を呼ばれたいですか?ルシア・カトリーナ。」
「……っ。」
しかしこれは聞いてない。こんなの完全に想定外だ。
突きつけられた銀色の刃が頬に触れる中、薄暗い書庫が息も詰まるような緊張感に包まれる。




