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覚悟と別離


 ルシア・カトリーナがグランツ領、キーモンの街へと潜入する半日前。



 まだ日が昇った直後、闇夜の冷たい空気がわずかに残る朝に、帝国の調査隊はギルバート領へとたどり着いていた。



 朝露すらも焼かれるような灰の匂いが充満する中で、焼け焦げ、黒に染まり切った屋敷を眺めるのは、アールグレン帝国の聖女、ローラ・ギルバート。



「…………。」



 自らが生まれ、そして育ってきた故郷の惨状と家族の死。そんな悲劇を前にただ一人黙り込む姿は、周囲の人間も言葉を選ぶ程に痛ましいものであった。



「……ローラ様。」



 そんな中で、彼女へ声を掛けたのは、彼女が配下として所有する聖騎士の一人、モルドレッドであった。


 長い金髪をなびかせる騎士は未だ心の奥底を見せぬ主に、息を呑みながら言葉を投げ掛ける。



「僭越ながら申し上げます。此度の襲撃、実行犯の足取りが未だ掴めず、聖騎士が周辺を捜索中です。」



「また、犯人の姿を見たという情報もなく――」




「――あの女に決まってるでしょう。」



 報告をする彼女の言葉を遮る様に、ローラは低い声で呟く。



「……はい?」



「あの女に決まってるわ。だって私は散々あの女を攻撃してきたんですもの、だから八つ当たりで家族を襲ったのよ!!」



 怨嗟を吐きだしながら叫ぶ彼女の姿は目に見えて冷静さを失っているように見えた。



「それには少し違和感があります。ルシア・カトリーナは聖女剥奪からこれまで、帝国の法に触れる行為は行っていません、少なくともこちらが観測できる範囲内では、一切ない。」



「そのような人間が突然このような凶行に及ぶでしょうか?私には別の悪意が関わっているように見えます。」



 理論より感情が前に出ている彼女に対して、モルドレッドが示したのは、これまでのルシアの行動指針と、今回の事件の齟齬。



 モルドレッドとて、ルシアの人となりをよく知っているわけではない、けれど、彼女が頭の切れる人間である事はモルドレッドのみならず彼女と関わったことのある人間ならば周知の事実である。



「急に心変わりした可能性は?」



「……そ、れは……。」



 しかし、それでもローラはルシアの悪行であると疑わない。


 示された可能性の一つを、モルドレッドも否定できない。



「貴女にはあの女の考えが理解できるの?追放された聖女の、スラム育ちのゴミの考えが。」



「…………。」



 騎士の家系の人間と、貴族の家系の人間、彼女らが選ばれなかった人間の、ルシアという人間の考えを、その信念の全て理解することはきっとできない。


 故に彼女もその問いに答える事ができない。



「――そうですね。そのような人間の心境は我々には測りかねるでしょう。」



 流れる沈黙に助け舟を出すように話に割り込んできたのは、低く響く中年の男性の声。



「……エリサン副団長。」



 険しい顔で自身を見つめるモルドレッドを軽く一瞥した後、男はローラへ視線を向けて口を開く。



「ですが一つ、目撃情報がありました。大火の直後、大雨の中市民を治療して回った金髪の女性がいた、と。」



 そして投下された一つの情報は、彼女の意思を固めるのに十分すぎるほどの力を持っていた。


「……金髪の……。」


 この状況下で市民を治療する金髪の女、それは疑いを強めるのには十分すぎる力があった。


 そして、混乱するモルドレッドは視界の端でローラの視線が鋭くなるのを感じ取る。



「決まりよ、これよりルシア・カトリーナの殺害命令を出すわ。調査中の聖騎士を集めて。」



「待って下さい!」



 下された命令に、言葉を詰まらせながら待ったをかける。



「…………何?」



 返ってきた視線にはもはや疑問はなく、ただひたすらに冷徹な殺気と苛立ちだけが込められていた。



「…………ローラ様。今帝国国内は政治的にも、防衛的にもひどく不安定な状況です。そのような中で、狙う相手を間違えれば、この隙は致命的なものになりかねません。」



「一度落ち着いて、情報を集めませんか?」



 それでもモルドレッドは引かない。この決断が帝国にとって、ローラ自身にとって最善の行動とはどうしても思えなかったからだ。


 けれど、そんな心情がローラに届くことはなかった。



「——」



 ひどく無感情にこぼれ落ちるそれは、一節の詠唱。


 直後、モルドレッドの腹部に強烈な衝撃波が走る。



「……かっ、は!?」



 体をくの字に曲げて後方に吹き飛ばされた彼女は勢いを受け流せずゴロゴロと地面を転がって倒れる。



「しつこい。消えなさい。」



 そして呻き声を上げて横たわる彼女に対して、ローラは短く強い口調で拒絶する。



(おお、怖い怖い。)



 横目で見るエリサンはどこか他人事のような視線でその様子を眺める。



「…………なら一つ、許可を頂けませんか?」



 それでも違和感を拭えないモルドレッドは、激痛の走る身体を動かして両膝を地面につけてローラの顔を仰ぐ。



「人員は裂きません、ご迷惑も掛けません。どうか、単独での調査の許可を頂けませんでしょうか?」



「勝手になさい。もう、貴女はいらない。」



 そして深々と頭を下げる彼女から視線を切り、ローラは苛立ちをぶつけるようにそんな言葉を吐き捨てながら踵を返す。



「…………感謝します。」



 遠ざかる主の背中に、モルドレッドは再び深く頭を下げる。



「随分と無謀な真似をするね。」



「…………副団長。」



 そして、ゆっくりと立ち上がろうとするモルドレッドの腕を掴み支えながらエリサンは彼女に声を掛ける。



「別に僕はルシア・カトリーナが嫌いなわけじゃない、むしろあんなにかわいい子は大好きさ。けど、状況と情報を見れば、流石に彼女の仕業と思ってしまうよ。」



 それが一切の私情を持たない彼の出した「現状の答え」であった。



「けど、それでも、あてはあるのかい?」



それ故に彼は問う。「なぜそこまでするのか」と。



「一つだけ。…………馬を一頭、お借りしても良いですか?」



 その問いにモルドレットは答えない。しかし、暗に答えがあると示してみせる。



「…………どうぞ。」



 彼女の目に宿る光を見て、エリサンは答えを引き出すことを諦めて、ため息交じりに許可を出す。



「まあ好きなように調べたらいいさ、彼女のご機嫌取りはしておくよ。」



 そして、少しばかり突き放すような言葉で彼女を送り出す。




「…………ありがとうございます。」



「…………。」



 許可を得ると、彼女は自身の治療すらも後回しにして近くに待機する馬のうちの一頭に跨る。



 そして、エリサンの視線を背に、彼女は大地を駆け出す。




――彼女にだって確証はない。けれど、彼女の中には一つ、明確な不穏分子があった。



 誰よりも深く関わったわけではない。誰よりも多く話したわけではない。けれど、彼女だけは明確に、あの男の本音に触れた。



 だからこそ彼女は、あの男を疑わずにはいられなかった。



「……ザイオン・グランツ。」



 その名を小さく呟きながら、騎士は一人遥かに続く荒野を進む。


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