リスタート/リバース
翌日の朝。
約束の日、ルシアから出された〝宛名不明の手紙〟に導かれて荒れ果てた荒野へと誘われたローラ・ギルバートと、ザイオン・グランツは、何もないその地平を眺め、茫然としていた。
「こ、れは…………。」
「何もありませんね。」
小さく呟くザイオンの言葉に、侍女の一人が無感動にそう続ける。
「どういう事かしら?」
ザイオンの背後から、呆れたようなローラの言葉が響く。
「あ、いや、私は手紙の通りに行動しただけで……。」
「手紙の通り?そうなったのは貴方が失敗したからでしょう?」
動揺に揺れる男にピシャリと有無を言わさずローラが吐き捨てる。
「カモミールの件も、例の件も貴方に任せたのが失敗だったのね。」
最後にそう呟くと、彼女はその長い髪をなびかせて踵を返す。
「しかし、ローラ様!」
「うるさい!黙ってなさい、無能!」
瞬間、空気が凍るほどの叫びが響き渡る。
「…………っ!」
その鋭い剣幕に、ザイオンも黙り込む。
「ローラ様、いかがいたしますか。」
そんな張り詰めた空気の中、一人の騎士、モルドレッドがその後に付いて短い問いを投げる。
「もちろん帰るわ。はぁ…………。」
「あの無能も、そろそろ用済みかしら?」
呆れた様な、見下す様な視線と共に吐き捨てられた言葉が、ザイオンの耳に届き、
「⋯⋯⋯⋯。」
「……そが。」
ローラが消え、一人残された男の小さな呟きが、風が吹き荒れる荒野にポツリと消える。
瞬間、男の目が血走りながら大きく見開かれる。
「…………クソが、クソが、クソが、クソが、クソがクソがクソがクソがクソがクソがクソがっ!!」
腹の底から吐き出される怨嗟が、大地に響き、その様子を彼の部下達は固唾を飲んで見守ることしかできない。
「何が用済みだ!聖女風情が!道具風情がっ!!」
そして溢れ出す怒りを、感情のまま周囲にあるものにぶつけ、当たり散らす。
「あのクソ女がぁ!!」
そんな叫びが響き、その場に沈黙が流れる。
「⋯⋯⋯⋯。」
しかし、その沈黙はすぐに破られる。
「⋯⋯随分楽しそうですねぇ、ザイオン・グランツ伯爵。」
気配すらなく響く、楽しげな幼女の声。
「…………っ!!」
その場にいた人間の視線が声のする方向へ一気に集まる。
声のする方、彼らの視線の先には、大きな馬車の上で腰掛ける、黒いドレスを纏った赤髪の少女が下卑た笑みを浮かべながらザイオンを見下ろす姿があった。
「何者だ貴様!!」
彼を守る騎士の一人が、咄嗟に剣に手をかけて彼女へ詰め寄る。
「少し黙っててね。」
しかし少女は、迫り来る騎士には一切の視線を向けず、片手間で虫を潰す様に指を弾く。
「……カッ!?」
瞬間、騎士の頭は弾け、周囲に血の噴水が巻き上がる。
「…………っ!?」
突然の光景に、騎士達の動きは一気に硬直する。
「驚かしちゃってごめんなさい。でも、私は貴方とお話ししたいだけなの。」
そしてゆっくりと空中から舞い降りてくる人形の頭を鷲掴みにし、抱え込むと、少女は張り付けたような笑みを浮かべてそう言い放つ。
「…………何者だ?」
ザイオンの問いに、少女は満面の笑みを返す。
「私の名前はベロニカ。ねえ、ザイオン君、私と契約しない?」
———
私の宣言から一夜明けた後。
水溜りが陽の光を返し、やけに眩しく感じる昼下がり。
私達は出発の準備を終える。
「ふぅ……よしっ!」
気合いを入れた私の声に控えめな足音が付いてくる。
「準備は出来たようですね。」
振り返った先に立つローザの顔は、昨日よりもどこか晴れやかに見えた。
「ええ、行ってきます。」
私は静かに言葉を返す。そして、視線を一度真下に移した後、今度はしっかりと彼女の目を見て口を開く。
「シスターローザ…………ごめんなさい。」
「…………?」
私の謝罪に彼女は不思議そうな顔を見せる。
「私はこれからもきっと無茶をし続けます。これからもずっと、心配をかけてしまうと思います。」
「けど、もうこれ以上自分を曲げるつもりはありません。」
これ以上したくない事はしない。主義に反したこともしない。これが私の覚悟、そして、彼女に対する宣誓だ。
「これからは、これからも、私は私の望む未来のために――。」
「――そして貴女の信じる正義の為に、戦うのですね。」
ビシッと決めようとした矢先、最後の言葉を取られてしまい、一瞬動きを止める。
やはりこの人にはいつまでたっても敵わない。
「はい。次に会う時は、改めて聖女になった私をお見せしますね。」
肩の力が抜けた私は、間抜けな笑顔で答える。
「あら、別にいつでも帰ってきてよいのですよ?」
「そう言って下さるだけで十分です。」
最後までこの人は私に甘い、けど、もうそこに甘えたくはない。
沢山のものを貰ったから、もう何度も救われたから、せめて今度はちゃんとした姿を見せたい。
「…………さ、行くわよアレス。」
「ああ、分かった。」
私の言葉に、アレスが歩みを進め始める。
そして私は、小さく深呼吸をした後、何の曇りもない視線で彼女を見据える。
「いってきます。」
「はい、いってらっしゃい。」
最後に交わしたのは、別れの言葉にしてはあまりにも短い言葉。
それと視線を一つ交わして、私は、踵を返す。
「…………随分とあっさりしてるな。」
あまりにも静かで淡々とした別れに、隣のアレスが戸惑いながら問いを投げてくる。
「どうせまたすぐに会えるわ。それに…………。」
「それに?」
「なんでもないわ。」
それにきっと、あのまま居続けたら、きっと出ていきたくなくなってしまうから。きっとこれでいいんだ。
「それよりも、私たちにはやる事が沢山あるから。」
「人助け、だな!」
私の言葉にアレスは元気に期待に満ちた視線を送ってくる。
「それと復讐も、よ。」
「…………まだする気だったのか。」
そして今度は呆れたような視線を向けてくる。
「当然!私がスッキリしなきゃ幸せになんてなれないわ。」
「といっても本来の作戦はもう失敗した。だから行き先を変えるわ。」
そう、本来ならもうすでにザイオン・グランツとローラ・ギルバートを一網打尽にしているはずだった。けれど、今から向かってもどうせ間に合わない。
「どこにするつもりだ?」
その問いに私は思わず溢れる笑みを隠すことなく答える。
「ギルバート領、あのにっくきローラ・ギルバートの実家にお邪魔しましょう。」
私の顔を見て、アレスは引き攣ったような表情を浮かべる。
まったく、本当に失礼な男だ。




