遺したもの、残ったもの
その後、屋敷を出てアレスと合流した私は、市民の治療を済ませ、ほぼ間を置かずに街を出る事にした。
目的は明瞭、純粋に帝国の調査兵との遭遇を避けるためだ。
そして元来た道を戻るべく、息を切らしながら馬を走らせ、辿り着いたのは薄暗く湿度の高い洞窟だった。
「はぁ、はぁ……っ、もう。」
馬たちを雨に濡れないように近くの岩場に括り付け、周囲の状況を確認した後、私はふらつく足取りで洞窟の奥へと進む。
数歩歩いた先で焚き火に薪をくべるアレスの姿を見つけ、水分を含み重たくなった上着を投げ捨てながら、疲労感の滲む身体を奮い起こして髪の毛の水分を絞る。
「主君、火が付いたぞ。」
「ええ、ありがと。」
瞬間、ふっと視界が明るくなり、私は冷え切った身体を温めるために穏やかに燃える火に手を差し伸べる。
「体調は大丈夫か?」
心配そうに問いかけるアレスに対し、私は少しばかり嫌味を込めながら笑みを返す。
「大丈夫じゃないわ。貴方の魔法のおかげでね。」
あの街の炎はアレスが魔法で完全に鎮火させた。
それは確かに見事な芸当であったが、街全体に大雨を降らせて全員まとめて救おうなど、思い至ってもなかなかできるものではない。それをさらりと実行できるあたり、この男は本当に規格外なのだと思い知らされる。
「済まない、火を収めるならあれが一番早いと思ったんだ。」
びしょ濡れにされたのは勘弁してほしかったが、同時に自然現象に偽装できる「雨」という彼の選択は少しばかり都合が良かった。
街が襲撃され、ヘレン・ギルバートが殺害された現状、その場にいた私たちが疑われるのは当然の流れだ。
故にその痕跡は何一つ残すわけにはいかなかったが、けれど目の前の人間を救うためには大量の水が必要になる。そんなリスクと目的を天秤に掛けた末に選んだのが雨という選択だったのだろう。
悔しいが咄嗟のあの場面で、より冷静な行動を取れていたのは、私ではなくこの男だった。
「はあ、まあいいわ。魔力の消耗は思ったより少なかったし。」
だが素直にそれを認めるのは癪だったので私は、さらりとその言葉を受け流す。
「戦闘にならなかったのが不幸中の幸いだったな。」
「それにしても、またレジスタンスか。」
するとアレスは私の言葉など一切気にかける様子もなく即座に思考を切り替える。
「ええ、バルタザール、とか言ってたけど、多分相当強いわよアレ。」
対面したときのあの圧力、カモミールの街で戦ったゴンゾとかいう男と比べても遜色ない、あるいは彼以上の何かを私は感じとっていた。
「目的はやはりヘレン・ギルバートか?」
「ええ間違いないわ。」
アレスの問い掛けに私は静かに頷く。
「私が見つけた時点でしっかり胸を貫かれてた。明確な殺意があったと思うし、何より市民への被害が少なかった。恐らく狙いは最初から領主だった。」
「街への攻撃は最初から陽動だったという事か。」
「そうなるわね。」
互いに得た情報を統合すれば、これがほぼ事実と言って差し支えないだろう。
となれば後はその行動の目的だが――
「彼女を狙った理由は?貴族なら誰でもよかったのか?それとも、我々に罪を擦り付ける目的が…………。」
「それはないわ、私と会ったことは想定外な感じだったし、彼女の最後の言葉的にもね。」
アレスの言葉を食い気味に否定した後、私はヘレン・ギルバートの言葉を思い返す。
「どんな内容だったんだ?」
「ギルバート家とグランツ家は私たちの予想通り協力関係にあった。けど、何らかの理由でその関係は決裂した。」
物的証拠を得られなかったのがかなりの痛手だが、ほぼ事実とみて間違いない証言を得られたのは大きい。その事実を前提に行動できるのは大きなアドバンテージになる。
「そこにレジスタンスが介入した。という流れか?」
「そうなるわね。何であんなのに従ってるのかは意味わかんないけど。」
そう、そこだけが分からない。
なぜレジスタンスが、こんな貴族同士の諍いに手を出したのか、目的は?メリットは?
考えるほど分からなくなっていく。
「…………。」
僅かな沈黙に、アレスは口を開く。
「話がどんどんとこじれていくな。どうする、ヘレン・ギルバートを利用した作戦は失敗した。一度この件から手を引くか?」
「そう、ね。どうしようかしら。」
この男の言う通り、出来事の全体像を把握できない中で下手に手を出せば、どんな影響が出るのか予想ができない。
けれど、私は決断にまで踏み切れなかった。
「……何か気になっている事があるのか?」
「……いいえ、なんでもないわ。それより、そっちはどうなの?」
私は首を横に振ると同時に、アレスにそんな問いを返す。
「何の話だ?」
「街を出る時、変な顔してたけど。何か気付いた?」
その問いにアレスは少し考えた後、「ああ。」と何かを思い出したかのように口を開く。
「……少し、嗅ぎ慣れた匂いがしたものでな。」
「匂い?」
なぜあの雨の中でまともに匂いの判別ができたのかは置いておくとして、私は一言だけ聞き返す。
「いや、気のせいだろう。昔の知り合いがいた訳でもなし、気にしないでくれ。」
「あっそ。」
何か隠しているようにも見えない、本当に思い違いなのだろうと判断し私はそれを受け流す。
「それよりも今後の方針だ。どうしたい?」
そして再び先程の問いが返ってくると、私は今度こそ決断を下す。
「…………とりあえず、グランツ領に戻るわ。」
「本気か?」
予想外であったのか、アレスは訝しげに問いを投げてくる。
「ええ、巻き込まれたのに蚊帳の外はもやもやするし、何よりザイオン・グランツとレジスタンスとの関与、これが本当なら利用する価値がある。」
私はにやりと笑みを返しながら、二つの理由を説明する。
「帝国とレジスタンスの小競り合い、少しまぜてもらいましょう。」
リスクと成果の天秤、今度は成果を取りにリスクを冒そうではないか。




