混沌の帝都
ギルバート領を襲った大火災から一日開けた朝、帝都の城砦の一室では、一人の少女が目を覚ます。
「……ん、ふぁ。」
少女の名はスフィア・ルクローズ。一昨日前に、聖女として帝都に足を踏み入れたばかりの新米聖女だ。
「…………?」
窓から差す朝の陽射しに目を細めながら、微睡みの中で少女は徐々に思考を回していく。
帝都の空気にはまだ慣れない。
聖女の先輩方はまだ少し怖い。
魔力の調整はとても大変だった。
けれど、これから始まる聖女としての任務にはどうしても心が躍る。
(ようやく私も、誰かのために力を。)
そんな彼女の思考に侵食するように、扉の向こうからは大きな鐘の音が聞こえてくる。
「⋯⋯この音、なんだろ?」
「――緊急警報だよ。」
何気なく呟いた言葉に、背後からそんな答えが返ってくる。
「……っ!?」
振り返ると視界の先には、開かれた扉の前で呆れたように立ち尽くす青髪の小柄な女性の姿があった。
「……ミーティア様。」
「こんな爆音の中でよく寝れるね。」
呆けた顔の少女の姿を見て、ため息交じり呟く青髪の聖女は、すたすたと躊躇いなく部屋の中へと踏み入り近くにあった椅子に腰かける。
「すいません。というか、緊急警報?何が起こったのですか?」
状況が理解できないスフィアは眉を顰めた険しい表情で彼女に詰め寄るが、ミーティアはそれを軽く受け流してテーブルに置いてあった櫛をその眼前に突きつける。
「とりあえず身支度して。すぐ集まるから。」
「は、はい。」
有無を言わさぬその無言の視線に気圧されながら、スフィアはその櫛を両手で包み込むように受け取る。
そして数分後、二人は城の廊下を速足で進みながら事の顛末について話をする。
「――襲撃、ですか!?」
そんな声が廊下に響く中、ミーティアは静かに、冷静に言葉を紡ぐ。
「そう、襲われたのはギルバート家の領地、犯人は不明。」
「ギルバート、ということは。ローラ様の……。」
その名を聞いただけで、スフィアは即座に同じ聖女として身を置いている女性の姿が頭を過る。
「そ、あの人の家系だよ。」
「街は火の海、だったらしいけど、局所的な大雨で鎮火されたらしくて、たまたま民間人の被害は少なかったみたい。」
淡々を話しながら歩く速度を落とさない彼女の声色には少しばかりの安堵が込められるように見えた。
「そ、それは良かった。」
それを感じ取ったスフィアも、小さく息を吐いて表情を和らげる。
「けど、領主様との連絡がつかない。」
「ヘレン・ギルバート様、でしたよね?」
「そう、だからこれから私たち聖女を含めた上層部で対応を考える。」
「多分私たちが最後だけどね。」
スフィアの問いに答えながら、ミーティアは静かにこの後の行動について話をし、そして最後に状況の説明を付け加える。
「す、すいません。私のせいでミーティア様まで……。」
「まあこれも教育係の仕事だからね。」
「教育係?」
会話の中で飛び出した聞き慣れない言葉に、少女は首を傾げる。
「そう、今日伝えるつもりだったらしいけど、しばらくは私が貴女に色々教えるみたい。」
それを聞いたスフィアは、表情をふっと柔らかくして足を止める。
「そうでしたか、改めてよろしくお願いします。」
「……とりあえず、急いでるときに足止めるのはやめようか。」
嬉しそうに深々と頭を下げる彼女の姿に少しの戸惑いを見せたミーティアは、一瞬考え込んだ後、そんな言葉を返す。
「す、すいません。」
「とりあえず急ご――」
慌てて追いかけてくる姿を確認して再び踵を返したミーティアは、直後に廊下の奥から現れる人の集団に足を止める。
ぞろぞろと真剣なまなざしで歩みを進める集団の最前列には、スフィアも良く知る赤毛の女性の姿が目に映る。
ミーティアの頭の影からその姿を確認したスフィアは挨拶をしようと顔を覗かせると、ローラのその表情を見て動きを硬直させる。
「…………。」
「ローラ様、おは――」
「――下がって。」
それでも何とか口を動かそうとするが、それをミーティアが静止させる。
「わ、わ。」
慌てて壁際に下がるスフィアが覗き込むと、ミーティアは「今はやめておけ」と言わんばかりの顔で首を左右に振る。
そして集団が二人の目の前を通り過ぎた後、ミーティアはため息交じりに口を開く。
「私たち少し遅すぎたみたいだね。」
「あれは?」
「派兵する調査隊だと思う。で、あの人は領主の代理じゃないかな。」
スフィアの問い掛けに、今度は推測交じりの答えを返す。
ローラの表情と、ミーティアの言葉に彼女は状況の深刻さを感じ取り生唾を飲み込む。
「多分もう対応を決めたんじゃないかな。もう遅いと思うけど、顔だけでも出しに行こう。」
「はい。」
そう言って二人が再び歩みを進めた瞬間、今度は集団から少し遅れて、頑強な鎧を纏った中年の男が目の前から現れる。
「おやおや、誰かと思えば麗しき聖女、ミーティア様ではありませんか。」
小綺麗な身なりをした男はわざとらしく手を広げてリアクションを取りながら、ミーティアの目の前で跪き深い礼をする。
「…………どうも。」
数秒の間を開けて答えるミーティアの表情は限りなく無に近く、必要最低限のやり取りで話を済ませようとする思惑が透けて見えた。
「本日はお顔か見えなかったので心配しておりましたがこうして出発前に出会うことができてエリサンは幸せです。…………おや、そちらの美しい銀色の髪のお嬢様が、噂の?」
そんな態度をスルーして話を進める中年の騎士はとめどなく口を回転させながらふと視界の端に立つ少女の存在に気が付く。
「え、と。」
視線を向けられたスフィアは戸惑いながらミーティアに視線で助けを求める。
「初めまして。私、アールグレン騎士団副団長、エリサン・マリヴェルと申します。」
「新たな聖女は史上最年少の才媛と窺っておりましたが、まさか容姿すらも美しいとは、感服いたしました。」
「あ、えと、どうも?」
そして優しい手つきで彼女の手を取る騎士は彼女に狙いを定めてアプローチを始める。
「どうでしょうか、また今後、ご一緒にお茶など飲みながらカモミールの街の素晴らしさについてお話を――」
そこまで話していると、男の視界の端に小さな掌が向けられる。
「――そこまでにしようか。」
静かに、それでいて淡々と呟くミーティアの視線からは、「撃つぞ」と言わんばかりの圧が放たれる。
「…………。」
「今はそれどころじゃないの。分かるよね?」
一瞬の沈黙ののち、冷淡な問いが飛ぶ。
「おおっと、これは失礼。」
あえて空気を読んだのか、男はわざとらしく両手を上げてスフィアから距離を取る。
「貴方も行くんでしょう。状況を考えて。」
「それもそうだ。失礼致しました。では、スフィア・ルクローズ様、込み入った話はいずれまた。」
そして最後に軽い敬礼を残すと、男は廊下の奥へと駆け足で消えていく。
「……はあ。」
残されたスフィアは、まるで嵐が過ぎ去ったように呆然として立ち尽くす。
「わっ……。」
そんな彼女の背中を、小さな掌がはたき上げる。
「教育係として最初にこれだけは教えてあげる。帝都には下種しかいないから。絶対に油断しちゃだめだよ。」
目を見開いて動揺する彼女の顔を見上げながら、ミーティアは不機嫌そうに呟く。
「気を付けます。」
「良し。じゃあ早く行こうか。」
最後にそんなため息交じりの言葉を吐くと、二人は再び廊下を速足で歩き始める。




